表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/11

バルザーク、結月の母と会う

朝の光が差し込むなか、田中晴香は寝ぼけた頭でリビングの扉を開けた。


キッチンから漂う、朝の“焼けた匂い”と湯気の奥――

信じられない光景が目に飛び込んできた。


黒の軍服に深紅のマント。その上からピンクの花柄エプロンをまとった、堂々たる男が一人、フライパンの前に立っていた。


(……夢でも見てるのかしら?)


男は真剣な顔で、フライパンと向き合いながら呟いた。


「……なるほど、この“黄身”とやら、崩すと美観を損なう。繊細な魔獣だ……」


一瞬、声をかけるのをためらったが、晴香は恐る恐る声をかけた。


「おはよう〜……」


男がこちらを振り返る。その目にはわずかな警戒が宿っていた。


「……何者だ」


いきなりの問いに、晴香は少し戸惑いながらも笑みを浮かべる。


「結月のママだけど〜。あなたは、だれ〜?」


男の表情がぴたりと止まる。そして、すっと背筋を伸ばした。


「……なるほど。母君であったか。これは失礼を」


そのまま一歩前に出ると、胸に拳を当てて堂々と名乗りを上げた。


「――我が名は、バルザーク・ヴァルト=ヘルフェン。魔王軍第四実行部隊総帥にして、魔王様の忠義の剣だ」


あまりに壮大すぎて、晴香は一瞬呆気にとられる。


「へぇ〜、なんだかすごい肩書きだけど……つまり結月の友達ってことでいいのよね?」


「友ではないな。――そなたの娘・結月は、我がこの世界で最初に出会った“導き手”だ」


その言い回しに、晴香は思わず吹き出した。


「なにそれ、かっこいい……けど、ちょっと、中二病くさいかも?」


バルザークは言葉の意味を気にする様子もなく、真顔でうなずく。


「うむ。“ちゅうにびょう”……この世界で高貴なる者に与えられる称号か。ありがたく頂戴しておこう」


その背中は、なぜか誇らしげだった。


ジュウ、とフライパンから音がして、香ばしい匂いがキッチンに広がる。


「――うむ、これでよかろう」


彼は満足げにうなずき、目玉焼きを崩さぬよう慎重に皿へ盛りつけた。


(あら、ちゃんとできてるのね……)


晴香はふっと笑みを浮かべると、キッチンの棚からカップを二つ取り出した。


「ふふっ、上手にできたわね。じゃあ、コーヒー淹れてくるわ。ちょっと待ってて」


湯気とともに香り立つコーヒーを注ぎながら、晴香は彼の様子をちらりと見る。


バルザークはすでにテーブルに皿を置き、エプロンを外して椅子に座っていた。その動作ひとつひとつに、どこか舞台俳優のような威厳が漂っている。


「……もしかして、結月のために作ったの?」


その一言で、彼の手がぴたりと止まった。


「……ふむ。これはあくまで、“食の修練”の一環。我が魂を鍛える試みであって、誰のためというわけでは――」


どこまでも真面目な口調。だが、ほんの少しだけ早口になっていた。


晴香はその様子にくすっと笑いながら、コーヒーを渡す。


「そっか。でも、結月きっと喜ぶと思うな。こういうの、分かりやすくて可愛いから」


彼はその言葉に反応せず、ただ静かにマグカップを見つめていた。


「結月ちゃんと仲良しなのね~」


そう言った瞬間、ほんの少しだけ、バルザークの肩が動いた気がした。


そのとき、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。


「ママァーッ! 朝ごはんできてる!?」

息を切らせて結月がリビングに飛び込んできた。


「え? ちょっ、ちょっと!? なにバルザークと仲良く喋ってんの!?」


驚きと焦りが入り混じった顔で、晴香とバルザークを交互に見つめる。


一瞬、言葉が出てこない。口をパクパクさせたあと、ようやく絞り出すように口を開いた。


「……いや、違うの! ママが帰ってきたときに説明しようと思ってて……! こ、こいつ、じゃなくて……この人、海外から来たんだけど、めちゃくちゃ困ってたの! それで、アタシがちょっと、助けてあげたっていうか……!」


(まあ、変っていえば変な人だけど……)


目の前の男は、軍服にマントという謎の組み合わせで、どう見ても普通じゃない。

けれど、今にも泣きそうな顔で懸命に言い訳する結月の姿は、どこか楽しそうで――


(……まあ、いいか。あの子が楽しそうなら)


晴香は小さくため息をついて、ふっと笑った。


バルザークはマグカップを一口すすった。


「結月、何を焦っている。第一従者がそのようでは、主君である我の技量も疑われるのだぞ」


「黙ってて! それと従者じゃないから!」


そのやりとりに、晴香はコーヒーをすすりながら微笑んだ。

結月がトースターに食パンを入れる。


「……えっ、うそ。もうこんな時間!?」


結月が壁の時計を見て声を上げた。


「やばっ、完全に遅刻コースなんだけど!? バルザークも、なんで起こしてくれないのよ!」


「む? そなた、昨夜“うるさいから起こすな”と布団にくるまって宣言していたではないか。我がスマホで演説を見ていたときにな」


「それは真夜中だったからでしょ! あんたが動画をずーっと見てるから思わず言っただけじゃん!」


晴香は楽しげに笑う。


「あらあら、もしかして二人って――そういう関係?」


「ち、ちがうから!! ないから! 絶対に!!」


結月の叫びをよそに、晴香はふっと笑ってテーブルの皿を指さした。


「ほら、目玉焼き冷めちゃうわよ。せっかくバルザークさんが結月のために作ったんだから」


その言葉に、娘はぴたりと動きを止めた。


「……え、いや、でも……時間ないし……」


そのタイミングで、トースターから「カチャン」と音を立ててパンが飛び出す。それを皿に乗せた結月がぶつぶつ言いながらも、しぶしぶ椅子に腰を下ろし、目玉焼きにフォークを伸ばす。


一口、もぐ。もう一口、もぐ。


(あら……)


晴香はコーヒーをすすりながら、その様子を見つめる。頬をほんのり赤らめながら、娘は言った。


「……ふつうに、美味しい」


それを聞いたバルザークは、何も言わずに腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。けれどどこか、誇らしげだった。


「……ごちそうさまっ!」


結月は勢いよく立ち上がり、鞄を肩にかけて玄関に向かっていく。


「いってきます!」


「――行ってまいれ、我が従者よ」


「だから違うってば!」


ドタバタと玄関の扉が閉まる音がして、キッチンに静けさが戻った。


晴香は残った湯気の中で、微笑みを浮かべた。


(ふふ……いい朝だわ)

ここまで読んで頂きありがとうございます。

もし気に入ってくださればブックマークと感想をお待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ