バルザーク、買い出しに行く
休日の午後、商店街の一角。
その中にあるスーパーの前で、ひときわ異彩を放つ男が腕を組んでいた。
漆黒のマントに鋭い眼光。全身からにじみ出る“圧”。
結月はため息をつきながら、その隣に立つ。
「……ふむ、これが“食材の集積所”か。なかなかの威容だな」
「スーパーって言って。あと、入口の前で立ち止まってると邪魔だからね」
彼女が肩を押すと、バルザークはゆっくりと自動ドアに向かった。
――ウィーン。
自動ドアが開くたびに何かしら感想を言う彼だが、今日は少し違った。
「……ふ。以前の“自動開閉門”か。すでに驚きはない」
「はいはい、慣れてきたね。えらいえらい」
「だが今日の開き方、いつもより歓迎されている気がするな。これは“上位門”か?」
「気のせいだよ」
店内に入った瞬間、バルザークが目を細める。
まばゆい照明。整然と並ぶ商品棚。人の熱気。
「……すごいな。ここが人間たちの“補給基地”か……」
「もう、補給基地じゃなくてただのスーパー。物騒な言い方やめて」
彼の言葉選びは、いちいち不穏すぎる。
最初に向かったのは、精肉コーナーだった。
バルザークはパックに詰められた豚肉をじっと見つめる。
「……これは“魔獣の肉”か。すでに切り分けられ、封印まで施されているとは……この世界の封印技術、侮れんな」
「パックのことね。家の食事でもラップしないと腐っちゃうの。今度ちゃんと教えるから、覚えてよ」
続いて野菜コーナー。
彼はキャベツの山の前で、何やら神妙な顔をしていた。
「……これは、“野菜”か?」
「うん、キャベツ。一般家庭で普通に食べるよ」
「ふむ……魔界にも似たものはあるが、あちらの野菜は基本的に“喋る”。こちらは無言か。大人しいな」
「いや、野菜は普通しゃべらないから」
「しかもやつらは、調理しようとすると抵抗してくるのだ。悲鳴を上げて飛び跳ねるから、調理には気合いが必要だった」
「ちょっと待って? ホラーなの? それ野菜の話じゃないよね」
「ちなみに強個体になると、刃物すらとおらん。手懐けるのは至難のわざであったな」
「いや、それ絶対ちがう……」
彼の“魔界基準”に、いちいち驚いている余裕がなくなってきた。
♢♢♢
卵売り場の前で、バルザークがぴたりと足を止めていた。
棚いっぱいに並ぶ卵パックに、何やら特別な気配でも感じ取ったかのように、じっと目を細めている。
「……ふむ、そういえば中身が気になるな。こやつらはなんの卵なのだ?」
そう呟きながら、彼はゆっくりと手をかざす。
「殻に包まれ、眠る命よ。我が名はバルザーク。我が魔力の一滴をもって、汝に目覚めを与えん――」
――その頃、結月は牛乳の特売コーナーにいた。
が、どこか背中がざわついた。
……なんか、嫌な予感する。
慌ててバルザークの元へと戻ってきた彼女の目に飛び込んできたのは――
パキ……パキパキパキッ!
「……む?」
ひび割れる卵。
そして――
ピヨッ! ピヨピヨピヨッ!!
「アンタ、また何かやったの!?!?!?」
黄色い毛玉たちが、次々と卵から飛び出し、売り場を駆け回っていた。
ひよこ――それも大量の。
「うむ……まさか、ああいった魔物が本当に入っていたとは……」
「それ今言う!? めっちゃ冷静だけど!!」
ピヨピヨピヨピヨ!!
ひよこ軍団が野菜売り場を駆け、精肉コーナーを蹂躙し、レジ前を突破し、店員の足元に突撃していく。
「ひよこがいるわよ!? なんなのこれ!? どっから来たの!?」
「やばい、お菓子コーナーの下に潜ったぞ! だれか捕まえてー!!」
「そっちだ! 洗剤コーナーにもいるぞ!」
店内は大混乱。
結月が青ざめている中、バルザークは楽しげにこちらを振り返った。
「見よ、結月! これはもはや、いっこ兵団だぞ!」
「違うって!! は、早く回収しないと!!」
(……ダメだ、脳が現実を処理しきれてない……)
♢♢♢
15分後――
スーパー全店員と、偶然居合わせたお客さん、そして結月による総出の“ひよこ捕獲作戦”の末、なんとか全羽確保。
ダンボールに収められたひよこたちの前で、店員に対して結月は何度も頭を下げた。
「……大変申し訳ありませんでした、本当に……っ」
結月は、店員に平謝りをする。
「うむ。我が軍の暴走を止めてくれたこと、感謝する」
「何バカなこと言ってんの! ほら、バルザークも頭を下げて!」
「貴族である我が頭を下げるのは……」
キッと結月がにらむ。
「むぅ……すまなかった。」
なんとか店員さんに許してもらえ、疲労困憊になって帰ろうとする。
その時、ダンボールの箱の中で、一羽だけ――ボサボサ頭のひよこが、ちょこんとこっちを見上げていた。
バルザークはじっとそのひよこを見つめる。
「……こやつだけは、運命を共にすべき気がする」
「ええ……連れて帰るの……?」
「名を与えよう。《チキリウス》と呼ぶことにする」
結月の家に新たな仲間(?)が増えた日であった。
本日以降、スーパーの入口にはこんな貼り紙が追加された。
『店内に動物を持ち込まないでください(※ひよこ含む)』
なお、他のひよこたちは近所の農家の方が引き取ってくれたようだ。