十四
泣きじゃくって慰められて、落ち着いた頃に顔を上げたらジオが廊下に座っていた。
「ナナミさん、経験値を得るために軍師は甥ですので、質問があれば彼にお願いします」
ウィオラが私の手を離して、カインにこちらへと告げたので、室内には私だけが残された。
ジオは廊下で正座したまま動かない。
昨夜、未婚の男女は同室で二人きりにならないと言われて、同じような位置で話したので、今日も彼は入室してこないだろう。
ジオは軽く頭を下げて、状況は理解出来ましたか? と私に問いかけた。
「……身請けって何?」
「身請けは身請けです。きちんと報告したのに、叔父上が拐ったなんて言うた時は焦りました」
ジオは俯いたまま続けた。
アサヒ——会話の流れ的に朝露姉さんのこと——と交渉して味方につけたので、ジオは私を数日前に身請けしたことにしたそうだ。
店が正式に届けていないから、表向き、私は足抜けしていないことになっているし、店は朝露姉さんに私の足抜けによる損害を要求したので、保護養育権とやらが彼女に移動しているから可能だったこと。
朝露姉さんのものだった私が、彼女の判断で身請けされることは合法らしい。
好条件なら私の意志は必要ない。
私は世間的には「虐待されて保護された女の子」になっているので、それなりに良家の子息であるジオによる身請けは社会的に推奨される。
「身請け条件はこうです」
私はまず外街で自立すること。
その支援は役所とジオの家が行う。
落ち着いたらジオとお見合いする。
なお、きちんと選ばれたいから同格の男性を最低十人紹介する。
他の男性と祝言になっても私や関係者に一才要求をしないで潔く諦める。
これはお嫁さんに欲しいではなくて、お嫁さんになって欲しいから検討して欲しいという身請けだから。
「つまり自分は君自身を買ったのではなく、真っさらな体のままの君と、遊楽女や遊女ではない、街娘の君とお見合いする権利を買いました」
「……そんな身請け、聞いたことがないわ」
「探せばあるんじゃないですか? なくても自分とアサヒさんはそういう契約を交わしました。君は損しないどころか得をするので、この契約における君の意思は法的に必要ありません」
朝露姉さんは私を煙たがっていたけど、ジオにもはっきりそう告げたそうだ。
可愛い他の妹分の邪魔だから、お金が手に入る上に目障りな私が居なくなるのは大歓迎。
大嫌いな楼主や内儀に一泡吹かせられるからさらに。
「ナナミさんは誘拐された女の子だったとお伝えしたら、怒り狂っていました」
「朝露姉さんは怒ると怖いのよ……。でもなんで私が誘拐児だと姉さんが怒るの?」
「伝言です。今後はアサヒさんとお呼びして下さい。前の店に保護された彼女にアサヒという名前をつけて可愛がってくれた女性がいるんです」
「前の店? 朝……アサヒさんは朧屋育ちよね」
「君はそう聞いて育ったんですね。彼女は一区花街の菊屋というお店育ちでした」
「菊屋ってあの有名な菊屋? 南一区花街の天の原って言われている」
「ええ」
アサヒの名付け親はユラといい、元遣り手で、今はお店を去ってお菓子職人をしているという。
彼女はかつて芸妓仕事をしていたが実力がイマイチで、知人に誘われたので遣り手になり、この仕事は肌に合わないと数年で店から去った。
女の世界は疲れた、今後は地味な生活をしていこうと考えた彼女は友人に相談。
結果、売り子や下働きからならという条件でお菓子職人を目指すことに。
「そのユラさんは雅屋というお店で働いています。君の叔母上が嫁いだお店です」
ユラはそこそこ不幸な人生を歩んでいたのだが、雅屋に雇われて厳しくも可愛がられ、ついに安寧を手に入れたという。
私の母の妹は雅屋へ嫁ぎ、それはもう慕われている。
ユラは私を抱っこしたことがあるし、一緒に遊んだことも。
親戚の家へ行き、そのお店で働く人達と遊んでもらったおぼろげな記憶はあるけど、ユラという女性がいたのかは覚えていない。
「アサヒさんはその前から他の理由で怒りましたが、この縁や事実により怒髪天。朧屋を食い潰すのはもちろん、関係者も地獄行きにするそうです」
「……。私、そのユラさんって人のおかげで朝露……アサヒさんのお気に入りになったってこと?」
「そうです。世の中には怒らせたらいけない人間がいるのに、犯人達は調査不足でやらかしてしまいました」
ずっと頭を下げていたジオはゆっくりと体を起こして私を見据えた。
真剣な眼差しは素敵だけど、こめかみに青筋が立っている、目つきが鋭くて怖い。
「アサヒさんは完全に私情ですが、これからすることは被害者達の役に立つので、些細な悪事や法的に灰色なことは許されるでしょう」
副隊長が私を探してくれていたという事実にこれって、奇跡に奇跡だし、どちらも私だけを助ける訳ではなさそうだから喜ばしい。
また涙が溢れてきて、カインが貸してくれた手拭いを使って目元を押さえた。
何度だって感謝を伝えたいけど、言葉が出でこないので、首を大きく振る。
「叔父上が君の正体に気がつかなければ、大事件や闇の中のままだったかもしれません」
これはきっと龍神王様の導きで、そうでなくても許し難いと口にしたジオの声は震えている。
「関係者を全員、火の海に落として浄化します」
「火の海? 悪人は裁かれて欲しいけど……そういうこと? 捕まえて裁くってこと?」
「そうです。世の中には怒らせてはいけない人種がいますので、そこに火をつけて回って包囲網です」
「……朝露姉さんのことね」
「アサヒさんとお呼びして下さい。かつて名無しだった彼女は、ユラさんにその名前をいただいてから、大事な人には本名を呼ばれたいそうです」
あの朝露姉さんがそこまで言うということは、彼女はユラという女性をうんと気に入っている。
アサヒにお礼をするのは当然だけど、ユラに仇を返したら、アサヒの牙は私に向かうだろう。
「アサヒさんの義理の姉妹は菊屋にもいます」
朧屋と菊屋は先代同士の繋がりで緩い系列店。
現在、菊屋の実権を握っている者は、秘密裏にアサヒと繋がっており、大嫌いな朧屋の楼主を追い払おうと画策していたが、この件で加速するという。
「菊屋が動けば、かなりの遊楼関係者が動きます」
「……アサヒ姉さんってそんなに怖い人だったの。それなのに楼主も内儀もなんであんな扱い」
「能ある鷹は爪を隠すと言いますからね。アサヒさんのかつてのお姉さんは涼風さんと言うて、中央区の有名呉服屋に身請けされています」
その涼風花魁の全盛期に、菊屋にはあの吹雪太夫と夕霧花魁がいて、三人は昔も今も親しいという。
好敵手でなくなった今の方がさらに。
「元夕霧花魁はご存知のように、現在皇子妃です。アサヒさんは皇子妃に直々に何かを頼めるんですよ」
「……そんなところにまで繋がっているの」
「自分も驚きました。叔父夫婦はこれを知っているどころか関係者だそうです」
「関係者? ああ、アサヒ姉さんとユラさんが繋がっていて、ユラさんは雅屋で働いていて、雅屋と副隊長さんは縁があるって話しをしてたものね」
「それが違うんですよ」
ジオも知らなかったそうなのだが、ウィオラのかつての仕事の中には、菊屋の教養講師もあったという。
彼女はお嬢様なので琴や三味線、舞だけではなくてあらゆる教養を菊屋の奉公人に与えた。
それが彼女と菊屋の間の契約だったので。
結果、菊屋は講師ウィオラのあらゆるところを取り込み、中店から大店へ。
同時期に勝手に頂点に登った吹雪太夫や、ほぼ同格の夕霧花魁もいたことで、菊屋は南上地区どころか南地区の頂点と呼ばれる程に成長。
「アサヒさんは当時、叔母上の生徒で、叔母上にとても良くしてもらったそうです」
ユラが雅屋で働くことになったのはウィオラが夫と共に雅屋に頭を下げたから。
雅屋は門前払いではなく、むしろ喜んで雇ったそうだけど、副隊長夫婦がユラの為に頭を下げて雅屋にお願いしたことは事実だ。
アサヒはウィオラにそこそこの恩があったけど、その件で大恩に変化している。
そんな風に、ウィオラに恩のある人間は多いそうだ。
「これから、叔母上に頼みに頼んで他の怒らせてはいけない人種達にもっと火をつけます。その前に君の許可を得ようかと」
アサヒだけでもそれなりにこの事件は燃えるけど、ジオはそれでは腹の虫がおさまらないという。
悪人だけではなくて悪の芽も燃やし尽くしたいし、自分も含む役所関係者や政治家も燃え盛って欲しいそうだ。
後の悪党が、似たことをすると大損することになると再犯を渋るように。
「つまり、ジオさんは私が燃やしてって言ったらあちこちを燃やしてくれるの?」
「火の海にして焼け野原にします」
なにそれ、最高だ。
「それで不幸になる人もいるでしょうが、秩序や治安維持、法整備に勤しめば、理不尽な被害はうんと減るので、まずは燃やします」
「ふふふ。あはは……。あはははは! あんな街、街にいるだけだから同罪。全員死ね、燃やしてやるって思っていたのに別の意味で燃えるの。ジオさん、うんと燃やして頂戴」
愉快過ぎてお腹を抱えて大笑いして余計なことを口にしてしまった。
ジオはカインやウィオラのように、何も言わないでくれている。
「それでは一緒に燃やしましょう。自分が火付け役をするには君の協力が必要です」
「喜んで」
「君からのお礼は、正式にお見合いすることとします」
私が家族のところに戻れたら、ジオから見た私は、家族親戚がお世話になっている雅屋の親戚の家のお嬢様。
お見合い話が出るのは普通にあり得ることだ。
「モテないから女性慣れしていないので、かわゆい女性には全員惚れる勢いです。練習台になって、何か助言を下さい」
「つまり、私を踏み台にするってこと?」
「踏み台ではなく、お出掛けとか、会話の練習をさせて下さいと頼んでいます」
それを踏み台と呼ぶ。
モテないねぇ、とジオを改めて上から下まで眺めて、この見た目や優しい瞳でモテないなんて、余程の変わり者なのだろう。
つい、クスクス笑ってしまった。
「うん。その笑顔はあの夜とうんと違いますね。かわゆい」
「……」
さっきまで怒った顔で怖かった救済の皇子様が、屈託無く笑って急に自分を褒めたから、とんでもなく顔が熱くなった。
「……」
そうしたら、つられたのか、自称モテなくて女性慣れしていないジオもみるみる真っ赤。
その後、彼は慌てた様子になったので、このせいだろうと説明。
「これは体質で、肌が赤くなる時はなぜかまだらなの。お酒を飲まされるから嫌なんだけど、治るのかしら。どこも悪くないから平気よ」
「……お酒を飲まされたんですか?」
「そりゃあ、楽だもの」
「君は未成年です」
「そうだけどもう十二才以上よ」
「お酒は成人からです!!! どうせ暗黙の了解でしょうから規制してやる!!!」
あっ、言葉遣いが悪くなった。
子供、それも女の子に男達がお酒を飲ませるなんて許し難いと、ジオはまた怒り出した。
私が当たり前だと教えられたことは非常識や法律違反なのかも。
「未成年飲酒に罰則がないのはこういうことも理由な気がしてきました。許さん」
「お稽古仲間の別のお店ではね、飲酒させ過ぎてやられたとか、飲み過ぎて死んだってことがあったのよ。わりと下級のお店所属なせいで」
怒るだろうなぁと思ったけど、ジオのこめかみの血管がブチ切れたような感覚がした。
笑って欲しいけど、まずは怒らせて一緒に放火してもらおう。
ジオは大激怒という様子で立ち上がった。
まさか想像していた放火と別の放火をすることになるとは。
「全店舗営業停止にして緊急監査です! 叔母上! ウィオラ叔母上! 今すぐでないと命が溢れます!」
叫びながら去ったジオは、しばらくして萎れ顔で戻ってきた。
彼と良く似た顔立ちの中年男性とウィオラと共に。
ジオの父親と名乗って挨拶してくれた人物は、息子を廊下に正座させた。
「気持ちは分かったから落ち着きなさい。ナナミさんにきちんと状況を説明したのか?」
「しました。落ち着いたらお見合いする約束もしましたし、協力してくれるそうです」
「普段はのほほんとして、全然怒らないのにすみません。ほら、いきなり放置してすみませんと謝りなさい」
「冷静さを失い、一人にしてすみませんでした」
「いえ。私もはやく放火したいからむしろ怒ってて良いです」
すると、無言で佇んでいたウィオラがふーんというように私とジオを交互に見た。
「私の夫も手がつけられないくらい激怒していますので、それに乗っかりましょう。ナナミさんがそのように笑えて、顔色が良いのでしたら」
こうして、私とジオは共犯の放火犯になった。
出来れば素敵な目をした優しげな彼と、恋愛事で縁があって欲しかったけど、私が彼と出会った理由はこれだったようだ。
これから大勢の悪党が裁かれて、数多の被害者が恩恵を受けるとは、胸がすく思いだ。




