二十四
謝罪回りと執筆の合間をぬって、シンは私のお見舞いに来て、優しくしてくれる。
曖昧な記憶の中で、泣きながら私の手を握って励ましてくれていたから、そんな気はしていたけど、私は彼に嫌われていないみたい。
会いに来るたびに、花を持ってきて、義足作りが上手い職人を探しているとか、出版社の人に協力してもらって片足を失った人やその担当医から情報を仕入れているなど、勇気が出る言葉をくれる。
シンは来てくれるたびに私の手を握るから、彼は多分私に惚れていると思う。
恥ずかしくて聞けないし、憧れもあるから何か言ってくれる時を待っている。
母が時々隠れてメソメソ泣くので、引きづられてしまうから、病院にいる間はお医者様や介護師がいるので平気で、それよりも長女姉の祝言準備や父の手伝いなどが大事で、親切なシンに経済的に寄りかかってはいられないと、あれこれ理由をつけて帰宅してもらった。
片足を失うくらいなら死んでしまいたかったとは思わない。
けれども、救命の為とはいえ、意識が無い時に切断されてしまったので、気持ちが追いついていない。
他人の方が気が楽だから、世話は介護師とアリアとミズキにしてもらっている。
なぜ私だけ……という感情に支配されて辛くなる日もあるけれど、入院患者、それも若い人が突然亡くなったので、私は運が良いと受け入れられた。
ただ、再発兆候が見られたらまた足を切られる、次は死ぬかもしれないという恐怖に襲われる。
痛み止めは完全に痛みを取るものではないし、急に熱が出ることもあってしんどい日々。
家族友人からの手紙やお見舞いがあり、交代で私の世話に来てくれるアリアとミズキがいるし、なによりシンがいるから耐えられる。
シンのお屋敷で使用人を始めたアリアは、中々上手く家守りを出来ないらしい。
シンはアリアのアの字も口にしないけど彼女は、
「シンさんにまた怒られた」みたいに彼との会話を口にする。
それから、ちょこちょこ私とシンを揶揄う。今日も私の足を動かす手伝いをしながら、
「シンさんは今朝、珍しく早起きをして中庭のところの縁側でイノハを撫でていました。マリさんがそろそろ帰ってくるって笑いながら」
そう教えてくれた。
「それは嬉しい話です」
「椅子が必要だーとか、手すりが必要だーって毎日忙しそうです」
「そんなに色々準備をしてくれているのですか」
「愛されていますね」
「あ、あ、あい……」
愛という単語は胸の中に秘めておくべき、かなり恥ずかしい言葉なのにサラッと口にするなんて。
「あはは。マリさん、真っ赤」
「あつ、暑いですね」
私は近くの机にある扇子を手に取って開いて顔を扇いだ。
「可愛い〜」
ここに稽古終わりのミズキが来て、今日も慰安演奏をしますと私達を広間へ誘った。
体を動かさないと固まってしまうそうなので、無理をしてでも動かないといけないけど、元介護師見習いのアリアが手伝ってくれるし、ミズキはこのように動く機会をくれる。
広間へ移動すると、既に観客は沢山。病気や怪我で入院中の仲間やそのお見舞い客でいっぱい。
ミズキの慰安演奏は、最初は人が集まらなかったけれど、彼女の芸はどれも素晴らしいので今ではいつも満員御礼。
慰安演奏という名称ではあるけれど、彼女は一人芝居や楽語もする芸妓。
琴門豪家のそれなりのお嬢様は、下街お嬢さんの私とは雰囲気も、有している技能もかなり異なる。
今日は何かな、とワクワクしていたら、三味線と歌を披露してくれた。
よく知られた楽しい曲だから皆も歌う。私の隣でアリアが小さく歌い始めた。
彼女は海で溺れていたところをレイとユミトに助けられたという。
その時に毒クラゲを飲みかけて、吐き出せたけど喉をやられてしまって、しばらく辛かったそうだ。
醜い掠れ声になってしまったし、しばらく定期的に焼かれるような痛みに襲われたけど、今は声が少しマシになって痛みもゼロ。
だからマリさんも大丈夫。時間は薬だと励ましてくれたことがある。
演奏が終わると楽語で、それが終わるとミズキは私とアリアを散歩に誘った。
体力や筋力が落ちるのは良くないので、動かないといけないけど、一人だと閉じこもりそうなのですこぶる助かる。
ユリアの祖父が同僚達と作ってくれた、兎の意匠飾りがある杖を使って近くにお出掛け。
外を歩くと、否応なしに右足が無いと注目される。
最初はかなり嫌だったけど、シンの顔のあざとお揃いだと気がついてからは平気。
私は、本当の意味で彼の気持ちが理解出来るようになったと思う。そんな二人は今まで以上に仲良くなれるはず。
早く二人で並んで歩いて、注目されて、私達はおしどり婚約者ですよーと見せびらかしたい気分。
「マリさん。またシンさんのことを考えていました?」
「……ま、また? なぜですか? ミズキさん」
「顔に書いてありますよ。私やアリアさんは夜には帰ってしまう、というような寂しい顔をするから教えておきました。多分、今夜会いに来ますよ」
「そうそう。ミズキが大袈裟に言ったから」
「愛されていますね〜」
煌国人のミズキまで、恥ずかしい単語を使うなんて!
「あっ」
「マリさん、どうしました?」
「アリアさんは異国の方か混血ですよね?」
「ええ。見ての通りよ」
アリアは髪の色も瞳の色も肌の色も私達煌国人と異なり、目鼻立ちも違うから、誰が見ても分かる。
「どちらの国の方なのですか? 今、気になりました。ようやく自分に余裕が出てきたようです」
「最後の記憶はドゥ国のコミナ村。その前はドゥ国の王都。どこかで介護師見習いになったけど、そこがどこなのか記憶にないの。お世話になった人達のことは覚えているけど」
「ドゥ国はどのあたりにある国ですか?」
「華国の南隣って教わったわ。だから華国の交易一団に参加していたかもって。でも介護師見習いのアリアって人は居なかったそうなの」
「華国でアリアといったら、歌姫アリアですね。アリアさんは同じ名前だからご存知ですか?」
「……歌姫?」
「アリアさんは最近の記憶がごっそり無いので、昨年来ていた歌姫のことも分からないかと」
昨年、歌姫アリアは煌国中の人々を熱狂させた。 私も端席でなんとか彼女の公演を聞けたので少々自慢話。
アリアのお洒落をまとめた本を購入して……と言いかけて、あの本はどこへいったのかと思案。
「その本でしたら家にありますよ。シンさんの部屋に積んでありました」
「シンさんは持って帰ってくださったのですね」
「あの部屋、本当に汚いから掃除したいのに、分かりやすく積んであるんだからやめろとかうるさくて。あの部屋で読書をしていると埃の臭いが気になってきます。退院したらシンさんを叱って下さい」
ミズキのこの発言に違和感。
「ミズキさんはシンさんの部屋で読書しているのですか?」
「ええ。読むなら情報提供しろ、居候代の代わりだって言うので仕方なく。シンさんの部屋には貴重本もあるから我慢しています」
「ミズキは博識だから重宝されているわよね」
私には入るなと怒っていたのに、色っぽい女性相手なら部屋の中で読書をどうぞって何⁈
「コホンッ。ミズキさん。シンさんは一応私のこんにゃく者でして。若くて色っぽい、愛くるしいお嬢さんが……」
ふにっ、とミズキの人差し指が私の唇に触れた。 黙りなさい、というように。彼女は実に妖艶な笑みで私の顔を覗き込んだ。
「こんにゃく者って愛くるしいわぁ〜」
「マリさんはまだ知らなかったのね。ミズキは男よ」
「……?」
「初日に話す予定がそれどころではなかったものね。その通りで、ミズキ・ムーシクスは男ですよ」
ミズキは私の唇から指を離すとトトンッと足を鳴らして距離を作り、後ろで手を組んで体を屈めて私を下から見上げた。実に悩ましい上目遣い。
夏の終わりに秋を先取りした紅葉柄の着物にあれこれ可愛い小物を合わせて、髪型も凝っていて、化粧もしているからどこからどう見ても女性。
「男性……なのですか?」
「再修行中の陽舞妓の女形でございます」
「い……いゃぁああああ! それなら破廉恥です! 唇に触った! 着替えも手伝った!」
ミズキは肩を竦めて愉快そうに笑い、体を起こして日傘を華麗に動かして決め立ち姿。
「この指でシンさんと遊ぼうと思って。マリさんとキッス♡って」
「ミズキは性格が悪いから、気をつけた方が良いわよ。最近、八百屋の次男を誑かして楽しんでいるし」
「本物の女性よりも女性らしくなるための修行中でーす♡」
ミズキはそのまま日傘を使って踊るように歩き出して歌も披露。行き交う人々が足を止めて見惚れ、聴き惚れる。
特に男性は鼻の下を伸ばしているように見える。アリアのような目立つ美人では無いけれど、妖艶さと気品のある動きに美声で天女みたい。
「ブサイク気味なのにあれだと絶世の美女みたい。なんで再修行しているのかしら。ミズキの実力は振り切れているのに」
ミズキは知らない歌を歌い始めた。女性にしては少し低い声だとは思っていたけど、今の完璧な女装姿だと女性の声にしか聴こえない。
「この歌……」
「アリアさんは知っていますか?」
「……ううん。でも少し頭が痛くなる歌。それで気持ち悪いかも……」
アリアの顔色がみるみる悪くなったので、慌ててミズキに向かって、
「その歌で具合が悪くなるようです!」と叫んだ。 駆け寄ってきたミズキは、
「歌じゃなくて熱中症じゃないかしら。アリアさんは暑さに弱いのですよ」と彼女を支えて茶屋へ移動。
茶屋の中でお茶と塩昆布をとって休んだら、アリアはみるみる元気になった。
「ミズキの下手な歌で具合が悪くなったわ。責任を取って」
「仕方ないですわね。それでは責任を取りますね」
アリアはお品書きを手にして、
「マリさん。ミズキの奢りよ。何にする?」と笑ったけれど、ミズキはそのアリアに迫るように近寄って扇子で彼女の顎を上げた。
「睨んだって、前言撤回は許さないわよ」
「責任を取るのですよ」
「……ちょっ、ちょっと!」
どこからどう見てもキスしそうな勢いだったけど、ミズキは唇と唇の間にスッと開いた扇子を入れた。
茶屋にいる男性達が「おお……」と感嘆の声を出して、食い入るように注目している。
美女と色気たっぷりの女性のキス場面もどきは確かに見惚れてしまう。
「だーれが貴女みたいな見た目だけの女に欲情するか」
「……なんですって!」
「二大銅貨までならご馳走します。マリさんだけに♡」
姿勢を正したミズキは両手を合わせて頬に添えた。実に可愛い仕草と笑顔である。でも、男性……。
「マリさんに注文してもらって半分分けてもらおう〜」
「図々しいわね」
「図々しいのはミズキじゃない。実家に帰る前に海辺街で暮らしたい〜、赤鹿に乗りたい〜、自分専用の脚本を書いて〜って我儘ばっかり」
「芸に生きる者は図太くてなんぼです」
アリアは無期限雇用で、ミズキは年末に実家に帰るそうなので、退院したら彼女達との新しい生活が待っている。
楽しみ……のはず。そういえば、私はシンに帰って来いと言われていない。
椅子や手すりを準備してくれているなら、退院したらおかえりって迎えてくれるだろう。
迎えにきてくれて、一緒に帰るはずだけど、急に心配になってきた。
ミズキが言ったように、シンは介護師に体を拭いてもらった少し後くらいに病院へ来てくれた。
「一人で寝れないって君は子どもか」
呆れ顔だけど、その手には白兎イノハが抱かれていた。
「うわぁ。連れてきてくれたのですか?」
「医者が良いって言うから」
「おいで、イノハ」
シンが私の腕にイノハを移そうとしたけどイノハは抵抗。
「イノハはシンさんの腕の中が良いのですね」
「なんか知らんが懐かれている。君が拾ったのにな」
「シンさんはイノハをとても大事にしていますからね」
「君もそうなのに」
私は首を横に振った。私は軽く世話をしていただけだけど、シンは毛並みを整えたり、毛が汚れているとすぐに拭いたり過保護気味。
雨の日用に一部屋がイノハの部屋になり、中庭をイノハの為に整えさせ、中庭に作らせた小屋も豪華だ。
シンは大切だとうんと甘やかすのだなぁと思っていたけど、多分今の私も同じ。
私はこの夜にシンに気持ちを伝えてもらい、私達の裏契約は終わった。
結納契約書も私達の家柄としてはありふれた契約内容に書き換えることに。
「ドゥ国の王都やコミナ村? 交易に参加していたかもなんてまさか。アリアは誰に騙されているんだ」
ミズキが男性だったとか、アリアがどこの国出身なのか質問したという話題を出したら、シンは顔をしかめた。
「騙されている? そうなのですか?」
「女学生は習わないのか?」
シンがかつて家庭教師から教えられた国際知識だと、ドゥ国は恩を仇で返した裏切り国家らしい。
皇帝陛下はドゥ国を友好国からうんと格下げしたので、ドゥ国人は煌国に入国出来ないという。
「煌国とレイロウ国側に分かれたから完全決裂ではないらしいし、それ関係か?」
「ああっ! そうでした。ミズキさんに、アリアさんは余計なことまで喋ったから秘密ですよと言われました」
「君は本当にうつけ者だな……」
また暴言と自然と頬が膨らんだけど、そこが愛くるしいから困るなと続けてくれたので、つい喜んでしまった。
「うつけ部分はしかと直します」
「君は君らしくあればいいさ。奇想天外で愉快だから」
「奇想天外って、普通ですよ」
「そうだ、マリ。今日のうちに許可を得たかったんだ」
私の許しが必要なこととは何かと思ったら、執筆中の小説の一つに、灰疹病を登場させたいということ。
今書いている物語は春本や艶本と言われる裏文学ではなく、老若男女、特に同年代や男女問わず学生に読んでもらいたい表文学。
病気を登場させるだけではなくて、私の心情をうまく分析、考察して主人公に投影させ、現実感を出したいという。
「主人公は無事に助かり幸せになる。君がこれから再発しませんように、しないという願掛けでもあるし、知識を得た者が発症者を助けて欲しいという理由で書きたい」
「それは素晴らしい想いですので是非お願いします」
「俺の質問に答えるのが辛かったら遠慮なく言ってくれ」
「辛くなるような質問をするのですが? シンさんはこんなに優しくなったから、春本を音読しろよりは楽でしょうね」
「……あー、そんなこともさせたな」
「ではどうぞ。遠慮なくご質問下さい」
「今日いきなりはしない。もっと体が回復してからだ。それで締切には間に合う」
「シンさんがお側にいてくれれば大丈夫ですけれど、ご配慮ありがとうございます」
「……未だに信じられないんだが、こんな男の何が良いというのか、妻とか……なんでお側にいたいんだ?」
「……恥ずかしいので手紙に書きます」
シンは私を花街奉公から救ってくれたことも、裏契約で買っておいて大したことをしていないことも、うつけを許すどころか着物を買ってくれたことも、泣いたら慰めてくれたことも、蜘蛛から助けてくれたことも、怪我の手当てをしてくれたことも、全部、全部、記憶にないのだろうか。
変なの。
シンの家族が、彼の見た目がちょっと変わっているからと、化物みたいに言ってきたからに違いない。
普通に育ったら「俺は人間だ!」なんて言わない。
「時間が惜しいからそろそろ帰る」
「……えー!」
いつもいつも短時間で帰ってしまうけど、今夜、心が通じ合った日も同じとは悲しい。
「……そんな顔をするな。君には金が必要だ」
「私も働きます! 手は動くのですから……縫い物? 明日、母に相談します」
「君はまず退院を目指せ。俺は金を稼ぐ自信はあるんだ。それは俺に任せて、さっさと退院して、また焼きおにぎり祭りを開催しろ」
「あれは美味しくて楽しかったですか?」
「まぁな」
暴言嫌味男性シンは心配性甘やかし男性になったようで、頭を撫で撫でしてくれて、私が寝るまでは一緒にいてくれると言ってくれた。
「……あの、シンさんのお気持ちを知り、ドキドキして眠れません」
「人は退屈だと寝るから番号を数えてやる。心の中で復唱しろ」
「えー。もう少しお喋りしたいです」
「寝ないと治らないから寝ろ」
「ちょっと反抗しましたが、その通りなので寝る努力をします」
いち、に、さん、とシンが数字を口にするので心の中で復唱し、つまらないけど眠くもないので、イノハが増えていくと想像。
そうしたら真っ白いもふもふだらけになった時に意識が途切れた。
眠れない時は兎が一匹、兎が二匹……と唱えると良いみたい。
夢を見た。
しんきん? とかいうものを使うと、オーガ? とやらが腐って死ぬという。
いきなりは死なないが、何年かかかるが、灰色の痣がこれから死ぬという合図。
痣が出たら数日で死ぬ。数日間の猶予があるので、大好きな者なら噛めば良いが、上手く出来ない者は、その辺りの肉を取り除くことで助けてあげられる。
それって私の病気——……。
チチチチチと鳥の鳴き声がして目が覚めて、そうしたらシンはいなくて、イノハもおらず落胆。
しかし、もう母が来てくれていて、私の額の汗を拭ってくれていた。
難しくて、既に忘れ気味の夢を見たな。
「……お母様、昨夜シンさんが噂の告白をしてくださいました」




