零
大陸中央東部、とある田舎村——……。
少女アリアのぼやぼやする視界に現れたのは、夏の青空のような輝きと、もう大丈夫だという優しい男性の声。
その後また記憶は途切れて、気がついたら優しい女の人に食事を口に運んでもらっていた。
——大丈夫よ、大丈夫。
——人は必ず絶望から抜け出せるし、あなたの中でご両親は生きているから、一緒に幸せになりましょうね。
そんな風に笑いかけられて、背中を撫でられたけど、なんのことを言われているのかサッパリ。
数日後、元気になったアリアは知った。
戦争になって、あの無敗の猛将ドルガ皇子が自ら出陣したので巻き込まれたら死ぬ。
自分達煌国と共にいて、煌国方面へ亡命し、そこで医療職を続ければ「裏切り者の姚国人」として、奴隷のような身分にされることはないはず。
アリアの両親はそう誘われて、彼らと共に都を出て、西側へ向かい、小さな村に身を寄せた。
懸念はその通りで、あっという間に姚国王都は陥落。その支配権は煌国皇族、猛虎将軍ドルガへ。
アリア達が暮らしは順調だったが、流行病に襲われて、治療家のはしくれだったアリアの両親は人助けに尽力し、病に蝕まれて亡くなった。
先に病気になったのはアリアなのだが、彼女だけは生き残った。
それはきっと、アリアの両親が娘を一生懸命看病して、一人娘を救おうとしたから。
村を救ったのは旅医者達。
医者一人と薬師二人に護衛数人と赤毛の鹿という一行だ。
生き残ったわずかな村人達は、他の孤児同様、彼女を引き取ろうとしてた。
しかし、アリアは旅に出ると決意。
「英雄」と呼ばれる親の娘だから、小さな村でのほほんと暮らしていたくない。
そう考えて、旅人達に医者や薬師になりたいから、父親の師匠に連れて行って欲しいと頼んだ。
父の師匠は、流行病で妻と娘を失い、意気消沈しており、弟子が残したアリアを育てる事に大賛成。
アリアの義父はこの悲しい世界で一人でも多くの者を病から助けようと、旅医者達と共に生きていくことにした。
だが、悲しいことに、その義父は数ヶ月後に頭痛を訴えてあっさり亡くなった。
こうして、アリアは天涯孤独へ。
最後の希望と共に声も、笑顔も喪失。
旅をしているうちに、旅医者一行には、アリアのような身寄りのない子が増えて、たまには楽しいところへ寄り道しようとなった。
煌国。
大陸中央部で栄華を極める強国。
アリアは「コウ国」を嫌っている。
なぜなら、都から逃げないとならなくなったのは「煌国」の「モウコ」という兵士が暴れたからだと親に教わっているから。
だからコウ国になんて入らないと、アリアは大号泣。
「アリア、それは正解であり不正解だ。君が生まれ育ったドゥ国はコウ国とレイロウ国の間にある」
護衛人ヴィトニルはアリアに語った。
彼女はまだ幼いが、一生懸命、その難しい話に耳を貸した。
東の地にあるレイロウ国がどんどん大きくなり、大陸中央部の豊かさを求めて進軍しようとしている。
次に狙われていたのがドゥ国、フラァ国、アルス国で、特に地理的に進軍しやすいドゥ国とフラァ国だった。
ドゥ国はレイロウ国の味方になると決めた。
フラァ国はレイロウ国に味方する西側と、レイロウ国の味方になっても滅ぶだけだと決断した東の保守側の二つに分裂。
「で、東の保守側はコウ国に助けを求めた。コウ国は長年ずーっと侵略してこないし、レイロウ国よりも強いと言われているから」
それどころかフラァ国は昔々からコウ国にお世話になっていて、国を豊かにしてもらった恩がある。
それはフラァ国の隣にあるドゥ国もだし、ドゥ国の東側はほとんどコウ国領地みたいなもので、そこは貧しかったり苦難の地ではなかった。
数年前に、フラァ国の東西はついにぶつかった。
その時にフラァ国東部は自分達の仲間だと立ち上がったのが、コウ国のモウコという兵士。
モウコはコウ国の偉い人と、フラァ国のお姫様の間に生まれた恐ろしく強くて、情け容赦ない兵士である。
「チラッと見た事があるけどあれは敵に回したら終わりだ」
モウコは仲間が大好きで敵は大嫌い。
フラァ国西側は自国を裏切ってレイロウ国に売った敵。
彼はフラァ国統一を名目に進軍してきた西軍を返り討ち。
北部にあるアルス国は政治的に懐柔。
南部にあるドゥ国を戦力差で睨みつけ、レイロウ国に高らかに開戦宣言をした。
——レイロウ国の者が我が国の民を傷つければ、侵略と見做して報復し、必ずや討ち滅ぼす。
ドゥ国内はコウ国派とレイロウ国に分裂。
水面下で政治的内乱が続き、やがてフラァ国のように東西が軍事衝突した。
「それでモウコはアリアがいた都へ出征した。君が育った都はコウ国派で、モウコは味方を守りにきたんだ」
ヴィトニルはアリアの両親はコウ国派だったから、コウ国側へ逃げたのだろうという推理を披露。
「アリア、君の両親が会得していた鍼灸や揉み療治はコウ国由来だ」
たった数ヶ月だけだったが、アリアを大切にした養父はコウ国人で彼女の父親の師匠だった。
彼はコウ国、モウコという単語に過剰反応するアリアに、その事を伝えられなかった。
両親を失い、新しい優しい父親も亡くし、日に日にコウ国を恨んでいくアリアに、そろそろこういう話をしたかった。
ヴィトニルはアリアの頭を優しく撫でて、笑いかけたが、相変わらず彼女が笑うことはなく。
「……私は味方だったコウ国を悪者だと思っていたんだね」
「いいや。君の国を破壊したのは紛れもなくモウコショウグンだ。彼の名前はドルガ。独善的で思い込みが激しく、そしてその信念を貫く力を持つ、手がつけられない化物だ」
ヴィトニルはモウコショウグンはこう書くとアリアに教えた。
猛虎将軍。
猛々しい虎とは、こういう生き物だと、別の絵も描く。
「アリアはこの見た目だから、ドゥ国やフラァ国人だとすぐに分かる。迷子にはしないけど、コウ国で迷子になってしまったら、フラァ国コウカから逃げてきたと言いなさい」
ドゥ国人よりはフラァ国人の方が友好的に受け入れられるし、フラァ国西部の首都コウカの名前を出せばなおさら。
そして、養父が娘に残した首飾りと身分証明書がアリアを守る。
身分証明書には彼の文字で「養女アリア」と追加されており、関所で頼んだのか、役人による許可印も押されている。
こうして、アリアはコウ国へ足を踏み入れた。
彼女が育った世界とはまるで別世界で、笑顔があふれていて、とても幸せそうな国。
ヴィトニル達はアリア達を「カンゲキ」というものに連れて行った。
☆
私はこんなにも不幸なのに、天国みたいな国で、皆して笑っていて変な感じ。
板ではない不思議な床に座って、せり上がった平らな「ブタイ」というところで、動いて、喋って、踊って、歌う人達を眺めて楽しむのが「カンゲキ」だそうだ。
布が上に上がって物語が始まると私は夢中になった。
絵本の世界が動いていて、音楽までついている。
この話はサクラという花の精がコイというものに落ちて、大好きな人やその人が暮らす村のためにこっそり頑張るというもののようだ。
コウ国の文字は分からないし、話し言葉もところどころ理解出来ないが、似ているからある程度分かるし、動きや表情からも伝わってくる。
分からないので皆のお母さんであるセレーネに、コイとは何かと尋ねたら、たった一人をこの世で一番好きになることだと教えてくれた。
それでその好きは、親を好きみたいなものとは異なるから、コイと呼ぶらしい。
ふーん。
とても悲しいことにサクラの精、ヨウ姫のコイは叶わないみたい。
彼女が一生懸命助けた男の人セイは、他の人が助けてくれたと勘違いして、その人をお嫁さんにしようとしているから。
ヨウ姫のお父さん、コウ国の神様——リュウジンオウ——が諦めて家に帰ってきなさいと説得しても、ヨウ姫は首を縦に振らない。
半永遠の命のヨウ姫は、そろそろヨミへ帰らないと死んでしまうのに、命のともしびが消えるとしても、大好きなセイとその家族や村を守ると言う。
「私の鱗、私の娘、それならばその恋に命を捧げて、願いを叶える星となれ」
娘を失ってしまうと、リュウジンオウ様は悲しくて涙をポロポロ流す。
遠いから涙は見えないけど、あれはきっと泣いている。
私も泣いた。人が死ぬのは、あまりにも悲しく辛いことだと知っている。
リュウジンオウ様はこれから私のように泣いて暮らして、灰色でつまらない、ぐにゃぐにゃした世界で生きていくのだろう。
布が降りてきて話が変わり、セイがお嫁さんにしようとした人は人間ではなくてアヤカシという化け物だったと発覚。
セイは彼女こそが村を呪っていた化物ではないかと怪しんで、コイに落ちたフリをして、彼女にまとわりついて見張って、村人を守っていたという。
どこからともなく現れたカタナ——剣のこと——を使ってセイは化物を倒した。
これはきっと、何度も夢に出てきて自分を奮い立たせてくれた、死の底から蘇らせてくれた乙女フクガミが授けてくれたものだろう。
あの丘の上のサクラをゴシンボクにして神社を造ろう。
そうしてセイ達はヨウ姫が暮らす丘の上に行き、枯れ木に美しいサクラか咲いていると喜んだのたが、次々と眠くなってしまう。
セイは神に恋をしても無駄なのは分かっているが、せめて会いたいと願った。
怪我を治してくれたり村を守ってくれたお礼をしたいと願いながら、耐えられない睡魔に飲み込まれて眠りに落ちていく。
また布が落ちてきて、しばらくするとゆっくりと上がった。
割れんばかりの大拍手に鳥肌が立つ。
全身が小刻みに震え、人生で初めての感覚に包まれて何かが、汗のよように体のあちこちから出そうになった。
ぞわぞわ、ぞわぞわが止まらない。
これまでも素敵な音楽が流れていたけど、私くらいの男の子が弾きはじめたコウ国の弦楽器が奏でる曲は、音は、あまりにも美しい。
そしてとても悲しくて、両親や養父に会いたくてたまらなくなった。
生き別れになった友人達も、近所の優しいおばさん達や犬にも会いたくてたまらない。
舞台中央で木のように固まって、ぴくりとも動かなかったヨウ姫が、男の子の演奏に合わせて踊り始めると感激はさらに強くなった。
天井から桃色の花びらがひらひら、ひらひら、ひらひら舞い落ちる。ヨウ姫はその花びらに溶けてしまいそう。
ああ、ヨウ姫はこれで亡くなるのだ。
彼女は笑顔でセイの幸せを喜んでいるのに、曲はとてつもなく悲しくて、苦しくて、辛くて、この演奏が終わる時にヨウ姫は死ぬと伝わってくるので、私は泣き続けた。
「龍神王様……どうかお願いです……。私は貴方様のうろこに戻るよりも、このままこの地で朽ちたいです。人のように……。このままでは儚く消えてしまうとしても、あの人のお側にいたいのです……」
ブタイには現れないけど、リュウジンオウ様は娘が心配でまた迎えにきたみたい。
ヨウ姫が嫌々というように動いているから、迎えがきたと分かる。
切なすぎて涙が出てきて、こぼれて落下して止まらない。
彼女は舞台の花道を進み、舞台から降りた。暗くて見えなかったけど、それはすぐに終わり、青い光がヨウ姫を照らした。
ヨウ姫が男性に甘えるように寄り添っている。
「夜が明ければ私は空に溶けてしまいます。どうか眠りからさめないで下さいませ……。あなた様には笑顔が似合うのですから……」
満開の花が一気に散ったような儚げな音がピィンッ……と鳴ると無音になり、ヨウ姫はゆらりと揺れてその場に倒れた。
しばらく会場は静まり返り、それから大拍手が巻き起こり、それが全く止まらずに続く。
「セレーネ、これで終わり? ヨウ姫はこのまま死んじゃうの?」
「私が知っている流れと違うけど、万年桜は幸福談だからまだ終わらないわよ」
「有名原作ではないけど、この脚本にも原作があるから、それを知っている俺としての意見はこう。これで終わりだ」
「えっ」
その通りで待てども待てどもヨウ姫は起き上がらない。
なので、会場はどんどん静かになっていく。
そして次第にザワザワし始めて、私の後ろから「まさかヒレンものの万年桜なのか?」という声がした。
「セレーネ、ヒレンってなに?」
「コイが叶わなくて悲しい結果になる物語のことよ……」
私達がめそめそ泣くみたいにセレーネも少し泣いている。
ヴィトニルが「俺はこういう話は大嫌いだ。物語くらい美しく幸福に終われ」と舌打ちした。
「大丈夫ですか⁈ どうしたんですか⁈」
ヨウ姫寄り添われていたセイは起きたようで、彼女を横抱きにして勢い良く立ち上がった。
「い、医者! 医者はいますっ……」
驚いたことに、天女は急に元気そうに動いて彼の首に腕を巻き付けて、扇で隠したけど、多分キスした。
「永遠を生きるよりもあなた様を選び、許されました。それどころかまだ終わらぬ人の体まで。ばんこふえき、共にありたいです」
バンコフエキって何? とセレーネに聞いたけど返事はなくて、彼女は両手を握りしめてヨウ姫達をジッと見つめている。
「アリア。永遠にって意味だ。最後を変えるなら文句無し。いよっ! 輝き屋!」
ヴィトニルが私に教えながら頭を撫でてくれて、拍手を始めた。
「愛してる」
セイの小さな声が響き、彼が走り出す。
笑顔で手を振るヨウ姫に、私はうんと強い拍手を贈った。
楽しくて嬉しい音が幸せを感じる曲を奏でる。
天女は天使になって、とても幸せそうにセイに運ばれていく。その笑顔のあまりにも美しいこと。
それに、両親や義父の笑顔が次々と頭に浮かんだ。
瞬きするたびに、誰かの笑顔が見えて、生きていて良かった、幸せになりなさいと言葉がした気がした。
そうか。私は幸せになれば良いのか。
それでそうだ。両親も養父も誰かを助けて、笑顔を作っていたので、私がするべきことはそれ。
メソメソ泣いて、何もしないでいるのではなくて、同じく辛い人と手と手を取って笑う。
同じ孤児の姉や兄がしてくれるみたいに。
なぜそんな簡単なことに気がつかなかったのだろう。
ブタイの上で演奏する男の子は私と同い年くらい。
それなのに、皆に、私に魔法をかけた。
笑顔の花が沢山咲いて、ここはお花畑だ。
こうして布——幕というそうだ——が降りることなく物語は終わり、沢山の人達がブタイ上で歌って踊って大祝い。
語り部によれば、セイとヨウ姫は結婚して末永く幸せに暮らしたということで大拍手。
でも、うんと素敵な曲を演奏していた男の子はブタイの端へ、私達から見えないところへ去っていった。
ヴィトニルがこのブタイはこんなに素晴らしかったし、自分達は知人だからお礼挨拶へ行くというので皆でついていった。
お行儀良くと促されて皆でしっかり挨拶。
私はセレーネにこそっと、あの素晴らしい演奏をした男の子にお礼をしたいと伝えた。
セレーネ達大人が輝き屋の大人達と会話をしていると、あの男の子が現れた。
私とは全然違う薄い褐色めの肌に、青みがかった黒い目や髪をしている。
なぜか急に恥ずかしくなって、私はセレーネの後ろに隠れた。
セレーネの優しい手が私の背中を撫でる。
「ほら、アリア。彼とお喋りしたいって言ったのはあなたでしょう?」
「……うん」
「ほらほら」
なぜこんなに恥ずかしいのだろう。
「……握手。してくれる? 星空がキラキラ光っているようなステキな音でした。魔法みたい。あなたの手は魔法の音を作れるのね、魔法で天使が幸せになってすごかったわ!」
とても残念なことに、彼は私と握手してくれなかった。
それにとても嫌そうな顔をされてしまった。
誰かが「照れたみたい。アリアさん、ごめんなさいね」と謝ってくれたけど、胸が痛くて痛くて苦しくて、私はその後はずっと泣いていた。
涙がポロポロ止まらなくて。
数日後、セレーネに「イジュキ君からよ」と手紙を渡された。
イジュキはあの魔法使いの男の子。
私はコウ国の文字を全然読めないので、セレーネが読んでくれるという。
年が変わらなそうなのに、とても綺麗な字で驚いた。
内容は恥ずかしくて握手出来なくてごめんなさいという謝罪と、褒められてとても嬉しかったというもの。
元気でいて欲しいのでと、元気が出る絵も添えてくれていた。
それは万年桜のヨウ姫が花吹雪の中で幸せそうに笑うとても綺麗な絵。
嬉しくて嬉しくて、私はその日から昔みたいに歌うようになり、沢山笑った。
セレーネ達の旅は危険が多いので、何人かの孤児仲間と共にフラァ国の病院に預けられた後も歌い続けた。
病気や戦争の怪我で苦しむ人達が、元気が出るから歌ってと言ってくれるからさらに。
やがて、私は介護師見習いから慰問歌手へ転向。
歌って、歌って、歌って、歌って、歌って、有名歌手になったらあのコウ国へまた行けて、魔法の手のイジュキが私の為に演奏して、魔法をかけてくれるのでは? と考えるようになった。
噂の歌姫アリアに会いたいと、向こうから来てくれるかもしれない。
華国と煌国は友好国でかなり交流がある。
いつかまた会えるだろうと考えていたけど、セレーネ達と再会出来ていないので、あの「イジュキ」がどこに暮らしていて、あの舞台がどこにあったのか分からないまま。
華国人として怪しまれないように、華国文化の勉強ばかりで煌文字を学べずにいるので、手紙も自分では読み返せない。
なので私が彼と再会する道は、歌って、歌って、歌って、有名になること。
それは両親や養父の願い、誰かを助けたい、笑顔にしたいという道でもある。
これが私、歌姫アリアの原点だ——……。




