十三
あんなに元気そうなのに、アズサの命はわずか三ヶ月程度。
めまいと吐き気がして、体を丸めて泣いてしまい、息が苦しくてならない。
気がついたら父に肩を叩かれていた。
「何があったのか知りませんが、しっかりしなさい」
隣にいたはずのロカが父と共に立っていて、室内に俺とロカと父の三人になった。
父は俺の隣に腰を下ろして、背中に手を回してくれた。そっと撫でられて、少しだけ落ち着く。
「そのようにゆっくり呼吸しなさい。先程のは過呼吸でしょう」
「ロイさん。すみません。少し一人でも平気かと思った私の判断が甘かったです」
「いえ。ロカさんの判断なら間違えではないでしょう」
俺はそのまましばらく父に背中を撫でられ続けて、かなり落ち着いてくると、何か言う前に父が口を開いた。
「それではロカさん。話をお願いします。なぜレイスはこんなことに」
ロカが少し話し始めると、俺の体は自然と震えだした。
話はまず、海岸でアズサが気絶のように倒れたところから。
それで近くの鶴屋に運んだので、ロカが自分なりに診察したということ。
かなり良くない兆候があるので、ロカは薬師としてそのことをアズサの両親に伝えて、記憶があやふやなところもあるのでと告げて、資料を確認しにここへ来たと説明。
「確かな知識で既に状況は悪いですが、それに加えて確かめたかった記憶も不正解ではなくて……」
「ロカさんなら、甥に教えても良いか、その場で質問してくれたでしょう。だからレイスはここにいる。そうですか?」
「はい。レイスが今後、息子さんに娘さんのことを尋ねて負担をかけたり、何も知らないゆえの不安が顔に出て、娘さんの精神状態に悪い影響があったら困るので教えたいと言いました」
「アズサさんはだんだん健康になっていると聞いていましたがそうなのですか……。かなり良くない兆候とは、若者でそれだと……石化病ですか?」
石化病は老人の病気だと言おうとしたら、ロカが「ええ」と悲しそうに目を伏せたので驚く。
「父上、叔母上、石化病はご老人が罹る病で、生活の質は下がりますが、対症療法で付き合っていける……」
二人の顔に違うと書いてあるので俺の声は小さくなり、途中で出なくなった。
「レイス。その話は後で。ロイさん。アズサさんはこちらに記載されている稀な死病も患っていそうです」
父は他が差し出した開いてある本を手に取り、目を通し始めた。
「落眠石化病……初耳ですが、この症状は秋蜻蛉の主人公の想い人が患った病に似てそうです」
「秋蜻蛉? それこそ初耳です」
「そこそこ文学好きなので、義兄特権でウィオラさんにこの神社の蔵書を借りていまして」
「ああ。お義兄さんとお義姉さんは良く本を貸し借りしていますね」
「……そうですか。あの本では病なのか分からずに終わりましたが、現実では国は把握しているんですね。平均寿命半年、最長一年と八ヶ月と三日……」
俺は思わず父が手に持つ本を覗き込んだ。
【この間に位置する大陸中央部は、ほぼ煌国領土にて、医療資源豊かな大国での調査は不要】
さらに読み進める。
【懇意の役人により、煌国での実態を把握。国として把握している限りでは二代前の皇帝陛下の時代からの調査で、年間罹患者は十数人、平均寿命半年、最長は一年と八ヶ月と三日である】
ただし、この国では一部の区民の死亡処理が雑なので、その分正確性は低くなるが、他国と比べれば最も詳細な調査内容である。
その文言の後に、医療大国煌国でも治療法は見つけられていないと続いて、俺の震えは増した。
しかし、一筋の光は見つけられた。
「お、叔母上! アズサさんは二年近く生きられるということですか⁈ 三ヶ月ではなく!」
二年あれば治療法が見つかるかもしれない。
しかし、悲しげな表情のまま、首を全く動かさない叔母の様子で、胸が苦しくなっていく。
ロカはこう告げた。
石化病の罹患率は年齢と共に上がるが、代わりにその牙は丸くなっていき、死病ではなくなる。
しかし、十代での致死率は十割近く、自分が薬師になって出会った患者は全員亡くなっている。
健康な若者の身体調査は中々行われないので、何かおかしいと薬師所を訪ねてきた時には、全身に兆候が散見されるが、アズサにはその兆候のどれもほとんどない。
両親から聞いた限り、自覚症状もなさそう。
「だから明日亡くなるなんてことはないはずだけど、若者の石化病の進行速度は人によって差がありすぎて誰にも予測不可能なの」
「……つまり、落眠石化病で亡くなる前に……石化病で亡くなるということですか?」
歯がカチカチ鳴って上手く声が出てこない。
「ええ。若い人は、今日、明日ということも……」
「……逆、逆は? 最長どのくらい生きた方がいますか⁈ 祖母上は薬を飲んで長生きです! 石化病には薬があります!」
「テルルさんが使っているのは対症療法薬で治療薬ではありません。薬は体の苦痛を取り除くお手伝いをしているだけ。石化病の進行は、年齢と共に緩慢になるから、テルルさんは長生きなんです」
なんで、なぜどちらの病気にも治療法がないんですかと、俺は絶叫していた。
「世の中には治療法が無い病気ばかりよ! だから私達は日々励んでいるの」
「やめなさい、レイス。ロカさんを責めたって何にもなりません」
「責めるつもりは……すみません……。そんな気は全く……」
父の手が俺の頭を押したけど、その前に自分でも謝りながら頭を下げた。
すると、父が畳に置いた本が視界に入り、そこに記された文に、俺の体はわなわな震えた。
落眠石化病のこの国での名称は「慈恵死病」となっているが——……。
死病に慈しむという字に恵まれているなんて字を使うなんて狂っている。
他国に合わせて落眠石化病に変更する予定だが、それは政治的に使用する為で、国家医学共通教本には不記載のままでいく。
稀有な病で、痛みなく、眠るように亡くなり、治療法がない。
診断をつける意味は全くなく、他の疾患と誤診されても害はないので、この病の存在を知る医学関係者は居なくても良い——……。
「なんですかこれは! 知る者が少なければその分治療法の研究は進みません!」
この本を書いた誰かも、俺と同じような意見を記している。
しかし、続きがあって、罹患者数の多い石化病の研究が最優先なことには同意する。
医療人材は限られているので、取捨選択しなければならず、煌国衛生総省の——……
「ロカ! レイが人を助けて溺れて死んだ!!!」
転がるように部屋に飛び込んできて叫んだのは母で、彼女は息も絶え絶えというように、ほぼ四つん這いで這うようにロカに近寄った。
「お姉さん! 溺れて死んだって何⁈」
「死んで生き返った!!!」
「生き返ったって何⁈ あっ! まさか心臓が止まったけど動き出したってこと?」
「そう、それ! ユミトさんが来てレイを病院へ運んだの。違う、病院に運んでから来たの。それで空から火の玉が落ちてきて、お兄さんが出動した!」
「そ、空から火の玉? えっ? 何? どういうこと?」
「分からないけどユミトさんがロカを連れてきてってー!!!」
いつもは冷静な母が、半ベソでロカに縋りついたし、レイが死んで蘇ったという単語からも緊急事態だと理解出来る。
部屋を出て、母に言われるまま皆でユミトのところへ行くと、彼は「お願いします!」と叫んでロカを掴むように持ち上げて、赤鹿で駆け出した。
走り出して少ししてから、ロカは赤鹿に乗せてもらえた。
新年早々、不吉なことばかりだ!!!
「待って下さい! 叔母上が必要な人は他にもいます! レイ叔母上はもう病院にいるのに、ロカ叔母上は必要ありますか⁈」
俺は走って、走って、走って、大声を出したけど、赤鹿は力強くて速くて、みるみる遠ざかっていった。
途中で足がもつれて転びかけ、他人にぶつかってしまった。
反動で地面に転がり、あちこちが痛む。
「すみま……」
「先生、大丈夫ですか? そちらの方も怪我はないですか?」
小太りの中年男性が俺と隣にいる人物を交互に見た。
彼の隣にいるのは、綺麗ではない褞袍を羽織った、長い前髪で顔が隠れている、ぼさぼさ頭の男なのか女なのかも分からないという人間。
袴に男性物の下駄、褞袍の下は藍色の着物なので多分男。
「うわっ。血が出ています。手当てをしないと。先生、家に招いてええですか?」
中年男性は俺に手を差し出してくれた。お礼を告げてその手を借りて、ゆっくりと立ち上がる。
「良い訳ないだろう。余所見をして走ってぶつかってきた相手をなんで家に上げなきゃならない」
「だって怪我人ですよ」
「そんな怪我がどうした。放っておけば治る。気になるならそこらの火消しに引き渡せ」
「化膿したら長引いて痛くて辛いです。先生、そんな優しくないことは言わずに。ね?」
「うるさい。なんで来た道を戻って、遠い家に呼ばなきゃならないんだ。少し他人と喋れってことだろう。このお節介め。家に招くなんて絶対にお断りだ」
前髪男が懐から財布を出して、中身を出して地面に放り投げた。
一大銅貨が数枚、地面にぶつかって、音が鳴り響く。
「貧乏人にたかるお坊ちゃんとは奇妙だな。はした金くらいくれてやる。アザミ君、俺は帰る」
「ちょっ、なんて言い方をするんですか。素直に汚した着物や怪我の治療代って言うて下さい。それに帰るってなんですか」
「気分が悪くなったから帰って寝る。新年祝い丼とやらはアザミ君一人で食べろ。あの謎の炎のことは、そのうち新聞で分かるだろう。使えるかもしれないから資料を集めておけ」
「気分じゃなくて機嫌ですよね? それでいつも不機嫌なんですから問題無し。先生も食べるべきです! 先生! 行きますよー!」
アザミという男性は、先生という前髪男の右腕を掴み、行きますよ、行きますよと引きずっていった。
名前を呼ばれて振り返ると、父がすぐそこまで来ていた。
「なんですかあの失礼な人は。ええ人が付き人みたいなのでそこはええですが。レイス、よく分かりませんが空から炎が落下してきたらしいです。ほら、あのあの煙の方面」
父が手で示した方面には、確かに黒煙が立ち上っていた。
「何か分かりませんが、神社にいましょう。他の区民も避難してくるかもしれませんので、神職の親戚として手伝います」
「父上! 自分はアズサさんのところへ行きます! 彼女やご家族も避難させないと!」
「ロカさんはまだ色々話していないはずです。自分が代理を務めます。そして君ではなくて、ユリアを同伴させます。あの子なら眠っているというアズサさんを運べるでしょう。鶴屋の皆さんも、可能なら神社へ避難がええです」
「父上! 今日や明日……」
「人のいる場所で不用意なことを口にしないように。それにもしも彼女が目が覚めていたとして、その顔を見せられますか? 人として、親として、見せられません。弟や従兄弟達の世話をしていなさい!」
普段、俺を叱る父とはまるで別人のような叱責に身を縮める。
父は俺の背中に腕を回して、ゆっくりと歩き出した。
「覚悟を決めて寄り添うのなら、強くあらねばなりません。縁を切って見ないふり、聞かないふりをしないなら、強くなりなさい」
父は続けた。君ならきっと、大事な人や友人の一大事から逃げたりしない。
だから泣くのは今のうち。涙が枯れるまで泣いてしまいなさいと。
それで俺を先程の部屋へ戻し、一人にした。
俺は父に言われたのもあり、ひたすら泣いた。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、懐からコロンと変なカタツムリが落ちたので、落としてごめんと謝る。
そういえば昔、叔母ウィオラが幼い俺にこんな話をしてくれた。
副神様は生き物に化けていて、健康を司る副神様の一鱗は、カタツムリの中にいる。
副神リマクスはどんな怪我も治せる薬を作ってくれる。
植物の葉に緑色の露があったら、病院へ寄付しなさい。
その時は、神職の叔母がそうしなさいと言いましたと伝えるように、と。
アズサを救うことが出来るのが龍神王様や副神様だけなら、俺は創り話にだって縋る。
それしか出来ないのなら、それをするしかない。
アズサに残っている道は、龍神王様や副神様の気まぐれな加護があることを願うだけ。
「叔母上は他にも……神社の蔵書を読んだって……」
蛇の中にはセルアグ、蜂にはアピス、蜘蛛はアトラナト……俺は沢山の副神様話を教わっている。
だから、どうした。
「なんで人を助けた叔母上が死にかけていて、優しいアズサさんが死ぬんだ!!!」
畜生……と自然と声が漏れて、床を拳で叩く。
しかし、一度でやめた。泣いていたってアズサの為にはならない。
レイは溺れただけで蘇生もされたようなので、きっと医者が助けてくれる。
しかし、アズサを助けてくれる医学関係者はどこにもいない。
ここは書庫のようなので、伝統のある格式高い神社の蔵書になら、なにかあるかもしれないと、俺は端から順番に読み始めた。
やがて雨が降り始めて、激しくなり、雷まで鳴り始めたけど無視。
ふと見たら、変なカタツムリが頭を出していて、体まで鉛色なのでやはり変というか新種? と思いつつ、殻を撫でた。
「学者に見つかると解剖されるかもしれないです。自分の家の庭でのんびり暮らすとええ」
手を差し出したら掌にのぼってきた。なんとなく、懐かれた気がしたので、声をかけて手拭いに包み、潰れたら大変なので今度は袖の中へ。
祖父母や両親がそうだから俺は生き物が好きだけど、町内会は昔揉めたからと犬猫飼育禁止。
それで、俺達は野良鳥が遊びに来られる巣箱を庭に作ってもらった。
妹のユリアは、旅行で拾った変なトカゲを飼っている。あのエリトカゲが許されるなら、カタツムリを飼うのも問題ないだろう。
エリトカゲに食べられないようにしなければ。
俺は再び、読書に戻った。
★
アズサが死病に襲われていると知ったその日、俺の叔母レイは人を助けようとして海で溺れ、一度心臓が止まり、心配蘇生されて入院。
その時刻に、華国大規模交易団が使用している飛行船の一つが火だるまになって、南西農村区に墜落していた——……。




