十五
悪魔は賢いようだが、愚鈍なアホでもあるので、我に対する認識がおかしい。
ここはコロッセウムというところらしく、怪力の我でも破壊出来ない。目の前の金網というものさえ。
「——!」
「——!」
金網の外には悪魔が沢山いて、奴らの言語は知らないが感覚で分かる。今日も今日とて戦え、殺せとやかましい。
我は命令されても従わないが、腹が減ってならないので、目の前にいる家族でもない種族は噛み殺して食事にする。
ドルクスとやらはこの間の別種族のように後退りして金網に何度もぶつかり、六つある目を全て黄色くして、点滅させている。
二本の角が小刻みに震えていて、明らかに怯えているのだが、なぜ戦わないのか理解出来ない。
「——!」
反撃しなければ殺されると理解した目の前のドルクスが飛びかかってきたので、体当たりし、顎に噛み付く。
ドルクスから緑色の体液が飛び散り、滴り落ちた。
我は食事をするだけなのに、悪魔は今日も嬉しそうでバカバカしくなってくる。
腹が減っているから、目の前に現れた食事になりそうな者を食べただけなのに、なにが楽しいのだか。これを見学して幸福になれるとは単細胞過ぎる。
「——!!!」
不意に、高揚でも、悦楽でも、至福でも、性的興奮でもない同情や悲痛な感覚がしたので、どの悪魔だと見渡す。
それは、他の悪魔と同じ姿形で、我の目には泥の塊のように見えるのだが、少しばかり光って見える。
それからかなりの日にちが過ぎて我は殺されて、屈辱的なとて食べられることもなく、意識が途絶えた。
悪魔は我らに命令出来たらしい。
共食いなら生存の為に仕方がないが、食べもしないのに同種殺しをするなんて、あいつらの仕業だろう。
命令なんて吹き飛ばせという感覚で、体が内側から八つ裂きになりそうだったので確信がある。
なぜ自分だけが命令を拒否可能だったのかは謎だ。特殊個体、変異という単語を使うらしい。
死んだはずなのに生きていて、ああ、これが噂の転生なのだと理解した。
噂といっても誰かに教わったのではない。
体が小さくて、まだ培養孵卵器とやらにいた頃に、悪魔達の雑談から学んだ。
言葉は分からないのに、何を考えているかはある程度伝わってくることが不思議でならない。
幼少期はたまに、転生前らしき記憶を夢に見て震えてえづいた。
それは成体になるにつれてなくなったのだが、また同じ透明な入れ物の中にいて、同じことになっている。
ただ、前と異なるのは「自分」ではなくて「我が子」が震えていること。
我も同じ幼体なので、自分の子ではないが、子どもは皆の子だから我が子だ。
我は子に向かって、大丈夫、辛い時は代わるので、楽しいことだけを想像しなさいと告げた。
これはかつて客が我に告げた言葉で、楽しみなんて分からないが、声をかけられたことで、一人ではないので安心して寝たものだ——……。
月日が過ぎて、土、草、森、海、湖、空、風、あらゆるものを知った。
悪魔は我らと同じで右向け右でも、同じでもなく、転生もないようだ。
異種族で子を成すなんておかしな事も出来るようだし、弱々しい体であるのに、特殊技能でこの世の覇者になるだけある。
『正しい者こそ生きるべきなのに、悪人ばかりのさばるなんておかしい。大丈夫だ。死後も守ろう。永劫守る。自分達を守れるように、俺が必ず、必ず、必ず残すから——……』
あれから百では済まない転生をしたというのに、目の前に彼がいた。
我はまた小さな体になっていて、彼と会いたくて、会いたくて仕方がなくて、微かな匂いを辿って大冒険したら会えた。
親が帰って来いとうるさいので閉じて無視したら会えた!
しかし、彼はかつてとは全く異なる形をしていて、小さくなっていて、我が声を掛けても気がつかない。
そしていつもその心は悲しみや苦痛で満たされている。
気がついて欲しいけど、我を見た彼は悲鳴をあげて怖いと逃げてしまった。
あまりにも辛くて親に呼びかけたら、それは彼の子孫なだけで彼ではないから、早く帰ってきなさい、彼自身と会う方法は別にあるからと説明された。
それなら帰るかと歩いていたら、衝撃と痛みでくらくらして、次は熱さに襲われた。
我はまた転生するみたいだけど、生まれ変わったらきっとまたあの森にいて、家族や仲間と楽しく暮らすから平気——……。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
絶対に許さない。
これは誰の気持ちだ?
昔々の我の心で、彼の匂いがする者の心だ。
そうか、忘れていたけど思い出した。
この者は自分は子孫ではなくて、きっと我と同じ数少ない転生者だと思う。
いつかこの者は自分は彼だったと思い出すだろうか。そうしたらまた一緒に楽しく暮らせる。
親がバカな子だね、ずっとずっとずっと一緒に暮らしているだろうと笑って、少し理解したので頷いたけど、我はまだ自身の中の彼には会えない未熟者なので、まずはこの者と交流する。
彼とはきっと、その先で会えるだろう。
☆
今夜も酷い夢を見て飛び起きた。
私は小さな蜘蛛になっていて、潰されて、怪我をして、味噌汁に入れられていた。
あまりにも生々しい感覚に吐き気がしたけどなぜか吐かず。
『大丈夫』
誰かの声がしたと思って暗闇の中、視線をさまよわせたら、真っ赤な点々を発見。
『——』
何か話しかけられたけど、優しい感じがしたので近寄ったら、闇夜に慣れた目に飛び込んできたのは小さな蜘蛛だった。
大嫌いだし怖くてならなくて手を振りかぶり、アズサの言葉が蘇り、腕を下ろす。
「く、蜘蛛さん……。私、あなたを殺してしまうから……どうか離れて……」
『——』
なぜだろう。前よりも怖くないし嫌な感覚もしない。
「……外の方が安全で」
ガラガラドシャーン! と大きな雷の音がして、激しい雨音も聞こえてきたので、これだとどう考えても外は安全ではない。
こんなに小さな蜘蛛は雨水で溺れ死ぬだろう。
前なら気にならなかったのに、アズサの優しさや、彼女が教えてくれたシーナ物語が頭から離れなくて、仕方なく扇子を探して、そっと蜘蛛をすくいあげ、部屋の端へ。
闇夜に目が慣れてきたので、光苔の灯りにしてある覆いを外して室内を確認。
被害を訴えたことで逆恨みされるかもしれない、裁判前に暗殺もなくはないと、オケアヌス神社へこうして保護されて個室を与えられたのだが、昨日の夕方に来たばかりで私は何も持っていない。
そもそも、ここは聖域だから殺生は許されなかったと思い出して冷や汗をかく。
これまでなら神なんていないので知らないだったが、運命的な出会いでこの神社まで導かれたので、手のひらを返して信仰心を抱き始めている。
『憎い?』
さっきもした知らない声に問われた気がして振り返ったけど誰もいない。
これまでは様々なことや人が憎かったけど、今はそうでもない。
この世界は残酷で理不尽なだけではなく、優しくて正義もあるようだから。
『それならまた遊ぼう』
闇の中には誰も居ないのにアズサがいる幻覚がして、これは夢なのかと腑に落ちた。
それなら寝ようと布団に入ると、副隊長の家の玄関で見送ってくれたアズサの笑顔が自然と蘇り、近いうちに遊びに行くという約束に胸が躍った。
それから、明日また会いましょうというジオの笑みも。
☆
同時刻、クギヤネ邸。
赤鹿乗り体験をまたさせてもらえてレイスと会えたけど、恥ずかしくて全然お喋り出来ず。
こんなでは嫌われてしまうと落ち込んだけど、彼から手紙がきて、照れて喋れなかったので精進しますと書いてあった。
優しげながら美しい文字をなぞり、同じ事を考えていたとついニヤニヤ。
幸せで胸がいっぱいで、ついつい夜更かししてしまっている。
もしも、もしも石化病が治ったなら、あとは落眠石化病だけになる。
別の病気の兆候が発見されたのは悲報だけど、同時に、あまりにも幸運な経緯で薬が手に入った。
あとは眠気が来なけ——……。
ああ、夢だ。
これまた急に、落ちるように寝たから落眠石化病に悪さをされたのだろう。
慣れてきたのか、悲しみよりも呆れが先行した。
ここには誰もおらず、真っ暗闇なのに、声だけは聞こえる。
『選ばれし王は貴殿か!』
四方八方から声が乱反射。
私への問いかけな気がして、選ばれていないし、王様でもないので「違います」と回答。
『ならば我らは永劫待とう。再び合間見えるその日を信じて待ち続けて』
姿の見えない者達が遠ざかっていく感覚がして、それがあまりにも悲しくて走り出した。
王ではないし、選ばれてもいないけど、彼らが求めているのは私ではないかもしれないけど、いかないで欲しい。
宙に浮いている感覚がしていたのに走れた。
夢だから、いつの間にか大地に足をつけていたようだ。
『待って。待って! 離れないで! おそばにいたいです!』
すると、まるでお水の中に沈んだように体が落下。
『呼び声に気がつかなくてすみませんでした。来世ではどうか息災で』
この声は副隊長な気がする。
『本当の意味で桜の君になって、満開桜の下に君を連れて行きます。君の命はこれで終わりではありません。ずっと続いていきます』
薄ぼんやり姿も見えて、副隊長の若い頃と言われればそうかもしれないと感じた。
レイスにかなり似た若い青年は藍色の着物姿で、さめざめと涙を流している。
早く、うんと早く生まれ変わって彼が笑う手伝いを出来たら良いのに。
『海のお魚を食べたいって言うから掘ってきた』
この男性っぽい声は聞いたことがないけど、とても懐かしくて温かい。
『掘ってきた? 掘ってきたってどういうことだ』
私の声が男性のようになっている!
レイスのことや彼のご先祖様のことを考えていたから彼の声にそっくり。
『驚いた?』
『……ははっ。ははは……。大陸の中を掘って海水を引いてきたのか……なんとまぁ……。また大変なことになるぞ……』
ハッと目を覚ましたら机の上に突っ伏していた。
部屋を見渡したけど変わったことはなさそうで、落眠石化病の症状ではなくて、普通の眠気に誘われて短時間寝てしまったようだと安堵。
あー! レイスからの手紙によだれ!
心の中で叫んで自分のバカと自らを罵る。
すると、足にさわさわとした感覚があり、何かと目を向けたら今朝、副隊長のお屋敷の庭にいた三ツ目の蜂だった。
一回り、二回り小さくなっていて、ふわふわの毛は赤い色だ。
「……かわゆい。どこから遊びにきたんですか?」
抱っこ、抱っこみたいにあしを動かして私の足をぺちぺちしているので持ち上げて、そういえばウィオラが触ってはいけないと言っていたようなと思い出す。
でももう、抱きしめてしまった。
三つ目の蜂は私の体にすりすりして、安心というように大人しくしている。
それで、緑色だった目が灰色に変化した。
少し迷ったけど、明日はミズキが我が家に遊びにきてくれる予定なので、彼女にウィオラへの伝言を頼めば良いかと、そのまま蜂をなでなで。
蜂もどきはちっとも起きないので、一度座椅子の上に降ろして、座布団を運んできて部屋の隅に置いた。
そこに蜂を移動して、古いので羽織りにしている着物をかけて、お休みなさいと撫でて自分も就寝。
朝、目を覚ましたら蜂は消えていて、着物は綺麗に畳まれていた。
あの蜂は器用で賢いようだ。座布団の上には昨日アリアが書いてくれた彼岸花そっくりな白い花が置いてあった。
母に昨夜こんなことがあったと教えて、ミズキが来るまでそのままに。
彼女が来訪したので説明して見せたら、飛脚に依頼してウィオラにすぐ報告するという。
彼岸花に似た白い花は今、私に必要なもの候補なので、福神様が私の病気が治りますようにと届けてくれたのではないかと考察したからだ。
連絡が来るまでミズキに三味線を教わり、海蛇王子と歌姫の話をしてもらっていたら、あれよあれよと母とミズキと共にお出掛け。
役人が二人が来て、すぐにオケアヌス神社へというので。
本物の牛車を見るのも乗るのも初めてで、本の挿絵の牛はのんびり屋さんだと感じたのに、大きいし、ムキムキだし、歩く速度も想像よりも速い。
なぜ私だけが牛車で、母やミズキは女性兵官と馬に相乗りなのか。
窓から顔を出して、この景色は楽しい〜とはしゃいでいたら、道ゆく人から「お姫様」と指をさされた、これでは自分は詐欺師だと慌てて中へ引っ込む。
そうしたら退屈で、ぼんやりしていたらウトウトしてきて睡眠。
これは病気のせいではなくて食後の——……。
『君達の世界のものは、時に人を害するから親の許可なく行動してはいけない』
自分の喉からまた男性の声が出た。私は誰を叱ったのだろう。
死んだら嫌だ、生きてと頭の中に子供の声がわんわん鳴って、あまりにもうるさくて目が覚めた。
牛車はまだガダガダしているので到着していないようだ。
と、思ったら止まったので着いたみたい。
乗る時と同じく、役人らしき中年男性が丁寧な言葉遣いや仕草で降車を見守ってくれて、母とミズキと合流して鳥居をくぐった。
瞬間、どさどさ、どさどさ、どさどさ魚が降ってきて放心。
さすが海の大副神様を祀る大神宮。こんな奇跡みたいなことが普通に起こるから聖域なのか。
空を見上げたら、分厚い雲が一部だけ、まん丸になくて青空が見えて綺麗だった。




