十
スザクが教えてくれたのだが、アズサは体が弱いそうだ。
どこが悪いというのはないが、とにかくすぐに風邪を引いたり寝込んでしまうという。
最近、改善の兆しが見え始めたので、妹はようやく半元服という体なのかもとスザクは笑っていた。
アズサ本人も手紙に似たような事を書いており、最近はやたら眠いけど、何日も寝てしまうこともあるけど、代わりに体が軽くなり、体力もついているという。
他人よりも眠らないといけない体だったか、丈夫になった体が更に良くなろうとしているのかもしれない。
寝る子は育つというのは本当で、自分はまだまだ幼い子供のようだと書いてある。
新年になったら、もっと元気だろうから、両親と弟達と共に、兄の演奏姿を観に行くので、その際に俺の演奏も聴くので、楽しみにしています。
この部分に俺は喜び、新年になったらまた会えるし、挨拶をしたら少しくらい雑談を出来ると、胸を高鳴らせた。
気がつけば、彼女に良い演奏を聴いて欲しくて琴に夢中。
我が家に指導に来てくれるミズキが、上達ぶりに驚き、褒めてくれるのもまた楽しくて、余計にのめり込んでいく。
下街遊びをしなくなったので、幼馴染達が手紙をくれるけど、今は忙しいのでと断っている。
テオだけは直接突撃してきて、俺が琴と勉強で忙しいと告げると、それなら一緒に勉強をすると帰らず。
黙々と勉強をしているので、害はないので放置。
そうして季節は冬になり、母が最近親しくしている学校の友人へ、お歳暮か新年のご挨拶品を贈りたいと告げた。
出来れば一度、遊びに連れてきて欲しいという。
「来年は就職試験年です。お世話になるかもしれませんし、逆にお世話するかもしれません。直接会って、ご挨拶をしたいです」
二人に伝えて、親へ手紙をと頼まれたので素直にそうしようとした。
すると、その前にイオリが俺達二人に、このままでは退学になると泣きついてきた。
「先生に呼び出されて、この成績では進級させられないと。学年末試験でこのくらいの点数を取りなさいと言われましたーーーーー!」
同じ教室の友人達には、教える余裕がない言われてしまったという。
スザクが「一緒に勉強会をしますか?」とすぐ提案したので、俺も乗っかった。
「この三人の中だと、自分の家からが一番通学しやすいので、我が家で合宿でもしますか? 両親が二人に挨拶をしたいと言っていまして」
母から預かっていた手紙を渡して、勉強合宿も含めて、親に相談してもらうことに。
試験期間前の趣味会禁止期間が始まる前の最後の日だったので、明日からは何か用があれば教室へ会いに行くと決めた。
その日、帰宅して母に報告したら、自分は許可するので、後は父に頼みなさいということで、夕食後に書斎にこもった父に相談。
「我が家だけだとお礼がどうのとなりますから、三人の家を順番に回りなさい。我が家は最後で」
「はい。ありがとうございます」
「鍋の季節ですので、こちらもそうしますので、手土産は白菜ひと玉と伝えるように」
「はい」
下街幼馴染の家へ——と、言ってもテオのところくらいにしか行かないが——行く時と似たような手土産で良いのかと不安になる。
「全員で離れを使いなさい。その日、ユリアは外に出しますので」
「ありがとうございます」
「ユリアにその日はどこへお邪魔したいか聞いておいて下さい」
「はい」
この後、ユリアにこのことを伝えに行ったら、すぐそこの幼馴染の家で夜通し遊ぶというので父に報告。
俺達の幼馴染、ユイネの父親は父の親友なので、話はすんなりまとまるだろう。
父も「分かりました」という返事しかしなかった。
「レイス」
「はい、父上。なんでしょうか」
退室しようとしたら父に呼び止められた。
「ミズキさんに報告を受けました。文通までなら自分の判断でも許されると考えていたけど、家へ行って会うかもしれないと話は別だからと」
「……クギヤネ家のお嬢さんのことでしょうか」
「我が家と異なり、娘さんを君から遠ざけないようなら、失礼のないようにしなさい。我が家は卿家。犯罪者の娘や犯罪者でなければ反対しません」
「……ありがとうございます」
こうして、俺が文通していることは父に伝わったが、深く突っ込まれはしなかったし、イオリの退学回避勉強会の開催が決定。
父にアズサとの文通を知られたのは予想外だけど、反対されなくて安堵。
心のどこかで、我が家の嫁に相応しいのは云々という台詞を告げられないか心配していたようだ。
親の許可を得られたので、二人に話した結果、スザクに「そちらの家は娘さんを隠すようですが、我が家はおもてなしに参加してもらいます」と含み笑いで言われて、恥ずかしくなった。
「スザクさん。涼しい顔ばかりのレイスさんが照れています。なんか、ええなぁ。文通で親しくなっているということですよね」
「二人ともせっせと返事を書いているので多分。最初のやり取り以外は確認していないので、どんな話をしているのか知らないです」
「ぶ、文学話に華が咲いているだけです」
最初の話題は、俺達が弾く連獅子にまつわる物語についてだった。
アズサが「連獅子は雪酔狂猩猩の曲だそうですね。お兄様が本を借りてきて下さいました」と手紙に書いたので、その物語を知らない俺はまず読書。
俺が何も考えずに借りてきて読んだのは原典写しで、古龍詩も読めるのですねとアズサを褒めたら、彼女が読んだのは翻訳本。
それでアズサは「古龍詩」という単語を知ってそうなので、俺は家にあった簡単な古龍詩原典写しと解説本をスザクに貸した。
そこから、アズサは勉強好きの読書好きと分かり、俺もわりとそうなので、文通の内容はほぼ文学話になっている。
「自分なんて、レイスさんの妹さんからもう返事がないです。自分が書いた話題は、つまらなかったんでしょう」
「ああ、あれ。相手はミズキさんです。そういえば添削を預かってきました。妹弟子さん達の感想付きです」
「えっ?」
国立男子学生でも、こんなに雅ではない者もいるんですねと、ミズキが驚いていた。
添削及び感想を読んだイオリは落ち込みつつ、改善点が書いてあるので助かると喜んだ。
「レイスさん。君がいつか良い女性を紹介してくれるでしょうと書いてありますが、本当ですか?」
「良い友人について幼馴染の親に話すのは当たり前の事で、そうしたら、娘と会わせて欲しいと頼まれまれることもあります」
「イオリさん、学業不振で退学処分だと紹介してもらえませんよ」
スザクがイオリの肩を叩いたので俺も。
俺達はそのイオリの家にまず泊まりに行き、三人で勉強会というか、俺とスザクの二人でイオリの家庭教師。
二日泊まって、イオリの暗記力の低さに戸惑い、スザクと語呂合わせを作りまくることに。
当の本人は、もう嫌だとすぐに琴を弾こうとする。
イオリの家は南上地区の西側の琴門御三家の末席だと発覚。彼は長男だったので、おそらく跡取り息子。
父親がこっそり俺達を呼び、自分は婿とか、妻が当主とか、妻の才能を継いだイオリは幼少時に手を怪我して、演奏者を諦めることになり、腐りかけてきたけどここまできたという話をしてくれた。
最近の息子は、昔のように楽しそうに琴を弾き、何年も昔の幼子の時よりも琴が下手でも前向き。
それはきっと、良い友人に出会えたからだろう。
なので、頭の悪い息子を見捨てないでくれると嬉しい。
「これまでも友人はいたけど、琴から離れて出来た友人達だからかほどほどの仲で。本当は音楽談義に花を咲かせたかったようです」
俺とスザクが部屋に戻ると、そのイオリは机に突っ伏して寝ていた。
誰の為に集まって勉強している、みたいに体を揺らして起こす。
その時に、浴衣が少しズレて、肩に大火傷の跡があると見えてしまった。
昔、薬缶を落として手にかかって軽い火傷をして、指の動きがあまりになったから、琴を弾くのはやめた。
俺とスザクは、出会った時にイオリからそう教えられたけど、それは嘘のようだ。
跡取り息子なのに怪我で家業から外され、きっと大好きだった琴も出来なった。
今の彼からはまるで想像出来ない過去だ。いや、今も悩んでいるかもしれない。
「んにゃ……。もう食べられない……」
「食べられないじゃねぇ! スザクさん、起きろ。退学したら発表会に出られません」
つい、幼馴染テオにするみたいな言動が出たら、イオリとスザクのどちらにも驚かれて笑われた。
話せば話す程、一緒にいればいる程、俺は色々な面を見せるびっくり箱らしい。
★★★
自主勉強合宿三日目はスザクの家なので、俺は朝からずっとソワソワしている。
なんなら自主勉強合宿が決まってからずっとだけど。
三人で八百屋に寄って手土産の白菜を入手して、緊張しながらクギヤネ家お邪魔すると、予想外のことに、玄関でアズサが母親と共に出迎えてくれた。
以前会った時よりも髪が伸びていて肩まであり、編み込んでいるし、あの組紐を使っている。
前回は浴衣だったが、今日は小紋、それもそれなりの家のお嬢さんだと分かる色彩豊かな織物を使った小紋姿。
青白かった顔色は血色良く、紅もほんのり引いている。
そして、相変わらずその瞳は美しく、むしろ輝きを増しているような——……。
「……スさん。レイスさん。妹になにかありませんか? このように健やかになってきています」
「何か? ……五月はまだ遠いと言うのに、思いがけずあやめが現れて……ほととぎすも鳴いた気がしました」
「……」
場が静まり返り、アズサが扇子を出して顔を隠して居なくなり、俺は我に返った。
全身の穴という穴から汗が噴き出している感覚がする。握りしめている手もふやけるのではないだろうか。
「スザクさん。レイスさんはなんて言うたんですか?」
「えっ? 分からなかったんですか? 昨日、古文を教えている時に、息抜きで教えましたよ? イオリさん、励まないとお嫁さんをもらえませんよ」
妹が喜ぶという単語でますます体温が上がった気がする。
スザクに家に上がろうと促された時に、こそっと「いきなり慕っていますとは驚きました」と囁かれて、俺は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「レイスさん?」
「つい、口が滑りました。なんか勝手に……」
最近ミズキが俺に有名な恋の龍歌くらい覚えておきましょうと、色々吹き込んだからこんなことに!
貴女を恋慕っていて、夢中ですと言うなら、もっと雅な方法があったのに、こんな情緒もへったくれもない……。
「レイスさん?」
「おーい、レイスさん?」
そもそも正式な文通お申し込みもまだなのに、こんなの非常識。
気がついたらスザクの家を飛び出していて、時間をかけて家に帰って、弟と将棋をしていた祖父に頭を下げていた。
「なんや急に。返ってきたら手洗いうがいだ。お前は体が強くないんだから気をつけろ」
「友人の大事な妹君に大変失礼なことをしてしまいました。助けて下さい」
「はぁ? なにをした」
説明したら、肩を叩かれて笑われた。
「その娘さんでその内容なら何も問題ない。ロイも挨拶に行っているし」
「……父上はクギヤネ家へ行ったのですか?」
「我が家の贔屓豆腐は富豆腐屋だぞ。そんなの挨拶するに決まっている」
下街生まれ、下街育ちの叔父や母の幼馴染には職人奉公人が多く、その一人が豆腐職人で、母の実家の味を好んだ祖父母が我が家の豆腐にもした。
それが、富豆腐というお店の豆腐。
「豆腐? 富豆腐? あの富豆腐とクギヤネ家に何か関係が……あるのですね」
「お前の新しい友人、スザクさんのお父上は富豆腐の経営者だぞ、このぼんやり孫め。頭脳はロイだが、顔も中身もリルさんそっくりだ」
ほら、行ってこいと祖父に送り出されて、俺はクギヤネ家へ戻り、とりあえずスザクの母親に謝罪。
「そのような謝罪なんて的外れです。娘はすっかり照れてしまって部屋に閉じこもってしまいました。是非、文にして贈って下さいね」
枝文よ枝文。
男子学生さんから枝文は憧れでしたから、娘だってきっとそうですとニコニコ笑われたのでホッと胸を撫で下ろす。
俺の初恋は前途洋々のようだ。




