一
【応報ノ章】
応報。
善行には報酬を、悪行には罪に相応しい裁きを。
かつて、彼はこう言った。
『それは化物ではなく偉人だと思うよ』
かつて、彼女はこう決意した。
『私なら皆を繋げられる。手を取り合って共に生きましょう。きっと、鮮やかで美しい世界が待っているわ』
結果……
あらゆる者を救おうとした彼は紅蓮の炎に燃やされ炭となり、あらゆる者を守ろうとした彼女は青紫の炎に毒され燃やされ炭になった。
〈神が手を差し伸べないから、我らは自ら未来を切り開く。そう誓った通り、我らが神となろう〉
千年経ち、とある地域の人の中で、人々の前に姿を現さない彼らは、目には見えない敬うべき存在として、龍神王という名前をつけられた。
彼らは因果応報を信条にしているが、細胞を嗅ぎ分けて、大切な者達の関係者ではないと判断すれば容赦なく見捨てるし、それどころか時に敵意を向ける。
善行に報酬がなく、悪行をしても裁きがないことは、輪廻応報によるものということになるのだが、それもまた、彼らが憎んだ「理不尽で残酷な世界」である——……。
★
夏祭りで親と兄達とはぐれてしまい、声をかけてくれた優しい雰囲気の女性に手を繋がれて、家族を探していたはずなのに、気がついたら眠っていた。
そうして、私は女の地獄、花街へ売られた。
花街なんて知らなかった頃だ。
近所でも評判の美少女ナナミは、そうして朝露花魁の遊楽女ヒナへ。
借金のカタに売られたと聞かされたけど、違うので違うと告げたら、二度とそんなことを口にするな、喋ったら殺すと水責め。
この世は理不尽で残酷で不平等で悪意に満ちている。
姉妹のように育ったアイがボロ雑巾のように働かされて死んで、私はこの地獄から逃げることにした。
花街から足抜けは死罪。
逃亡しなくてもこのままでは私の心は死に、そのうち自ら命を断つことになる。
それなら自由を求めて逃げて、一縷の望みに賭けたい。
因果応報なんて説く神は大嘘つきだ。
この世界には、悪者ばかりがのさばっている。
都合が悪いからと、輪廻応報なんて言葉を作り出して、何も悪くない現世の者達への不幸の理由をはぐらかしている。
良いことをすれば幸福になり、悪いことをすれば不幸になるけど、過去世にもよるなんて教えには反吐が出る。
殺せ、殺せ、さあ殺せ。殺してみろ。殺せるものなら殺してみろ。
この世の全てを呪ってやる。
大嫌いな血の繋がらない妹に、欲しくて欲しくて仕方がないというような私の衣服を貸し、あらかじめ盗んでおいた下女の制服を着て、何食わぬ顔で店を出た。
しかし、変装したって大門は通り抜けられない。
治安を守るはずの兵官達が、私達地獄の住人を閉じ込めているからだ。
なので大門は使用しないで川を利用。
それも綺麗な川ではなくて、糞尿処理用、時に最下層の遊女の死体や水子が投げ入れられる川。
そこの皮の水を飲んだら即座に病気になるなんて言われているので、死にたくなった者が近寄ったりする場所。
なので、そこも兵官が見張っているから慎重に。
病気で死ぬ覚悟を持たなくて足抜けが出来るか!
人目を忍んで川に飛び込み、用意していた皮袋を使ってなるべく空気を持たせて、少しでも遠くまで泳いだ。
外街がどうなっているのか不明だが、とにかく遠くで浮上して、ひたすら遠くへ逃げて、後のことはそれから考える。
我慢出来るだけ我慢して息を止め、皮袋に溜めた空気も使い、自分としてはかなり遠くで川から上がった。
天候が悪そうな日を狙ったので、近くの草むらに隠れてジッとして、雨が降り出したので歩き出した。
土地勘がないので分からないが、川の流れに沿っていけば花街から離れられる。
しかし、河原を歩き続けていたら発見されて連れ戻しされそう。
そうなったら殺されるか、身売り開始だろう。
そういう訳で、花街の場所を推測して、川の下流にはならないところを歩くことに。
大雨に打たれていると、どんどん体や衣服の汚れが落ちていく。
愉快だ、愉快でならない。
歩いていたら「大丈夫ですか?」と兵官らしき中年男性二人組に話しかけられた。
花街内とは装備が違うけど似ているから兵官だろう。
「突然の大雨で困っています」
「家はどちらですか?」
「ゲホゲホッケホッ」
風邪をひいているフリをして会話拒否。
大丈夫ですかと心配されたので、そのまま具合が悪いふり。
薬師処へ連れて行かれて、女性に体を拭かれて、乾いた浴衣を着させてもらえた。
しかし、診察されて、熱はなさそうだし、呼吸の音もおかしくないと指摘されて冷や汗。
「……」
泣け、とにかく泣け。泣け私! と泣いて、会話拒否。
この雨だし、何か辛いことがあったのでしょうから、今夜一晩はゆっくり休んで下さいと優しくされたのでそうして、早朝、かなり早い時間にそそくさと逃亡。
お金は持っていないので、売れそうな簪を浴衣のお礼に置いてきた。
すっかり晴れていて、とりあえずここは花街から遠そうなので、これからどうするかを考える。
(お金は持ってきたものを売るとして……)
幼い頃の記憶を一生懸命思い出して、外街には花街と同じく質屋があるので、無事に逃げられたらまずお金を入手という計画。
質屋はどこですか? と、尋ねて回ったら不審者だろうから、ひたすら街を歩くことに。
歩きに歩いて、質屋を発見し、櫛を売ろうとしたら、店員ではない、もっと偉そうな人がたまたまいて、困り事ですか? と話しかけてきた。
毛羽立った着物なので身なりはそんなにだけど、店員との会話からすると彼はおそらく経営上層部の人間。
私の所属していたお店なら、自分の部屋を持たない格子や、新人を買うような層。
「困り事? なぜですか?」
「こんなに若い娘さんが、君の家なら家宝のような櫛を質に入れるなんて、余程困っているのかと」
嘘をつく程矛盾していき、嘘が綻びるので、小さく首を横に降るだけにした。
「頼まれ事を引き受けてくれたら、良い条件を出そう。どうだい?」
「内容によります」
「君は未成年に見えるから、ご家族も交えて話しをしましょう」
「家族はいません。これでももう十八です」
「……そうですか」
質流しまでの期間を二ヶ月延ばして、金利をほんの少し下げ、心付けくらいの値段を上乗せする。
代わりに、家を出た娘が元気そうか見てきて欲しいという。
彼の娘は病弱な男性の世話係として嫁いだそうだ。
「嫁いだと言っても、祝言はこれからです。嫁入り同然の結納をしまして」
忙しくて中々会いに行けないので、代わりに見てきて欲しい。往復の立ち乗り馬車代も払うので。
持っている櫛を質に入れた場合の、適正料金が不明だし、一般的な保管期間も知らない。
この交渉が得なのか、損なのか、分かりかねる。
「良いですよ」
立ち乗り馬車を名前しか知らないので乗ってみたい。
余計な話をせずにお金が手に入るので良しとする。
吉と出るか、凶と出るか不明だが、大凶なら私は死罪なので別に。
櫛を質に入れ、代わりに現金を受け取り、契約書類というものを作成してもらい、判子はないので母印を押した。
マリ・フユツキ、それが彼の娘の名前で、現在の住所を書いた用紙と立ち乗り馬車の往復代を渡された。
二週間以内に報告が無ければ、金利も保管期間も通常通りにするという。
お店の外に出て、グッと伸びて、これからどうするか思案。
(マリって人の確認は、とりあえず住むところと仕事を確保してからだよなぁ)
どこかの男とねんごろになって、家に上がり込み、子供を盾に結婚が一番楽そう。
身分証明書は捨ててきたから、普通に職探しは難航するだろう。
多分、だけど。私にある外街知識は誘拐される前までのもので、子供だったから知識は乏しい。
女たらしの代名詞とは火消しで、火消しは花街遊女を買わない。
彼らは自分達はモテるので、相手を追う側ではなくて追われる側、求められる側だと認識している。
火消しは天下の朝露花魁でさえ、あっさり袖振りするし、そっちからこいという態度である。
そういう訳で、火消しはこっちから行けば相手をしてくれるはず。
火消しの中でも少しモテなそうな人を探して粉をかけて家に上がり込む。
それが足抜け前に考えた計画の一つで、二年前に読んだ小説に出てきた方法。
(ダメ元でしてみるか)
幼い頃の記憶では、火消しと兵官は街をうろうろしているもの。
薬師処から質屋までの間も、質屋からなるべく離れておこうと歩いていた間も、何人か見かけたしまた発見。
バレるはずがないと強い心で兵官に声をかけて、防災関係で相談をしたいので組へ行きたい、どこでしたっけ? と質問。
「どこってあの櫓のところです。頭でも打ちました?」
「……打ちました。そうなんです。一昨日少し打って」
走ったら逃げたと思われて怪しまれそうなので、丁寧な会釈をして兵官に背中を向けてゆっくりと歩き出す。
危なかった。やはりなるべく喋らない作戦を敢行しないと。
近くの組へ到着したので、入っても大丈夫なのか中の様子を探っていたら背後から声がした。
「何か相談でしたら……」
「……」
「……」
振り返ると、そこには人生で初めて恋をした相手、一目惚れした男性が立っていた。
恋とか一目惚れと言っても、見た目や清潔感、真面目そうだったからという、小説内の人物にときめくような話。
彼は私が誰か分かるはずなので……通報されたら私は死罪。
逃げるしかない!!




