ヒロインを選ばなかった攻略対象 侯爵令息の場合 後編
フロリネルには五歳年上の兄がいた。
バドラディン・アルバネーゼ。
文武両道、清潔感もあり性格は温和で優しい。
侯爵令息の兄に婚約者はいない。
遡る事五年前。
フロリネル、十歳。
バドラディン・アルバネーゼ、十五歳。
兄が学園に入学すると、婚約の申し込みが殺到。
「兄さん凄いね。公爵令嬢からも申し込みが来てたよ」
毎日届く釣書を兄に代わりこっそり確認していた。
「そうらしいな。だが、俺は相手の事を良く知らないんだ」
兄は婚約に興味がないのか、届く釣書を一通も確認しない。
「そんなの、婚約してから知って行けばいいんじゃないの?」
「どんな相手か知らずに婚約して後悔したくないからな」
「ふぅん、俺なら公爵令嬢で可愛ければ婚約する」
他愛ない会話。
兄が婚約しないまま二年が好き、最終学年。
学園が残り一年となると、早い者は卒業パーティーのパートナー探しをし始める。
「兄さんは、卒業パーティー誰をパートナーにするのか決まっているの?」
「……あぁ」
「誰、誰?」
「レイチェルだ」
「レイチェル?」
「レイチェル・ハドモンド」
「ハドモンド? 聞いた事あるような……ないような……」
「彼女は子爵令嬢だ」
「子爵令嬢?」
「あぁ」
「兄さんは、卒業パーティーに子爵令嬢をパートナーにするの?」
「あぁ」
「……父さんや母さんが許さないよ」
「……爵位ではなく、人柄を見てほしい。彼女は優秀で才能がある。穏やかで身分差別もしない人物なんだ」
「でも、子爵令嬢なんでしょ?」
俺は、教育係に身分について学んだ。
『侯爵家は高位貴族に分類され、子爵家は下位貴族。貴族の中で平民に近い存在です。下位貴族は高位貴族を蹴落とす事を常に考えているような、野蛮な貴族が多数存在します』
教育係のミゲルの言葉から敵意を感じるのは、彼には信頼していた男爵家の友人に裏切られ没落に追い込まれた過去があるからだ。
身分関係なく親しくしていた友人に誤情報を掴まされ、莫大な損益を被り商会を手放さざるを得なかった。
苦しい時に追い打ちをかけるように商会を買い叩いたのが親友。
その時言われたそうだ。
『誰がお前みたいな人間と仲良くするかよ。全てはこの時の為だ。なんの苦労も知らないお貴族様っ』
それから伯爵家であったミゲルは爵位は残ったものの困窮状態が続き、次男だったミゲルはアルバネーゼ家で住み込みで教育係として働いている。
伯爵家の商会を乗っ取った男爵だが、次第に平民を騙すような商売となり羽振りはいいと言われているが下品という印象。
伯爵家を陥れるよう手に入れた商会の噂は高位貴族に知れ渡り目を付けられ、平民からも疑いの目を向けられている。
身の危険を感じた男爵一家は常に多数の護衛騎士と共に行動。
商会の売り上げも落ち始め雇った騎士への支払いが嵩むも、一度覚えてしまった贅沢を止められず支出は増える一方。
身を亡ぼすのは時間の問題ではないかと囁かれ始める。
『身分を超えた関係に、幸せは無い』
それを思い知らされる経験だと、ミゲルは苦笑いで話してくれた。
ミゲルの話を聞いたばかりだったので、兄が卒業パーティーという大事な場面でパートナーを子爵令嬢を選んだ事に不安でしかなかった。
「兄さん……その人は……信頼できるの?」
「あぁ。彼女は今まで出会った女性の中で、一番信頼できる女性だ」
今の兄は知っている兄ではなく、恋に盲目と言える状態。
「彼女は子爵令嬢、レイチェル・ハドモンド。レイチェルは才色兼備で学園で知らない者はいない程、人気なんだ」
彼女の事を話す兄は冷静さを失い、周囲の言葉に耳を貸さず相手の女性にのめり込む……小説などで身を亡ぼす人間そのものに見えた。
兄が騙されているのではないかと心配で、両親に兄が卒業パーティーで子爵令嬢をパートナーにしようとしてることを告げた。
「子爵令嬢? バドラディンがそう言ったのか?」
悩む父の姿にやはり身分違いの相手は危険なのだと判断した。
その後、俺は部屋を追い出され入れ替わりに兄が呼ばれる。
話し合いの結果、相手の令嬢を我が家の夕食に招く事に。
「初めまして、レイチェル・ハドモンドと申します。本日は招待して頂きありがとうございます」
兄が選んだ人なだけあって、綺麗で優しそうな人。
だけど、俺は心の中で『お前みたいな人間に騙されるものかっ』と初めから悪者と決めつけていた。
和やかに進む会話。
一度招待した事で、レイチェルは屋敷を訪れるようになり兄も頻繁に出掛けて行く。
そんな二人を目撃する者は多数現れる。
「今日、バドラディン様はいらっしゃらないのかしら?」
以前、兄に婚約を申し込んだ公爵令嬢。
「バドラディン様は外出しております」
「そうなの? では、待たせてもらうわ」
押し切られるように、応接室で待つ令嬢。
突然の格上の公爵令嬢が訪れ『待つ』というので、使用人達は対応。
外出中の兄にも連絡を入れる。
「庭でも散歩させていただこうかしら? バドラディン様には弟さんがいらっしゃったわよね? 彼に案内をさせて」
公爵令嬢に指名され、断ることも出来ず従った。
「……お待たせいたしました。バドラディンの弟、フロリネルと申します」
「フロリネル様ね。私、ガブリエルタ・リベルタート。これからよろしくね。今日はまず庭を案内して頂ける?」
高位貴族・令嬢・突然の訪問という事で冷静に考えられず、言われるがまま庭を案内する。
「フロリネル様は、バドラディン様が誰と婚約するのか聞いているのかしら?」
「兄の婚約ですか? まだ決定していないと思います」
「そう。最近バドラディン様の周辺で良くない噂があるようなので、心配でいても立ってもいられず先触れもなく訪れてしまいましたわ」
「いえ……兄の噂とはなんですか?」
「それが……ある令嬢がバドラディン様と親密だとか」
「親密? それはハドモンド令嬢の事でしょうか?」
「まさか、あの方バドラディン様とも親しくしているの?」
「それはどういう意味でしょうか?」
「ハドモンド令嬢は最近複数の男性と親密で、私も多数の男性と親密な関係になるのは良くないと忠告しているのだけど、なかなか伝わらず……」
「あの人は、兄以外にも親しくしている男性が?」
「私が知っている限りバドラディン様以外に二人……噂では後三人はいると聞くわ」
「……兄は……騙されてる……」
「この事を私から聞いたとは……」
「はい。誰にも言いません」
兄がレイチェルと戻るのをガブリエルタと共に目撃。
仲睦まじい姿に怒りがこみ上げる。
尊敬していた兄があんな女に騙されたなんて……
その日からレイチェルを憎むようになった。
「本当に子爵令嬢が兄さんにつり合うと?」
レイチェルという人物は完璧を装う。
隙を一切見せず、いい人に思えてしまう。
惑わされないように本人に直接告げた。
爵位は努力ではどうにもならない。
爵位以外で彼女を貶す欠点は無い。
周囲の人間が彼女に惹かれてしまうのも頷ける、
彼女は居心地が良い。
兄から遠ざけたいのに、いい人だと思ってしまうのが嫌で強く当たってしまう。
「フロリネル、そんなにレイチェルが嫌いなのか?」
俺の態度を見兼ねえた兄に呼び止められた。
とても悲しそうな表情。
そんな顔、してほしくない。
させているのは俺。
あの女の事実を告げ、目を覚ましてほしかった。
だけど、彼女に心酔している兄に真実は言えない。
兄の他にも相手がいるなんて……
「俺は……子爵令嬢に侯爵夫人は難しいと思っただけだ」
「そうか……」
最近の兄は家族とよそよそしくなった。
卒業パーティーにレイチェルをパートナーにと言ってから家族はギクシャクしている。
そして卒業パーティー間近。
兄に贈り物が届いた。
「パーティーの衣装?」
送り主はガブリエルタ。
「これって……」
卒業パーティーでは男性が女性に衣装を贈るのが定番だが、逆も珍しくはない。
だが、兄には既にパートナーが存在している。
この衣装が活躍する日は来ない……はずだった。
「兄さん。どうしてその衣装を着ているの?」
「パートナーからの贈り物だからだ」
「パートナー? それはバドモンド令嬢からの贈り物だったの?」
「いや、これはリベルタート嬢からの贈り物だ」
「だって……今日のパートナーは……」
「俺の今日のパートナーはガブリエルタ・リベルタートだ」
「どうして?」
「どうして? 皆、認めていなかっただろう?」
「……そうだけど……」
「彼女も疲れてしまったようだ」
「疲れた?」
「誰にも認められない関係に」
「……俺のせい……」
「フロリネルが悪い訳じゃない。俺が彼女を守れなかった、それだけだ」
兄はパートナーの屋敷に向かい、卒業パーティーに参加。
「ガブリエルタ・リベルタートと婚約? 兄さんは本当にそれでいいの?」
「あぁ」
兄とガブリエルタの婚約が決定。
婚約パーティーを開催した時に真実を知った。
「ガブリエルタ様、正義が果たされましたね」
「下位貴族が高位貴族との婚約を夢見るのは分かりますが、秩序は乱すべきではないですものね」
「ようやく、あの方も理解したようですね」
「ガブリエルタ様の婚約に割り込むだなんて」
「婚約の件、ガブリエルタ様やバドラディン様が公にしないという慈悲を勘違いされたようですね」
「彼女もこれからは弁えるでしょう」
不審な会話だった。
正義・秩序……
過去にリベルタートから婚約の申し込みはあったが、その時はお断りした。
会話の内容に違和感を覚え、招待客に挨拶しつつそれとなく聞いて回る。
『学園でも兄とガブリエルタ様は親しかったのですか?』
「お二人が親密だったなんて初めて知りました」
「卒業パーティーでお二人がパートナーとなり婚約まで至るとは思いませんでした」
「バドラディン様はてっきり別の方をパートナーにすると思っておりました」
『別の方と言うのは?』
「「「レイチェル様です」」」
『兄とレイチェル様は親しかったのですか?』
「えぇ。とてもお似合いのお二人でした」
「私は二人が婚約するものだと思っていました」
「……レイチェル様でなかったとしても、まさかガブリエルタ様を選ぶとは思いませんでした
『それはどういう意味でしょう? 兄とガブリエルタ様には何かあったのですか?』
「それは……ガブリエルタ様は爵位にとても厳しい方でしたから……」
「バドラディン様と親しくするレイチェル様の事を良く思っておりませんでした」
「ガブリエルタ様はレイチェル様に何度も忠告し、厳しい態度を見せておりました」
『レイチェル様は、その……兄以外にも親しくしている男性がいるのですよね?』
「そんな方いらっしゃったかしら?」
「生徒会の人達の事ですか?」
「……それは……ガブリエルタ様が発端の噂ですよね? それらは事実無根です」
『事実無根……』
「ガブリエルタ様はバドラディン様を慕っていましたから」
「バドラディン様はレイチェル様以外の女生徒とは距離を置いてましたよ」
「……バドラディン様とレイチェル様が親しくなった頃『フロリネル様と婚約の話が進んでいるのだけど、あらぬ噂が生れている今は婚約発表が出来ないでいて困っている』とガブリエルタ様が話しているのを目撃しました。本当にお二人の婚約の話はあったのでしょうか?」
『……兄には多くの婚約の申し込みがありましたが、全てお断りしていました』
「そうだったのですね」
「そうですよ。ガブリエルタ様が『困っている』と言ってから、レイチェル様への対応が厳しくなりましたよね?」
「バドラディン様がレイチェル様を庇っておりました」
『庇って……学園でのレイチェル様は……』
「皆、遠巻きに見ているしか出来ませんでしたね」
「相手が、リベルタート公爵家ではね……」
「バドラディン様が盾となっていたのですが、ある時を境に二人は距離を置くように……それからバドラディン様の傍にガブリエルタ様がいる事が多くなりましたね」
招待客の話を聞き愕然とした。
「私が思うに、バドラディン様はガブリエルタ様からレイチェル様を守る為に距離を置いたのではないでしょうか?」
……レイチェルを守る。
『レイチェル様にはバドラディン様以外にも親密な男性がいる』
あの時、レイチェル様の話を聞いた相手はガブリエルタだった。
彼女の話を信じレイチェルに対してキツく対応してしまった。
まさか、ガブリエルタは兄と婚約したいが為にレイチェルを陥れる発言をしていたとは考えもしなかった。
今更ながら、どうして一方の意見だけを聞いて判断してしまったのか……後悔でしかない。
兄は言った。
「俺が彼女を守れなかった、それだけだ」
「彼女も疲れてしまったようだ」
「誰にも認められない関係に」
兄は誰かを責める事なく、守る事が出来なかった自分を責めた。
婚約という晴れの舞台、嬉しそうにしているのはガブリエルタだけ。
もう一人の主役である兄は、無理して口角を上げているように見える。
レイチェルの隣で微笑んでいた兄の姿はない。
ようやく、俺は兄に酷い事をしてしまったのだと自覚した。
婚約から一年後、兄はガブリエルタと結婚。
「アルバネーゼ侯爵夫人、本日はお茶会に招待して頂きありがとうございます」
「ガブリエルタ様は本日もお美しいわぁ」
ガブリエルタは結婚後侯爵家に移り住み、侯爵夫人として頻繁にお茶会を開催している。
一緒にいる時間がながくなると、ガブリエルタがどんな人物なのか理解した。
使用人に対して厳しく、平民への差別が酷かった。
「バドラディン様、今日も遅いのですか? 仕事は平民に任せてもいいではありませんか?」
「いえ、次期侯爵として相応しくありたいので」
結婚後の兄は仕事を優先し、ガブリエルタと共に過ごす時間は極僅か……
故意に避けているように見えた。
二人の関係は俺だけでなく両親も把握している。
だけど、何も言わない。
俺だけでなく、両親も子爵令嬢というだけでレイチェルを認めなかったからだ。
あの頃の幸せそうな兄はいない。
そうさせたのは俺達だ。
「フロリネル、婚約の話が来ている」
学園入学直前には、俺にも婚約の話が届くようになった。
ガブリエルタを見て、『人柄を見て決めたい』なんて言えない。
俺は兄の相手を爵位で判断し、否定した。
自分だけ、逃れるわけにはいかない。
「父の判断に従います」
「……相手と何度か時間を設けよう」
父も兄の件で、互いの相性も大事と思うようになった。
「いえ、その必要はありません。爵位で判断してください」
「……そうか」
その後、侯爵令嬢のデスピナ・ナルトヴィッチとの婚約が決定した。
彼女の考え方は、ガブリエルタにそっくりだった。
今後どんな女性に出会おうと、俺から彼女に婚約の異議を申し立てる事は無い。
あれから兄には子供が一人生まれた。
「兄さん……幸せ?」
幸せなのか聞かずにはいられなかった。
「あぁ、幸せだ」
幸せと言った兄は、今も張り付いた笑みを浮かべている。