伍
歌姫アリアは華国人ではなく、隣の姚国で生まれ育ち、戦争が起こったので親と逃げて、新しい居住地で流行病に襲われたそうだ。
「姚国人? まさか」
落ち葉色の髪に新緑色の瞳はこの国には全然いない容姿だけど、大陸中央東部になるとそこそこいる。
俺達煌国人が大陸中央東部と呼ぶ地域は、主に東にあるレイロウ国との間にある三つの属国のこと。
その中で、姚国はレイロウ国の味方をして、華国や煌国領土に攻め入ろうとし、煌国守護神である猛虎将軍に惨敗。
レイロウ国と敵対していた保守派を除き、姚国の上層部は死罪となり軍も消滅。
現在、姚国は煌国第三属国となり、自治権も軍事権も有していない、いわゆる隷属状態。
隷属国の民が煌国領土に足を踏み入れることは禁止されている。
「密告する? そうしたら私はえいやって首を切られて死ぬわ。その前に色々されるんでしょうね。私はこんなに美しいんだもの」
「この軽口お馬鹿さん。姚国人だなんて、冗談でも二度とそのような事を口にしてはいけません」
「いずれ口にするわよ。私は姚国の子供達の未来を守るの」
十才よりも前から自分は野戦病院で介護師見習いとして煌国人や華人に尽くし、痛みを忘れさせようと沢山歌った。
歌って、歌って、歌って、歌って、歌って慰問してまわり、今は華国の歌姫である。
旅医者達に命を救われて、その旅に同行したけど、それは野戦病院の介護師達に預けられる時までの話で、彼らとはわりとすぐに別れたという。
アリアは両親と同じように人を生かす人間になりたいと望んだ。
その結果が、野戦病院で介護師見習い。
「命の恩人達がたまに会いにきてくれて、こうすると私の夢が叶うって教えてくれたの」
「夢が叶う……どんな夢ですか?」
「戦争なんてなくなって、笑顔だらけになりますように」
意外。
意外すぎる過去と夢だ。
隣に座り、彼女にお酌されるのでお酌をし返す。
少しくらい飲んでも夜の公演に影響は無いだろうということで。
アリアに「お酒に溺れて、舞台が怖いって泣きついてみたら?」と言われたことも今飲んでいる理由。
俺はちっとも自分を客観視出来ていないようで、彼女からすると、とても追い詰められている顔をしているそうだ。
こういう時に舞台に上がっても、ろくなことにならない。
その結果、自己嫌悪が増して、次の公演でも悪い結果になり、あとは雪だるま方式。
正直、俺に対してそのような考察をしているとか、今のように生い立ちを語り始めるなんて、思ってもみなかった。
「私が歌うと元気が出るという人が多かったから、良く歌っていたわ。そうしたらある日、歌劇団の養成所に入らないかって誘いが来たの」
「それでその養成所に入って、あっという間に上へ登ったのですね」
「ええ。それで、小さな孤児女院を買ったわ」
養成所で妬まれていびられて挫けそうになっていた時に、その孤児院で癒されたから、売れ始めた時に自分の為にそこを買ったという。
「家族が居ない私に家族が出来たというか作ったの」
歌姫としてたけではなくて、慈悲深い乙女としても国中に名前が轟くようになったアリアは、煌国へ招かれることになった。
華国は煌国の第一属国で、華国女王の伴侶は煌国の皇子である。
最初は一人で来訪して、皇居で歌を披露という話だったが、それでは民の為にならないという煌国皇族の鶴の一声で、大規模文化交易の計画が進み、今日に至る。
「稼いで稼いで稼いで、煌国のあちこちの病院や孤児院、煌国では保護所でしたっけ、そこにばら撒くわ」
その寄付の仕方は付き人が皇居と相談中らしい。
「自分は姚国人ですが……これだけ煌国や華国に尽くしていますと……宣言するつもりですか?」
「そうよ。私の両親は煌国医療を学んだ治療家で、死ぬ間際まで祖国の者達を救おうとしていたわ。私は立派な姚国人から生まれた娘なの。親の話も出来ないまま生きるつもりはない」
「……」
美女だから歌劇団の養成所に入り、とんとん拍子に登り詰めた女性にしては、時折違う雰囲気を感じると思っていたらこういうこと。
アリアの若草色の瞳に、燃え盛るような炎が揺らめいている。
「私は姚国人として姚国の大地に再び足をつけて、両親が亡くなった地へお墓参りに行く。そして生まれ故郷で歌って、笑顔の花を咲かせるわ」
現在、姚国は煌国第三属国として、そこまで悪い待遇ではないらしいけれど、数多の者が徴兵されて、レイロウ国との戦線の最前線に立たされる捨て駒扱い。
戦争で父親を失った子が何かしらの理由で母親を失うと孤児になる。
孤児は男女関係無く主に歩兵として育てられて、若いうちに亡くなることが多い。
姚国のかつての王や政治家達が、煌国の味方にならずにレイロウ国を選んだ結果、姚国にはそのような負の連鎖が続いている。
自分にそれを断ち切る力はないけれど、歌で彼らの短い人生を煌めかせることは出来るはず。
「私の歌は死ぬまで輝くけど、私の人気は見た目も込みだから、落ち始めたらパッと辞めて姚国の孤児院で子育てするつもり」
「姚国の孤児院も……買うつもりですか?」
「ええ。しばらくあちこちで興行するつもりで、華国の孤児院は信用出来る人に任せたから大丈夫。私は死ぬまで眠れない子達の為に歌うのよ。素敵でしょう?」
高飛車で我儘な歌姫様の壮大な夢に茫然。
「三流役者ってその通り。私の取り柄はあくまで美貌と歌だもの。名声やお金が手に入る程、私には向いていない世界だと感じるわ」
遊霞は恋を選んだということに憤っていたのに、アリアもまた芸に人生を捧げるつもりはなさそうな気配。
いや、これはある意味「歌」に人生を捧げることと同意義だ。
しかし、彼女も遊霞と同じく舞台には生きない人間である。
「私はこの声を失ったらきっと死ぬわ。親の遺品で夢を叶える唯一の道具なんですもの」
親の物は何一つ残っていないが、この体、特にこの溢れんばかりの才能である声が両親の遺品。
誰かを癒し、楽しませて、その結果自分も幸せになれる美しい歌が自分という存在そのもの。
アリアはそう語り、とても嬉しそうに微笑みながらお猪口に口をつけた。
彼女が「流れる星は……」と小さく歌い始めた。
小さな世界でぐるぐる煮詰まって精神を消耗させている自分があまりにも惨めになってきた。
俺は俺の為に大舞台を占拠して、拍手喝采賞賛を自分だけに集めたいと熱望して、それが叶わないからといじけている。
「泣き虫ミズキー。あなたはせーっかく素晴らしいんだから、私の百分の一くらい誰かの為に芸をしてみなさい。そうしたらきっと、新しい扉が開くわ」
「まさかあなたにそんな説教をされるとは……」
小さな布で涙を拭かれたけど、照れ臭さとちっぽけな自分への苛立ちで、アリアの手を軽く振り払う。
「いじっぱり! だから追い詰められるのよ」
「私は可愛げはないし、慈しみの心もない、しょうもない人間でございます」
「そう? 嫉妬で密告するバカ女には教えないけど、ミズキは口は悪いけどうんと親切で優しい目をしているわ。だから秘密を共有しましたー」
この後、俺への気遣いなのか、アリアは話を変えて煌国へ来てからこのように楽しいという話をしながら飲みに飲んだ。
酔っ払ってニコニコ笑いながら、彼女は何度も歌い、その度にミズキ、ミズキ、演奏してと何度も俺におねだり。
「本当に素敵な音。でもイジュキはもーっと凄いのよ。イジュキはどこにいるのかしら……。この国のどこかにね、いるはずなのよ」
「イジュキとはどのような方ですか?」
「私に夢と希望を与えてくれた……おうじしゃまよ……」
酔いと歌いまくった疲労でアリアはむにゃむにゃ眠ってしまい、膝枕された俺はそのまま。
俺は人生で初めて舞台をサボった。
機嫌良く歌って眠ったアリアが、俺の膝の上で涙を流してたまにうなされるから、子守唄を歌ってあげたくて。
それに、優しい曲調の歌を口ずさんで頭を撫でると、アリアは気持ち良さそうな寝顔になったから。
——星空がキラキラ光っているようなすてきな音でした。魔法みたい。あなたの手は魔法の音を作れるのね
——魔法でてんしが幸せになってすごかったわ!
不意に昔の記憶が蘇った。
確か、あの子は親を病気で亡くして天涯孤独で、戦で家族親戚を全員亡くしてしまった、とても悲しい女の子。
ずっと塞ぎ込んで喋らないし全く笑わなくなってしまったから、元気を出して欲しいと考えた旅医者達が、元気の出る劇はどうかと考えて連れてきた。
——その彼女が君のおかげでようやく笑って喋った。ありがとう。
——偉かったなミズキ。お前は私達の誇りだ。これからもどんどん彼女が言ってくれた魔法を使いなさい。
「……そうだ。俺はそう褒められて嬉しかったから……。なんでそこを忘れていたんだろう……」
あの子の名前は何で、どこへ行くと言っていたっけ。
俺の手紙を読んだあの子は、俺の無礼を許してくれただろうか。
今もあの日のように笑っていますように。
俺はアリアの柔らかい巻き毛を撫でながら歌い続けた。
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