十二
ヒナから生い立ちを聞いた俺は、叔父家族が必ず通る廊下で正座して色々考えながら叔父を待った。
予想通り叔父は早起きで、廊下に座る俺を見て「どうした」と一言。
状況を伝えたら、なぜ彼女を信じるのかと冷めた表情で問われた。
「誘拐が本当ならば、調べればすぐに分かることです。幼い頃で記憶不足とはいえ、本名や家族のことは覚えています。嘘なら調査で破綻するような内容です」
「そうか。それは自分で調べるということだな?」
「いいえ、通報されたのですから、叔父上が、兵官達が調べます」
「生意気な事を言うじゃないか。その時間分、何かしたいということだな?」
「はい!」
一応聞くが、全部任せるか、自分も働くか問いかけられて即答。
「何をしても尻拭いするから、まず自由に動いてみなさい。実際に行動してみないと学べないから」
「はい! それならまず、今夜にでも朧へ行き、彼女が店にいるという言質を取ってきます」
足抜けは店の恥で、ナナミは水揚げ相手も決まっていたというので、逃げられましたとその客に伝えるのは非常にマズいはず。
繋がりのある者達を使って、極秘裏に捜索しているに違いない。
今も店にいる人間が、昨日外街で保護される訳がない。
ヒナとナナミは状況的に別人ということにする。店や関係者が手を出せないように。
「そうか、まずは試してみなさい」
「はい!」
自由にと言ったけど、助言はすると叔父は指示のようなことを告げた。
朧屋に行くのは今夜ではなく今からにすること。
今から雅屋に行き、この時間なら朝の仕込みを開始している職人ユラに頭を下げて、彼女の夫と朧屋へ行くこと。
シシド夫婦とは家族親戚ぐるみで親しくしていて、俺のことも昔から可愛がってくれている。
「理由を伝えたら、是非、力になりますと言ってくれるだろうから、言質取りに付き合って欲しいと頼みなさい」
「こんな早朝からですか?」
「ああ、朝からユラさんという大事な戦力が消えるけど許されるだろう」
行けば分かると言われて、文官に必要なのは知恵と紙と筆と印だと肩を叩かれて、叔父の印鑑を渡された。
「さぁ、行ってこい。ジンに、俺は厳しくしたいのに、過保護にするからと怒られた。ひよっこからの成長の第一歩だ」
「ありがとうございます!」
叔父がシシド夫婦に手紙を書くのを待って、その間に身支度して出発。
雅屋は我が家から近い老舗お菓子屋だからわりとすぐに着いた。
叔父に許されるからと言われたけど、勝手になんてしたことがないと緊張しつつ裏口から入って厨房を覗いた。
朝から職人達が仕込みを開始していてすこぶる格好良い。
俺は昔、職人になりたいと願ったけど、不器用で面白くないからやめた。
ぐんぐん伸びる勉強の方が、褒められて楽しかった。
だから何かを作れる人を尊敬しているし憧れている。
なので仕事の邪魔をするのは忍びないけど、挨拶をしたら顔見知り達に歓迎された。
元服したはずだけど、ちび助覗き魔の復活かと。
「覗きをしたことはありません。堂々と見学だけです。別件できましたが、皆さん、魔法みたいな手ですから、いつでも見たいです」
「そうかそうか。せっかく来たからできたてあんこを食べていくか? ジオ坊っちゃん。こんな早朝にどうした。それとも君にとっては深夜。朝帰りか?」
「あさ、朝帰りなんてしません!」
子供扱いしてからかってきた職人頭に、シシド夫婦に大至急の相談があると頭を下げる。
すると、挨拶後からは黙々と作業をしていたユラが「私達?」とこちらを向いた。
「はい。どうしても。一生に一度のお願いがあります」
「恋穴落ちですぐにお見合いしたいとかか? ユラちゃん、ジオ坊っちゃんに誰か紹介したのか?」
「良い年なのにちゃんはやめて下さい」
「まだまだ、まだまだひよっこだから嫌ならもっと腕を磨きな!」
「それなら、そのひよこに弟子を任せないで下さい」
「そりゃあ一本取られた! あはは。頼りにしてるぞ、一人前!」
呆れ顔のユラが、職人頭に見送られて俺と店内へ。そこからシシド夫婦の家である離れに移動して居間に通された。
「あの人にも用事なのよね? それも急ぎで」
「はい! 起こしてでも、その申し訳なさを飛び越えてでも、聞いて欲しい話があります」
「ジオ君のそんな頼み事は初めてですね。君ならきっと一人で暴走ではなくて、家族か親戚と何かあっての今でしょう。起こしてきます」
俺ならきっとというユラの台詞に、なぜだが胸が無性に熱くなった。
しばらくしたら制服姿のジミーが現れて、着物に着替えたユラも一緒に戻ってきて、お茶を出してくれた。
「おはようござます。早朝ですが、失礼を承知の上で、どうしても力を借りたくて参りました」
「おはようござます。お気になさらず。大至急らしいのでどうぞ」
言われた通り内容は不明と添えて叔父から二人への手紙を渡し、ここに来るまでに頭の中で練習した状況を説明。
すると、二人はこれからすぐに朧屋へ行く俺に同行して、手助けをしてくれると決断してくれた。
二人が少し支度があるというので居間で待ち、呼ばれたので家を出てヒナが閉じ込められた街へ向かおうとしたら、お屋敷前に馬が三頭。
馬に乗っている人物は全員、顔見知りの叔父の部下で、極秘捜査の協力者を送迎すると告げられた。
彼らは三人とも俺よりは年上で叔父よりは若い。
俺を一緒の馬に乗せてくれた兵官に、あとで何の極秘捜査か教えてもらえるけど、気になると探られたのでのらくら。
兵官達は叔父に言いつけられていて花街の中には入らず、俺とシシド夫婦の三人で朧屋へ。
客達が完全に帰る時間帯ではないので、遊女に見送られる泊まり客がちらほら。
朧屋へ着き、店先を掃除している店員に話しかけたら、予約客でもないのにいきなり朝露花魁に会いたいなんて世間知らずだとバカにされた。
そりゃあそうだけど、俺はまず彼女に会い、ナナミについてどう考えているのか探りを入れたい。
この門前払いをどうしようと考えていたら、これをまずどう突破する気ですか? とジミーに耳打ちされた。
「使ってええと許可を得ているので、強力身分証明書を使用します」
「強力? ああ、ガイさんやロイさんなら、普通の身分証明書と全部盛り身分証明書を用意してそうです」
「その通りです」
俺は普通の身分証明書である家族親戚についてほとんど記載していないものと、ナナミに見せた家族親戚についても載っている身分証明書の二つを有して使い分けている。
もっぱら前者しか使用していないが。
「道中考えていましたが、ちょっと話に関与したいので、ここは自分にお任せ下さい」
「お願いします」
ジミーはニコニコしながら店員に話しかけて、身分証明書を提示した。
「客ではないので予約はしていません。自分達はこういう者です」
「……朝露花魁に何の用でしょうか。楼主や内儀ではなく」
「その用は本人にお伝えします」
「……」
ジミーの身分証明書だけで、店員は態度を変えて「少々お待ち下さい」と店内へ。
すると、しばらくして朧屋の経営者、楼主だと名乗る叔父くらいの年齢の男性が登場して、ジミーに「衛生省のお偉いさんが、なんのご用でしょうか」とへこへこした。
忘れていたけどジミー・シシドは衛生省南地区本庁所属の官吏でそれなりに出世している人物だ。
遊楼では飲食物を提供するので、衛生省も監査などで関与している。
遊楼に衛生省のお偉いさんが来たことは、管轄外の兵官である叔父がここに来るよりも店に緊張が走りそう。
「朝露花魁さんに用事があり来訪しました」
「すみません。早朝から遊女本人より聞き取りは……疲れている上に、彼女は特に気難し屋でして……」
「では、拒否が返事で良いということですね」
「まさかまさか。拒否だなんて。お役人さんなら分かりますよね?」
「その手を引っ込めないと贈賄罪で通報しますよ。結構、後ろ盾が強いのでねじ込める自信がありますし、点数稼ぎは楽な小さなことからコツコツが主義なので」
ジミーがその手と口にしたので確認したら、楼主の手に金貨が握られていた。
低姿勢で困り笑いの楼主の目に棘が現れた気がする。
「これは一体何の監査なのでしょうか」
「自分は朝露花魁に、短時間だけ会いたいと申しています」
「……一応、声を掛けますが、仕事後で疲れきっていますので、どうか堪忍して下さい」
「本人からそう言われたら、次は突然ではなく予定訪問します。なのに袖の下は印象が悪いですよ。相手が卿家の場合はお気をつけ下さい」
楼主が曖昧な笑みを残して引っ込むと、ジミーは自分の妻に向かって肩を揺らした。
「言うてないのに、なんか監査と勘違いされましたが、朝露花魁さんは出てくると思いますか?」
ジミーは監査と勘違いされて困ったみたいな顔をしているけど、わざとなのは明らかだ。
「一言、今日でなくてもよろしくて? ってくらいは言いにきそう」
「自分もまぁ、そう考えています」
結果は二人の予想通りで、気怠そうな朝露花魁が登場。
夜明けの太陽を浴びる彼女の姿形は非常に美しく、艶かしくてつい目を背けた。目に毒とはこのことだ。
美貌に色気だけではなく、あらゆる教養を身につけて、更に突出した腕は三味線と碁。
朝露花魁は、この街の頂点かつそれを何年も維持しているから有名かつ人気者。
冷静に考えれば、彼女の後継ぎみたいなヒナが足抜けなんておかしいにも程がある。




