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煌国王都、東地区。
華国の歌劇団百花繚乱は、人気公演「青薔薇の冠姫と伯爵」を引っ提げて煌国王都で凱旋公演中。
属国華国から来たのは歌劇団だけではなく、多くの商人や商品もやってきたので、煌国王都はお祭り騒ぎ。
煌国皇族が管理するロストテクノロジーの一つ、飛行船を使用してやってきたこの一団は、まず皇居のある中央区を来訪。
そこから東西南北の神域で奉納を行うという名目で、一団は霊峰ユルルングル山脈の麓である北地区から東地区へ移動。
東地区の上地区で公演中の百花繚乱の歌姫アリアは、自国にはない陽舞妓の観劇へ来た。
輝き屋が現在行っている「万年桜」は連日満員御礼。
煌国王都へ行ったら有名同業者達の公演を観たいと経営陣に頼み、公演券を一定数交換という条件で、各一座と交渉が成立した結果の観劇だ。
アリアは気位の高い歌姫様。
現在、我儘を通して公演前の練習を見学中。
「この間の劇場よりも立派だわ。天井に絵がびっしり」
「あちらの天井絵に目もくれないような公演をし続けるというのが、輝き屋一門の意気込みでござます」
「それは良い心掛けね。舞台は装飾や彩りなのにそれに負けるようじゃ話にならないもの」
輝き屋の経営者カラザは自信に満ち溢れた異国の歌姫の馴れ馴れしい言葉遣いに少し苛立ったものの、舞台に立つ者の中でもその中央に立つ者はこうでなければ、と好印象も抱いた。
華国から来た商品も露店も、百花繚乱の公演も煌国王都の至るところで話題沸騰中。
百花繚乱の二枚看板歌姫の一人アリアの新聞記事や瓦版は連日煌国民を楽しませ、浮絵も増産され続けて飛ぶように売れている。
歌姫アリアとエリカが観劇して褒めた一座の名声もうなぎ上り。
自信のない一座は交換観劇の申し出を辞退したのだがカラザは逆だ。
「輝き屋とはその名前の通り輝く店です。あの天井絵を忘れる程の素晴らしい役者達や演奏者達があなたの時間や心を輝かせます」
「あら、舞台装置係、衣装係など大切な裏方達をお忘れよ」
「その通りです。これは一本取られました」
カラザはアリアに屈託のない笑顔を向けられて、彼女の印象をますます良くした。
高慢ちきな無礼な女性、だけではなさそうだと。
病院や孤児院の慰問を積極的に行う天使でもある、という噂は本当なのか、歌姫の名を更に轟かせる戦略なのか、それはまだ分からないと一人ごちる。
「自慢の役者さん達は……本番前に邪魔するものではないわ。このまま観客席から観させていただきます」
アリアのこの発言にカラザは心の中で微笑んだ。
上から目線で横柄なようで、舞台に立つ者としての常識はあると分かり、更に好感を抱いたので。
煌国では見かけない木葉色の巻き髪は艶やかで、新緑色の瞳には吸い込まれそうな魅力がある。長いまつ毛に大きな瞳。くっきりとした二重まぶたに形の良い唇。
歌姫アリアの高評価は美声だけではなくて、この容姿端麗さも含まれていることは知っているけれど、動き方や所作を見る限り「役者」としてはイマイチかもしれないと値踏みする。
カラザはまだアリアが主役の歌劇を観られていない。
見てくれや歌だけではそのうち飽きられる。
まだまだ卵や原石そうな歌姫が、自分達一門が築き上げている舞台や孫に感化されて、怪物になったら誉なので、今日の昼公演で彼女の魂を震わせたいと意気込む。
アリアはカラザにそのように観察されているとはつゆ知らず。
世話人達と共に輝き屋内を見学し、稽古を眺めて首を傾げた。
「本番前なのに随分と簡単なんですね。それに主役らしき方が見当たりません」
「公演初日ではありませんので、微調整や再確認のみです」
異国人にあれこれ値踏みや観察されていても、アリアは特に気に留めなかった。
すっかり有名人の彼女にとっては、それはもう日常である。
虫の居所が悪いと腹を立てるが、今は目の前の景色に既視感があることに意識が向いている。
(私はここに来たことがある気がする……)
天井画から「そうです」という声がした錯覚さえする既視感がある。
「ねぇ、カラザさん」
「なんでしょうか」
「私と同い年くらいでイジュキという青年はいるかしら。煌国楽器、琴がとても上手な人。昔、煌国へ来たことがあるんです」
数日前まで参加した儀式に数年前にも参加して、その時にとても印象的な演者がいたとアリアが伝えると、カラザは首を横に振った。
ミズキがいると確信していたアリアは驚愕。
自分が「ミズキ」と言えずに「イズキ」と発音したことにも、それがカラザには「イジュキ」と聞こえたことにも気がつかず。
「イジュキという者は居ませんが、毎年参加している者ならいるので、聞いてみましょうか」
今年は突き指で参加しなかったその彼は、演奏者でもあるが役者でもある。
今日の舞台には上がらないが観劇には来るので、話はその時に。
カラザはアリアにそう説明した。
「孫の親友でイジュキと言うんですが——……」
「イジュキはさっき居ないって言ったじゃない!!!」
歌姫アリアの絶叫にカラザは驚きでのけ反った。
「いえ、あのミジュキと……」
「ミジュキ?」
「ミズキです」
「ああ、すみません。育ちが田舎で、自分の耳は時々変わってて。どんな人? やっぱり琴が上手いんですか?」
見覚えのある場所で聞き覚えのある名前。
アリアの期待が膨らむのは当然である。
カラザは孫やミズキから頼まれているので、ミズキの性別を偽って嘘情報を告げた。
「ミズキは孫の婚約者です。提携している琴門のお嬢様で、役者としても演奏者としても私達の期待の星です」
「なんだ。女の子なの。イジュキは男の子なのよ。もう子供じゃないはずだけど」
ミズキは実際には男性なので、興味を抱いたカラザはアリアに、その「イジュキ」はどういう印象的な演奏をしたのかと質問。
「イジュキは魔法の音を作れるのよ。天使が舞って、この世の冬が春になる。知っていますか?」
彼の師匠によれば、素晴らしい音というものは、消えて聴こえなくなっても残っていて、副神様がどこまでも届けてくれる。
アリアは目を細めて、とても眩しそうな表情で微笑みながらそう口にした。
「だからイジュキが演奏し続ける限り私は幸せで、私が幸せだから数多の人が幸せなのよ。イジュキはこの世で最も尊いわ。うんと優しくて、格好良くて、完璧な人」
彼が格好良すぎてあらゆる男性がジャガイモに見える。
アリアは嬉々としてそういう話をした。
煌国へ行けるとなってからというものの、彼女は長年秘めていた想いをたびたび爆発させている。
カラザは「彼の師匠の話」が、亡くなった恩人が自分の知るミズキにした話と似ていたので、アリアに聞き取りを続行。
そうして、歌姫アリアはかつて旅医者達に連れられて、煌国へ来て観劇をしたという話を知り、その旅医者達の一人の名前が知人だと知った。
そうして、孫の親友、そしてこの一座の未来を担う若役者ミズキがアリアの探すイジュキでは? と推測し始める。
「アリアさんはそのイジュキさんと再会したらどうするつもりですか?」
「どうする? 決まっているじゃない。お礼を言って、二人で拍手喝采と素敵な笑顔をうんと作るの。素晴らしいでしょう?」
カラザは少々思案して、とりあえず何も教えずにミズキと会わせてみるかと決めた。
別室に案内されたアリアは輝き屋の常連や出資者関係と対面して、彼女なりの愛想を振り撒き、それが終わるとカラザに案内されて、歌姫エリカと付き人と観客席へ。
「あちらの空いている四席をどうぞ。向こう隣が孫の婚約者のミズキですので、ぜひ仲良くして下さい」
カラザはたまたま空席になった関係者用の席をアリア達に譲った。
その並び、中央ど真ん中に先に座っているのが歌姫アリアが長年追いかけてきたミズキ・ムーシクス。
彼は諸々の事情があり、女装して生活して、必要がなければ「実は男性」とは口にしない。
絶対的秘密でも、体が男性だが心は女性という訳でもないので、あっさり教えることもあるけれど。
こうして、アリアは彼が初恋の皇子様だと知らずにミズキと再会。
様々なことがあった結果、高飛車気味な性格になった彼女の第一声はこうである。
「こんばんは。ねぇ、あなた。この列に席があるってことは、この一座の役者さんでしょう? この冊子の文字は読めないから読んでちょうだい」
アリアはミズキに向かって、無造作に冊子を差し出した。
最初の印象が悪い方が、些細なことで感心されたり評価される。
それが彼女の処世術の一つなので、アリアは初対面の女性ミズキにそのような言動をとった。
この処世術は養成所卒業後から演出家達の指導により始まり、もう無意識である。
「華国の方ですか?」
「アリアよ。光栄に思いなさい」
今、この国で話題も話題の自分が話しかけたら喜ぶと考えたのに睨まれたアリアは怯んだ。
「でくの棒みたいなふしだらな足が邪魔ですので、お行儀良く揃えて私を通して下さいませ。偽物歌姫さん」
ミズキは眉間にしわを作ったまま、つん、と顔を背けた。
「なっ!! でくがなんだか分からないけれど、侮辱されたのは分かったわ! 私は偽物じゃないわよ!」
「本物の歌姫がこのように横柄だったり、はしたないはずがありません」
今日まで、アリアは煌国でチヤホヤされ続けてきたので、このような態度をされるなんて予想外。
彼女がはしたないってどこがと尋ねようとしたその時、ミズキの隣に座る男性が中腰になって、息子をたしなめて謝罪した。
「ミズキ、なぜ喧嘩を売っているんだ。すみません、アリアさん」
「お父様、なぜ隣にこの無礼な女性が?」
ミズキは相変わらず不機嫌顔のまま。
アリアはそりゃあ自分は偉そうだったけど、そこまで怒らなくても、でも謝ろうと考えた。
「やめなさいと言っているだろう。息子さん達が熱を出してネビーさんが来られなくなった。良席を空席にするのはもったいないので、ご隠居が良席を望んだアリアさんへ贈った」
「そうでございますか」
アリアはミズキに謝ろうと考えたものの、彼の目がゴミを見るような眼差しだったので憤慨。
ミズキの眼差しは、アリアが嫌ってきた目と同類だった。
あそこの孤児のくせに、お前は孤児のくせして生意気だ、養ってもらっているのだから黙って働け。
そんなことも知らないのにこの高貴な養成所に入所したなんて信じられない。
様々な嫌がらせや罵声、陰口が蘇り、アリアの口調は自然と強くなった。
「偽物だと言ったあなたこそ無礼者よ。謝罪して」
この世には、なんとなくいけ好かない者が存在する。
アリアにとって、目の前の女性はまさにそれ。
憧れのイジュキ——ミズキ疑惑——と同じ名前の女の子なのに、とにかく気に食わない。
「すみません、アリアさん。ミズキ、謝りなさい」
「いけ好かないので嫌でございます」
ミズキもまた、アリアを生理的に嫌悪した。
「なっ!! さっきから何なのよ!」
「無礼には無礼を返す。それだけでございます」
二人はその日、喧嘩を繰り返した。




