八
完全に機嫌を直したラルスはアリアと庭で遊び始めた。
かつて弟達がそうだったように、蟻が気になるお年頃みたい。
ミズキに確認したら、ラルスは副隊長の三男だった。
「先程の曲はどのような舞台のものですか?」
「我が家に伝わる物語の海蛇王子と歌姫です」
「初めて耳にする題名です」
「そうでしょう。曲や舞台脚本まであるのに使われていません」
「なぜですか?」
「強い幸や不幸を招く不思議なものだからです。ムーシクス一族はかつて旅の一座でこの地に半分くらい残り、この物語関係で財を成しました」
ミズキの親戚であるウィオラは本家の人間で神職だ。
彼女の祖母は凖奉巫女だったという。
琴門は本家に近づく程、神事に携わることが多くなり、そうなると自然と奉巫女凖奉巫女も現れる。
ウィオラは久しぶりの奉巫女なので一族の誉れ。彼女がいるので総本家は盤石であり、ムーシクス家は地方名家としてまた格を上げた。
先代総当主は天才という言葉では表せない琴の名手で、妻は凖奉巫女だった。
現総当主は先代と比べると明らかに演奏能力は劣るけど、婿だった父親とは異なり一族総本家の血筋で、経営手腕や家守りは高評価。
おまけに次女が奉巫女になったのでその地位は盤石。
「そのウィオラさんの特別弟子のミズキさん。ミズキさんさかなり大きな家のお嬢様なんですね」
「そうですの。私は先代総当主の最後の直弟子で現総当主の直弟子です」
気になることが沢山あって、何から問いかけようと考えていたら、海蛇王子と歌姫を最初から最後まで知りたいかと問われた。
「もちろん、知りたいです」
「今夜、私は師匠と特別稽古を行います。基礎練習をみっちりさせられるので今のうちに息抜き。アリアさんのせいで集中力が消えてしまいました」
亡き師匠がしてくれた語り弾きにするとミズキは演奏と語りと歌を開始。
毎日海辺で歌うお姫様に恋をした海蛇は、海の大副神に頼みに頼んで人の形を手に入れて陸に上がった。兄弟海蛇二匹を連れて。
人になった海蛇は、お姫様の敵国の王様に拾われて王子になり、恋しい人と夫婦になるに二カ国の友好を結ばなければと奔走。
二カ国の争いだけではなくて海の国まで巻き込んだ争いに発展して、海蛇王子とお姫様は両想いなのに中々結ばれない。
「あなたの姿が違くとも瞳の星空はあなたの空。共に生きたいわ」
人から蛇に戻されてしまった海蛇を見たお姫様は、逃げるどころか受け入れた。
瞳の中に美しい星空があるとは……レイスの熱烈な手紙を思い出して恥ずかしくなる。
姿形が変わっても、今目の前にいるあなたの瞳の中にある星空は、大好きなあなたと同じ星空って素敵。
私は前世の想い人の子孫に恋をしたから似たようなもの。
私はレイスよりも先に亡くなったら急いで生まれ変わり、彼の瞳の中にある星空を目印にして再会したい。
彼は生まれ変わった私を見つけてくれるだろうか。見つけて欲しいな。
どんな関係でも良いので、良い意味での縁が結ばれていますように。
「ちょっと、さっきまで私に夢中だったのにその惚けた顔はなんですか」
「へっ?」
「どうせレイスさんのことを考えていたのでしょう」
「そ、そ、そんなこと……あります。つい。生まれ変わっても見つけたいし、見つけられたいなと……」
「のめり込めないとは私の腕はまだまだだということです」
「のめり込んだ結果、気持ちを重ねて……「ミズキちゃん〜。だっこ」
ミズキに頬を扇子でぺちぺち叩かれていたらラルスが来て、彼はミズキの膝に座った。
「はいはい。ラルスさんは甘えん坊さんですね」
「あのね。くれた」
どうぞと小さなおててを差し出されたので、かわゆいと手を伸ばす。
ラルスの小さな手からここらの土には見えない、白っぽい砂が落ちてきた。大きめのかけらもある。
「ありがとうございます」
「すえには——だって」
言葉がたどだとしくて全部は聞き取れず。
「すえとは何ですか?」
「しらない。もっとたべて。すききらいだめ。ミズキちゃん、ねむい……」
ミズキの膝の上に座っていたラルスは後ろに倒れるように眠ってしまった。
彼を抱えたミズキは、あらあらと笑いながら上手く向きを変えて抱っこして、ラルスと部屋に戻ってきていたアリアに差し出した。
「よろしくお願いします」
「ええ、任せて」
ここへウィオラが顔を出して、帰宅しましたと告げた後に私に挨拶をしてくれて、我が子をアリアから受け取り抱きしめた。
だらんと脱力しているラルスは重そう。その手にはまだ蛇が捕まっていてぷらぷらしている。
「あの、そちらはなんでしょうか」
ウィオラに問われたそちらとは両手で受け取った白っぽい砂のこと。
せっかくラルスに貰ったし、土ではなさそうなので何なのか知りたくてずっとこのまま。
「ラルス君からいただきました」
「おやつの落雁かしら。また砕いてしまったようです。蟻が来るのでたまに困っています」
食べ物を粗末にするのは良くないのでと、ウィオラはミズキに命じて、落雁疑惑の私の手のひらの上にあるものを紙で受け取らせた。
ミズキはそれを折りたたみ、ウィオラへ渡した。
「息子の気持ちを受け取って欲しいので、別の落雁で甘い飲み物を用意しますね。ミズキさんやアリアさんもどうですか?」
ミズキもアリアもお願いしますという返事。
「ミズキさん、アズサさんにお話しがありますのでお借りします。その間、アリアさんに稽古をつけなさい」
「はい、師匠」
「……えっ? あの。ウィオラさん。私はそろそろ炊事の手伝いが……」
「向いていないので後回しで、まずは仕事に就くために才能がありそうな芸事優先です。ミズキさん、弟子の自覚の無さは師匠の責任ですよ」
「師匠、精進致します」
「あの……私はまだ弟子候補でしたよね? だってまだお試しって」
「そうですよ。二人とも、仮入門稽古をしっかりしなさい」
ウィオラの視線は私には優しかったけど、ミズキとアリアには厳しめだった。
遊びに来て欲しいし泊まっても良いけど、自分の生活もあるのでところどころ他の者と交流するだろうという話は多分これ。
「ウィオラさん、稽古はするけどその前に。あの、多分というかあやふやなんですけど、アズサさんの頭の皮膚にある小さなカビみたいなものが気になって」
アリアに座るように促されたので素直に正座。ここ、と示されたのは後頭部の右側の一箇所。
「黒子のようだけど、色が変わっているでしょう?」
「まぁ、よく気がつきましたね。気になるとはなぜですか?」
「幼い頃の記憶はそこそこあって、叔父が言っていたんです。灰色に紫が混じったカビが皮膚に胡麻粒くらいでもあったら、パナケイアの薬草を煎じて飲ませないといけないって。見えづらい髪の中が多いから、日頃から観察しなさいと言っていました」
「アリアさんの叔父君は薬師さんなのですか」
「多分、夫婦でそうです。草木の本を見せてくれて、色々教えてくれました。バイケアナだったかな。なんで飲まないといけないのかも思い出せません。記憶が沢山失われているからじゃなくて、単に小さい頃のことだから」
「パナケイア……バナケアナ……。彼女の主治医達に伝えておきますね」
「なんの病気だっけ……。発見が遅くなるのは良くないというのは覚えてて……。アズサさんって病弱だったけど元気になってきたんでしょう? そこに新しい病気なんて大変だから、誰か分かる人に言って、パナだかバナなんとかを彼女に飲んで下さい」
アリアの指摘通り、私は今まさにそこそこ大変な状況だ。
ウィオラに行きましょうと告げられて離れを出ると、彼女に朗報ですねと笑いかけられた。
「いつも通りなら、友人の旅医者達が春頃に来訪するはずなので、診察してもらうと聞いていますか?」
「はい」
「その前に試してみるべき薬草が分かりました。私は知識がなくて存じ上げない名前なので、然るべき方々へ伝えておきますね」
「私も担当さん達に伝えます」
連れて行かれたのは今夜寝る部屋で、ミズキの妹弟子二人と再会。
今夜ミズキは特別稽古があるので、彼女がいない時に困ったらアリアとこの二人にまず相談するように説明された。
その後に別の部屋に招かれて、そこでウィオラは息子を畳の上に置き、頭の後ろに手拭いを入れて、近くにあった掛け物を乗せた。
他にも子供の物が色々あるのでここはラルスの部屋か、子供達全員の部屋なのだろう。
本題の前にと前置きされて、こういう話をされた。
私の病気について知っている人間は前に我が家で会った人達を除くとレイスの祖父母だけ。それは手紙に書いた通り。
ミズキだけでも役に立つし、彼女がいなければ必ず病気のことを知っている誰かいるようにする。
その辺りは私の両親とも話し合い済みなので、安心して自由にして良い。
「笑顔や楽しい時間は神様達を集めて、奇跡を起こすこともあります。音楽は神事へ通ずる。この家には芸者が数人いますので、沢山遊びに来て下さいませ」
「そのようにありがとうございます」
「では本題です。その前に良ければこちらをどうぞ」
ウィオラは懐から小さなかわゆい缶を出して、蓋を開けて、金平糖ですと私に差し出した。金平糖は一個だけ残っている。
「金平糖は厄除け菓子です。これからする話は甘い物を食べながら聞ける気楽な話です」
「ご厚意、ありがたくいただきます」
口に入れたら苦くて、声には出さなかったけど顔には出ていたようで、ウィオラに気がつかれて謝られた。
夫のお弁当に使う調味料の缶だったという。
「い、いえ。あの、副隊長さんも同じ間違いをしました」
「金平糖は……こちらでした」
今度の缶にはもう少し小さい金平糖がいくつも入っていて、お詫びだと多めにくれた。
「ではお話し致します。ご存知のように私は神職を務めさせていただいておりまして、神職には農林水省の役人が付きます」
「奉巫女様、いつもお世話になっています」
「いえ、むしろご迷惑をおかけする話を致します」
ミズキが私を連れて病院慰問をして、大豆姫みたいにふざけた結果、子供達は普段よりも楽しかったそうで、あちこちで話をした。
内容は主にミズキの歌や踊り、三味線が楽しかったなのだが、ちらほら大豆姫の話。
お姫様が来てくれたという噂に捻じ曲がり、ウィオラの耳に入ったので違うと訂正。
そこまでは問題無かった。
それまでは問題無かっただと、これから問題話が出てくるはずなので、そうすると気楽な話ではない気がする。
「私が大変気に入っている豆腐屋があるという話が広がり、漁家達が私に献上すると言い出しました」
「それは我が家に注文が入るということでしょうか。それは大変有り難い話です」
「ええ。この話は役人からお父上へいくでしょう。富豆腐屋さんの油揚げを使用したいなり寿司が来月の神事の献上品になりました」
献上品は本来、月毎の決まりごとにより役人が決めるのだが、たまにこういう事があるという。
あの病院に漁師の娘や息子が三名いて、あの翌日が豊漁だったから、大豆姫にあやかりたいらしい。
「お運び役はお店関係の方にお願いするしきたりです」
「それは誉れですので父はとても喜びます」
「お父上ではなく、大豆姫をご指名です。つまりアズサさんです」
「……あの、気楽な世間話と言うたではないですか。これはあまりにも大きな話です」
「指定衣装を着て歩くだけです。歩く練習をしましょうね」
明日、役人が父のところへ行くけど私は不在だから自分から直接話したとのこと。
「急に倒れないか心配です」
「周りが上手く動きますので何も心配ありません。重要なのは私達の定期祈祷ですのでご安心下さい」
「そう言われたら少し気が楽になりました」
長年ろくに動けない生活だったのに、立派な神社で献上品を運ぶ役を与えられる日が来るとは。
「オケアヌス神社は王都内でも強い聖域ですので、どんな理由があっても殺生をしないようにお願いします。あと、愛くるしくても、生き物を連れ出さないように」
「そうします」
「アズサさんは殺生はしなそうですが、生き物は連れ出しそうですので一応。野良猫が住み着いているのです。私に声を掛けてからなら良いですからね」
「猫……最近おもちが遊びに来ないので、おもちというのは私と遊んでくれていた野良猫で、だから野良猫がいたら飼いたいと連れて帰ったかもしれません。また一つ賢くなりました。ありがとうございます」
これで話は終わりで、楽しいだろうからと勧められてミズキとアリアの稽古の見学へ。
二人は仲良し喧嘩をしていた。




