バルザークと王の器
約束の日の夜になり、目的地まで距離があると知ったバルザークは、結月の家に停めてあった自転車を指差した。
「――この鉄馬、借り受ける」
「ちょっ、それあたしのチャリ……!」
迷いなくサドルにまたがったバルザークが言い放つ。
「後ろに乗れ」
「えっ、えっ? やだ待って。アンタ、自転車の交通ルールも知らないでしょ!?」
「案ずるな。我は落ちぬ」
「私が落ちるわ!!」
そう叫びながらも、結月は渋々後部座席にまたがった。
その瞬間、バルザークがペダルを踏み込む。風が鳴り、視界がぶれる。
「ちょ、ちょっと!? 地面が、地面があああああ!!??」
気づけば、自転車は空を滑っていた。まるで夢のワンシーン。街の灯が下に遠ざかり、目の前には大きく浮かぶ月。
「これ……映画で見たことあるやつぅぅぅぅ!!???」
結月の悲鳴が、夜空に響き渡った。
✦✦✦
夜の公園。街灯が、誰もいないベンチとブランコをぼんやり照らしている。
ふわりと自転車が舞い降り、静かに着地する。
結月は後ろで息を切らしながら、震える声を漏らした。
「……もう……無理……生きてるのが奇跡……」
そんな結月の声をよそに、バルザークがペダルから足を下ろす。
「来ているな。……あれが、“霧の王子”か」
視線の先、公園のベンチに一人、制服姿の少年が座っていた。スマホを手にしたまま、こちらをじっと見ている。無表情。でも、どこかその瞳は揺れていた。
バルザークが一歩一歩近づいていく。やがて、少年の前で立ち止まった。
「お前が霧の王子か」
少年が少し戸惑ったように目を見開く。
「……霧島 凪です。あなたが、あの配信の……」
「刻め、この名を。バルザーク・ヴァルト=ヘルフェン。我が名こそ、運命を告げる号砲なり。我は、貴様に興味を持った。“王の器”としての可能性を見極めに来たのだ」
隣でそのやりとりを聞いていた結月が、気まずそうに笑いながら凪に声をかけた。
「ごめんね、びっくりしたよね……でも、バルザーク、本当は悪い人じゃないの。ただちょっと――いろいろズレてるだけで」
凪は戸惑ったまま、目を伏せた。
「いや、あの……配信の雰囲気、すごいと思ったけど……俺、ただの高校生だよ?」
「“ただの”者が“王の器”であることなど、珍しくもない」
バルザークの声は静かで、けれどどこか圧を感じさせた。
「力ある者は、自らの価値を知らぬことが多い。それが最も恐ろしいことだ」
凪は、スマホをいじるふりをしながら、足元の砂をそっと蹴る。言葉にならないものが、喉の奥につかえているようだった。
「――なぜ我を呼んだ?」
問いかけというより、試すような重さがその声にはあった。
凪はしばらく黙っていたが、やがてスマホをポケットにしまい、ぽつりと呟いた。
「……あの配信、たまたま流れてきたんだ」
「何言ってんだこいつって思った。変な格好だし、名乗りすごいし……最初は笑ったよ」
そこで一度息を吐いてから、彼は続けた。
「でもさ。途中で“何かを変えたいなら”って言ったろ。それ聞いたとき……なんか、心臓が痛くなった」
語る言葉には迷いが混じっていた。けれど、嘘はなかった。
「……俺、ほんとに何もないんだよ」
毎日、朝起きて学校行って、帰って寝るだけ。何も起きないまま、何ヶ月もが過ぎた。夢も、目標もない。ただ流される日々の中、自分が何のために生きてるのか、分からなくなるときがある。
「努力とか、夢とか……そういうの、持てる人がすごいって分かってるけど、俺にはない」
「やっても、何かになる気がしない。他人に合わせてるうちに、自分の中が空っぽになってて……」
そこまで言って、凪は口をつぐんだ。
バルザークが、空を見上げた。そのまま、ゆっくりと口を開く。
「それでいい」
凪が顔を上げる。
「空っぽでいい。それは、始まりのかたちだ。未完成こそ、美しき器――ならば、何を注ぐかは、貴様の責だ」
「……でも俺には――」
「貴様が選ばぬなら、我が選ぼう」
そう言って振り返ると、バルザークが声を張った。
「おい、結月。例の“魔導端末”の用意をしろ。配信だ」
「は!? 今ここで!? 凪くんいるのに!?」
「むしろ“いるから”だ。見る者が必要だろう。“王の器”なら尚更だ」
「……いやもう、ほんと勝手すぎる……」
結月は呆れながらもスマホを取り出し、配信アプリを立ち上げる。
「はいはい。カメラ起動っと……よし、もう知らないからね」
バルザークは堂々とカメラの前に立った。その隣には、明らかに居心地の悪そうな凪。制服の襟を直しながら、そわそわと視線を泳がせている。
配信が始まり、画面にコメントが流れ始めた。
《え、外でやってんの?》《誰この子?》《イケメンじゃん》《無表情すぎて逆に気になる》《今度は何言うんだ》
バルザークは凪を一べつし、カメラに向かって語る。
「この男は、“空”だ。だが、空であることは可能性だ。ならば――民草よ、託してみよ。この者に、“何か”を与えてみせろ」
「ちょ、待って……なにそれ……」
コメント欄の勢いが一気に増す。
《じゃあ自己紹介して!》《将来の夢!》《笑ってー!》《王っぽいセリフ言って!》《ちょっとだけでいいから喋って!》《恋人はいるの?》
凪は画面を見つめたまま、身動きが取れずにいた。
「……俺、何をすれば……」
その声に、バルザークが静かに答える。
「選べ。沈黙も逃走も貴様の自由だ。だが――何かひとつでも、“選んだ”なら、それが貴様の第一歩だ」
結月は隣に立ち、そっと凪に語りかける。
「……大丈夫。変わろうって思えたなら、それってもうすごいことだよ」
凪は目線を落とし、深く息を吸った。
コメントの波に紛れて、ひとつの言葉が目に留まる。
《王っぽいセリフ》
「これにする……」
彼は立ち上がり、ぎこちなく前を向いた。
「俺の前に立つな。……この道は、俺が選ぶ!」
コメント欄が一気に盛り上がる。
《おーーーーー!いいじゃん!》《え、普通にカッコいいんだが》《本物感ある》《鳥肌》《推すわ》
凪は俯いたまま、顔を赤くして小さく呟いた。
「……なにやってんだ、俺……」
けれど、その横顔は――ほんの少しだけ、照れくさそうに笑っていた。
バルザークはその様子を見つめたまま、何も言わず、静かにうなずいた。
まるで、「それでいい」とでも言うように。
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