泣
アリア以外には自分が女性であると嘘をついたまま、百花繚乱にしばらく身を寄せることになった。
一人でも良いと言ったけど、父が昔から我が家で働いてくれている夫婦を従者につけた。
兄が跡取りで、俺は自由な次男だ。俺という役者には代わりがいるのに。
そう言うと、父に「本当にどうしてそんなに折れてしまったんだ」と頭を撫でられ、息抜きしてきなさいと苦笑された。
失った自信は、成功とそれに対する納得でしか回復できない。
それは俺も分かっているけど、他者評価よりも自己評価で満たされたい俺は、アサヴやアリアに求められても、相変わらず浮上出来ていない。
余所者の俺が、完成された百花繚乱の公演に参加することはない。
楽器が異なるので演奏家として公演に彩りを添えることもない。
ただ、公演前の時間に、アリアの妹達と共に遊び公演はしている。
最初は「ついてきてくれた御礼」と単独時間を少し貰えたらから独演だったけど、アリアと共に幼い子達と遊んでいたらいつの間にかそうなっていた。
弾きたいというアリアにせがまれて、琴や三味線を教えるようになり、それは気がつけば他の子達にも広がった。
異国文学に興味津々の子供たちが俺にべったりになったので、一緒に洗濯などの雑用をしたり、自炊を手伝ったり、ぷらぷら散歩に出かけるようになった。
しっかり洗濯をするとか、山のような裁縫を手伝うとか、料理をするなんて初めての経験だ。
流されるままの日々で、自己研磨時間が減って不安なはずなのに、なぜか心地良い日々。
気がつけばあと数日で約束の南上地区公演である。南下地区での全公演が終わった夜に、アリアが俺を誘った。
「二人で打ち上げ? 打ち上げって、私は公演に参加していないので慰労会に参加はしませんよ」
「私を労いなさいってことよ! それに裏方も立派な仕事よ。皆との打ち上げには今度こそ参加させるし、私と二人でも打ち上げをするの」
「エリカさんがお姉様、お姉様って探していましたよ」
「構ってあげているのに貪欲よね。あなたが教えるからどんどん上手くなっているし」
明日の朝、九時におかげ広場のみぞれ屋前で待ち合わせ。
アリアはそう告げた後に「本当のあなたの姿でお願いね」と片目つむり——ウインク——をした。
「本当の?」
「うん。お別れ前に一回くらい嘘偽りないミズキと歩いてみたいなぁって。女同士じゃなくて」
「別に構わないですけど」
百花繚乱の誰かには見られないようにと宿を取って一泊。
翌朝、化粧はせずに一着しか持ってきていない男性用の着物と羽織を身につけて、一足しかない男性用の下駄を履き、長い髪は高いところで結んで、使うかもしれないからと三味線を背負って宿を出た。
従者二人と歩きながら、お別れ前って確かにそろそろ別れの時が来るとぼんやり。
正直、俺はもう舞台が恋しい。劣等感で恐ろしくなり、逃げ出したかったはずなのに、今はその恐怖ごと求めている。
俺は根っからの役者で、売れるにしても、売れないにしても、人気が出ようが出まいが、舞台の上から離れられないのかもしれないと感じている。
急死しない限り人生は長いのに、二十年もしない人生で絶望しかけていたとはバカらしい。
「ミズキ坊ちゃんはようやく吹っ切れたというか、一皮剥けた気がします」
「そうですか? それなら良いのですが。キジマさんから見ても、俺は酷い有様でした?」
特に何もしていないというか、子供達と遊んでいただけの毎日だったのに、何が俺のどこを刺激したのだろう。
「ええ、目が怖くて、悲しかったです」
「気が付かない者もいますが、お父上はとても心配していましたし、カラザ御隠居や総当主も」
遊霞ウィオラのヨウ姫はトドメだけど、特別何かがあった訳ではない。
そして逆に今の穏やかな雰囲気も、特別何かがあったから取り戻せた訳ではない。
「だから龍峰ってことですね。気がつけば大きな変化。どんどん自分の殻に閉じこもって空回りして、今は周りに殻から取り出された的な。自分の時間なんて全然ありませんでしたから」
「何もないなんて、あるではないですか。ミズキ坊ちゃんが女性とデートなんて初めてですよね」
「……デート?」
キジマ夫婦は微笑み合っている。
高飛車で我儘めで、わりと酒飲みでがさつでうるさくて、品性のひの字もない、ほぼ全裸状態の男の足にしがみつける女性とデートとは色気のいの字もないし、それはデートとは言わない。
そう話したら、キジマ夫婦は「そうですか」で終わり。
「デートなら帰宅して、お見合いをして、印象が良かった女性と……」
道行く者達がざわめいて、道を開けるように動いて、男性達の視線が一つに集まっているので俺も注目。
白地に赤い縁取りの日傘をさした、藤柄の白い着物姿の女性が、お供を連れてゆっくりとこちらへ近寄ってくる。
落ち葉色の髪を美しく結い、髪飾りは一つだけなので非常に上品に見える。
着物に負けないくらい白くて美しい肌が、太陽の光で、冬の晴れた日の雪を照らしているようにキラキラ光っている。
瑞々しい若葉のような輝く瞳が真っ直ぐ俺を見据えて、瑞々しい桃色の唇は柔らかく微笑んでいる。
「……」
煌国の庶民服に身を包んだアリアが、俺の前に立ち止まり、顔を覗き込んできた。
「どう? 可愛い? 前から着てみたかったの」
「……馬子にも衣装です」
「マゴにも? 褒められた気がしないわ。見惚れたんだから素直に可愛いって褒めなさいよ」
「上品に見えたのに、喋ったら台無しです」
一瞬でも見惚れた自分の頬を心の中でぶつ。
「上品に見えた?」
「ええ。刹那程」
「せつなって何?」
「一瞬よりもさらに短い時間です」
「なによそれ」
アリアは膨れっ面になった。
「それで、こんな朝早くからどこへ行きたいのですか?」
「海よ海。噂の大塩湖を見に行きましょう」
「仰せのままに、我儘プリンセス」
アリアが煌国の言葉が時々分からないように、俺も華国言葉がたまに分からないが、色々な者達と合流してあれこれ覚えた。
華国は女性は少し後ろを歩いて男性を立てる国ではなくて、男性が少し後ろを歩いて女性を見守る国。
あと、女性を立てて、うんと甘やかす国でもあるらしい。
これまでは女性同士として隣に並んでいたけど、今日は男装だから男性の動きを学ぼう、どうせなら華国風になるようにと歩き出したら、アリアに腕を組まれた。
「妻や婚約者でもないのですから、やめてください」
華国ではこれが普通か? と思いつつ、俺は俺の常識で体が動いて、口からもこういう台詞が飛び出した。
「はぐれたらどうするのよ」
「そりゃあ、それぞれ帰りましょう。お互い従者がいます。君に至っては、少し離れたところに護衛もいるではありませんか」
「もうすぐお別れだって言うのに、つれないわね」
「華国へ連れて帰る価値がないと気づいたのですか?」
「連れて帰りたいわよ。でもミズキはお坊ちゃんで、あの舞台が恋しくて恋しくて恋しいでしょう? 大好きなアサヴとも離れない。一日十回くらいアサヴさんは、アサヴさんならって言っているけど自覚ある?」
「……そんなに言っていますか?」
「言っているわよ。私達の公演も観ないし」
「だってつまらないから」
どこが、と言われたから素直な感想を伝えたらアリアの顔は曇っていった。
「でも稽古見学で前とは違うかなぁって気はしているから、アリアさんとエリカさんの公演をそれぞれもう一回ずつ観ようと思っています」
「そうなの?」
「ええ。南上地区へ行った時に一回ずつ」
「そういうことは早く言いなさいよ!」
「早く言ったってそんなに変わらないんですから、うるさい声を出さないで下さい」
俺は淑やかでおっとりとした癒し系の女性が好みなので、これが人生初のデートという扱いなのは嫌。
女性の友人なんてこれまでいなかったけれど、一門の同世代の女性達とは多少交流があるので、これもその延長線の関係だと現実逃避。
……デート?
「なぁ」
「何?」
「君は俺とデートしたかったんですか? そんな格好で、腕を組んで、俺に男の姿で来いだなんて言って」
なんだか変なので、違うかもと思いつつアリアに問いかけたら、彼女は真っ赤になって俯いて「自意識過剰。違うわよ」と呟いた。
「……」
俺の腕に添えられているアリアの手が少し震えている。それに彼女の目が気まずそうに彷徨う。
「そうですよね」
「あなたが恋のこの字も感じさせない演技だなんて言うから、ちょっと久しぶりに男と出掛けたらマシになると思ったのよ」
「そうですか」
若干涙目になって、ますます赤くなったアリアに動揺。それと同時に、急に意識してしまった。
舞台慣れしたせいなのか、俺の心臓は滅多に高鳴らないというのに、ドキドキと自分の鼓動を感じる。
抱きしめられても、膝枕されても、頭を撫でられても、足にしがみつかれてもこのような感情は沸かなかったのに。
アリアの反応が違うからだ。
「……輝き屋には煌国旧都公演の話があるって聞いたけど本当?」
「アサヴさんが年々売れて、輝き屋の知名度も上がっているので、そういう話もあります。普段は他の一座のものなのですが」
「属国はどう?」
「それももしかしたら。何。華国に会いに来てってことですか? 自分達はきっと、これきりだろうから」
アリアは違うと言いかけたのに、唇をきゅっと結んで、ゆっくりと開いて、「そうよ……」と蚊の鳴くような声を出した。
……どうした。どうしてこんなにいつもと態度が違う。俺が三流役者と言いまくったから、演技の練習か?
美女が素直でしおらしいと愛くるしいのでやはり緊張してくる。
これだけで緊張するとは、俺もまだまだだ、しっかりしろと背筋を伸ばす。
女だったと騙した仕返しに、最後にからかって笑おうってことだろう。
言うぞ。アリアなら言う。照れてて可愛いとか、そういうことを。
「……」
なぜ何も言わない。
うんと悲しそうな瞳で俯いて、今にも泣きそうな表情である。
「縁はどこまでも繋がっているので、同じように舞台の上に立ち続けていれば、離れてもいつか交わるでしょう。会うとか会わないとかではなくて」
「なにそれ」
「君が俺に会いたいなら、君から会いに来るべきですよ。舞台の上でシャーロットとして話しているではないですか。恋は求めるものですが、愛とは与えるものです」
「それはそうだけど……。あ、愛とか、愛とか違うから! 私はせっかく出来た友人とこれきりは寂しいってだけで……」
いつもの勢いは無いし、恥ずかしそうにもじもじしているので、これだとやはり愛くるしい。
これが演技なら、歌姫アリアは歌と顔だけの三銅貨役者から本物に進化だ。
エリカと共に演技指導をしてとうるさいので、自分なりに容赦なく稽古をつけた結果なら満足。
「愛しております、アリアさん。ですから俺は、あなた様の幸福の為にこの国の礎になろうと思うのです」
アリアが演じているシャーロットの台詞をもじって、自分としては迫真の演技でふざけたら、彼女は泣き出してしまった。
「ちょっ、なんで、なんで泣くんですか」
「なんでミズキはそんな風に私に興味ゼロなのよー!」
アリアが子どもみたいにうわーんと泣き出したので、大通りでこんなの困ると俺は彼女と近くのお店に入って個室で慰めることに。
「演技練習や遊びじゃなくて本気ですか?」
めそめそ泣くアリアの目を小さな手拭いで拭いながら問いかけたら、彼女は小さく首を縦に振った。
「いつ、なんで俺? そんな素振り、全然無かったと思うんですけど」
「……」
いきなり気のないことばかり言われてあまりにも素っ気ないから辛くなった、謝ってと怒られて、そんなのそっちの都合でしょうと言い返す。
「別にそれらしく振る舞えるけど、そんなの望んでないだろう?」
「……少し崩れた。アサヴみたいにお行儀が悪くなった」
パッと顔を明るくしてクスクス笑い出したアリアに、どうしたものかと髪を掻く。
「君の口調がうつったんです」
「それらしく振る舞えるなら、私を思いっきり甘やかしてエスコートしてくれる?」
エスコートは女性を立てつつ男らしく引っ張るような行動のことだったはず。
「有料です」
「えっ? 分かったわよ。払うわよ。いくらでデートごっこをしてくれるの?」
「ふざけて言ったのに、真面目に受け取らないで下さい!」
店に入ったからには何か頼まないといけないので、お品書きを確認して、アリアの頼みで腹は減っていないというのに朝から甘味。
自分を甘やかせと言ったのに、なぜかアリアは俺に「はい、ミズキ。あーん」とあんころ餅を食べさせるという。
なんでこんなことになった。