十八
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残業で帰宅が遅くなり、疲れた顔をしている叔父に、どう話しかけようか悩んで廊下をうろうろしていたら発見されて散歩に誘われた。
もうすっかり夜で、見上げるとアズサの瞳の中にある星々の世界。
叔父は何も言わずに微笑んで歩いているだけなので、俺から話しかけるべきだと考えて口を開こうとした時に「レイス」と名を呼ばれた。
「俺が君くらいの頃に惚れかけた女性も、アズサさんと同じ病気になった」
叔父は夜空を見上げて、悲しげに眉尻を下げて目を細めた。
「……えっ?」
「会おうとしたけど結局、一度も会えなかった。明日で間に合うと思ったんだ。薬師の予想よりも、病気の進行があまりにも早かった……」
声が震えているのは気のせいだろうか。
「……あの。惚れかけた、なんですね。惚れた女性ではなく」
「会えなかったから、声も顔も知らないまま。手紙を一通送られただけだから、さすがに惚れられない。片足、いや、体の半分くらいは……うん。まぁ、な……」
歯切れの悪い叔父は珍しい。
「そう……なんですか……。父上や母上も知っている話ですか?」
「アズサさんのことがあったからロイさんにだけ。踏ん切りがついてからは、親しい人なら誰に話しても良い気はしているけど……なんだかんだあまり……」
当時のどうしようもなく情けない自分の事も一緒に思い出すからあまり話したくないらしい。
それなのに、俺に語ってくれるようだ。
「死者を一生想うなんて怖いって後で気がついて、酷いことにホッとした。会いたかったと後悔したのにさ……」
複雑そうな表情で唇を歪ませた叔父の声はやはり震えている。それも、先程よりも強く。
「家族や彼女の友人にも彼女の人生や人柄を、ずっと、ずっと聞けなかった。この人だという女性と出会って、もう死者に恋穴落ちはしないと確信してから、ようやくあれこれ聞けた」
しかし、俺は自分とは異なると語るのだろうか。
なにせ俺とアズサはもう出会っていて、顔も声も性格もちょっとした経歴も知っている。
「蓋を開けたら妄想の理想の女性とズレていたし、好みの容姿じゃなくて、会っても恋穴落ちしなかったと判明。母上やルルやレイみたいな猫顔系美人だったらしくて、それだと男心が全く反応しないから無理」
それならこの話はなんなんだ!
「でも、あの手紙には強烈に惹かれたからどうだろう……。一生一人なんて怖くて、ズルい俺は彼女から逃げたんだ……。何年も、何年も……」
あの手紙とはどういうものかと問いかけたら、
毎日のように困っている区民を助ける兵官学生さんが地区兵官になったら皆が幸せになり、あなたも幸せになるという内容だそうだ。
強いから向いていると言われて育ち、そのような評価は初めてで、とても胸を打たれたという。
「生きている彼女と約束をしたかった。ずっと、ずっと、後悔してる。身なりや身分を気にして自分を恥じて、出直そうなんて考えなければって」
身なりや身分とは、当時の叔父は貧乏平家だったからという意味なはず。
「気にして会いに行かなかったんですか?」
「何も知らない使用人さんに怪訝けげんな顔をされて、彼女の家族から、娘は病気の姿なんて見られたくない、教えないでと言っていると聞いていたから、それを自分への言い訳にして手紙とお見舞いの品を渡して逃げた」
でも、と叔父は続けた。
師匠に大事な相談をしている時期で、やはり会いたいと言ったら、明日の朝、すぐに行ったらどうだと背中を押された。
姿を見せたくないというのなら、襖越しでと頼めば良いと。
しかし、彼女に明日の朝は訪れず。叔父は彼女と約束を出来なかった。
臨終の際に、彼女は何も為していないし、何も残していないと嘆いたと後から聞いたという。
君が自分の背中を押してくれたから、これから大勢の区民が笑顔の花を咲かせると、何を為して残したのかを伝えられなかったせいで、そんな悲しい台詞を言わせてしまった……。
叔父の声の震えはさらに増した。
「俺は自己保身で大恩人にそんな台詞を言わせてしまった大馬鹿野郎だ……。耳が痛くても欠点を直さないと、時にそういう強烈なしっぺ返しがくるぞ……」
それから叔父はしばらく無言で歩き続けた。
我が子のことで感極まったみたいな姿は見たことがあるが、このような後悔の念で涙声を出すところは初。
「叔父上は少しばかり……格好とかを……気にしただけです。惹かれた女性に会いに行ったので当然です。会いたくないと言われていれば、尊重してあげたくなります」
「だからつい、うるさく言って悪いな。自分の大失敗と似たことがありませんようにってつい」
「いえ」
このことも含めて言ってくれれば耳を傾けたと言いかけて、アズサのことがなければ叔父はこの話を俺にしなかったと考えて、開きかけていた唇を結んだ。
「彼女とのことがあってから、若者が石化病って耳にするとついお節介。ルゥスの働くお店の旦那の娘さんだったり、レイスの想い人とは驚きだ」
「そんなことがあるんですね」
「富豆腐屋のお嬢さんは病弱って話は耳にしたことがあったけど、軽そうだからふーんって無視していた。ちゃんと医者や薬師が診てくれていて、お金にも困ってなさそうだったから。それが急にあの病なんて……」
「叔父上……。かつての叔父上とは違い、自分はアズサさんともう知り合いです。まだ全然交流していないけど、どうしようもなく離れがたいですし、もっと親しくなりたいです」
「あまりに辛いだろうから貫けなんて言わないけど、死者を想い続ける勇気と覚悟を持った上ってことだな」
「そのようなものはないかもしれませんが、持ちたいです。強くなります」
「この世で一番彼女を傷つけて、己を呪い続ける未来があるかもしれないぞ」
「叔父上はご自分を呪っているんですか?」
「彼女は絶対に俺を恨みも呪いもしない。でも、お互い生まれ変わったその時には結ばれたいと思っていたのに、万古不易、妻と共にと決めて口にしたから………その時から……そうだな、呪いみたいなものだ」
「輪廻の先も……。叔母上と共にありたいのは、夫婦になったのですから、自然な気持ちです……」
「時々、自分の薄情さにどうしようもなく嫌気がさして、わりと酷い気持ちになる」
無敵だと思っていた叔父の知らない一面。
励ましたり支える立場なのに、昔の自分や、もしもの自分に重ねて悪い、と叔父は片手で口元を押さえてまた喋らなくなった。
あの時ああしていたら、自分が強ければ、そういう風に、自責の念が叔父を茨のように絡めてしまっているし、そもそもとても、とても大きな傷なのだと伝わってくる。
「可愛い甥の世話はしたいけど、俺はそういう理由でアズサさんを優先したい。彼女の望みはなるべく叶えてあげたい。同い年で家族想いとか、似ているから、つい重ねてしまう……」
勤務調整をしたり業務ついでにすれば送迎出来るから、そうしても良いかご両親に相談に行こうと提案された。
頼む前に提案されて驚いていたら、万年金欠のユミトも雇ってこき使うという発言まで登場。
「支援金だとか、俺が出すって言うなよ」
ユミトへの依頼は祖父と父と勝手に進めるので、俺はあれこれ決まったから挨拶で良いという。
自分で頼むと言ったら、ユミトに関しては自分の都合があると断られた。
「叔父上、自分は赤鹿乗りになりたいです。図々しいですか?」
「才能が無さすぎたら諦めろって宣告されるけど、訓練するのは大賛成だろう。大喜びで二つ返事さ」
「うじうじせずにロイさんに相談して、赤鹿乗りを覚えたいとは良い案だ。俺やユミトが送迎するだけでは足りないってことだな。手配は任せろ」
「学生のうちから乗馬訓練をしている卿家男児がいますよね? あれはどう手配した結果ですか?」
知識はあればあるほど良いので、手配方法を教えて欲しいと頼んだら、もちろんという返事がきた。
「ウィオラ叔母上が、半分と半分を足すと一つになると言って下さいました。自分は会いに行き、アズサさんもたまに家族のところへ帰ってきます。それでも半々ですが、もっと力になりたいです」
転校して近くで下宿も考えていて、それはこれから父に相談する。
たまに実家へ帰るけど、家族が三区観光に来る口実になるから悪い案だとは思わない。
そして、俺自身が馬か赤鹿に乗れれば、アズサの家族を運んであげることも出来る。
稼げるようになれば馬屋を使えるけど、馬屋はお店だからあまり自由がきかない。
「そういう前向きな提案で、そうやって笑えるなら、彼女やご家族は気後れせずに、一緒に良い道を探してくれそうだ」
「叔母上のおかげです」
「俺の妹達は彼女のおかげで良い道を見つけられたからありがたい。昔々、そのウィオラさんを感激させたのは誰だと思う?」
叔父は「君の母親だ」とようやく笑い、リルも良い発想をするから頼りになると、俺の背中を軽く叩いた。
なるべく皆が幸せになれる道を模索しているとは素晴らしい。
さすが二人の息子だと褒められたのは嬉しいけど、いつもお説教ばかりの叔父に褒められるなんて変な感じ。
「ユミトもいるし。あいつ、万年金欠だから雇ってこき使おう。良い口実が出来た」
「ユミトさんから、叔父上に借金していると聞きましたけど」
「それは寮費。雨漏りしたとか色々。あそこは私設保護者だから寄付なのに、律儀に返しにくるから貯金して年末に渡してる」
どこへ向かって歩いているのだろうと思っていたけど、鳥居が見えてきて、一番近い神社へ向かっていたいうことに胸が熱くなった。
この意味は、アズサの健康祈願だろう。
鳥居をくぐると、叔父はお賽銭を入れて長々と手を合わせてくれた。
俺も同じようにする。
「困った時だけ神頼みは無視されるけど、我が家はきちんと毎日……ん? なんか落ちてきた」
俺は気がつかなかったけど、叔父は頭を軽く触れてから地面に腕を伸ばして、何かをつまみあげた。
それを夜空に掲げて、月に照らして眺め始める。
「金平糖みたいですね」
「レイス。覚えているか? 聖域には星の実が落ちてくることがあるって」
「星の実? ああ、確か異国の風習ですよね。井戸に入れて魔除けをするという。異国の木に成る実ではなくて、聖域に落ちてくるのですか?」
「俺はリルにそう聞いた。リルはセレネさんに教わった」
セレネは旅医者一行の薬師で母の友人だ。年に一回か二回会える。
今年もまた来てくれるだろうか。うんとお願いして、アズサを診てもらいたい。
「リルに聞いて、俺の記憶通りだったら富豆腐の工場用の水に入れてもらったらどうだ。あそこの豆腐は美味しくて、沢山の人が食べているだろう」
「そうします」
参拝が終わったから帰ろうと言われて帰宅すると叔父は妻ウィオラと出掛けた。
翌日、赤鹿乗りや馬に乗る案を伝えたら、父は「その手がありました」と喜び、褒めてくれた。
転校の案は予想通り保留だったけど、それは却下ではなくて、現在の学校近くに下宿した場合はどうだとか、色々起案するため。
自分も案を考えるけど、俺ももっと考えなさいと、話し合いはまた明日する決定。
夕食の片付けを手伝いながら、母に星の実のことを尋ねたら、一回貰えただけで、どうだったかしらと、母は首を捻った。
「でも、そうだった気がするからそうしましょう。フェリキタス神社にたまに現れる謎の苦い金平糖は縁起物らしいから、鎮守社に落ちてきたものもきっとそうですよ」
フェリキタス神社と病院の逸話を聞いて、ふーんと思いつつ、母は明日、富豆腐の奥さんと会う予定だというので、叔父が拾った金平糖を母に預けることに。
「明日、スザクさんのお母上とどのような話をするのですか?」
「呼ばれただけでして、分かりません」
「そうですか」
「レイスには頼りになる家族親戚がいるから大丈夫ですよ」
母は、笑顔は病気を治すことがあるから、辛気臭い顔をしないようにと微笑んだ。
自分達の顔立ちは、笑わないと冷たそうな印象だから気をつけましょうと。
「レイス、そういえば庭に変わったカタツムリがいたんですよ」
祖父母が大事にしている花壇を守る網に囲われて、不自由そうで可哀想だったので、明日逃すと言われた。
変わったとは何かと尋ねたら、その答えは俺が連れていきた、死にかけに見えた可哀想な変なカタツムリの容姿と一致。
「死にかけで可哀想なので連れてきたけど、もう元気なようです。このまま飼おうかなと」
「網は要らないのでは?」
「野良猫に食べられたらどうするのですか」
「世界は弱肉強食です。それに猫はカタツムリを食べません」
「虫も食べるし、前にナメクジを食べていましたけど」
「……ナメクジ。ナメクジを食べたお口で顔を舐められて……いやああああ!」
このせいで、母は使い物にならなくなり、この日の残りの片付けは俺が担当。
母としては自由な生き物が狭いところに閉じ込められるのは可哀想なので、もっと網の範囲を広げることになり、カタツムリには紫陽花なので、紫陽花も植えると決まった。
カラスには油断大敵だと、変なカカシも作られた。
俺としては愉快なので、アズサへの文通練習にこのことを書いた。
面白い話で彼女が笑えば、寿命が伸びるかもしれないと願いを込めて。




