八
ミズキが男性だと知って泣き喚いた後、アサヴと喧嘩になり、ミズキにより彼は私から遠ざけられた。
アサヴがいなくなると、私は再びタタミに突っ伏して、頭を抱えて呻きながらゴロゴロ。
ミズキがイジュキ。ミズキがイジュキ。ミズキがイジュキ……と心の中で呟き、いやぁああああと再度叫ぶ。
イジュキと再会したら「もしかしてあの時のお嬢さんではないですか?」とか「あの時とは違って元気そうです」みたいに笑いかけてくれると信じてきた。
もしかしたら、幼少時のことまで思い出してくれて「遠くにいる君の為にずっと、魔法の音が届くように祈りながら弾いていた」と言ってくれるかも。
そんな夢まで見てきた。
現実は残酷で、ミズキ=イジュキの中に異国人の女の子の印象はまるでなく、おまけに「興味がない」や「派手でうるさくて、慎がなくて、色気のいの字もない」である。
私は世間から絶世の美女と称えられているのに、ミズキはその容姿に興味無し。
だからどうした。
私は妄想の中のイジュキに惚れてきたので、現実の……と、今のミズキに感じているのは友情と、胸の中で自らに告げた時に、彼が戻って来た。
「まだそのように……。アリアさん。アリアさん。そこまで衝撃的でした?」
顔を上げたら、開け放たれた横開きの扉の向こうにある月明かりに照らされたミズキが、気遣わしげな表情でしゃがんでいた。
「……」
「友人がいないって、君の血の繋がらない姉妹達は君の友人ですよ? ほら、あまり泣くと目が腫れて公演に支障が出ます」
手拭いを差し出されたけど、ぼんやりミズキを見つめていたら、とんとんと優しく頬の涙を拭いてくれた。
「ったく。こんなでも女性なのに、アサヴさんときたら男性相手みたいに掴みかかって。君が粗暴だからですよ」
子供ではなくてもう立派な成人なんですから起きて座りなさいと促されて、渋々従う。
言いたいことは山程あるけど、喉につかえて出てこない。
「こんなでもって……何よ……」
「別人みたいですね。ほらほら、あちらに座りなさい」
イジュキ話をしてみるか思案ながら移動して、促された通り、エンガワというところに腰掛けた。
そそそっとこの家の使用人が火鉢を運んでくれて、ミズキに女性もののキモノを差し出した。
「夜は冷えますから、かけておきますよ」
膝の上にキモノがかけられて、幼馴染の非礼のお詫びに、髪を梳かさせますと告げられた。
「……アサヴの代わりに謝るっていうなら、人にさせないで、あなた自身がしなさいよ」
「はいはい、我儘お嬢様」
初恋の人かもしれないから髪を梳かして欲しいなんて言える訳ないじゃない! と心の中で毒づく。
しかし、他にも言い方があるのに、私という女は……と小さなため息。
猛虎将軍が自己卑下は俺への侮辱だとか、経営陣や演出家達が私のことはこう売るみたいに育てたからと、人のせいにしてみるけれど、今の性格になった理由は自分で選んだ道だから。
目が離せなくて、ゆっくりと私の髪に触れて、真剣な眼差しのミズキに、顔がとても熱くなる。
さっきまで女性だったじゃない、女性だと信じて触れ合ってきたのに、イジュキかもしれないというだけでこんなに反応してしまうとは。
「改めて見ると凄いですね。こんなにうねって」
「天然の巻き髪で可愛いでしょう? 巻き具を使わなくて済むから幸運」
「えっ? 天然は仕方ないとしても、わざわざこんな変な髪にするのが華国のお洒落なんですか?」
「……」
嫌味ではなくて素直な感想だったようで、ミズキは罰が悪そうな表情で、異国人である個人の感想です、すみませんと謝罪。
「悪かったわね、変な髪で」
「君の顔なら坊主でも似合うでしょう。つまり、今の髪型もお似合いです」
「ミズキってお世辞が下手ね。さすが恋人がいたことがない男性」
返事がないし、彼の手が止まったので振り返ったら、悔しそうな顔をしていた。
「別に。俺はお家のために、当主会議で吟味されたお嬢様とお見合いするので、それまで恋人なんていたらいけません」
「欲しいんだ、恋人」
「要りません」
「ねぇ、初恋は? ミズキの初恋はアサヴって嘘でしょう? それとも体は男性で中身は女性。男性が好き?」
妄想の中のイジュキと違い過ぎるミズキは、性別が男だろうが、私の目にはまだ「女性のミズキ」として映る。
体の向きを変えて、彼の顔を覗き込もうとしたら、前を向かないと髪を梳かせないと指摘された。
「中身も男性です。アサヴさんの女性避けに使われているだけ。初恋……うーん……」
ミズキという女性は真面目。
だからミズキという男性も真面目みたい。
声がより低くなったけど、女性らしい話し方はしなくなったけど、そこまで大きく変わらない。
ミズキとミズキお嬢様は同一人物なのだなぁと夜空を見上げて月を見つめる。
「女性のフリをして女性の中に混じることが多いので、裏の顔というか、色々うわぁって思ったり、自分の行動範囲だとアサヴさんを気にかけている方が多いので……」
まだ真剣に考えてくれていると、唇の端が緩む。
黙って待っていると、ミズキはこんな話をした。
「初恋とは違うんですけど、昔々、まだ役者を目指す前、幼い頃に君達のような異国人達と会ったことがあります」
今は家業であちこちへ行くので、珍しくないけど、当時の自分はうんと狭い範囲で生きていたので、それが異国人との初めての出会いだった。
「私達のような? 異国から舞台関係者が来たの?」
「そういう意味ではなくて、単に自分にとって未知の存在達という意味です」
「それで?」
彼らは旅医者達と彼らが庇護した者達の数名で、その中に当時の自分と同じくらいの年頃の子供もいたという。
その中の一人、うねうねした変な髪の女の子が、真夏の太陽のような眩しい笑顔で、自分をうんと褒めてくれたという。
褒められたことがあまりに恥ずかしくて、頼まれた握手をしなかった。
「後から聞いたのですが、その子は親を亡くして笑うことを忘れてしまったと。それをこの輝き屋や自分の演奏が取り戻した。素晴らしいことだと思いませんか?」
チラッと振り返ったら、ミズキは目を細めて、とても愛おしそうな眼差しで夜空を見上げていた。
うねうねした変な髪の女の子で、異国人で、親はいないって……。
「……その子が初恋ってこと?」
「いえ。あの日から俺は舞台という怪物に恋をし続けているなぁと。永遠に片想いですね」
「そっ」
「自分の高揚の為ではなくて、誰かの笑顔を求めて舞台へ。最近まで忘れていましたが、あの子と君が同じ色の巻き髪なので思い出しました」
「ふーん。それならその子も華国人?」
「確か。瞳の色も君と似ていました。名前もどこへ行くのかも忘れてしまい……ああ、病院で働く予定だと。確かそうです」
「……」
こんなのもう、日傘の君だけではなくて、魔法の音の男の子もこのミズキじゃない。
私は思いっきり両手を握りしめた。
ようやく、ようやく辿り着いた。
私の心の支え、初恋の人は夢ではなくて実在していて、夢中で追いかけた結果、再会出来た。
「ミズキはその子にお礼を言いたい? 舞台に恋をさせてくれたお礼」
「この恋は呪いですので、今だと八つ当たりしそうですから、会いたくないです。実力で華国へ招かれるようになれば……うん。そうしたら探します」
あの時の旅医者達は親戚の知り合いなので、仲介してもらえばきっと再会出来るだろう。
長年忘れていたけど、思い出して、自分の原点なので。
またチラッと盗み見したら、ミズキはとても柔らかい、優しい微笑みを浮かべていた。
その子ならここに居るわよ、多分私と言いかけて唇を力強く結ぶ。
きっと彼はその女の子が私だとガッカリする。
私は友情を感じていたのに、彼は私に対して悪い評価ばかり積み上げていたみたいなので。
「ずーっと自尊心がすり減って、大事な原点も忘れていましたが、君とアサヴさんの取り合いで少し復活しました。ありがとうございます」
日常生活で虚勢張っているけど、舞台の上では丸裸で、内面の不安定さが露呈しているから、どんどん酷い演技になっている。
自分を見つめる為には、少し舞台から離れると良い。
父にそう言われたし、能力を買われて誘われたのが嬉しいので、百花繚乱に少し帯同したい。
ミズキは私にそう頼んだ。
「……ついてきてくれるの?」
「お願いしたいです。役に立てるとしたら、雑用や護衛、観光案内人くらいでしょうか」
「すぐ、すぐ上に話すわ!」
「もう夜遅いですから、せめて明日にして下さい」
引き止められたので再度エンガワに座り、ミズキが何も言わずに私の髪を梳かすのでそのまま。
「普通は婚約者や妻の髪をこうするんですけどね」
「じゃあ、な……「まぁ、俺は役者なので、普通ではありません。女性のフリをして女性として髪を梳かすくらい。本当、この髪は不憫です」
本気で言ったら恥ずかしいので、軽いノリで、ふざけた感じで、私の恋人になってみる? と口にしようとしたらこの台詞。
「不憫って何よ。華国では憧れの的なのよ」
「この国でも。君を真似した巻き髪が増えるでしょう。嫌だな」
「ミズキは真っ直ぐな髪が良いってこと。他には? 細い、太っている、背が低い、背が高い、世の中には色々いるわ」
「数多の男性と似たような感性を持っているので、一般的に可愛らしいと言われる女性は大体、好みです」
「ふーん。私は一般的に絶世の美女よ」
「そうですね。喋ったらガッカリ美人。君くらいですよ。あのアサヴさんとあのように喋る女性は。彼は女性の恋する瞳が苦手なんです。紳士を演じる偽物しか見ない腐れ目女性って」
そうなのと相槌を打ったら、ミズキはアサヴ話を続けた。それも、とても嬉しそうに。
いつもは私が話してばかりだったけど、こうして自分が引っ込めば良く喋る。
「ねぇ、ミズキ。琴を弾いて」
「なんですか、急に」
「ほら、凄く綺麗な月夜でょう? 私、歌いたい」
「はいはい、我儘お嬢様」
面倒くさそうな台詞なのに顔は嬉しそう。演奏しては彼の自尊心をくすぐるのかもしれない。
ミズキが動く前に使用人が、自分がというように動いて琴を運んできた。
その間に、ミズキは月夜にちなんだ華国の物語は何かと問いかけた。
語っているうちに琴が到着して、私が口ずさんだ歌にはこういう伴奏みたいに試し弾き。
「しっくりくるし、綺麗な旋律。ミズキは作曲もするの?」
「もちろん。最高の演奏家を目指していますから」
この音は私に魔法をかけたあの時と同じ音。
イジュキが演奏して私が歌う。
こんなにあっさり、長年の夢が叶った。
「……。泣くって、これは悲しい物語なんですか?」
「ううん。幸福談よ」
人は欲張りなので、一つ願いが叶うと次を願う。
妄想に恋をしてきたので、私は再会のその先を何も考えたことはなかったけど、きっと、これからは違う。
ミズキがしばらく百花繚乱についてくるということは、私はこの憧れの魔法の音を何度も聴けるということ。
そうするとどうなるのか、少しは予想可能。
私は妄想に恋をして失恋し、これから本物に恋をしてまた失恋するのだ。
そういう、予感がした……。




