ヒロインを選ばなかった攻略対象 ヒロイン 前編
平民: イリーナ
王子: ヴィンチェンゾ・ペスカドール
公爵令嬢: レオナルダ・サンギネッチ……王子の婚約者。
護衛騎士: ベンディック・エントレス
伯爵令嬢: アーゴット・デリンジャー……ベンディックの婚約者。
侯爵令息: フロリネル・アルバネーゼ
侯爵令嬢: デスピナ・ナルトヴィッチ……フロリネルの婚約者。
「……イリーナ、ここで何をしている?」
「フロリネル様ぁ」
「それは……どうした?」
「これは、その……大丈夫です」
「……正直に話してくれ」
「私の不注意です」
「不注意……不注意で教科書が噴水に落ちるのか?」
イリーナは噴水の縁に座り、濡れた教科書を何冊も乾かしていた。
「……私、鈍くさいのかな?」
「……デスピナ嬢か……」
「いえ……私が見たのは後姿で……はっきりとデスピナ様だとは……」
「デスピナ嬢には私から伝えておく」
「いえ、私は大丈夫ですから」
「物が紛失し特別室に閉じ込められた際、周辺にはデスピナ嬢の姿が目撃されている」
「……偶然では?」
「目撃証人も記された報告書が私のところにも届いている」
「……デスピナ様は平民の私がフロリネル様と親しくするのを快く思っていないようです……婚約者のいるフロリネル様と親しくしている私が間違っているんです。デスピナ様が正しいんです」
「デスピナ嬢がすまなかった」
「いえ、フロリネル様に謝罪して頂く事では……」
平民であるイリーナと侯爵令息であるフロリネルが親し気に会話するのを、多くの者が目撃している。
その噂はフロリネルの婚約者であるデスピナにも届く。
デスピナは自身との時間が取れないというフロリネルが別の女性と会話している事が許せずにいた。
その相手が平民であれば、矜持を傷付けられたと余計怒りを滲ませる。
何度も忠告するも、一切行動を改めようとしないイリーナに我慢も限界に達し行動に移すように。
「デスピナ嬢は私とイリーナの関係を誤解しているようだ。訂正しておく。新たな教科書だが、私が準備しておく。教師に渡しておくので受け取ってくれ」
「教科書は乾かせば大丈夫です……あの、誤解って……」
フロリネルはイリーナを残し去って行く。
「……ゲームとは多少違うけど、イベントは起きたから問題ないわよねっ……次は……騎士科ねっ。急がないと……」
イリーナは別の攻略対象の好感度を上げるべく、次に発生するイベントへ急ぐ。
「ベンディック様ぁ」
「……イリーナ嬢か」
「訓練お疲れ様です、これハンカチどうぞ」
「……ありがとう」
「日々訓練を怠らないなんて凄いですね」
「……そうか?」
「えぇ、凄いことです。婚約者の方はベンディック様の訓練を見学に来たりしないのですか?」
「……来ることは無い」
「どうしてですか? 私ならベンディック様の真剣な姿、何度も見たいって思っちゃうのに……」
「令嬢は……」
「もしかして、喧嘩中とかですか?」
「いや、令嬢と喧嘩した事は無い」
「では、何故?」
「俺達は……そのような関係じゃない」
「……婚約しているのに?」
「俺達は他の婚約者達とは違う」
「……親しくないという事ですか? なら、どうして婚約したの?」
「俺達は高位貴族。そういうものだ」
「そんなの辛くないですか? 私なら好きな人と結婚したいです」
「国に忠誠を誓っている貴族であれば覚悟の上だ」
「そんな……ベンディック様が可哀想……」
「イリーナ嬢が気にすることではない」
「私、ベンディック様には幸せになってほしいです」
「俺の幸せは俺が決める」
「……でも……」
「俺はもう少し訓練していく。もう暗いので、イリーナ嬢はそろそろ寮へ帰るべきだ」
「……あっ……はい……そうですね」
イリーナはベンディックに促され自身の寮へと戻る。
「……どうして? ゲームだとベンディックが寮まで送ってくれるのに……まぁ、好感度を上げる刺繍入りのハンカチを渡したからイベントは成功よね?」
一人呟くイリーナ。
「二人の好感度が上がれば、王子ルートもイージーモードで行けるんだよねっ。もう、そろそろ頃合いよね?」
イリーナは生徒会役員ではないが、平民代表として生徒会の意見調査に協力している。
「ペスカドール王子。学園は学ぼうとする学生を差別する事はありません。なのに、貴族と平民は二分しています。それは、分断させるような振る舞いをする貴族が多数存在するからです。それは学園の理念に背いているのではないでしょうか?」
「そうかもしれない」
「その解決策として、ヴィンチェンゾ様と呼んでもいいでしょうか?」
「……呼び方を変更することで解決になると?」
「生徒会役員である王子が先頭となり、平民と交流を持てば貴族も改めると思います。その一歩として、生徒会の意見調査に選ばれた私と親密になれば、他の貴族も身分関係なく貴重な学園生活を身分に囚われることなく交流を深められると思います」
「……確かにそうか……」
「はい。ヴィンチェンゾ様と呼ぶので、私の事はイリーナと呼んでください」
「……イリーナ」
「はい、ヴィンチェンゾ様」
二人が名前で呼び合えば、その噂は一気に広まりヴィンチェンゾの婚約者の耳にも入ることに。
「ちょっと……そこの……ピンク色の髪の平民のあなた」
「……私ですか?」
「噂を聞いたのですが、貴方王子の事を『ヴィンチェンゾ様』と呼んでいるというのは確かかしら?」
「はい」
「平民が王子を名前で呼ぶことは許されないわ。今後は『ペスカドール王子』と呼ぶように」
「お断りします」
「何ですって? 貴方、私に逆らう気?」
「どうして貴方にそんな事を言われなければならないんですか?」
「私がペスカドール王子の婚約者だからよ」
「いくら婚約者でも、ヴィンチェンゾ様の交友関係に口出しする権利はないと思います」
「交友関係? ペスカドール王子が貴方と友人になるわけないでしょ。勘違いしないの」
「私とヴィンチェンゾ様は親しい友人です」
「親しい……いい加減に立場を弁えなさい」
「立場って、学園は平等です。学園の理念に従えないのなら、貴方が他の学園に転校したらいいじゃないですか」
「私に転校しろと言うの? 思いあがるのは、おやめなさい」
「ヴィンチェンゾ様本人に許可を頂いているのに、他人の貴方にとやかく言われる筋合いは在りません」
「他人? 私はペスカドール王子の婚約者よ」
「それは王命であって、ヴィンチェンゾ様の気持ちは反映されていないですよね?」
「貴方、平民が王族の婚約に口を挟むつもりなの?」
「私は間違っている事を間違っていると言っただけです」
「私達の婚約は間違いだと?」
「……政略結婚で幸せにはなれないです」
「私達の関係を貴方が判断する事ではないわ」
「ヴィンチェンゾ様が可哀想です」
「可哀想?」
「無理やり婚約させられて……」
「貴方。学園が平等を掲げているからと言って、なんでも許されると勘違いしているのではなくて?」
「学園は平民を受け入れています。貴方の方こそ考えを改めるべきではありませんか?」
「黙りなさいっ。公爵令嬢の私に何たる口の利き方」
「爵位をひけらかせばなんでも思い通りになるなんて思わないでください」
『何をしている』
王子の婚約者と言い争いを繰り広げていると、王子本人が登場。
「ヴィンチェンゾ様ぁ……」
ヴィンチェンゾの腕に絡みつくイリーナ。
「ちょっと貴方、ペスカドール王子から離れなさい」
「キャッ」
王子の婚約者に窘められ、ヴィンチェンゾの背に隠れるイリーナ。
「レオナルダ。私のところに貴方達が言い争いをしていると報告があった。これは何事だ」
イリーナと王子の婚約者レオナルダの言い争いを少し離れたところで、多くの生徒が囲んでいた。
「……私は、そちらにいる女子生徒に礼儀を教えて差し上げておりました」
「礼儀……か……」
「ヴィンチェンゾ様ぁ……」
「レオナルダの言う礼儀を尋ねても?」
「ペスカドール王子の呼び方についてです。平民が王子をヴィ……ヴィンチェンゾ様だなんて呼んでいいはずありません」
「私は構わない」
「……構わなかったとしても、弁えるべきです」
「彼女は平民だ。貴族の作法を押し付けるものではない」
「ですがっ……」
「レオナルダ、少し二人きりで話をしよう……」
「……はい」
ヴィンチェンゾとレオナルダは生徒会室で話し合うことに。
二人が気になりイリーナと数名の生徒が生徒会室前で待機している。
待つこと数十分。
バタン
扉が勢いよく開き、レオナルダが飛び出し走り去る。
「皆、待っていたのか」
「ヴィンチェンゾ様、話し合いはどうでした?」
「あぁ。レオナルダは今後、君に向かう事は無いだろう」
一筋の涙を流しながらヴィンチェンゾを見上げるイリーナ。
「ヴィンチェンゾ様ぁ、ありがとうございます」
「また、レオナルダに何かされたらすぐに私に言ってくれ」
「はいっ」
「私は生徒会の仕事の続きをするから失礼する。皆も戻るように」
ヴィンチェンゾは生徒会室に戻って行き、集まっていた生徒も去って行く。
「……あれ? ゲームでは話し合いを終え悪役令嬢を追い出し、入れ替わるように私と生徒会室に二人きりになるんじゃなかったっけ? それで一悶着を終え、安堵から涙を流せばヴィンチェンゾが涙を指で拭ってくれる……はずなんだけどなぁ……まぁ、ヴィンチェンゾと悪役令嬢の中は更に不仲になったのは確かよね。走って逃げ去る時なんて涙目だったわよね? フフッ。セリフを覚える程何度もプレイした私が悪役令嬢に負けるわけないじゃない」
ゲームと多少のズレはあるものの、正解を選択した私。
「これでハーレムルートは順調ね。ンフフ~ン」