十一
アズサさん、と私を呼ぶ声がしたのでレイスだと振り返る。
しかしそこにレイスの姿はなくて悲しくなり、彼の名前を呼んで探すことにした。
ぐるりと一回転した時に、目の前に突然大きな、うんと大きな蜘蛛が登場。
ちょっとした家くらい大きくて、恐ろしくて悲鳴を上げたはずなのに、私の口から飛び出たのは別の単語だった。
『アトラ、ここにいたのね』
アトラとはシーナ物語に出てくる喋る蜘蛛のこと。
ヒナやアリアに教えてと言われて、シーナ物語について教えたからこんな夢を見ているのだろう。
気がつけば私は上の方からそこを眺めていた。
うんと色白で美しい黄金色の巻き髪の女性が、両手を握りしめて祈るような仕草で、困り笑いを浮かべている。
大きな蜘蛛には目がいくつもあり、その瞳は全て優しい、優しい、瑞々しい若草色で綺麗。
『お前は体が弱い。これ以上我らを求めるな』
『そんなの嫌よ。また皆で一緒に暮らしましょう?』
『永劫——……』
ハッと目を覚ましたら、見知らぬ天井を見上げていて、右手が熱くて確認したら、手を握られていた。
誰だろうと確認したら、昨日知り合いになったヒナで、彼女は私に大丈夫かと問いかけた。
「厠から戻ってきたら、うなされていたの。私にしてくれたからお礼」
一瞬、体がザワザワして、目の前にいるヒナの顔が目が沢山ある蜘蛛のように見えた。
寝ぼけているのだろう。
「……アトラ、ここにいたのね」
するっと言葉が出てきて、まだ寝ぼけていると笑ってしまった。
「すみません、シーナ物語の夢を見ました」
「うへぇ。私がその夢を見たら起きた瞬間に吐いているわ」
「そうならなくて良かったです」
昨日とは異なり、ヒナの表情は明るい。
えいっと勇気を出して友人の家に泊まりにきたら、友人候補と出会うなんて人と人の縁って不思議。
アリアはまだ寝ているので二人でそっと起きて、布団を畳み、着替えはアリアが起きてからにしようと廊下に出た。
寒いけど縁側から庭を眺めたら気分が良さそうなので。
レイスの祖母が、綿が沢山の褞袍を貸してくれているので二人とも大丈夫。
縁側に二人で並んで腰掛けて、朝日が眩しいと笑い合う。
すると、庭に虹色の何かがキラキラ光って、綺麗だからなんだろうと近寄ったら、昨日ラルスが掴んでいた蛇だった。
さらに鞠くらい大きな鉛色の蜂が寝ていて、その蜂に蛇達がくっついている。
珍しいことに目が三つあり、色は体と同じような灰色。
人でいう首らしきところに、ふわふわした黄色い毛が沢山生えていてかわゆい。
「世の中には変わった虫さんがいるのですね。かわゆい」
「か、かわゆい? これが? アズサさんって変わっているわよね」
「そうですか? 人と交流が少ない環境で育ったからでしょうか」
「触らないの! 噛んだり刺されたらどうするのよ」
蜂に手を伸ばしたらヒナに怒られて手を握りしめられた。
「噛まれたり刺されたら不用意に触れた私のせいで、どうもしません」
「毒があって死ぬかもしれないでしょう!」
「そうは見えませんけど……そうですね。かわゆくても触ってはいけませんね」
しばらく眺めていたら、蜂の三つ目がピカッと青くなり、こちらを向いて緑色に変化した。
「お帰りなさい! ここは聖域ではありません!」
突然、背後から女性の声がして、振り返ったらレイスの叔母ウィオラだった。
彼女が叫んだからか、蜂はブーンッと勢いよく空を登り始めて、蛇達は土の中へ。
「……おはようございます」
「おはようございます。アズサさん、ヒナさん。彼らに触れたりしていませんよね?」
駆け寄ってきたウィオラに確認されて、触っていないのでそう伝えたら、彼女は安堵したような表情を浮かべた。
「あの、聖域ではありませんとはなんでしょうか」
気になるので質問したらウィオラはすぐに答えてくれた。
「多分、先程の生き物は副神様です。龍神王様は自らの鱗達に告げています。人里に出るべからず。言いつけを破るので数々の逸話が残っているのでしょう」
副神様かもしれないと感じたら、大副神様ひいては龍神王様に仕える神職として振る舞うようにしているそうだ。
「福神様はあのような姿なのですか」
「副神様は何にでも化けて良くも悪くも人間界を引っ掻き回します。学べていないのなら今度教えますね」
「少しは学んでいますが、もっと学びたいのでよろしくお願いします」
「ええ、もちろん。二人して素足ではないですか。風邪をひいてしまいます。足袋を用意したはずなのに、そのように素足だなんて」
ヒナとほぼ同時に「つい」と口にしたら、ウィオラに少し咎められて、体を労りなさいと注意された。
家の中に入りましょうと促されたその時、頭に何かがコツンとぶつかり、足元に何かが落ちた。
見たことのない形の赤い木の実……。
「えっ?」
コツコツ、コツコツ、頭にそれがぶつかり、終わったので空を見上げたけど何もない。
あるのは立派な木の枝だけで、冬なので葉っぱはなく枯れている。
「副神様の落とし物でしょうか。遭遇したのは二人なので二人で拾って下さい」
ウィオラに小さな手拭いを差し出されたので、ヒナと二人で木の実を拾ってそこに乗せた。
全部で九つあり、一つだけは木の実ではなくて、べっこう色で丸い、内側に深いところに緑色が混じっている。傾けると白銀色にも見える。
「アズサさん。ヒナさん。副神様の落とし物ですから、大切にして下さい」
二人で半分こだと、ウィオラは別の小さな手拭いを出してヒナに渡した。
私の頭に降ってきたものなので、一つだけ違うべっこう色の玉は私のものに。
「……美味しそう」
拾ったものを食べたらお腹を壊すし、ましてやこれは未知のもの。
しかし、飴みたいで美味しそうで、食べないといけない気がして、気がついたら口に含んでいた。
「……えっ? アズサさん?」
何となく白銀の玉を噛み砕く。
蜂蜜みたいな甘い味が口いっぱいに広がったので、噛みながら溶けていくかけらを飲み込んだ。
「甘いです」
「ちょっ、ちょっと吐き出しなさい! なんで食べるのよ!」
「食べた方が良い気がしてつい」
「あなたは変わり者過ぎるわ!」
ヒナは怒ったけど、ウィオラは副神様が食べるように呪文をかけていったのかしら、食べてもしまったものは仕方がありませんと笑っている。
確かに、取り憑かれたように口にしてしまったから、ウィオラの言う通りなのかも。
「三人とも、そんなところで何をしているの?」
アリアも起きていたようで、縁側から彼女が叫んだ。
彼女のところへ行ったら、さぁ、さぁ、三人とも着替えて朝食ですよとウィオラに背中を押されて皆で支度。
居間へ顔を出して、アリアは手伝いに行き、私とヒナはレイスの祖父にどうぞと促されて着席。
最終的に、大家族が大集合していただきますのご挨拶。
ただ、昨日は居なかった若い男性がいて、副隊長は見当たらない。
ヒナは私の隣の席で、こんなに人がいたのという小さな呟きが聞こえた。
ごちそうさまでしたはそれぞれで、私は真ん中くらいで、ヒナはそれよりも少し早かった。
彼女は片付けの手伝いを申し出たけど断られて、私もだろうと思いつつ同じように申し出たら、やはり断られた。
「ええから、ええから。ゆっくりしてなさい」
落ち着かないなら孫と遊んでてと頼まれて、副隊長の末っ子ラルスがレイスの祖母の手で私達の間に。
ヒナは話があるのか、ウィオラに連れて行かれて、まだ挨拶を出来ていない若い男の子もついていった。
暗い顔というか雰囲気が怖かったのだが、もしかしたら具合が悪いのかもしれないので心配だけど、それなら家の人が気にかけるはず。
ミズキが妹弟子達と共に稽古の準備があると立ち去り、ラルス以外の子供達は祖母とアリア、それからレイスの叔父と叔母に連れて行かれた。
居間に残ったのはレイスの祖父と、副隊長の末っ子と私だけ。
「ラルス。握り飯を食べなさい」
「おなかへてないー」
ラルスは手に編み細工で出来た馬を持っていて、それをぱーと動かして遊んでいる。
「食べないと大きくならないぞ」
「あのね、じじはね。うまとりゃあ!」
ラルスは持っている馬を祖父のあぐらの足にぶつけた。
そこに私の担当薬師の一人になってくれたロカが往診にきてくれたので退席。
別室に案内されて、問診や診察をされたのだが、ロカは首を傾げた。
「石化病の兆候が消えています」
「……えっ?」
「先週は確かにあったのに」
落眠症状がしばらく出ていないところに、理由不明でも石化病の兆候が無いなんて朗報だとロカが笑う。
死病の兆候が消えるなんてあり得ないので油断大敵だし、他にも気になることがあるから喜べない。
「どうしました? 浮かない顔をして、何かありました? どこか具合が悪いとか、何か症状がありますか?」
「あの、アリアさんに頭にカビみたいな変なものがあるって指摘されました」
確認してもらったら、先週はなかったし、三日前に他の担当者が往診した記録も記載がなかったそうだ。
「私も指摘された記憶はないです。アリアさんがパナナケア……バアナケナ? が薬だと、昔、叔父君に教わったと言うていました」
「聞いたことのない名前で、この身体的特徴も知りません」
ロカはアリアを呼びにいき、彼女を連れて戻ってきた。
それで、私の頭のカビみたいなものと関連病気について覚えていないか質問。
「なんだっけ……なんだっけ……。あっ。怠くなる病気。怠け病って言われるのよ。確かそう」
それは黄泉招き病のことではないだろうか。
「風邪を引いた後にもなる病気と似ていて、休んでいれば治るって思っていたら、ある日バタッて死んじゃうの。怖いでしょう? 他の病気にも罹りやすくなるから……アズサさんが死んじゃうじゃない! 私はなんですぐに思い出さなかったのよ!」
他の病気に罹りやすくなるって、私はそのせいで新しい病気になったということなのだろうか。
「ロカさん薬!」
「そう言われましても、その病気は初耳なので……。アズサさんに、アリアさんはこの病気に効く薬草の名前を知っていると書きました」
「バーケルアよ! パルケラナ? なんだっけ」
形は覚えているわとアリアが紙に書いてくれたのは、変わった形の花だった。
「我ながら上手。確かね、この花の花びらや根っこよ」
「アリアさん、彼岸花の花と根は毒です」
「えっ?」
彼岸花に触ると黄泉へ連れて行かれるので触ってはいけないと習ったけど、実物は見たことがない。
「それなら記憶違いかしら……。この白い花びらと処理した根っこって……」
「白い? 彼岸花は赤い花です」
「これは白いわよ。誕生日に贈られて、しばらく飾って……薬にしてくれたから持っていたわ!!!」
叫ぶと同時に立ち上がったアリアは、すとんと座り込んで放心した様子になった。
「アリアさん?」
ロカの声掛けに、アリアは悲しそうな表情になり、ゆっくり彼女の方へ顔を動かした。
「無いわ。いつ手放したのか分からない。だって覚えていないんだもの……。彼岸花? というものに似ている白い花がこの国に無いなら、アズサさんは死んじゃうの?」
「しがない薬師の私が知らないだけでしょう。彼女の主治医は情報通なので大丈夫です」
「本当? それなら良かったわ」
兄やレイスは午後来るので、午前中の予定を変更して私はロカと共に薬師所へ。
その前にいつも心配してくれているミズキに朗報を教えたくて、彼女のところへ行き、妹弟子達に指導中だったので迷ったけど、来てくれたので話すことにした。
ちょっと病気の話と告げたらミズキは私を別室へ連れて行って、不安そうな顔で「どうしました?」と問いかけてくれた。
「なんと、なぜか石化病の兆候が消えてしまいました」
「えっ? それは良くなったということですか?」
「分かりません。隠れただけかもしれません。なにせ若い初期の石化病患者の記録が全然ありません」
油断しないし、これからも観察は続く。
それから別の病気か元々の黄泉招き病が別の疾患だった可能性が出てきたことも伝えた。
ありがたいことに、アリアが知っている病気で薬になる彼岸花に似た白い花が必要そうだという情報も手に入ったことも。
「……その薬なら、手元にあります」
「えっ?」
ミズキは首飾りを取り出して、外し、私に差し出した。
「例の恋人の置き土産です。あの人がした話の内容と同じなのであなたの体に効くかもしれません」
戸惑っていたらミズキは私の両手を取って首飾りを置いて握らせた。
「アズサさん。あの海であなたと出会った理由はこれなのかもしれません」
「中身だけ拝借致します」
「ええ。中身をロカさんに渡したら返して下さい。それで、こちらの首飾りはロカさん以外には絶対に見せないで下さい。私から薬を貰ったということも彼女以外には口外しないように」
約束ですよと指切りされて、なぜかと尋ねたら、恋人のことを話したく無いからと言われた。
心底辛そうなミズキに、少し考えれば分かることを尋ねた私はバカだ。なので、素直に謝った。
「いいえ。またしても嬉しいご縁です。君は私を救ってばかりですね」
「そんな……私こそいつもお世話になっています」
「朝のお稽古が終わったら約束通り、琴も三味線も教えますから待ってて下さいね」
「はい。その前にロカさんと薬師所へ行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
こうして、私はロカと薬師所へ行き、新たな病気について知っている人がいるか確認してもらったけど、知っている人は誰もいなかった。
記憶喪失のアリアはおそらく華国人で、薬師所の所長の知り合いに、華国人の留学生がいるので聞いてくれることに。
もちろん、中央の担当薬師や担当医にも質問するので、そこから何か分かるかもと。
ロカと二人になった時に、実は薬を手に入れたと伝えた。
ミズキは彼女には教えて良いと言ったので経緯を話したら、効くかもしれないし、手遅れになっても困るから、以前旅医者に渡された粉薬みたいに話すことにするので、家族や他の担当者に許可を得たらすぐに飲もうとなった。
☆
この三日後、私はミズキから譲られた薬を飲み、それから一週間後に頭からカビみたいな痣が消え去った。
やはり石化病の兆候も消滅したままで、最近の睡眠は他人と同程度。
石化病は誤診ではないので、なぜ兆候が消えたのか調査すると質問責めの会があり、大切なことだけど少し疲れた。
理由はサッパリだけど、私はもしかしたら長生き出来るかもしれない。




