二十
明日、待ち合わせと言ったのに、来ないと言ったのに、二刻後にミズキが再来訪。
仲直りの菓子折りだと、玄関で私に箱を差し出した。
ごめんなさいと困り笑いで言われて、とても嫌な気分。
私が先に謝るべきだったのに、先に言われてしまった。
「……なさい」
「なんでしょうか」
「ごめんなさい。悪いのは私です……。視野が狭くて……。それに母に指摘されて気がつきました。友人に嘘をつかせたり、友人を板挟みにすることこそ酷いです……」
「お互い悪かったということで、手打ちですね」
仲直りの握手と言われて手と手を繋ぐと、見た目は華奢なのに、手は大きく、指は長く、骨ばっていることに気がついた。
つい口にしたら、生まれ落ちた瞬間から弦楽器に触れているから、女性らしい手ではなくなると説明された。
「仲直りしたいので三味線を持ってきましたの。私の演奏や歌や舞をもっと知って欲しくて」
この後、ミズキは私と母、それと使用人に見事な一人芝居を披露してくれた。
それは一人二役の喜劇で、おどけた踊りや愉快な歌と、ミズキとは思えない演技ぶりに大拍手。
終わっても私の熱は冷めなくて、気がついたらあれこれ質問していて、文学話で大盛り上がり。
中庭にある渡り廊下に二人で座り、まだ咲かない梅の木を眺めた。
部屋に行くはずが、梅の木にリスがいて可愛かったので。
「あの」
「なんでしょうか」
「その、ミズキさんの想い人はどのような方なのですか? 可愛くて優しいし、素晴らしい芸妓さんなのに、袖振りされてしまうのですね……」
自分は沢山励まされていて、喧嘩というか理不尽に怒ったのは私なのにすぐ仲直りしにきてくれた。
しかし、こちらは何も返せていない。だから、役に立てるように、彼女の心に踏み込むことにする。
「アズサさんは、レイスさんを傷つけたくないと言ったのに、私のことは構わない様子ですよね。私は神経が図太そうですか?」
「……えっ? あっ、すみません……。そういうつもりは全くなく……」
言われてみればその通り。
質問に答えてもらえずに話題を逸らされたので、踏み込まれたくないところに足を踏み入れてしまったと後悔。
「理由は簡単であなたの世界では、彼がうんと特別なのです」
ミズキは三味線を弾き始めた。
とても、とても悲しい音で切ない曲を弾くので涙が滲んでくる。
「私の世界でも、そのお一人だけが太陽のごとく輝いていました」
教えてくれるみたい、と耳を傾ける。
気がついたらリスが私の近くへ近寄ってきていた。手を伸ばしたら指の匂いを嗅ぎ始めて可愛い。
かわゆい。それで、レイスの顔に似ていると思って面白くなってきた。
「異国の方でしたの。仕事で出会いました」
「異国ですか?」
「百花繚乱の方で、次に会うのは華国のはずが……。あの人は炎に包まれて……」
まるで想像していなかった話。
両手で口元を押さえることで悲鳴を耐えた。新聞記事の悲惨な内容が頭の中を駆け巡る。
「ついて行けば共に……。懇願してこの地に留まってもらえば……。なので、明日しようはおばかさんのすることだと脳内で警鐘が鳴り、仲直りは今日しなくてはと戻ってきた次第です」
自分が今日、帰り道で死ぬ可能性もありますから。
急な腹痛で倒れた人間を見て、更に強く思い、今死んだら友人が自責の念に潰されるから戻ってきたという。
「考え足らずですみません……私こそ追いかけるべきでしたのに……」
ミズキは無言で私の手を取り、小指と小指を絡めて、指切りげんまんと歌い始めた。
指切りげんまん……。
「あのっ。私がミズキさんと約束したのは、恋心を教えないで下さいというものです」
「ええ、でもその前に病気のことを教えないで下さいと頼まれました」
「……教えることにしたのは、事情や関係性は違うけど、残された者の気持ちが分かるから……ですか?」
「先程の話は、秘密の恋の話ですから、誰にも教えてはいけませんよ」
嘘をついたら、約束を破ったら、私の初恋の人を地獄へ叩き落とすと無表情で淡々と告げられて背筋がゾッとした。
この目は本気だ。
「あの……」
「もう、このような音しか出ません。私の本当の音を取り戻す気力が湧きません……。俺と共に、君の命を輝かせ続けて賞賛を浴びせると約束したのに……」
俺? それに声が先程までと異なると困惑。
ミズキは演奏を続けて、私にすみませんと告げて、静かに、とても静かに泣き出した。
「覚えていますか。目が合い、触れ合った日々を」
優しくもとても切ない、胸が張り裂けそうな旋律に歌だ。
これは先程の演奏とは別次元のもので、感激で震えは止まらず、涙も自然と溢れて止まらない。
痛い、痛くてならない。
耳の奥で反響する美しい音の粒は雪の結晶のように輝き、儚く消えていく感覚と同時に悲痛と苦悶を湛えてくる。
あなたに出会い、全て輝いて、私が生まれ、燃えるような星々に手を伸ばした
生まれ変わってまた巡り合いたい
その時もきっと見つけて
その時はきっと離さない
真冬の海に入り、お互い生まれ変わり、今度こそ結ばれたいと願っていたけどやめたということみたい……。
「すまないアズサさん……。天寿を全うしますが、君との約束は生まれ変わった来世で果たすことになるかも……こんな音しか出ないなんて……」
「ミズキさん……」
泣かないでと、手拭いを取り出して彼女の頬に手を伸ばす。すると、手首を掴まれて縋りつかれた。
「ふふっ、あはは……。捨てたのに、捨てたいのに……なんでこうやって弾いたり歌ったり……最悪な音しか作れないのに……」
こういう曲だと完璧な音で憎らしいとミズキは演奏をやめて体を丸めてすすり泣いた。
それで私に、すみませんを繰り返す。励ましたいのに、そういう音だと作れないと。
「私こそすみません、私にはこんなことしか出来ません……」
私にはよしよしと頭を撫でることしか出来ない。
しばらくするとミズキは静かに首を横に振り、少しすると立ち上がり、何度でも蘇ると笑った。
「何度己を呪い、幾度となく自らを刺し、千を超える数の引導を自身に渡そうとも、灰の中より蘇る」
勇ましい男性みたいな姿勢になったミズキが、私に向かって歯を見せて笑った。
「君のおかげです。ありがとう。君には何度も救われるでしょう。その度にお礼を言います」
石化病は体を不自由にしていくので、体を動かして抵抗すると薬師に聞いた。
指を動かすのに良いから覚えなさいと、ミズキは私に三味線の指導を開始。
弾きたい気持ちがあったので嬉しい。変な音しか出ないし指も押さえていられない。
ムキになって練習を続けていたら、リスが私の膝の上に乗り、丸まって眠りだした。
かわゆい。
友人が出来て、喧嘩して、仲直りして、秘密を打ち明けられて、三味線を教えてもらい……なんて幸せなの——……。
☆
多分、これは夢。
自分を認識しているのに、私は私を外から眺めている感覚もある。
いきなり意識が途切れて夢とは落眠石化病のせいだろう。久々に夢を見ている。
レイスが走って走って走って走り続けて、何かを探し続けている。
「どこにあるんだ!」
身なりは悪く、成長したのか背は少し高い。それでも、あの顔立ちは彼だ。
土で汚れて、大汗をかいて、息を荒げながら、無いと叫んでまた走り出す。
「一輪だけでも咲けよ……俺みたいなバカで、季節を間違えたって……」
地面に無造作に座り込んだ彼は頭を抱えて、畜生! と地面を殴りつけた。
彼はレイスではない気がする。似ているけど別人。なにせ、彼は雅でこのような座り方や言葉遣いをしない。
「そちらの藍色着物の方」
呼び止められて彼が顔を上げると、ふわふわして可愛い白いうさぎが「桜は秋には咲きません」と告げた。
動物が喋るなんてやはりこれは夢だ。
「この世に絶対なんてないから、この世の果てまで行ってでも探します」
「秋に桜でこすもすですよ。秋桜は沢山咲いています」
「そうなんですか?」
「目的のための勉強しかしないから、いざという時に困るのです。悔い改めなさい」
この白兎は副神様のようだ。
彼は立ち上がり、大きく「勉強します!」と叫び、力強く走り出して、秋桜を摘んで、摘んで、摘んで、腕いっぱいに抱えて走り続けた。
眠くて自然と目が閉じて、そうしたら自室で横になっていた。
少し前の、体が重くて辛い時の私。
なぜ夢でまでこのように現実的な……。
「旦那様、お嬢様に贈り物です」
耳が少し遠いけど聞こえた。
「知らない方でその、身なりもと思ったのですが返事ですと申されたので預かりました。言われた通り会いませんと」
身分で返事?
手伝い人の姿はぼやけている。ただ、桃色が沢山だ。
「サリア、サリア平気? 聞こえる?」
首を縦になんとか動かした。痛いのに胸を掻きむしる事すら出来ないなんて。
それに私の名前はアズサよと、母に言いたいのに声が出ない。
「手紙よ」
白と黒は見えるけど手が動かないし読めない。母に見えない、となんとか伝えた。
「貴女が言った桜の君みたい。桜よりって書いてある」
桜の君とは誰のことだろうか。桜か。レイスと梅も桜も見られたら嬉しい。
「ありがとうございます。探したけれど無くて、でも調べたら秋にも桜があったと分かって秋にも桜が咲いていましたって。秋桜こすもすよ。秋桜が沢山。見える?」
言われてみればこすもすは秋の桜。桃色が沢山としか見えない。
そうか、彼はあんなに必死に桜を探してくれて、遠い山まで行き、泣いて嘆いてくれたのか。
不思議なことに、あの彼が私の為に桜を探していたのだと感じる。
桃色が綺麗。秋なのに桜の中で終われるとは果報者。
ひらり、ひらひら、ひらりと桜舞う。
昨日は絶望してこの世は地獄だなんて思ったのに綺麗な景色。
昨日?
桜、ひらひら、ひらりと舞い落ちる中、登校中の私は転びかけて彼に帯を持たれて助かった。
そうなの?
彼は一言「危なかった」と告げた後に私を立たせてくれて何も言わずにサラッと去っていった。
ありがとうございますとなんとか告げたら、振り返った彼はとても優しい笑顔。
光ったような桜の花びらが彼の顔の前を横切ったのであの日から私は桜好き。
それまでは桜茶や桜漬けが苦手だし毛虫が嫌なので嫌いだった。
生まれ変わったら彼のお嫁さんに……はなれないな。
すぐに生まれ変わっても年の差があり過ぎる。
それに、こんなに優しい彼がずっと一人身なんて悲しい。
二人の子に生まれて溺愛されるも良し、また両親のところに生まれて彼の子と結ばれるのも良い。
人は亡くなると縁が近い者のところへ生まれ変わるというので、輪廻転生の先で、彼の何かしらと縁がありますようにと、縁結びの副神様にお祈りしながら黄泉へ行こう。
今世で何も成せず、何も残せなかった罰は受けるので、来世では桜の君と縁のある人と結ばれますように——……。
これは夢のはずだけど、生まれる前の私の記憶なのかもしれない。
歌が聴こえる——……。
生まれ変わってまた巡り合いたい
その時もきっと見つけて
その時はきっと離さない
ミズキと指切りしたから長生きしないと……。一秒でも長生きする——……。
三年だ。三年は生きて、ミズキに約束を果たしてもらおう——……。
私では恋については穴埋め出来ないけれど、友情で楽しませて、彼女が望む幸福な音を取り戻せるように、沢山一緒に笑う——……。
レイスに返事をせずに死ぬわけにはいかない——……。
☆
落眠石化病の症状で意識を失った私が次に目覚めたのは、出発の日だった。




