十二
ひもじい年末年始を過ごすところだったが、母が帰ってきてくれたので救われた。
母の実家から風邪の妖はほぼ去り、残りはミズキだけ。
彼は三回目の風邪をひき、年末なのにまだ熱が下がらないという。
年末になったらミズキは東地区の実家へ帰る予定だったけど中止。
二人の妹弟子だけが帰省して、年始から少し経ったら新しい妹弟子が来るそうだ。
ミズキは年が明けて、体力がついたら、一時帰宅するという。
「修行は半年くらいという話しでしたが、もう少しウィオラさんから学びたいそうです。レイスとユリアの元服祝いまでこちらにいてくれたら、賑やかで楽しいですね」
母の意見に俺は賛同だし、兄的存在や友人としてまだまだ近くにいて欲しい。
そうして迎えた新年最初の土曜日に、叔母レイが働く鶴屋の前で、俺は大緊張しながら、叔母ロカと共に長椅子に座っている。
母が親だから付き添い人は自分と言ったけど、俺はそんなの嫌だからロカに頼んだ。
今日はこれから、アズサと少しばかり海岸を散策する。
そこで俺は、ミズキが床に伏せっているので、ロカの夫——叔父その三——に頼んで、なんとか枝文を完成させ、袖の中に入れて、すぐに出せるようにしてある。
「叔母上、本日はありがとうございます」
「頼られて嬉しいです。少し疎遠くらいの方が恥ずかしくないですよね」
「まさか。叔母上と疎遠だなんて心外です」
「冗談、冗談。もう文通練習相手として受け入れられていて、今日は単なる通過儀礼なので、そんなに緊張しなくても。かわゆい」
ロカに頬をツンツンされて、やめて下さいと手を払う。ニヤニヤ笑っているし、俺は人選を間違えたかもしれない。
母は嫌だし、ウィオラとレイは仕事で、ルカはきっと揶揄うと警戒したからこの人選だったので、ロカも同じだったかと諦め。
クギヤネ一家が鶴屋から出て来て、若旦那と叔母レイが一緒に現れて挨拶会が始まる。
俺はすぐ、アズサの姿に夢中。
お日様の下で彼女を見るのはこれが初。
顔色は良いし、また髪が伸びて前回と髪型が異なる。
新年だからか鮮やかな柄の着物なのだが、基本の色は白なので実に清楚可憐だし笑顔も眩しい。
アズサと俺とロカとアズサの母親四人で海岸へ行くはずが、クギヤネ家全員と俺達二人でという雰囲気になり、アズサと話せない位置を歩くことに。
スザクが俺の隣に来て、前を歩くアズサと、彼女と手を繋ぐ弟二人を眩しそうに眺めている。
「父上は娘がどんどん健康になっていくので惜しくなったようです。文通なんてまだ早い、まず家族との時間だと拗ね出して、母上と喧嘩しました。アズサさんは知らない話です」
「そうなんですか。自分の父親も娘の縁談時はそうなるでしょう」
「アズサさんと少しくらい二人になれるようにします。まさか、何も用意していないなんてありませんよね?」
「……まぁ」
「まぁってなんですか。男らしくない弟は要りません」
「なんで自分が弟なんですか」
「背丈も雰囲気も自分が兄です」
「成績は自分が上です」
「なにおう! それなら卒業試験の順位で勝負しましょう。どちらが首席になるか勝負です!」
「スザクさんには頑張って欲しいし、勝負というなら励みますが、満点首席を引きずり落とすのは無理でしょう。なにせ満点ですから」
「ですよね。自分達も満点首席を狙いますか。主席が三人で、次席、三席無し。学校の歴史上なさそうです」
この会話を聞いていたロカが、スザクに「学業優秀なのですね」と話しかけたので、俺が代わりに自慢。
「希望の進路はありますか?」
「中央、地方問わず衛生省が第一志望です。地区中央所属でも地方勤務があるそうなので、それが一番嬉しいです」
進路の話なんてした事がなかった。意外な事実発覚。
「三席ですから、もっと上を目指せるのに、進学を狙わず、総省も狙わないんですか?」
地区中央という言い方だと、衛生総省ではなくて、その下の衛生省南地区本庁のことになる。
「なぜ衛生省なんですか?」
「我が家には医師や薬師になれるツテコネも財力もありませんが、学問に励めば、彼らを支え、知識研究資料を集める役人になれます」
「へぇ。お金があまりでも薬師になる方法ならあります。今度、お父上と共に私が働く薬師処へ遊びに来て下さい。可能なら、来週の土曜がええです」
「えっ? あの。薬師さんなのですか?」
「ええ。その話はまた」
そこからの叔母は富豆腐の話題を出して話を逸らした。
海岸へ到着すると、何か言いたげなアズサの父を息子達が抑えるように引き留めて、アズサの母に「ここからよく見えるので、私が近くにいる必要はありませんので、どうぞ」と笑いかけられた。
「アズサさん。波にさらわれたら困ります。海へ近寄りたかったら、レイスさんに見張ってもらいなさい」
母親に声を掛けられたアズサは海を眺めていたけど振り返り、ぼっと顔を真っ赤にして、扇子を取り出して顔を半分隠した。
「ここ、ここから眺めておくだけにします……」
「あらあら。髪型はこう、着物はこうと、大騒ぎでしたのに良いのですか? 貴方と散歩は嫌ですと受け取られますよ」
照れただけで本気の拒否ではありませんようにと手に汗握る。
「お母様! その、そのような話はしてはいけません……」
俺の叔母ロカが、あそこにカニが歩いているから、利用しなさいと俺の耳元で囁いて、背中を押されたので、深呼吸をしてそうした。
「アズサさん。あそこにいるのはカニのようですよ」
たったこれだけのことなのに、耳から心臓が飛び出しそう。
「カニさんは絵でしか見た事がありません」
近寄ってきてくれたアズサを手招きして、揃えた指でカニを示して、近寄ってしゃがんだ。
アズサも俺と少し距離を保って腰を落とした。
「これが本物のカニなのですね。本当に横歩きしています」
「前には歩けないらしいけど、本当なんですかね。誰がそんなにカニをずっと眺めていたのでしょう」
「あら、素早いですね。お待ちになって」
サーッと逃げ出したカニを、立ち上がってふふっと楽しそうに笑うアズサが追いかける。
俺は今、カニになりたい。
「レイスさん。けもじなカニがいます。貝殻を背負っていますよ。可愛らしいです」
カニを追いかけていたアズサが足を止めて、視線を移動させたので俺もそこを確認。
砂の上を一生懸命歩きながら、金平糖を運ぶヤドカリがいる。
少し大きくて、見たことがないヤドカリだけど、しょっ中海へ来られる訳ではないし、海は変わった生き物だらけなので、俺が知らない種類のヤドカリなだけだろう。
「こちらは多分ヤドカリです。誰かが金平糖を落としたんでしょうか」
「ヤドカリさんという生き物なのですね。一生懸命生きていますね」
指で砂浜に宿借と書いてみたら、元々笑顔だったけど、アズサは更に柔らかく微笑んだ。
「こちらの巻貝はお宿なのですね」
「名前が家カニではないのは不思議です」
「確かにこの貝は家のようなのにお宿なのですね。あら、くださるのですか?」
奇妙なことに、ヤドカリはアズサに差し出すように金平糖を置き、砂の中へ潜っていった。
「どうしましょう。せっかくのお食事でしたのに」
「要らないなら貰えばええかと。まぁ、砂まみれで食べられないので……海へ返しますか?」
「せっかくいただきましたので、持ち帰って神棚に飾ります」
アズサは金平糖を手にして、懐から出した小さな手拭いに包んで大事そうにしまった。
「金平糖にしてはあまり固くなかったです」
「そうなんですね」
アズサが次に発見したのは壊れていない貝で、次は砂浜に沢山空いている穴。
あれはなんでしょうと無邪気にはしゃいで楽しそうなので非常に癒される。
「あの、アズサさ……」
この素晴らしい景色の中で、用意した枝文と思ったら、アズサは突然よろめいた。
明らかに様子がおかしいし、このままでは倒れると慌てて体を支えたけど、意識のない人間はこんなになのかと予想外に重くて体勢を崩して砂浜に尻餅。
だらんと仰け反ったアズサは目を閉じていて、腕からは力が抜けており、どう見ても彼女は気絶している。
「叔母上! 叔母上! アズサさんの様子が変です!」
俺が呼ぶ前に次々と人が駆け寄ってきていて、一番乗りはスザクだった。
「アズサさん! アズサさん!」
滑り込むように砂浜に座ったスザクがアズサの肩を揺らして叫んでも、彼女はまるで反応しない。
次に来たのはアズサの父親で、とりあえず横にしようと、俺から彼女の体をそっと奪っていった。
さっと気を遣ったスザクが着物の羽織を砂浜に敷いたので、俺も慌ててそうして、その上にアズサを寝かせると叔母が到着。
「レイス。運んでくれそうな兵官さんか火消しさんを呼んで来て! 皆さん、とりあえず私が診察します。私は薬師です」
「薬師さんなんですか。娘をお願いします」
「は、はい! はい叔母上!!」
海岸から道へ出て、即座に火消しさん! と叫びまくりながら鶴屋へ向かう。
火消しはすぐに見つかり、事情を説明したら、一番近くの防災道具を使って彼女を病院へ運ぶというので、なんでも手伝うと告げた。
「それならここを真っ直ぐ行くと鶴屋っていう宿があるから、部屋を貸してくれって言ってきてくれ。若い娘さんなら、月のもので立ちくらんだとかだろう。あそこは親切な店だから、少し休ませてくれる」
「叔母が働いているので頼んできます!」
女性は大変だと教わって育ったけど、誰にでもあることなら一安心。
鶴屋へ行き、最初に出会った従業員に、自分は料理人レイの甥で若旦那に話があると頼んだらすぐに会えて、事情を説明したら、そういう人用の休憩室があるのですぐに用意してくれるという。
外から運びやすい場所で、受付部屋に入らなくて済むから騒がれることもないそうだ。
俺はこれからはこの鶴屋をしっかり宣伝すると決意。
繁盛しているからいいやは間違っていた!
来た道を戻っていたら叔母達と合流。
鶴屋が親切にしてくれると伝えて、火消し二人が持つ板でアズサを運んでもらい、皆で一緒の部屋へ。
「そんな深刻そうな顔をしなくても。俺らも診たけど疲れて寝ているだけだ。新妻に無理をさせちゃあいかんぞ。ははは」
とんとん、と火消しはスザクの肩を叩いて去っていった。
「寝ていることが増えたけど、こんな急に寝てしまうなんて無かったから焦ったが、寝ているだけなのか」
「あなた。良かったですね。カゴを使ったけど、遠出でしたので疲れたのでしょうね」
「自分がアズサさんと夫婦で、夜な夜なみたいな言い方をされるなんて心外です。寝不足の理由なんて他にもあるのになんですか」
「火消しさんは話が突拍子もないなんていうからな」
スザク達家族は安堵したような雰囲気になっているけど、叔母だけは難しい顔をしている。
「今、寝ていることが増えたと聞こえましたがそうなのですか?」
叔母の問いかけに、アズサの母がそうですと答えると叔母はあれこれ質問を開始。
それで、どんどん顔色を悪くしていった。
「あの。娘に何か悪いところがあるのでしょうか」
「症例を見た事がないし、主治医も担当薬師も何も言わないのなら、体に変なところはないのでしょうが……」
気になるので体をあらためますと宣言した叔母は、アズサの母親以外の人間を部屋から出した。
それで、少しすると父親だけが呼ばれて、しばらくすると「そんな!!!」という、アズサの母の大きな声が響いた。
こんなの悪い予感しかしなくて、俺とスザクは二人で並んで立って、無言で俯き続けた。
「兄上。姉上は悪いのでしょうか」
「姉上は元気になられたのですよね? 怖いです」
スザクの弟達二人は、兄の手を握ってしがみついた。
「アズサさんは昨日、庭で、干からびてそうな蛇に水をあげていました。嫌いな蜘蛛も殺さないであげてと言いました。優しい、優しいアズサさんを、龍神王様はきっと守ってくれます」
「でも兄上! 龍神王様は綺麗で優しい素敵な女性をさらいます! 黄泉は黄泉でも天の原は良いところだと!」
「そうですよ! 僕だって空から姉上を見つけたらさらいたいです! 蛇に蜘蛛に猫にみみずなど、色々な生き物が龍神王様にええ子がいるって、教えてしまっています!」
「だから昔から黄泉へ招かれそうなのです!」
「黄泉招きは終わってなかったんですよ!」
スザクが大丈夫、大丈夫と泣き出した弟達をあやしていると、三人の両親が来て、困り笑いで「そんなに深刻ではなさそうです」と子供達を部屋に招いた。
入れ替わりで叔母が出てきて、俺を手招きして、廊下を進み、部屋から離れた。
「あの、叔母上……。他所様の家のこととはいえ……何も分からないのは……心配です……」
「ご両親が話してええと言うたので教えます。レイス。急いで帰りましょう。以前読んだけど、きちんと頭に入っていません」
「アズサさんは深刻ではないですか?」
俺の問いかけに、叔母は首を横に振った。
「帰って説明します。あっ。もしかしたらオケアヌス神社にもあるかも。まずオケアヌス神社へ行きましょう。ついでに快癒を願って参拝!」
心臓が嫌な音を立て続けるまま、叔母と二人でオケアヌス神社へ向かって家族親戚と合流。
ロカが「二人でちょっとあるので」と告げて、今日の赤鹿乗り体験に家族で参加予定で、奉巫女としての仕事もあるウィオラを探す。
途中、冬なので枯れ木状態の紫陽花の下に、変わった色のかたつむりの殻を発見。
スザクと弟達の会話を思い出したので、ひょいっとつまみ上げて、中身を確認したら、鉛色で変だけど、空っぽの殻ではなさそうなので、あとで水でもやったら元気になるかもと、手拭いに包んで懐にしまった。
これまでなら気にしなかったけど、アズサの弟達から彼女の優しい話を聞いたので。
昔、母が良く読んでくれた俺のお気に入りの異国の絵本は、どんなに小さくても、変だったり気持ち悪くても、生き物には優しくしましょうという物語だったのもある。
そうだ、アズサの瞳の中にある美しい流星群は、その絵本の終わりで主人公の幸福を願った生き物達の為に流れた優しい星達の絵と同じだ。
俺はあの絵が大好きで、いつもいつも眺めていたら、父が皆で流星群を見ようと言ってくれて、星降る夜に家族で真夜中の夜空を眺めた。
幼かった俺は眠くて眠くてならなかったけど、家族が起こしてくれて、秋の終わりで寒かったので父に後ろから抱きしめてもらいながら、幸福を作るという流星群をこの目でしかと見られた。
神社裏で家族と談笑していたので、ウィオラはすぐに見つかり、叔母が今読みたい資料もすぐに出してもらえた。
「急に勉強したくなって、レイスも気になるって言うから、ユミトさんが来るまで暇つぶししています」
「好きなだけ読んで下さい。ロカさんへ贈られた本の写本ですもの」
叔母は俺と共に、人のいないところでその資料に目を通した。
それは、母の友人である旅医者達がロカへ送ってくれた資料の写本の一つだった。
頁をめくっていた叔母の手が止まる。
その部分の見出しは、仮名称、落眠石化病となっていた。
「やっぱりあった。前に読んだ気がしたんだ。合わないところもあるけど……特徴も……似てる……」
突然発症し、異常な睡眠を繰り返し、やがてそのまま眠るように亡くなる。
煌国王都での実際に確認した症例はなし。ただし、古い文献には稀に記載あり。また、この病気らしき病を題材にした古典も存在する。
西国では、調べられた限りで実症例百三十二人。
うち生存者は一名。あらゆる治療は効かず、なぜ生き延びたのか理由不明。他は全員、三ヶ月以内に死亡。
大陸中央東部から大陸東部、北部寄りでは、調べられた限りで実症例……。
【他は全員、三ヶ月以内に死亡】
俺の視界はぼやけて、それ以上文字を読めなくなった。




