十三
マリはわりと上の空だけど心配なさそうだし、夕食中もシンは「うつけで味噌汁をこぼして火傷するぞ」みたいに彼女に優しいので安堵。
レイもいてくれるそうなので、夕食後に私達は帰宅することに。
帰り道、叔父に話があると言われて叔母と道の端へ。叔父は林の向こうの海を眺めながら唇を動かした。
「ユリア、今日の視察の感想は?」
叔父の視察という言葉で、テオの推測が脳裏をよぎる。
「……マリさんは自らを果報者だと申しました。抗えなかった縁談でも、シンさんが優しいからと」
「それで?」
「その通りで、彼は隠そうとしても口が悪いですが、マリさんに親切でした」
「マリさんに福祉班は必要か?」
「あまりそう感じませんでした。でも心配です。マリさんの安心安全はシンさん次第です」
「それで?」
「シンさんにマリさんを大事にして下さいと頼みます」
「シンさんは君を嫌いだろう。嫌いな人間の言うことを聞く者は滅多にいない」
「えっ……」
万人に好かれる者はいないが、初対面で特になにもしていないのにもう嫌われたとは、彼が叔父にそう言ったなんて胸が痛む。
「ぞろぞろ怖い大人を連れてきた厄介な女。そんなところだろうな」
「つまり、叔父様のせいではないですか!」
「あはは。そんなことも分からずにノコノコ俺達を増やしたユリアが悪い。励め、励め」
叔父の話はこれだけで、叔母と鶴屋に泊まるというので二人と別れた。
どうやら叔父は味方じゃないみたい。
でも、私の友人マリの為に、父と結託してシンに圧をかけにきてくれた疑惑だから、敵でもない。
次にテオが「自分はユミトさんに用事があるので失礼します」と去った。
夜道は危ないけど、立ち乗り馬車の停留所まで送ったし、ロイさんは強いので安心と言い残して。
帰ったら祖父が私を呼んだので二人になり、視察はどうだった? と問われたので報告。
一週間以内に報告書を作ってもって、次は何をするのか提案としなさいと言われたので、指導のお礼を告げて自室へ。
早速報告書を作って翌朝には提出したら、これは子どもの作文で報告書ではないのでやり直しと突っ返された。
報告書をやり直しさせられ続け、調査資料が足りないと怒られ、この支援案は却下だと突っ返され、五月が終了。
母にも、女性兵官見習いばかりにかまけていると、花嫁修行が疎かになりますとか、アリアさんに置いてきぼりを食らっていますよと軽くお説教される。
祖母まで「孫の花嫁姿は見たいですが、花嫁修行が終わらないと年明けに祝言は無理ですねぇ」と言って、味方ではない。
マリからの手紙には、いつも楽しいことが記されていたのに、会いに行ったら彼女は半べそになった。
シンに、教養の足りない偽物お嬢様はナガエ家に相応しくないので、家事をしないで読書をしなさいと言われたという。
親にも「家事がイマイチなのは国立女学生あるあるですが、なぜ教養まで」と怒られたらしい。
「下手の横好きで琴ばかり弾いていたせいです……。茶会遊びもついつい……」
悔しいので、マリは早寝遅起きを敢行して家事にも読書にも励もうとした。
結果、共倒れしてどちらも中途半端になり、シンに家事禁止令を出されたという。
「三食マリの作った食事が食べたいと言われるはずでしたのに……」
マリは目尻に悔し涙を滲ませながら、話を続けた。
朝と昼の食事作りを任されていたのに、朝食のみで良いと言われ、ついに作るなだそうだ。
「努力は必ずしも報われません……」
夕食だけではなくて朝食も七地蔵竹林長屋で一緒に使ってもらうことになり、昼食は朝作ってもらうお弁当。
彼女はそれら全ての炊事に参加禁止だそうだ。期限は本物お嬢様らしくなるまで。
洗濯物は洗濯屋、縫い物は針子に依頼して、掃除は三日に一回、日雇い人が来るという。
「応対や支払いなどは任されましたが、掃除はしても構わないと許されていますが……。家守りをクビにされました……」
しかし、とマリは微笑んだ。
あのシンが、使用人を一人雇う方が効率的で安いから、住み込み奉公人を募集すると言い出したと。
「人が嫌いで引きこもりのシンさんにご友人が出来たり、住み込み奉公人がいても良いと考えたり、雇用関係の契約の為に外へ出るのですよ。アザミさんも嬉しそうです」
マリはどこか翳のあるシン・ナガエに好影響のようで、彼女も彼に悪い印象が少なそうなので、二人が親しくなるように支援する。
私はそういう提案書を作り、そこまでは良い提案だけど、肝心の支援内容がダメだと祖父に突き返されている。
私がマリやシンに出来たことといえば、二人とテオを引き合わせたことくらい。
天然人たらしのテオは、気難しいシンと友人になった。
二人が親しくなるように、自分なりに工夫していたけど、まさかこんなことになっていたとは。
マリは手紙に前向きな事や、拾った兎の日記みたいなことしか書かなくて、会うとこういう大事な話をする。それも、かなり遅れて。
「今日はユリアさんが来るので、夕食を作って良いという許可が出ました。買い物から行って良いそうなので、お出掛けと一緒に料理をしませんか?」
「そうしたいです」
少し遠いけど、散歩も兼ねて鶴屋までレイに会いに行き、今夜の夕食は長屋とは別と伝えてから買い出し。
せっかく二人いて、他の家事がないからゆっくり時間をかけて慎重に作れるのできっと大丈夫。
張り切って難しいものに挑戦すると失敗するので、あさりのお味噌汁、おひたし、焼き魚とたまご焼きに決定。
マリはシンが予算を多くくれたのでと、ご飯のおともをいくつか入手。
前に焼きおにぎり祭りをしたら喜んでくれたので、焼きおにぎりとおにぎり祭りを開催するそうだ。
帰宅したらシンが出掛けようとしていて、マリが「どちらへ?」と質問。
「そこの長屋だ。早いけど早く着いていればすぐに食べられる」
「夕食は私達が作りますよ」
「君の不味くも美味くもない、食べ物に対する冒涜みたいな食事よりも本職料理人監修の夕食だ。そちらの剣術小町さんも料理下手らしいから期待ゼロ。せいぜい励め」
シンはチラッと私を見て、私には何も言わずに玄関を出ようとした。
「そんな、シンさん。シンさんの為に作るのですよ。失敗しないように難しいことはしません。レイさんに教わって免許皆伝のものだけです。あとおにぎり祭りは楽しいですよ」
マリがシンの袖をそっと摘むと、彼は不機嫌顔で振り向き、気安く触るなと低く唸るように告げた。
「婚約者ですもの。袖くらい触ります」
「離せ」
「食べてくれる方がいないと練習になりません」
「アザミ君と万年貧乏男に食べに行けって言っておく」
じゃあな、とシンは私達を置いて去っていった。戸締りはしろと強めに言い残して。
「そんな……。一回砂抜きを忘れただけなのに、シンさんのいじわる!」
ぷんぷん怒るマリは、絶対に「マリの料理が食べたい」と言ってもらうと、気合いをいれながら私を台所へ連れて行った。
マリはすっかりシンが好きみたいだけど、彼女からそういう気持ちを打ち明けられたことはない。
ガラゴロン、ガラゴロンという呼び鐘が鳴って、マリはあさりを洗っているから私が応対。
玄関を開けたら、見知らぬ青年三人組が、うわっ、人がいたと驚き顔。
門はしっかり閉めたのにどこから侵入したのだろうと思案。
そういえばこの家の塀は一部ボロボロだから、どこかに綻びがあるのかもしれない。
「こちらは友人宅ですので、肝試しはおやめなさい。私は女性兵官見習いで裁判官の娘です。素直に謝って帰るなら、咎めはしません」
「に、逃げろー!」
そうして下さいと軽く手を振ってお見送り。
マリとの夕食作りに戻り、ゆっくり着実に料理を完成させて、仕事が終わって帰宅したら長屋から追い出されたというアザミとユミトが来訪。
「全く、先生は。素直になるとええことがあるのにそのように」
素人の趣味みたいな物書きシンの作品に、才能の片鱗を見て担当編集になったアザミは、まだシンが売れていないのに先生と呼んでいるけど、今日も今日とて違和感。
「そうですよね、アザミさん。シンさんは私達の料理を食べたいですよね?」
「そう思いますよ」
マリがアザミにシンへの不満をぶつぶつ言う間、私はユミトにこの家の防犯面の不安を伝えた。
「あそこの塀かな。心配で応急処置はしたけど、乗り越えてきたのかな。……あっ」
ちょっと失礼、とユミトは居なくなった。玄関の戸締りを頼まれたので、家から去った彼を見送ってしっかり鍵を閉める。
マリとアザミと食事を続けていたら、慌てた様子のシンが居間に飛び込んできた。
「おいマリ! 無事……ケロッとしているな」
息も絶え絶え、ぜいぜいしているシンが顔を歪めてマリを見据える。
「無事? 無事とは何でしょうか」
「おーい、シンさん。不審者が現れて、マリさんは何も知らないって言おうとしたのに、そんなに慌ててどうしたんですか」
少し楽しそうな表情のユミトがシンの後ろから現れた。シンがバッと振り返る。
「お前、謀ったな」
「なんのことですか?」
「出ていけ。しばらく来るな!」
「二度と来るなではなくて、しばらくなんですね」
「二度と来るな!」
「またお邪魔しますね」
肩を竦めつつも笑うユミトが去っていく。これは反抗期の子供と、それをあしらう大人みたい。
「剣術小町。侵入者は本当か?」
「ええ。門以外から入ったようですが、堂々と玄関から来ましたので、お父様の職業を告げて追い払いました」
「ユリアさん、なんの話ですか?」
怯えさせたら悪いので教えなかったけど、こういうことがあり、帰りに近所の小屯所へ行き、見回り強化を頼む予定だったと伝える。
「金ならあるって言ったのに、節約したらなんて言って、素人が雑に直すからこうなる。明日、大工に依頼に行く。アザミ君、ここらの大工を知っているか?」
「大工ならお父様や叔父様のご友人に腕の立つ方々がいます。値段も良心的で、我が家はいつもお世話になっています」
「あのなぁ。剣術小町。それはつまり南三区六番地の大工だろう? ってことは出張費が掛かる。うつけ偽お嬢様の友人はうつけお嬢様だな」
「な、なんですかそのように」
「アザミ君、頼む」
「任されました、先生」
口を開けばマリに嫌味ばかりで、ようやく私と会話したと思ったら、猫被りしない彼は実に辛辣というか、私と親しくする気が全然なさそう。
そのままシンは長屋には戻らず、腹が減って仕方がないから食べてやると私達が作った料理を食べ始めた。
マリは嬉しそうだし、シンは食べ物に関しては素直なのか「砂もないし、前と違ってあさりがふっくらしている。美味い」と褒めたから、ますます彼女は笑顔。
この日の帰り、シンは帰ろうとした私に「ほらよ」と本を二冊を差し出した。
「二冊ともテオに土産だ」
「確かに、お預かり致します」
この帰り道、田舎道から街中へ入ってしばらくすると、頭巾を被った者三名が呉服屋から出てきて、全員風呂敷包みを抱えていたのでピンッときた。
「強盗さん! それは犯罪です! お待ち下さい!」
足が遅い二人はすぐに木刀で薙ぎ払ったけど、一人だけひょいひょい建物に登り、屋根を走り出した。
「お待ちなさい!」
私も建物を登って追いかけたら、私の方が速くて追いついたので、跳んで上から肩を狙って木刀を打ち下ろしたら見事命中。
反撃される前に「すみません」と首を打って気絶させて、肩にかついで屋根から地面へ降りた。
兵官達が先に成敗した二人を捕縛してくれていたので、もう一人も引き渡し。
彼女は誰だ誰だ、お嬢さんは何者だと人が集まって恥ずかしいのでユミトに任せて「ここから家は遠くないので」と逃亡。
数日後、学校で瓦版を友人に見せられて「剣術小町の大捕物! あの強盗狐、ついに捕まる」という見出しに固まる。
手下を次々と変えている強盗狐のことは、耳にしたことがあったけど、先日成敗したのがその強盗狐とは。
☆
数ヶ月後、我が家に叔父と女性兵官隊長が来て、こういう話をされた。
家族親戚が危ないことはさせたくないというので、私は女性兵官の中でも福祉班志望となっているが、これまで関わった案件に対する書類の限りだと、とても向いていない。
しかし、これまでの善意の区民として行なった数々の功績は素晴らしい。
よって、私は見回り官にという話が持ち上がったそうだ。
女性兵官は見回り業務をしないのだが、他の地区で前例があったという。
煌護省からも出来ればと要請されたそうで、私が引き受けたら見習いから正式な女性兵官に昇格。
見回り官——というか私——に勤務時間などの規定は特になく、これまで通り日常生活を過ごし、目についた犯罪者を逮捕するのが仕事。
なので、給与は成果報酬制だそうだ。
女性兵官隊長が帰宅すると、叔父になぜ普通の女性兵官見習いは落第だと突きつけられたのでしょうと問われた。
「支援案も書類も上手く作れないからです」
「女性兵官は被害に遭った女性に寄り添うことが多い。君の見た目だと威圧的で怖い」
「……なんですかそれは! それは治せませんし、最初から分かっていることではないですか」
「体格が良いし背も高いから派手で目立って印象的。女性兵官特有の調査や隠密活動が出来ない」
「……それもなんですか!」
「ガイさんやロイさんは最初から前例のある見回り官狙い。一回、娘を下げて、こうやって持ち上げた。ついでに同じ課題をジオにもさせて修行」
これがジオが同じ課題に取り組んだ結果と書類を渡されて、叔父は「そのうちナガエ本家に虐待調査で乗り込んで、財務省と一緒に本願の脱税疑惑に着手する」と語った。
「マリさんもシン君も本来福祉班は必要ない。ユミトが心配して私的に関わっていたけど、他の役所に手土産を用意すれば、堂々と公的に関与可能。ユミトにも勉強ってことだ」
それでいて、孤独なシンという男の監視役に採用したレイに少しばかりだけど給料を引っ張ってきたし、保護しているアリアを住み込み奉公人にすることで、支援したい者達を一つ屋根の下に集められるので効率的だと説明された。
こんなに沢山繋げていたなんて驚きだ。
「アリアさんはシンさんのお屋敷暮らしになるのですか?」
「その程度の話もマリさんやシンさんから引き出せないとは、聞き取り調査をする人間にも向いてなそう」
「うぐっ……は、励みます……」
「その方面では励まなくて良い。ユリアは女性兵官になりたくて、人の役に立ちたいんだろう? 見回り官で目標達成だ」
「悔しいので励みたいです!」
「適材適所。君が任命される役職は特殊だから胸を張りなさい」
それはそれで名誉なので励むし、少しくらいは自慢したいけど、色々悔しい。
ジオが作った書類は、私の目から見ると完璧で、これに目を通している祖父はそりゃあ私を怒ると納得し、落ち込んだ。
しかし、家族親戚、友人達に褒められて嬉しい。
なによりテオがこう言ってくれた。
「見回り官、役職名剣術小町? 格好ええな! 見回りして悪党を逮捕したらお給料って、俺と見回りしまくろうぜ。公的デートが出来るぞ!」
活躍している剣術小町さんなら助けてくれるかもと、区民から相談されたり頼られたりするようになるだろう。
活躍する火消しはそうだから、私もきっとそうなる。
その時に、私には頼れる人間が沢山いるし、これまでの失敗からも学んでいる。
こうして、私は「ちょっと通学路で噂の剣術小町さん」から「女性兵官の剣術小町さん」となったので、これまで以上に励みたい所存だ。




