十九
歌姫アリアは俺との再会を望んでこの国へ来訪したというような話を知り、更に彼女は飛行船に乗っていて、脱出装置で火の海から逃げられたものの行方不明であるということも。
歌姫アリアの死体は見つからず、かといって本人も現れない。
そんな宙ぶらりんの状態がなぜなのか俺は知っていて、彼女は自分が歌姫だったことを忘れたまま、平家マリアとして暮らしていて、今日は就職する為の面接だ。
鶴屋レイの奉公人マリアがアリアの身分証明書である。
疲れで字が汚くなったせいで「アリア」が「マリア」になってしまったとネビーがレイとアリアに謝って渡したもの。
彼女の身分証明書には南三区六番隊副隊長ネビー・ルーベルが身元保証人という記載もある。
強い後ろ盾がある状態で、なおかつペラペラ喋って説明出来るアリアにとって、名前の誤記はまるで問題にならない。
実際はネビーがわざと名前を変えた。
書類上で歌姫アリアと今のアリアが結びつかないように工作だ。
彼の仕入れた情報だと歌姫アリアは飛行船に乗船して、脱出装置で逃げて空に旅立ち、以後行方不明。
悲しいことにエリカは亡くなったそうだ。
アリアの死体捜索はまだ打ち切られていない。 理由は生存の可能性があることと、華国がこの国に損害賠償を払う関係だろう。
奇跡の生存者アリアが歌って回れば、いや、歌わなくても立って笑うだけで大金を稼げるはずなので。
女性と二人で出歩くなと育ったけれど、俺は相変わらず女装しているので、今日も今日とてアリアと二人きり。
レオ家を出て、立ち乗り馬車に乗るアリアを見守る。迷子になってもならなくても俺は見守り役。
彼女は特に間違えずに、乗る予定の立ち乗り馬車に乗車して、無事に目的地へ到着。
「どう? レイさんと練習して、その次はルカさんと一緒にここまで来たから完璧でしょう」
「どうって、不安だったのですか?」
「その顔に失敗しろって書いてあったからよ!」
日に日に元気になり、あのアリアに近寄っている彼女の悪戯っぽい笑顔に軽いめまいがした。
「友人にそのような失礼な考えは抱きません」
「知っているわよ。ふざけただけ」
まずはレイに会いに行くということで彼女についていく。
俺はレイとユミトが暮らす長屋へ行くのはこれが初。
七つの地蔵を通り過ぎたところ、行き止まりにその長屋はあり、竹林に覆われているので七地蔵竹林長屋。
地蔵の前を通った時にアリアが止まり、しゃがんで、子供を助けてくれる神様が休むところよと説明して手を合わせた。
「君に教わらなくても知っています」
アリアが祈るなら自分もと手を合わせて、龍神王様も副神様も音楽を好むので、持ってきた三味線で軽く演奏。
どうかこの先のアリアに幸せがありますように。そしてアリアが守ろうとした生存者が無事に大怪我から生き延びますように。
通り過ぎた廃屋みたいな屋敷がアリアの奉公先かと振り返り、二人でレイを訪ねると、外にある机や椅子にはレイだけではなくてユミトもいた。
彼は眠たそうにあくびをしながら、半分寝ているような状態でおにぎりを口に運んでいて、その隣でレイが繕いものをしている。
レイは今日も今日とて男装なのだが、その理由を俺は未だに誰にも聞けていない。
挨拶を終えると、ユミトはアリアが元気そうで安心したと告げて、あくびをしながら部屋に去った。
「ユミトさんは夜勤明けで、面接に付き添うって言うていたけど限界だから諦めて、挨拶だけって」
「疲れているのにありがとうございます」
アリアのお礼を背中で受けたユミトはそのまま振り返らずに気怠そうに手を振った。
レイの部屋で休憩して、お茶をいただき、軽く打ち合わせをして出発。
来た道を戻り、三人で地蔵に手を合わせ、幽霊屋敷と呼ばれているシン・ナガエ邸へ。
門をくぐったら玄関までの道は綺麗に手入れされていたので、これだと人が住んでいると分かるかも。
レイが呼び鐘を鳴らすと、ガラゴロン、ガラゴロンという少々不気味な鈍い音が響き渡った。
しばらく待っていると、小太りの中年男性が現れて、お待ちしていましたと笑顔で出迎えてくれた。
「先生は珍しく早起きして居間でお待ちです。マリさんは面接や仕事の邪魔だと、昼過ぎまで帰るなと追い出されました」
家主はそのマリに、婚約者にジメジメ女がいるとうっとおしいと言いながらお小遣いを渡して、あそこの甘味は美味しいとか、観察日記をつけてこいと言ったらしい。
「素直に休んできたらどうか、美味しいものでもどうぞと言えば良いのに相変わらずの減らず口です」
「マリさんを面接に立ち会わせないんですね」
「先生は忘れていたんです。マリさんが出掛けた後に先生に指摘したら、そういえば今日が面接日だと忘れていたと」
事前の情報はこうである。
シン・ナガエは病弱で、療養の為にこの屋敷にいて、気難し屋で親が用意した使用人を追い払い、一人で自堕落生活をしていたという。
二年程前にアザミという男性が、倒れているシンを発見し、そこにユミトも通りがかり、二人で介抱した。
働いていないので、何もすることがないシンは書き物をしていて、それをたまたま読んだアザミが感銘を受け、出版社に売り込んだ。
結果、シンは作家になる修行や準備をすることになり現在に至る。
レイがアザミさんと呼んだので、この人の良さそうな顔立ちの中年男性が押しかけ使用人兼担当編集になったアザミという人物だと把握。
アザミやユミトの力では、シンの引きこもりや自堕落生活を変えられず。
そろそろ適齢期で、こんな息子に普通は嫁はこないがそんなの一族の恥。
彼の父親は事業提携をして良さそうな商家の中から、お金に困っている家を探して交渉し、息子の世話をしてくれる嫁候補を確保。
それがたまたまユリアの友人マリだった。
マリは姉がこさえた借金返済を肩代わりしてもらうお礼にシンと婚約して、ゆくゆくは結婚することを了承。
マリの親とシンの親は政略結婚だとたまにある同居結納契約を交わた。
婚約者と二人になりたかったのか、シンはアザミを追い出したそうなので二人暮らしだが、アザミは昼夜問わず、自由にこの屋敷に出入りすることを許されているので三人暮らしとも言える。
つまり、アザミはシン・ナガエが心を許す数少ない人物だ。
こういう前提を再度頭の中で整理しながら招かれた居間へ。
上座の位置に囲炉裏の前に座椅子を置いて、あぐらで座っている、同年代に見える髪の短い男性がねめつけるように俺達を眺めた。
猫のように細くて開いた瞳孔に、祖先に殺人鬼がいると生まれるという忌み痣のある、左手のない青年。
このような情報は誰からも教わっておらず、さすがに動揺したのだが、俺は役者だ。
睨みだけ少し怖いというような演技をしつつ、アザミに促されたところへ着席。
レイがこちらが頼んだアリアさんですと紹介すると、シンは不機嫌そうな顔で「でしょうね」と一言。
「レイさんの頼みなので引き受けました。面接なんて必要無いと言ったのに、彼にするべきだとしつこく進言されましたので、こうして御足労いただきました」
シンは、大事な雇用契約書を人伝てで渡すなとも言われまして、こちらがその雇用契約書ですと続け、懐から文を出してアリアへ差し出した。
「お世話になっている編集やアザミ君の目が入っているので問題ないと思います」
「シンさん。ご両親には相談しました?」
「レイさん。何度も言いましたが自分はとっくに成人で、自身の財から人を雇うのになぜ親に聞かねばならないのですか。あとレイさん。自分に母はいません」
「猫被りシンさん。今日は言葉遣いも姿勢も良いですね」
「そう言うってことは、そうしなくても構わない、教えてあるということだな。それなら単刀直入に言うが、アリアさんは異国人だと聞いていて、その見た目は明らかにそうだな」
レイの頼みだし、生の異国人が屋敷内をうろうろしたり、同居人に祖国の話をすることは、小説の資料になる。
自分は出版社に頼まれればなんでも書くので、資料はいくつあっても良い。
だから半分使用人、半分は資料として雇用する。
シンは伸ばしていた背筋を少しずつ丸めて、そう淡々と告げた。
「父上がお節介で寄越した世話嫁候補がまるで役に立たん。半人前と半人前で一人前。家事全般を頼むが、俺はまともな食事が出てくれば満足だ。マリに従いつつ好きに練習しろ」
もう疲れた、あとはアザミ君に任せると、シンは怠そうに立ち上がった。
まだまだ歴史の浅い成金一族らしいナガエ財閥の四男シン・ナガエは、俺がこれまで出会った事のない雰囲気を醸し出していて、事前情報の時から気にはなっていたが、ますます興味深い。
この目つき、瞳の中のくらやみ、奇形の体、そして今の雰囲気など、どれもこれもアサヴさえ実物見学無しには表現出来なそう。
このような人物はそこらにはいないし、俺やアサヴのようなお坊ちゃんは普通、遭遇しない。
街で見かけるごろつきとも違う、哀愁漂う犯罪予備軍、善に傾くか悪に傾くか、危うそうな者だと感じた。
「お待ち下さいませ。私はミズキと申しまして、シン・ナガエ様にお願いがあって参りました」
声をかけたら、シンは面倒くさいという様子で振り返った。
「なんですか? マリのことならアザミ君に聞いて下さい。海にいるので一緒に観光でもどうぞ」
「シン君、こちらのミズキさんはマリさんを心配してついてきた女学生ではなくて私の親戚です」
レイの発言で戻ってきたシンは座椅子に再び座った。
「へぇ。そうですか。それで?」
「私はミズキ・ムーシクスと申します」
生まれは東地区で我が家は琴門。
しかし自分は演奏者だけではなくて、事業提携先の一座で役者をしていて、まだまだ脇役の身であり修行中。
南地区に親戚がいて、その親戚は高い技術や指導力を有しているのでこうして遠路はるばるこの地まできて日々、励んでいる。
「私は演奏にも演技にも経験は不可欠だと考えています。ですので、アリアさんと共に使用人になり、その経験を芸の肥やしにしたいです」
雇ってもらいたいのではなくて、家賃や謝礼を払うので一緒に住まわせて欲しい。
それで使用人として働きたいと頭を下げた。
「……美しい礼にその言葉遣いからして、それなりの家のお嬢さんのようですが、このような家に、自分のような男がいる家に住み込みなんてよろしいのですか?」
アリアには素の姿のようになったというのに、シンはまた猫被りのような言動に戻った。
俺を品定めというか、警戒しているような眼差しである。
「女性が三人になりますし、すぐ近くには親戚のレイさんもいらっしゃるので、何も問題ありません」
そもそも俺は男だ。他の者達と同じく、シンも上手く騙せているようだ。
「アザミ君と相談して返事をしますが前向きに検討します。ちなみに、ミズキさんは女学校卒業生ですか? 失礼ですが在学のご年齢には見えません」
「その通りで学校は卒業しております」
男なので女学校ではないが。
「良家の御息女に見えますので国立ですか?」
「私立です」
「学生生活など、話しても構わないという範囲を語ってくれるなど、資料を提供してもらえるなら、いただくお金は減らします」
「シンさんはどのような小説を書く予定なのですか?」
「色々、試作中です。話の種や売れ筋など、出版社から情報をいただきながら、二人三脚のように創作していますので」
「お互い修行の身ですので、切磋琢磨していければと思います」
俺は自分を平凡な顔だと思っていきてきたけど、南地区に来たから、このお嬢様感と平凡ながらも多少色っぽいところは他人の気を引くと学んだので、愛想を振り撒いてみた。
しかし、シンの反応は悪く、彼はアザミに「お嬢様に難癖をつけられないような契約を考えて欲しい」と言い残して退室。
「レイさん。先生は本当に雇う気です。しかもそちらのお嬢さん、いえ、お嬢様が増えても良いなんて、あの人嫌いのシンさんが!」
「女性、しかも美人達だからじゃなくて?」
「いえ、不細工の方が何かあって難癖をつけられても、こんな見た目に誰が欲情するかと反論出来るから良いと言っていました」
「シンさんなら言いそう。そして二人のどちらにも、全然見惚れていなかったですね〜」
「ええ。あとマリさんが退屈しないだろう、みたいなことは言っていました」
「マリさんにも会わせたいけど、アリアさんは少し鶴屋でも働くから挨拶に行きます」
こうしてアリアの面接は終わり、俺も多分一緒に暮らせそうだ。
そろそろ一度実家に帰り、アサヴに相談をしたいのだが、予想していなかったアリアの新生活を見守ってからでないと帰れない。
死病の兆候が消えた疑惑のアズサの今後も気になるので、帰宅は一時的にする予定。
レイやユミトの太鼓判はあるけれど、あのシンにアリアが酷い目に遭うのは嫌なので、自分自身の目で彼女の安全を見届けたいのもある。
しばらくこの家で暮らし、使用人経験を積みつつ、シン・ナガエを観察して自分の演技に吸収する。
その意思はやはり揺るがない。
レイとアリアと三人で家を出て、レイはこのまま出勤してアリアを鶴屋に連れて行くので途中までは一緒に歩き、待ち合わせの確認をして俺はオケアヌス神社へ向かった。
ジオに海辺街へ行くならナナミに手紙を届けて欲しいと頼まれたので。
今日、師匠は出勤していない日なので、神社には他の奉巫女がいる。
顔見知りなので声をかけて、師匠が預けているナナミに会いたいと用事を告げて、お好きにどうぞという許可を得てから彼女のところへ。
他の保護人とは異なり、ナナミは神殿の一室を与えられた。
理由は聞いているので俺は不思議がらないが、他の者達にはどのように説明しているのだろう。
それは自分の人生に必要かと問いかけて、別にだと考えたのでナナミのいるはずの部屋へ直行。
すると、三味線の音が聴こえてきて、それがあまりにも心に響く美麗な旋律で凍りついた。
まるで春爛漫みたいに温かな雰囲気で、白い花びらが舞っている幻覚がする。
立ち止まったところから、憂い顔で演奏する美少女ナナミの姿が見えて固まる。
「……あら、こんにちは。ミズキさん、会いに来てくれたのですね」
「……」
地方とはいえ大花街、その中で数年天下を取り続けている朝露花魁の後継者候補だったというのは、見た目だけでは無かったようだと、すぐには声が出ず。
「どうしたの? どなたかに何か不幸がありました?」
「……いえ。その年にしては見事な腕前ですね」
その年は余計な一言だし、褒め方が上から目線だったのはナナミの演奏で自尊心が傷つけられたからだ。小さい男だな、と心の中で自嘲する。
「芸で満足させて体は売らないってしたかったので、うんと練習してきました」
「もうその必要が無いのに練習しているんですね」
海岸にいた時にたまたま貝が降ってきたから、豊漁祈祷の神事に参加することになった。
そこには他にも沢山いたので自分は関係無いだろうに、見た目が良いからなのか豊漁姫候補らしい。
ナナミはそう語り、誰かに聞いていませんか? と肩をすくめた。
「いえ、まだどなたにも」
「喋ったらいけなかったかもしれないです。まあ、良いか。ミズキさんはウィオラさんの弟子ですから、ほんのわずかな時間差でしょう」
連奏してみないかと誘われて、その誘いは実に魅惑的だったので即答。
結果、あまりにも楽しくて時間を忘れて弾いていた。
実力差があまりないのか神経を使って合わせる必要がないし、ナナミも合わせてくれる。
ここでこんな半音ズレた音を出すなとか、速度がどうのとか、そういうことも無い。
師匠のような格上演奏者に導かれる演奏ともまた違う。
夢中になった結果、待ちぼうけさせてしまったアリアが迎えに来て、丁度演奏をやめた時だったので謝りながら帰宅。
「そんなにむくれないで下さい」
「別にー。すぐに迎えに来たから怒っていませーん。私だって練習するから、いつか連奏してくれる?」
「あれ、芸妓の道も模索するんですか?」
「もちろん。ウィオラさんに筋が良いって褒められたから、お金を稼ぎながら練習するわ」
こうして、俺とアリアは約束を交わした。
俺達はいつか連奏する。
それも、小さい舞台、例えばご近所さんを招いてだとしても正式な場で。
今のアリアと指切りするのは初。その日、残りの時間はずっと小指が熱かった。
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