一
旅医者達の友人がいる野戦病院で介護師見習いになり、近くの孤児院で暮らしながら、旅医者達に言われた通り、とにかく勉強した。
出自がバレたら、養父の身分証明書があっても悪いことが起こるかもしれないので。
そして、合間に歌った。
イジュキの魔法の音が頭の中で鳴り止まなくて、ついつい歌っていて、その歌声で元気が出ると皆が言ってくれるので。
私は美しく生まれたので、世の中には危険がいっぱい。
なのに親も養父も亡くして親戚もいないので後ろ盾はいない。
孤児院で一緒に暮らす老人ユーリが母親代わりで守ってくれる存在だが、彼女も天涯孤独なので、私だけを支える存在ではない。
味方といえば、ユーリと一緒にここへ来た孤児仲間だけど、彼女達は私よりも幼いから守るべき存在。
最初からここにいる孤児達はサボったり、逃げたり、喧嘩を吹っかけてくるから敵みたいなもの。
孤児院の世話人達も、ユーリと二人を除くと、仕事がないから仕方なくこの仕事に就いたみたいなダメな大人達。
そういう訳で、私は髪をボサボサのままひっつめて、ヴィトニルがくれた伊達眼鏡をかけて、前髪は長めに重たくして、自分が美少女だと隠している。
働いているところが野戦病院なので、怪我人や病人は男ばかり。
良い人もいるけど、中には悪党みたいな人もいるので、私達介護師見習いは単独行動はしない。
親に教養があるのに私は……だと怪しまれるので、親の話は極力しない。特に、医療関係者だったとは。
読み書きが出来なくても当たり前だと思われないと。
そうして、介護師としての知識や技術を身につけながら、華国についてもどんどん学び、訛りも直した。
あかぎれた手でタオルを絞り、熱発者の汗をぬぐい、包帯を洗い、孤児院では掃除や子守りをして、小さい眠れない子達の為に歌い、歌って、歌って、歌っていたら、ある日、視察だという役人が私と孤児院長にこんな話をした。
この野戦病院を訪れた高貴な人が、私の歌に感激してあれこれ調べた。
彼女の歌で気力を保って生還した者達がいると知った。
そういう訳で、私にあちこちの病院を回って欲しいという。
疑り深く育った私は、甘い話を持ってこられても信じなかった。
これまでの介護師見習いと異なり、給与が増えると言われても無視。
食い下がられたので、理路整然と説明して突っぱねたら、若いのにしっかりしていると驚かれた。
そこそこ苦労しているからで、そんなことすら分からない、頭が悪そうな大人は信用出来ない。
そこまで言うと敵対されてしまうので、のらくらやんわり拒否した。
一週間後、今度は女性の役人が来て、男性ではないから安心してと言われた。
「違うこともあるけど、女の敵は女です。女性だから信用しなさいってバカにしないで」
うんざりしてついキツイ言葉が出てしまった。
孤児院には腹の立つ大人も子供もいるし、病院にも元気になってきた患者がお痛をしようとふざけたりする。
弱気になって死にたがったり、喧嘩を始めることも。
強く、賢く生きなさい。
滅多に会えない養父代理のヴィトニルにそう言われたし、優しい人もいるけど少数派だから油断大敵な毎日で、怒鳴る必要があることも多いで、私は日に日に勝気になっている。
女性役人はムッとした顔になり、お国の為に、勇敢に戦い祖国を守ろうとした者達の為に働きたくないなんてと私を非難した。
「こーんな手になっても、毎日、毎日、怪我人や病人のお世話の手伝いをしているのに、なんで怒られないといけないのよ」
私はあかぎれている手を彼女に見せた。彼女の手はふっくらしていてツヤツヤだ。
「お腹いっぱいにならないし、怪我人や病人なのにエロバカ男がいて怖いし、大人のくせにサボったり。高待遇なんて要らないから、役人ならまず今の環境をどうにかしなさいよ」
年をとってきて働けないくなってきたのに、長年の功労者なのに、孤児院長が「お荷物」とユーリを追い出そうとしていることも知っている。
少なめの食事を大人やエコひいきしている子にぶん取るから、気の弱い幼い子はいつもお腹を減らしている。
「何がお国の為に働きなさいよ! 働いていたって使い捨ての雑巾みたいに捨てるくせに!」
私はもうすぐ十四才。
見習いから正式な介護師になれる。試験はあるけど楽々だろう。
合格したら孤児院を出て、都会で給与の高い病院で働く。
ちょこちょこ来てくれる孤児院担当の信用しても良さそうな役人とユーリと共に、着々と準備している。
頭に血がのぼって、こんな風に叫んでしまうなんて未熟者。
これでは稼いでユーリや血のつながらない妹達を支えるなんて無理。
応接室を飛び出して、お気に入りの木の下まで走り、しゃがんで目を閉じた。
イライラする時、辛い時、悲しい時、泣きたい時はここに来る。
この木は今は秋だから枯れているけど、春になると美しい花が咲き誇る。
桃色の花は咲かないけど、真っ白な小さな花が沢山咲いて、あの天女が踊っていた「サクラ」の世界みたいで、偶然にも、あのイジュキと同じ名前の木だから。
目を閉じて春になると見られる美しい花を思い出すと、一緒に彼の魔法の音も思い出せる。
マンネンザクラのヨウ姫が歌って踊るところも。
私はこれでいつも幸せになれる。
覚えているだけの振りをして、声を出して歌えば完璧だ。
「へぇ。驚いた。まさか祖国とは逆方面の辺境の田舎で、祖国の古典を拝めるとは」
くるりと回った時に、ゆったりとした黒い服を着た、整った顔の男性が腕を組んでこちらを見ていると気がついた。
話しかけられたからなおさら。
「……」
役人と似た服だけど色が黒。
なにがあっても穢れることのない黒は、華国では格式高く、制服の場合、高貴な人しか着ることが出来ない。
一生懸命勉強した頭にはその事がきちんと記憶されていたので、私は無言で軽く頭を下げた。
手も合わせて逆さにして正式な挨拶仕草。
横流しにして編んだ三つ編みを束ねる丸い玉は青くて美しかった。
年はおそらく三十代くらいだろう。
かなり日焼けしていて、大きな目と髪は黒く、華人では少数派。
刃が剥き出しの大きくて変わった形の剣を腰に下げていて、それとは別の鞘入りの短刀も身に付けていて、背中には弓を背負い、矢筒も。
役人の服装なのに額当て、胸当て、腕当て、脛当て、黒い毛皮の腰巻きをしているなんて、武官なのだろうか。
「君がアリアだろう。前に聴いて、その時に職員に名前を教わった」
「忙しいので失礼します」
女性の役人の次はかなり偉そうな武官まで出てくるとはどうなっている。
さっさと逃げようとしたら前に立ちはだかられた。
「俺は君はアリアなのかと問うた。答えろ」
「名乗らない失礼な人に教える名前なんてないわ!」
体格の良い大人男性、それもおそらく兵士だから敵わないけど、酷い目に遭うなら一矢報いてやる。
そして、永遠に呪う。末代までずっと。
この世に神などいない。
残酷で、理不尽で、希望のない世界で、正しい者は生きられない。
だから人は小さな希望を大切にして、降りかかった火の粉から逃げ、不幸という炎に飲まれないように必死に抗う。
旅から旅でたまにしか会えないけど養父のヴィトニルはそのように、私達孤児に強く、賢く、長く生きて、少しでも幸せになれと言って、会うたびに優しくしてくれる。
「威勢が良い子どもだな。孤児で力のある味方は居ないのに、喧嘩を売る相手を見極められないと死ぬぞ?」
男は愉快そうに歯を見せて笑った。
「久しく自ら名乗っていなかったから忘れていたが、確かに名乗らないのは失礼だ。失礼、働き者のお嬢さん。我が名はドルガ。王帝アルガに仕えるダイショウカンのドルガだ」
「……」
今のはこういう意味。
自分は無敗神話の煌国守護神、現王帝アルガの忠実な弟、猛虎将軍ドルガだ。
偽物かもしれないが、ここは野戦病院で、兵士達の最上官である猛虎将軍はたまに来る。
理由はなんであれ、祖国を蹂躙した彼を見たくなくて、姿を見られるところへ行かなかったから、目の前の彼が本物なのか判断出来ない。
「なんだその顔は。とって食いやしない。こんなところで祖国の舞踊と歌を耳にするなんて夢にも思わず。つい、話しかけた」
そこへドルガ様と役人が二人現れて、私達を少し眺め、一人が「いつも申しておりますが、一人でぷらぷらしないで下さい」と苦言を呈した。
「黙れ。俺は鎖で繋がれた犬ではない」
「庶民みたいな格好でぷらぷらするならともかく、その格好で出歩くと、あれは猛虎将軍ではないかと民が怯えます。そちらのお嬢さんもそのようですね」
もう大丈夫ですよ、と笑いかけられたけど私からしたら全然大丈夫な状況ではない。
「セト。この娘はマンネンザクラの歌と舞踊をしていたんだ」
俺の忠臣に披露してくれと言われて、本物だったら機嫌をとっておくべきなので、渋々歌って踊った。
風が吹き、そんなことではほどけないはずなのに、髪を結んでいる紐がほどけて髪が広がる。
「これはまさしく……。ドルガ様。なぜ煌国人がこんなところに?」
「どう見ても混血だが、この歌や舞踊は煌国人だろう? これから尋ねようとしていたところだ」
昔、まだ旅をしていた時にヴィトニルに教わった、猛虎将軍は敵が大嫌いで味方は大好きだという話を思い出して、私は養父の遺品である身分証明書を提示した。
養父は両親と親しく、孤児になった私を保護してくれたけど、亡くなったと説明。
「ふーん……」
「養父は旅医者達と共にあちこちで人助けをして流行病で亡くなりました。これを受け取るまで、華国人だと思っていました」
「君がアリアだろう。ここにもそう書いてある。君が俺の提案を啖呵をきって断った暴れ娘アリアだな」
急に片手で顎を掴まれて顔を持ち上げられたので怯えていたら、彼はこう告げた。
弱い者は死ぬ。
強さとはこのような腕力、人を従えられる権力などである。
抗いたければ力を得ろ。誰にでも噛み付く狂犬はなにも成せない。
「親しい者達の生活改善を望んだらしいな。それなら弱者らしく強者にひれ伏せ。それも、正しく、圧倒的に強い、裏切らない強者だ」
俺の名の下に働けば、その献身に相応しい褒美を取らせる。
小さい声なのに、その台詞はまるで唸るような迫力があった。
「良い音楽には神々が呼び寄せられる。君が呼び寄せた神々が民を救い続ける限り、俺が君に褒美を与える」
こうして私は介護師見習いから慰問歌手に転向することになり、ユーリと三人の妹と都へ転居。
数ヶ月後、私の慰問の評判が良いので、帝都行事にもそのうち参加すると決まり、公金で音楽や舞踊の講師がついた。




