十三
ヒナはまるで別世界の住人みたいな朝露花魁の後継者だったはず。
しかし彼女はナナミだからこの街から、その将来から逃げ出した。
肌さえ触らせてはならないのに、春売りなんて死ぬ程嫌だと。
母親から色春知識の全てを教わる前に誘拐されたけど、良家の子女なので、年齢相応のことや自分の体の価値や大切さは教わっており、だから自分は買売春に嫌悪感が強いと語っていた。
「あらぁ、楼主。姉さん夫婦が遊びに来てくれただけじゃないの」
「……姉さん? 姉さん夫婦ですか?」
久しぶりねと笑う朝露花魁から、先程までの気怠そうな雰囲気は消失していて無邪気で可憐。まるで別人みたいだ。
「先代に聞いていないの? お世話になった元遣り手の姉さんと、菊屋を去った姉さんと知り合って結婚したシシド様。たまに差し入れをいただくでしょう?」
「いえ、そのような話は存じ上げません……」
ユラはあの菊屋の元遣り手という台詞に驚愕していたら、あれよあれよと店の中、朝露花魁の部屋に招かれた。
菊屋は一区花街の頂点に君臨する遊楼で、天の原の下手な遊楼よりも素晴らしいと皇族や皇居華族も足を運び、それが小説になって市中に出回るような店だ。
従兄弟レイスと異なり、地元国立高等校に進学した俺は一区なんて滅多に行かないし、いくら観光場所であるといっても花街なんて更にだ。
前回は宴会用の部屋に招かれたけど、今日は朝露花魁の部屋へ。
明るく爽やかな部屋で、絵で見る花魁の部屋とは全然異なる。
従姉妹ユリアの部屋を大人っぽくして、さらに広くして、質素なようで高そうな調度品を揃えたという感じ。
ここはお嬢様の部屋だと説明されたらすぐ信じそう。
「なんでアサヒが座布団を出してくれるのよ」
「大楽は流行り風邪で寝込んでいて、中もちびも寝ているからよ」
楽だから自分の遊楽女のことで、大、中、小は年齢の表現だろうか。小楽ではなくてちびのようだが。
朝露花魁の名前はアサヒで、家族親戚と親しいお菓子職人と知り合いで親しそう。
おまけにこの街で一番人気の朝露花魁が、早朝に突然来訪した俺達に自分の手で座布団運び。
こんなのは全く予想していなかった。
全員座ったら、朝露花魁がユラに「突然なのも、お店に来るのも初めてね」と笑いかけた。
「アサヒの大楽、寝込んでいないで逃げたでしょう。見つけちゃったのよ」
ユラがいきなり本題を切り出した。
「まぁ、まぁ。それはまたなんてご縁。あの子、死ぬ気で逃げたのに、まだわりと近くにいたの」
「偶然って怖いわ。さすがに逃げたことは把握しているわね」
「もちろん。嬉しいことにね、新楼主があたふたしているの。あの子の水揚げ準備後だからよ。絶対にあいつへの嫌がらせ。私は嫌いな妹の支度をしなかったから、お金を出したのはお店」
叔父はヒナの足抜けのことを、朝露花魁や義理の妹達に不義理だとか、恩を仇で返したと非難したのに蓋を開けたらこれ……。
俺はまたしても嘘つき叔父に騙されたようだ。
ユラは叔母ウィオラの親友で、朝露花魁とも面識があったららしいので、こういうことを叔父が知らない訳がない。
朝露花魁は、先代と違って客から支度金を取り切れない新楼主は経営下手だと愉快そう。
「アサヒはあの子をどうしたい?」
「どうしたいって、ユラ姉さんが卿家の嫁じゃなきゃそのまま放っておいてって言うけど、それだと困るから会いに来たってことよね?」
「話しが早くて助かるわ。そう、旦那が困るから来たの」
「どうしたら迷惑をかけないかしら」
「昨日、たまたま拾ったから今日はまだここに居るってことにして頂戴。旦那が方法を説明するから。今日や明日ここにいる人間は、昨日私の旦那と出会わないでしょう?」
「私はあのやる気のない妹よりも、その次の妹に天下を譲りたいから連れ戻されないようにしてくれる? あの子は楼主や内儀のお気に入りなのよ。戻ってきたら喜ばれるから嫌だわ」
「前から少し聞いていたから、これはアサヒや中にとって好機かもって思ったの」
「助かる、助かる。たまたま拾ったって、大楽は元気?」
「風邪をひいて店前で倒れていたの。それでたまたま我が家にいるわ。あの大雨の日に逃げたの?」
「そうなのよ。死んだら後味が悪いけど、この店で売れたら癪だから、移店したらって遠回しに言っていたら飛んじゃった」
愉快、愉快、いびっていたのは正解だと朝露花魁は満面の笑顔。
いびっていたってこの人が命令してナナミに蜘蛛を食べさせたんじゃないよな。
座椅子の肘掛けにしなだれかかり、煙管を手にした朝露花魁は、最初に見た気怠そうで色っぽい雰囲気に様変わりした。
「熱はすぐに下がったから、ごろごろさせているわ」
「そう。あの子は体が弱いから、こじらせなくて良かった」
眩しそうに壁を眺める朝露花魁の笑みからは、ナナミを嫌っていただけではないと伝わってくる。
その辺りのことを、俺はナナミから聞きそびれていたと反省。
こうして早く行動したことを、叔父はまた聞き取り調査不足だと叱りそう。
「これで今日もあの子はこのお店にいるって証拠が出来るけど、他にはありますか?」
「他に……ですか……あります! あります。それにそうです。別人でしたでは困ります」
これだとナナミは無事に逃げられましたで終わり、彼女のお嬢様人生を奪った誘拐犯やグルかもしれない経営陣を逮捕出来ない。
その先にいるかもしれない組織も追求出来なくなる。
つまり、雛罌粟とナナミは同一人物でないとならない。
まずは彼女の安全を確保と考えて突き進んだ結果、不正解だったと判明。
「なぜ困るの? というか、あなたは誰? ユラ姉さんに免じて許しているけど、そろそろ我慢の限界よ。名乗るくらいしなさい。この無礼者」
這うように近寄ってきた朝露花魁の煙管で顎を持ち上げられて慌てて後退り。
「ジ、ジオ。ジオ・ルーベルと申します。シシドご夫婦に家族親戚ごとお世話になっている、ひ、火消し役人です……」
「なーんて。か、わ、い、い」
「……」
「坊ちゃんは遊霞姉さんの甥よね。弟子の夕暮れの霞は元気? 楽しかったから、また遊びに来てくれないかしら」
「……叔母上をご存知なのですか?」
朝露花魁はあの夜のミズキを弟子だと知っていたようだ。
でもあれはミズキがやけになってお披露目広場で芸をした結果で……。
叔父夫婦は俺達を監視していたから、知り合いの朝露花魁に声を掛けた?
「あらアサヒ。この子と知り合いなの」
「たまたまお客に買わせた高飛車役者がね、驚いたことに遊霞姉さんの息子ってくらい見た目が似ていたのよ。この坊ちゃんはその時にいた付き人君」
手紙に書いたら弟子と甥だという返事が来て、その夜は隣の部屋にいたけど会わなかったので、後日あんみつを食べようと約束。
そして数日後に、朝露花魁は俺の叔母と共に、ユラが作ったあんみつを近くの持ち寄り茶屋で堪能。
弟子は壁にぶつかっており、しばらく芸披露させないから観せられないと断られた。
朝露花魁はそう饒舌かつ機嫌良さそうに語った。
「ああ、あのあんみつ。あなたへの手土産で、そんな流れでウィオラと会ったの。弟子に武者修行をさせたらアサヒと会うなんてこともあるのね」
「そうなのよ。運命的で素敵よね。春のあんみつは何かしら。早く春になって欲しいわ」
「あ、あのっ! あの夜ミズキがここに来たのは、叔母上が頼んだからですか?」
「ミズキ? 夕暮れ霞はミズキと言うの。あれは偶然」
「そうですか……」
「偶然だと都合が悪いのかしら」
「いえ、特に悪くないです」
「先程のユラ姉さんとの会話的に、私の大きな雛罌粟を見つけたのは坊ちゃんね」
朝露花魁は俺ではなくてユラを見て、彼女は小さく頷いた。先程の会話ってどれだ。
どれ……ユラが俺に他にはありますか? と尋ねたからだ。
「そ、そうです! そうなんです」
「看病はウィオラ姉さん?」
「いや、我が家の使用人とお客様です……」
ユラはあの天下の菊屋の元遣り手らしく朝露花魁に姉さんと呼ばれ、叔母も姉さん……叔母は遊女にも稽古をしていたのだろう。
叔母は元芸妓で、そこでは芸妓だけではなくて講師でもあったらしいから、あの叔母の腕なら有名店に依頼されるかもしれない。
叔母と朝露花魁に少し縁、恩みたいな話の時に思い至っても良かったのに今気がつくとは遅い。
レイス並みに頭の回転が速いと助かるのに。
ヒナは熱を出していないから看病されていないけど、誰がお世話したかというとアリアとアズサだ。あと少しミズキ。
「ふーん……あなたは?」
「全然……」
「へぇ。お客様ってどなた? 妹分の恩人に、こっそり一回くらいお礼をしたいから教えて頂戴」
後退しているのに、朝露花魁は色気を振り撒きながらどんどん近寄ってくる。
「な、なんで近寄ってくるんですか! 男なので見たいけど、見てはならないので、どうか未熟者の自分の為にあちこち隠して下さい」
「見たいってどこを? 見、せ、て、あ、げ、よ、う、か、な」
ふうっと耳に息を吹きかけられた瞬間、立ち上がって部屋の隅に逃亡。
「真面目な話をしにきました! やめて下さい!!!」
「そう? それならそう早く言ってよね。ねぇ、ユラ姉さん」
「若者食いは好きにすれば良いけど、ウィオラの甥っ子はやめなさい。怒られるわよ」
「怒られるのはこの子でしょう? 私は悪くないでーす」
「それもそうね。好きになさい」
どう考えても悪いのは朝露花魁なのに味方してもらえず。ジミーも腕を組んで目を閉じているし。
「では、真面目な話しを聞きましょう。別人作戦は却下。なぜなのか、それならどうするのか教えなさい」
朝露花魁は立ち上がってニコニコ笑いながら俺を眺めている。
叔父は朝露花魁と叔母、朝露花魁と叔母の親友ユラに繋がりがあると知っていて、それを語らずにシシド夫婦と共にここへ行くようにした。
ここに来ると言ったのは俺だけど、俺だけで来たら策をすぐに弄せないから店員に門前払いされていただろうし、上手くいっても朝露花魁と二人だけでどんな会話を出来たのか想像つかない。
しかし、実際はこうなので、俺は色々な情報を得られた。
父はまた、叔父に「過保護にするな」と怒るかもしれない。本当に怒ったことがあるのか不明だが。
「考え直しますが、まずその前に朝露花魁さんにご質問があります」
「アサヒさんでないと答えません」
「失礼致しました。アサヒさんにご質問があります」
「私はね、名無しだったのよ。それでふぅ子になったの。育った店の楽はひぃ、ふぅ、みぃって数えられていたからね」
まるまる花魁のひぃ、ふぅ、みぃ。そんな感じと朝露花魁は笑っている。
彼女の表情からはそう見えないけど、内容はとても悲しい話だ。
「色々あってメソメソ泣いてぎゃあぎゃあ言っていたらね、そこのユラ姉さんが黙れこのクソガキって怒って、私にアサヒって名前をくれたの」
チラッと見たら、ユラは「黙れクソガキなんて言っていません」とすまし顔で告げた。
「そう? 言わなかった?」
「言ってないわ」
「名前と魔除け漢字はつけてくれたわよね」
「そういえば、そんなこともあったわね」
「だから私、坊ちゃんにアサヒって呼ばれたいわ」
遊楼の遣り手とは、遊女を痛めつけたり管理する嫌な女というのが小説の定番で、それ以外は知らないけど、実際は異なるようだ。
でないと、ユラ姉さん、ユラ姉さんと慕わない。
「……それではアサヒさん。嘘をついても構いません。俺は若輩ですが、叔父は違います。きっと調べ尽くすでしょう」
「ウィオラ姉さんやユラ姉さん関係の人間には、必要の無い嘘をつかないのでなんなりと」
「必要ならつくということでしょうが構いません。アサヒさん」
ゆっくり、ゆっくり深呼吸。
罪には罰だ。悪人が裁かれない世は善人が虐げられたり損をする世界である。
俺は自他共に生真面目人間なので、正義感や真面目な言動が身を結ばないことも多々ある事をこの身で知っている。
汝、どんな逆境にも腐らずに突き進み、道を切り拓け。さすれば人々は憧れて我も我もと続く。
その先にあるのは正直で優しい者が報われる、より良く明るい、鮮やかな世界である。
汝、希望を残せ。
両親が大好きなこの言葉を、俺は昔からずっと聞いてきた。
君の叔父はこの龍神王様の教えを実践しているように生きているから大勢の者に慕われている。
その彼が兄で、その彼の義理の兄になれて、時に頼られて誇らしい。
両親はそう語るが、その叔父も両親を褒めてくれる。
俺は卿家の養子でなくても、善良で優しい両親の息子として、相応しい人間であり続けたいから、同じ過ちは繰り返さない。
「アサヒさん、自分は家族親戚を大尊敬しています。その家族親戚が親しくしている方は信じたいです」
「信じたいってまるで私が悪さをしているみたいねぇ」
扇子を取り出したアサヒは、くすくす笑いながら俺に近寄ってきた。
「していない事を願っています。あなたの雛罌粟さん、足抜けした大楽さんは、かつて誘拐されたお嬢様だということをご存知ですか?」
アサヒが味方になって協力してくれて、まだここにヒナが居るということに出来るなら、今の俺に可能そうな交渉事がある。
瞬間、アサヒは扇子をポトリと畳に落として、お腹を抱えて大笑いを始めた。
そして一言。それが本当なら元々の計画よりも早く、確実にこのお店が手に入ると、妖しい笑みを浮かべた。
「アサヒさんは無関係で、経営陣は黒という意味ですか?」
「黒かは知らないけど、そうなら嬉しいわ。だって、狼兄さんが連行してくれるんでしょう? なんで彼が来ないの? 遊楼に入らないのは知っているから外で会うのに。ユラ姉さんの旦那が手柄をもらうため?」
「狼兄さんって叔父上のことでしょうか」
「そうそう。大狼を追い払った怖ーいお兄さん。ずっと会っていないけど噂は良く聞くわ」
「主に妻やその友人から悪口よ」
「ふふっ。そうね」
アサヒとユラは以心伝心みたいにニヤニヤしている。
叔父と叔母は仲睦まじそうなのに違って、叔父の評判は叔母の友人達の間で悪いのか……。
「それでアサヒ。なんで私達夫婦がここへ来たのかと言うと、かつて誘拐されたお嬢様はね、雅屋の今の奥さんの姪なのよ」
「……今、なんて?」
「あなたの大楽は雅屋の奥さんの姪」
「……へぇ」
これまでとはうってかわり、アサヒの表情が険しくなった。
「変態に飼われているんじゃないか、殺されたかもって思っていたけど、それはこれからだった。人身売買許可を得ている人間が、高級店に売るはずがない。そう思い込んでいたことを反省してる」
「……灯台下暗しってこのことね。私とユラ姉さんの関係を知っていたら遠ざけるはずだもの」
「華族の血を引く本物のお嬢様が遊楼で全てを教え込まれて、あの体質と見た目にとびきりの三味線の腕。裏でうんと高く売れそう」
ユラは淡々としているけど、アサヒはわなわなと震えている。
「あんのクソ新楼主。こうなると先代を殺した気がしてくるわ。婿とも後継ぎとも認めていないって、私はいざって時の証文を残してもらっているのよ」
激怒顔で舌打ちしたアサヒの迫力に少しビビっていたら、冷静そうに見えていたユラの両手が拳になっていて、小刻みに震えていることに気がついた。
「アサヒ。私がどれだけ雅屋に恩があるか知っているわよね。あなたの遊楽女の足の裏を、一度も確認しなかった事を悔やんでいるわ」
「足の裏? 足の裏に何があるの?」
「誘拐されたお嬢様の右足の裏に特徴があるって話さなかったっけ」
「そんな話は聞いていないわ。それに私、あの子の足裏を見たことがない」
「そうね。私も店にいた時に、楽の足裏を見た記憶なんてないわ」
「ねぇ……この件。ウィオラ姉さんはもう知ってる?」
「多分。今朝、ネビーさんから捜査するって手紙をいただいたから」
ジミーが俺を手招きしたので隣に座ると、彼は小さな声でこう告げた。
この国には怒らせてはいけない人間が何種類かいる。
俺は即座にその意味を察した。
「一、権力者の弱点を握っていることが多い花魁。引退者も含む」
その花魁はすぐ目の前で、髪が逆立ちそうなくらい激怒している……。
「他は分かりますか?」
「考えます」
「権力者側にいると自分達は安全だと勘違いするんですよね。ジオ君の立場なら、工夫すれば結構大きな火をつけられます」
「大きな火……罪人達を燃やすということですよね?」
「ええ」
「それなら……それなら火の海にしたいです。小さな悪事も燃やして、小さな被害も救済出来るくらい」
「では、アサヒさんに点火したように、美しい火をつけましょう。甥が自ら励みたいと聞いているのでまずは助言だけ」
足抜け遊楽女という存在を消し去り、彼女が責められないように罪人ではなくす。
なおかつ、彼女を合法的にこの街から連れ出したことに出来る作戦を考えなさい。
今すぐ出来ることだから今。
バシンッと背中を叩かれたので背筋を伸ばし、アサヒが味方になるなら出来そうな案を言葉にした。
「ヒナさんことナナミさんはまだこの店にいて寝込んでいます。なので、自分が身請けします」
「ほぉ、身請けですか」
「あの夜に一目惚れして、水揚げなんて我慢出来なくて、夫婦になるならないは横に置いておいて、まずはこの街から助けなければと身請けします」
罪には罰だ。
この借金は俺の悪い欲、自己保身への罰。
「アサヒさんと本人と交渉して身請け。それに必要なのはナナミさんの所持権がアサヒさんにあることです。それから適切な金額を支払うこと」
俺が一生真面目に働いて得られる平均的な金額を算出して、それでどうかと頼んで分割払いする。
「なんでその方法にするんですか? 他に思いつかないからですか?」
「巻き添え死罪は御免被ると、ナナミさんを見捨てようとしたからです。自分の立場なら、話しくらい聞いても被害はないのに」
「贖罪ということですか」
「罪には罰です」
「却下。その理由だと彼女に喜ばれませんよ」
「いいえ。この方法だと怒らせてはならない者達を怒らせることが出来ます」
「どなたですか?」
火消しや漁師は、惚れた女の為に健気に励み、漢気を見せたということを好む。
好かれた俺が、身請けという方法で助けた彼女が実は被害者だったと告げたら、彼らは燃えるはず。
火消しも漁師も叔父夫婦が大好きなので、叔父夫婦の家族親戚のことも大好きだから、よく勝手に面倒事を起こす。それを逆手に取るのだ。
特に火消しは燃えるだろう。なにせ、俺は火消しを助ける役人になったから、彼らの半家族だし彼らは曲がった事が大嫌いである。
「うわぁ。役人としては面倒くさいことこの上ないです。そういうことも含めてなら悪くない案なので、君がそうしたいならしましょう」
さて、こうして俺は頼りになるジミーに助言をもらいながらアサヒと共に書類を偽造。
これは文書偽造罪だけど、店が足抜けを公表していないので偽造にならないので知らね。
ましてや詐欺師が詐欺に遭った場合、詐欺師は被害者になれないという法律があるので、この文書偽造は罪を免れる。
偽造だと指摘されても、偽造だと証明出来なければなおさら。
推測は正解で、足抜けしたナナミの借金はアサヒの借金にさせられているという。
アサヒはとっくの昔に借金返済をしているし、貯金があるからこの額を返せるそうだ。
証文の額は知識のあるジミーからすると違法。
なにせ、アサヒがコソッと取りに行った証明書によれば、ヒナは虐待児としてこの店に保護されたとなっている。
そうなると朧屋は国から助成金を受け取っている。
アサヒに提示された借金には、その助成金分が差っ引かれていない。
おまけに助成金を受け取っているということは、保護養育権は朧屋にあるのでアサヒにお金を請求してはならない。
その店の落ち度は後で利用するとして、借金をアサヒに貸したということは、ヒナの保護養育権は彼女に譲渡されたということになる。
最近渡された証文の前にも、毎年、ヒナに何かあったらその損害はアサヒが被るという書類が彼女の手に渡っている。
この国では無知な者はこうして搾取されるのだが、それが暗黙の了解で、後で駆け引きに利用しようとか色々ある。
アサヒは助成金や保護養育権について知らなかったので、全遊女が騙されている勢いだと、ますます腹を立てた。
ユラが自分は知っているから、教わっていると思い込んでいて、また思い込みで申し訳ないとアサヒに謝罪。
「つまり、大楽の保護養育権は私にあるってことよね。だから私があの子を売っても誰も咎められない」
「そうですね。アサヒさんと本人の合意があれば、末銅貨で売っても何のお咎めもありません」
なのでアサヒが俺に身請けしますという証文を作成して、そこに承認印があれば身請けは終了。
足抜けしたナナミの、俺と再会するまでの行動が不明なので身請けは俺とアサヒで行ったことにする。
知らせる前にナナミはお店から逃げたけど、その時には身請けは完了しているので罪人にはならない。
本人の意志を確認せずに身請けは良くないことだが、権利はアサヒにあるし、内容が「身請け後、生活支援をして、お見合いしていただく。交際や婚姻は強制しない」なら合法となる。
「身請け関係って衛生省の管轄で、自分はジオ君を可愛がっているので管轄を飛び越えて承認した。この内容だと推奨される売買です」
そういう訳でジミーが書類を作り、アサヒと俺がそれぞれ契約内容を記載して、印鑑や血判を押して文書偽造を成した。
アサヒがこれを突きつけたら楼主は怒るだろうが覆せない。
裁判になるけど裁判所や裁判官関係には俺の叔父、ロイ・ルーベルが影響を与えられるので、日付は違法だけど、証明出来ないそれ以外は合法な書類を楼主はどうにも出来ない。
「どうにも出来ないというか、出来なくさせるんですけどね。では、アサヒさんが合法的にこの店を乗っ取る支援は自分が担当するとして、火の海はジオ君がお願いします」
さて、こうして俺は先に帰宅して叔父に状況を説明。
「今頃、アサヒさんと楼主が大喧嘩してそうだから少し行ってくる。ダメ押しだ」
「お願い致します」
巻き込むけど恨まれると厄介なので、叔母担当の農林水省のお偉いさんを連れてくるように。
そう指示されて、俺の長い早朝が終わり、朝食後にナナミに現状報告。
彼女は我が家と関係のある家のお嬢様で、叔父は誘拐事件を知っていて、もう大丈夫だと伝えたら彼女は大泣き。
それを見て、俺はますます彼女を信じることにして、さらに激怒し、ナナミの誘拐に関与した人間や、髪の毛一本でも関わりのある悪人は一人残らず罰を与えてやると決意。
罪には罰だ。悪人が裁かれない世は善人が虐げられたり損をする世界である。
俺は自他共に生真面目人間なので、正義感や真面目な言動が身を結ばないことも多々ある事をこの身で知っている。
龍神王様はかつて始皇帝にこう告げた。
汝、どんな逆境にも腐らずに突き進み、道を切り拓け。さすれば人々は憧れて我も我もと続く。
その先にあるのは正直で優しい者が報われる、より良く明るい、鮮やかな世界である。
汝、希望を残せ。




