十四
昨年が嘘のように体が軽いので、私はうきうきしている。
少しずつ色々なことが出来るようになったし、母が「何かしたいことはない?」と聞いてくれたので、緊張しながら伝えたら、良いことですから手配しますと笑ってくれたので。
私がまずしたいことは、寺子屋へ行って、勉強をすること。
学校へ通えなかったので、凖学校である寺子屋に興味津々。
老若男女が居るというので、年が近い友人が出来るかもしれない。
次にしてみたいことは、お茶会へ行くこと。
その為には作法を少し覚える必要がある。
欲張りなことを言うと、兄の友人の姉妹が参加するお茶会に行って、彼女達と会話してみたい。
そうしたら、友人が出来るかもしれないからだ。
両親が、私に体力がもっとついたら、花嫁修行をどんどん増やすというので、今の私の目標は、体力をつけて、人がいるところへ行き、友人を作ること。
今日は家の近くの小物屋へ一人で行って買い物をしてみる。
一昨日、使用人と二人で店前まで行ってみて、大丈夫そうだったので挑戦だ。
緊張しながら家を出て、困ったら火消しか兵官と心の中で唱えながら小物屋へ到着。
買いたかったものは旧煌紙で、帰ったら意を決してその紙に龍歌を書くつもり。
そしてさらに勇気を出して、レイスへ贈る予定。
母が、彼はきっと私に龍歌を書いて送ってくれるから、返事を用意しておきなさいよと、期待をもたせるようなことを言うから。
目的の物を手に入れて、長年使えなくて貯まりに貯まっているお小遣いを使って家族と使用人にお菓子を買いたいので少し寄り道。
歩いていたら、少しめまいがして、散策はまだ早かったかもと慌てて道の端へ寄った。
少し辛くなってきたのでしゃがんでしまった。
すると、わりとすぐに「大丈夫ですか?」と声を掛けられたので顔を上げる。
この制服姿は兵官だ。
彼のだんだら羽織りの色が皆と異なるし、その袖についている腕章には「副」の文字。ぼんやりしているけど多分そう。
視界が若干ぼやけているので顔が分かりにくいけど、彼の他に、何人もの兵官がいるのは分かる。
「……副隊長さん。少し休めば大丈夫です……」
私が暮らす街の兵官を束ねる隊長は一人で、その下には副隊長が二人。
その知識は母や兄が教えてくれた一般常識のうちの一つ。
「連れはいますか?」
「……いえ。一人です」
一人で外出禁止になってしまったら嫌なので、ここで休んで元気になって何食わぬ顔で帰りたい。
「家は近くですか?」
「いえ。少しばかり遠出で観光です」
「それなら近くの……ここからならあの病院だな。病院で少し休ませてもらいましょう。何が悪いのか診てもらえますし」
「お気遣いありがとうございます。生来、体力がないだけです。でも、ここでこのままは目立つのでどこかで休みます。病院が良いならそうします」
少し良くなった気がするので立ち上がり、やはりまだ軽いめまいがするので、病院で休みますと伝えた。
「君達、二人で彼女をそこの病院まで送ってもらえると助かります」
副隊長に声を掛けられたのは、中年男性と弟くらいの男の子。二人は快く了承してくれた。
「あの。ルーベル副隊長さんですか?」
もう一人の副隊長かもしれないけど、視界がはっきりしてきて、顔が良く見えるようになり、柔らかい顔立ちだと判明。
この人は多分ルーベル副隊長だ。もう一人の副隊長は熊みたいらしいので。
レイスは叔父とそっくりみたい。彼が年をとったらこういう顔なのかと、愉快になった。
「ええ」
「奉公人が大変お世話になっているそうです。その上、声を掛けて心配していただき、ありがとうございます」
「そうなんですか。ご丁寧にありがとうございます」
優しい笑顔もレイスに似ていて、もっと体力をつけて、彼とお喋りをするぞと意気込む。お出掛け出来たら最高だ。
甥っ子さんが練習文通に付き合ってくれていますとは、恥ずかしいので言えない。
兵官集団を見送り、付き添ってくれる二人と共にゆっくり歩いて、待合室に座らせてもらい、事情を伝えてもらったので休憩。
しばらくして、薬師が来て、休むだけと聞いたけど一応と言われて、診察してもらうことに。
動けるかどうか確認されて診察室へ招かれて、首とまぶたを軽く触られた。
「……あなた。最近、転んだりつまづいたりしませんか?」
「いえ、特にです」
「どこか痛むところは?」
「特にありません。何かありますか?」
「……。改めてご家族と来て下さい。なるべく早い方が良いかと」
わざわざ家族を呼ばないとならないなんて嫌な予感しかしない。
せっかく元気になってきたというのに、何かあるとしたら、それが深刻なことだと家族は皆、がっかりして、とても悲しむだろう。
「……家族はいません。母一人、子一人で生きてきて、先月、一人になってしまったのです。私は遅くに出来た娘でして」
私は今日、嘘つき娘だな。
「それは……」
「なので今、直接教えて欲しいです」
家族にはまず秘密にして、体に不調が現れたら、いつもお世話になっている薬師が呼ばれるはず。なので、家族はその時に知れば良い。
家族に、なるべく長く心配しない期間を与えてあげたい。
薬師は「石化病」を知っているかと私に尋ねた。
知っているのでそう答えつつ、長い闘病生活にはなるけど、黄泉招き病よりは全然大丈夫そうだと安堵。
これなら家族に教えても問題ない。
「ご老人だけが罹ると思っていました」
「そのお顔にその台詞、他の皆さんと同じ知識しかないのですね。まぁ、知っている方が珍しいです」
続きはこうだった。
若者の石化病は死病。今の私は症状がないし、兆候も少ないので、今日、明日死ぬことはないけど、三年もつか分からないと宣告された。
急激に悪化することもあるので、半年、数ヶ月、半年、一ヶ月かもしれない。
「……そう……ですか……」
黄泉招き病とは次元が異なる病気のようで、確実に死ぬと宣告されたので恐ろしくなり、胸が苦しくなってくる。
「天涯孤独なら役所に支援してもらいましょう。それに職場の方。心苦しくても頼るべきです。予算に合わせて、少しでも苦痛を取り除くお手伝いや、支援金の申請……」
「あの! これからのことをまず自分で考えます」
呼び止められたけど、私は逃げるように部屋から出ていき、そのまま病院からも去った。
どうしよう、と空を眺める。
ずっと晴れていたのに、どんよりどよどよ、曇り空。
これは一雨降りそう。
私は雨の中で傘をさして歩いたことがない。
健康体の時、幼い頃はあったかもしれないけど、記憶にはない。
近くのお店へ行き、傘を購入して、家とは反対方面へ歩くことに。
せっかく元気になって家族孝行するはずが、また闘病生活で、今度の病気では確実に死ぬみたい。
私は本当に家族不幸な娘である。
これまで病気と戦っている間は、悲観的になっても持病ではないし、出口のない道を歩いていたので、どこかで「治るかもしれないから頑張ろう」という気持ちを保てていた。
しかし、死病に襲われたので三年以内には死ぬ、平均は一年もないと宣告されたから、糸が切れたみたい。
なんだかもう、疲れてしまった。
早いと数ヶ月で亡くなるなら、何をしたいと自らに問いかける。
片想いは出来たから、それに関しては悔いはない。しかも、海岸を一緒に歩けて幸せだった。
この間、疲れて眠り込んでしまったせいで赤鹿乗り体験は出来なかったので、再挑戦出来たら良い。
死んで悲しませるなら友人は作らない方が良いけど、お茶会に参加くらいなら良いだろうか。
病気とは言わずにお喋りして、その日だけ楽しく過ごす。
そのくらいのことは許されたい。
とても悲しいことに、この間、飛行船事故で華国の人々が大勢亡くなってしまった。
そのように、人は時にあっけなく死神に連れて行かれてしまうので、私が突然死しても、うんと悲しむのは家族くらいだ。
家族くらいになるようにしないとならない。
私はなぜこの世に生まれたのだろう。
生まれてきて、他人に迷惑をかけてばかりでは忍びない。
何かしたいけれど、何も思いつかない。
誰かに優しくしたり手助けして好まれたら、死んだ時に苦しませるから、何もしない方が良いのだろうか……。
今、こうやって家から逃げている時点で既に家族に大迷惑をかけている。
そのうち、使用人が私の帰りが遅いと心配して、お店に顔を出している母に知らせて、捜索されてしまう。
でも、私の足は全然家へ戻ろうとしなくて、どこへ向かおうとしているのか分からないまま動き続けている。
歩いて、歩いて、雨が降ってきても歩いて、歩いて、気がついたらとても大きな神社へ到着していた。
鳥居にフェリキタスと書いてあるので、ここが私が暮らす街で最大の大神宮だとぼんやり。
どうやら私は神頼みにきたようだ。
「……」
龍神王様は告げている。
生来持つ悪欲を善欲へ変えれば我や我の副神が味方しよう。
私はずっと、人に迷惑をかけて生きてきたので、どう考えても世界にとって善い人間ではない。
だから、死病を患った理由は、役立たずは早く死ねということだろう。
こういう考えは、とても良い人なのに死病に襲われた人に対して失礼。
このような自分が神様に祈って、他の人の祈りを邪魔するなんておこがましいので、鳥居をくぐらずに、そのまま歩き出した。
三年なら奇跡で、平均は一年で、急変したら一ヶ月や数日かもしれないなら、家から出るのはこれが最後かもしれない。
世界をろくに知らないまま死ぬのは嫌。
何も成せず、何も残せず、他人に迷惑ばかり撒き散らす人生だ。
どうせ地獄へ堕ちるなら、もっと我儘になろう。
今日一日くらい美しい景色を眺めたい。
それなら、思い出の海が良い。
小雨で雲が薄いので、きっと雨は止む。それまで待ったら、海はきっと絶景だ。
そういう訳で、私は雨の中を歩き続けて、立ち乗り馬車の停留所を探し出して乗り込んだ。




