三
もしも彼があの魔法の音を奏でるイジュキなら、とても素敵で優しい男の子のまま成長したということになる。
そのような偶然はないかもしれないが、あったら嬉しい。
まばたきするたびに、先程の男の子の優しい笑顔が蘇る。
少し休んで回復した私は、ほどなくして出番を迎えて、大緊張で舞も歌も失敗。
失敗してから、このようなあまりにも凄まじい人数の前で何かをしたことがなかったということに思い至った。
しかし、自席近くの役人には、期待通りの見事な失敗だったと褒められた。
だから怯えなくて良い。私の役目はあまりよくない奉納をすることで、神々の敷居を下げて、後半の本物達を更に輝かせること。
本当の失敗や、高い次元での実力不足でないと意味がない。
まるで初めて舞台にあがったような一生懸命励む者を、神々は頑張れ、頑張れと応援しに集まってくる。それも理由らしい。
高貴な家の者達は、ある意味晒し者であるこの役を嫌がるので、大体、こうして庶民が登用されるという。
「大神宮での事前稽古で見出されたり、ごく稀に素晴らしい力を発揮して神職になる人もいますが、十年に一人いるかいないかです」
失敗は裏切りとは違うだろうし、私は一度だってサボらなかったから、大叱責や罰はないと思いつつも怯えていたので、ドルガ様もお褒めになるでしょうという台詞に安堵。
今は顔色が良いけど、また悪くなるかもしれないので、宿で休んで良いと配慮された。
「あの。優しくしてくれた人を探してお礼をしたいんですけど良いですか?」
「優しくしてくれた人?」
この役人は付き添ってくれた人ではないので事情を説明。
白いキモノに赤い紐は祭礼衣装だろうから、私がぷらぷら歩いて再会出来るような人ではないだろうと教えられた。
ここから順番に演者を鑑賞していれば、その男の子も現れるだろうから、心の中で感謝すると良い。
今日は豊漁を祈る日なので、そういう気持ちが風に乗っていくことはとても大切だそうだ。
このような大掛かりな儀式なんて初めてなので、緊張から解き放たれた私は大いに楽しんだ。
楽しみながら、あのイジュキを探す。
そして、ついに彼を見つけた。
お日様が頭の真上にくる時間だからか、舞台へ向かって歩いていく彼の姿はとても明るい。
他の男の子や女の子の顔は少し強張っているけど、彼は穏やかに笑っている。
歩くたびに、彼の一つ結びの髪がサラサラと揺れて目が離せない。
「あっ、あの! あそこに助けてくれた人がいます!」
役人に話しかけたら、今から演奏するのは、海の神様に仕える神職の血族達だそうだ。
うわぁ……イジュキは一番前……。
九人舞台に上がって、イジュキ一人だけが前の方に座った。
役人に教わったこの国の楽器、琴の後ろに座ったイジュキが一番最初に弾き始める。
これって……。
「へぇ。秋なのにマンネンザクラとは」
「決して枯れない永遠の象徴だから、ある意味今日の儀式に相応しい曲だ」
役人達の会話で確信。
これは私がかつてこの国で聴いた曲だ。
そして、この魔法の音もそう。
他の誰とも異なり、彼の指が動くたびに、糸から光が放たれるこの感覚はあの魔法の音。
この特別中の特別な音を出せる人は、私がこれまで出会った、立派な所で働くような演奏者達の中にはいなかった。
今日、これまでの演奏者達の中にもいない。
幼い時の記憶だし、笑うことを忘れた時だったから、特別に感じたのだろう、幼いイジュキが彼ら以上だったはずがない、そう考えるようになっていたけど、魔法の音はこうして確かに存在していた。
自然と涙が溢れてくる……。
彼らの演奏が一度終わり、拍手をしていたら、舞台の上に六人の若い女性が登った。
次の演奏が始まり、六人が踊り出す。
「若いのに見事だな。難曲をこうもあっさりというか、弾かされていない。まるで熟年演奏者のようだ」
「熟年並みの技術だけど、若いから実に瑞々しい演奏だな。舞姫や他の演奏者の失敗にまで合わせてる」
役人達はこれまでわりと無言だったのにイジュキに対しては感想を口にしたから凄い。
会話した役人達とは別の人が、静かにと注意した。
もうすっかり秋なのに、まるで花畑にいるみたいな暖かな空気に、明るくて可愛らしい舞姫達はどう考えてもイジュキが作っている。
私の目から、とめどなく涙が溢れた。
彼のこの魔法の音をもう一度聴けただけで、これまでの苦労は全て忘却のかなた。
私はまた数年、いや、死ぬまで彼の二度の演奏にずっと心を支えてもらうに違いない。
あの優しさに溢れた手紙や、今日の日傘もあるし。
あっという間に幸せな時間は終了。
イジュキ達が舞台から去っていく。
いつの間にか風が冷たくなり、雲が増えていて、役人達が「素晴らしい演奏だったのに、神々はお気に召さないようだ」と語る。
それなら神様は見る目も聴く耳もないと、心の中で腹が立った。
意を決して役人に、助けてくれた男の子が今出演したから、追いかければお礼を言えるので、そうしたいと頼んだ。
しかし、この次からは神職達が奉納をするから動いてはならないと却下されてしまった。
「全てが終わって動けるようになったら、確認してあげます」
「本当ですか? ありがとうございます!」
しかし、私のこの願いは叶わなかった。
我らが猛虎将軍ドルガが急に帰国すると告げたので。
その理由は私のような下々の者には知らされず、あれよあれよと飛行船の中。
二度と行けない国でお土産を買えるように、前金を少々貰っていたのに何も購入出来ず。
帰国して、皆に何も買えなかったと謝ったけど、私が見て聴いた全てのことがお土産のようで喜ばれた。
数日後、役人が来て、歌がかなり上手いので神職候補だったけど、適性無しと判断されたと告げられた。
「そうですか」
「戦場の天使の噂は広がっているので、これからも引き続き慰問を続ければ、対価を支払うと、ドルガ様がおおせです」
「そのお役目、慎んでお受けします」
そうして再び同じような生活を送りながら、私は時々妄想した。
このまま歌って、歌って、歌っていたら、天使の歌や戦場の天使の話を遠い異国で暮らすイジュキも耳にするかもしれない。
なにせ彼は神職の血族で、煌国の神職は時々属国にも来訪するそうなので。
血縁者の従者としてついて華国まで来た彼は、必ずこの都を訪れる。
王様達に挨拶をしない訳がないから、大通りを列になって歩くだろう。
そういう日があれば、一番前の席を取って見学する。
イジュキを発見したら日傘を見せて、手紙を渡して、二度も助けてくれたお礼を言う。
「君があの噂の戦場の天使ですか。一度会ってみたくて、神職様にお願いしました。華国でもしかしたら会えるかもしれないと」
と、一人言を芝居みたいに階段下の自室で喋ったら、夕食よと声を掛けにきたユーリに見られて羞恥の極み。
布団に潜って、夕食は要らないと宣言。
「育ち盛りなんですから食べなさい。今度はなんのお芝居をしていたの?」
「別に。前に読んだ本よ」
「よく通る声だから本当にお芝居をしても良いのかもしれないわね」
もう少し大きくなったら、劇団の募集に応募したらどうかと提案された。
「可愛くて歌の上手いあなたが優しく介抱してくれて感謝している兵隊さんは大勢いるでしょう。有名人ならもっと感激されそう」
「有名人なら……確かに。珍しい人に会えたらそれだけで感激するわ」
「私も自慢しようかしら。あの歌姫は私の孫なのよーって」
「……して欲しい。私、ユーリに自慢されたい!」
すると、彼女は私にこういう話をした。
実はこの都でかなり有名な国立歌劇団から誘いが来たと。
歌劇団の偉い人が慰問先で私を見かけたそうだ。
「百花繚乱ってあの?」
「そう。あの」
「まさか」
政府が用意している慰問歌手が有名人になり、今の仕事を継続すると、その名声は国に還る。
そういう訳で、この誘いを私の担当役人達に知られるとかなり断り辛そう。
劇団の偉い人は保護者は誰かと訪ねてきたので、私が煌国に行っていて不在だったのもあり、代わりに話を聞いてくれたそうだ。
「知られて命令されたら、また自分の進む道を選べないでしょう? なるべく選ばせてあげたくて」
「ありがとうユーリ。私、歌うのが好きだから歌えて生活出来ればなんでも良いわ。でもね、有名人になりたい!」
有名人になって沢山稼いで、この国の王様よりも偉い煌国の皇帝とやらに「有名なあのアリアに会いたい」と言わせたら、私達は家族旅行が出来る。
「そうなったら素敵よね? ユーリにも私の恩人の演奏を聴いて欲しいわ」
「恩人の演奏? 煌国で誰かに助けてもらったの?」
話していなかったっけ。
こういう事があったと話しつつ、日傘を見せて、多分昔々会った男の子だろうという考察も披露。
「有名人になったら、後ろで演奏してくれるかしら。あの音で歌えたら世界で一番幸せになれるわ。あの演奏は主役だから、後ろよりも隣が良いな」
「アリア、夢を持つのは良い事よ」
塞ぎ込んでいる、理由が分からないと悩んでいたけど、そうではなかったようで安心した。
ユーリはそう言って笑って抱きしめてくれた。
☆
こうして孤児アリアは国立歌劇団である百花繚乱の養成所へ入ることに。
少女一人が交渉したのではなく、人生経験豊富なユーリが彼女をこき使う役人を上手く味方につけて、慰問歌手を継続するという契約と引き換えに特別待遇で入所。
結果、アリアは養成所で孤立してイジメに遭ったり、ますます多忙になり精神をすり減らしたが、彼女の心のど真ん中には太くて強い支えがあった。
走って、走って、走って、走って、走り続けて、アリアはついに自らの力で三度目の煌国へ。
アリアの中では美化、神聖化されたイジュキと再び再会するという夢を叶えると意気込むも、問題は彼の居場所だった。
彼女はかつてお世話になった旅医者達と再会しておらず、頼った役人からも「あの儀式の演者一覧にイジュキという名前は居なかった」と告げられたのだ。
二度会えたなら三度目もある。
あれだけの演奏力なら彼もきっと有名になっているからきっと探せる——……。




