十二
鶴屋。
本店は南三区六番地にある老舗旅館かめ屋で鶴屋はその分店。
観光地である北部海辺街の激戦区に、堂々と乗り込んだ旅館。
かめ屋は私の祖母の幼馴染家族が経営しており、昔からとても良くしてもらっている。
舌が良くて、盛り付け上手で料理熱心な母がちょこちょここき使われて、祖母がたまに怒っているけど、代わりに我が家に色々恩恵がある。
叔母レイは、その繋がりでかめ屋で料理人見習いになり、料理人に昇格し、かめ屋のツテコネで遠い地で料理人修行をして、現在この鶴屋で働いている。
その鶴屋の料亭の個室にて、私達は昼食中。
鶴屋で合流した叔父ネビーと妻ウィオラを加えた九人。
上座や下座などは関係無く、若者は若者同士、同性同士にしましょうという父の提案で席が決まった。
私、マリ、シン、テオという並びなのは、婚約者同士は並んで下さい、ユリアはマリさんと、テオ君はシンさんと話があるでしょうと父が促したから。
婚約者同士が並ぶなら、シン、マリ、私、テオで良いのに。
アザミは父と叔父に挟まれて、父と叔父は妻を隣に座らせたから、同性同士にしようはどこへやら。
座ったら、テオがシンに話しかけた。
「改めて、俺はテオって言う火消しでユリアさんの婚約者です。火消しだから平家なんで苗字は無し。同じ左手が不自由同士だし、仲良くなれると思うからよろしくお願いします。同じって言うと嫌かもしれないけど、でもほら。ずっと両手が自由な人よりは少しは気持ちが分かるっていうかさ」
さすがお喋りテオなので、どんどん喋っていくけど、喋るのが苦手な私に気遣ってくれるように、一度休んでシンの様子をうかがっている。
しかし、シンは困ったように笑っている。
「気軽にテオって呼んで下さい。俺もシンって呼びます。仲良くなりたいんで。だってお互い無事に祝言したら夫同士ですもん。お酒は飲めますか?」
「あ、はい。多少は」
「シンの仕事ってなんなんですか? 出掛けるまで仕事をしていたようですけど」
「いや、あの。体が弱いんで、親切なアザミ君が少し仕事をくれています。ちょっとした物書きで、趣味みたいなものです」
「へぇ。物書きですか。すげぇ。俺は、火消しにしては勉強したけど、文字とか勉強とか苦手。普通の火消しよりはマシだけど。俺の母親は写師なんだ」
テオの口調が崩れてきた。そして、彼の悪いところ、自分語りというか家族語りが始まった。
「普通は火消しの妻にならない女で、父親の悪いところは取り除くって息子をべしべし教育。べしべしは言葉の鞭って意味で、殴る訳じゃないぞ?」
家族が大好きなテオは、家族の話を少しすると、そのまま我を忘れたみたいに、延々と家族語りをすることがある。
「マリさんとの会話では違ったのに大人しいですね。さすがにこんなに時間が経ったので、人見知りしなくても」
人見知りではなくて、テオの家族語りに口を挟まなかっただと思うと、心の中で突っ込む。
「いや、まぁ。はい」
「それなりに飲めるって言うていたからとりあえずこのくらいですか?」
不意にシンがマリをチラッと見て、頬をひきつらせてテオの方へ視線を戻した。
「どうしました?」
「別に、何も」
マリは私に、このお品書きは美味しそうですね、みたいに話しかけているので、今のシンの視線や、なぜか不機嫌そうになったことに気がついてなさそう。
「ああ。かわゆい婚約者にお酌されたかったんですか」
「……はぁああああ⁈ んな訳あるか! 俺はこのうつけ女になんてお酌されたくない。着物が酒まみれになる」
瞬間、室内の和やかな空気が凍りついた。
「ユミトは弟弟子なんで聞いているんですが、そちらのマリ・フユツキさんと婚約したことは不本意なんでしたっけ」
この台詞を口にしたのは、にこにこ笑っている叔父だ。
悪くなった雰囲気が多少マシになったけど、叔父の発した台詞は不穏さを醸し出している。
「……多少日にちが経ったので、互いの家の為になるなら、そこまで拒絶しなくても良いかと、まぁ……」
シンは俯いて背中を丸めて、とても小さな声を出した。
「マリさんはどうですか? 学生だったのに、いきなり親と離れて療養中の方の世話は大変そうです。大丈夫ですか?」
叔父がマリにニコッと笑いかけると、マリがなぜか恥ずかしそうに照れ照れしはじめた。
「あ、あの。あの。昔、両親が助けていただいて私が生まれました。ありがとうございます。両親とたまに、お仕事や剣術大会の見学をしていました」
照れた理由は叔父のことを知っていて、親と共に若干贔屓だからのようだ。
趣味会で会う時に、叔父に助けられたことがあると聞いたことはないし、手紙にも書いていなかったから初耳。
「えっ? あー、はい。こちらこそ生まれてきて、そのようにお礼を言ってくれてありがとうございます」
マリと叔父が会釈をし合う。
なぜか叔父は戸惑ったような、困り笑いを浮かべている。
私はすかさず「マリさん。そうなのですか?」と質問。
「はい。ユリアさんともっと親しくなったら、この話をして両親に贈る記名を頼もうと考えていました」
そこから話はマリの両親はどこで叔父に助けられたかになり、マリが両親にこう聞いたと一閃兵官の活躍を語った。
マリの両親はあの厄災大狼襲撃事件にたまたま遭遇した区民で、叔父が戦う姿を遠くから目撃したそうだ。
「そっちではない化物狼! これだけ強くて弱い者虐めなんてこの一閃兵官ルーベルが許しません! かかってこい! ですよね?」
美少女が可愛らしい仕草で叔父の真似をしても全然似ていない。
「いやぁ。それは脚色に脚色をした舞台のルーベルのことで、自分はそのように勇しくは……」
「シンさんはご存知ですか? 大狼はこーんなに大きくて、牙が鋭く、爪も。腕を振ったら風圧で家が壊れてしまう程です」
「大狼とは、そんなに凄まじいのか。副隊長さん。実際の大狼は容姿なんですか? 何倍も大きな犬って話ですがその目で見た姿を知りたいです」
そこからはシンが叔父にあれこれ質問をして、そこにマリも参加したり、感想を告げて、マリとシンが仲良しそうにお喋り。
お互い不本意な婚約のようだけど、介護嫁になる予定のマリはシンに大事にされているみたい。
彼は時々、マリに食べるのを忘れていると指摘したり、着物の袖が汚れるぞと教えたり、あまりにも美味しいからどうぞと料理を譲っていた。
☆
食事を終えてシンのお屋敷へ戻ると、気の利く母が私とマリが事前に二人きりになれるようにしてくれた。
それで自分なりに探ったら、やはりシンはマリに優しいようだ。
「シンさんは優しいです。口も態度も悪いけど優しいのですよ」
マリが今日着ている着物は彼が買ってくれたそうだ。
購入理由はマリが家事を失敗したり、粗忽者で持ってきた着物を酷く汚したから。
彼女は足袋を脱いで、少し包帯が巻かれている右足の親指を手で示し、これは今朝転んで棘が刺さってしまって、シンが助けてくれたと語った。
その間のマリは、前に文通お申し込みした時のような、はにかみ笑いを浮かべており、もしかして? と心の中で呟く。
この後、シンとテオが訪ねてきて、叔父が赤鹿に乗せてくれるというので四人で赤鹿乗り体験。
ユミトまでは無理でも、叔父のような赤鹿乗りになりたい私としては、赤鹿に横坐りして、手綱を引いてもらうという赤鹿乗りで大変不満。
「シンさん、赤鹿は……あっ。昨夜のあやめはあちらですか? 私は気がついていませんでした」
マリが草むらの中にあやめを発見。
叔父が手折ってきたので私かマリにかと思ったけど、赤鹿にだったようで、叔父は赤鹿の鞍に上手いこと飾った。
「同じ道を何度も歩いているのに今更か。洞察力が無いんだな」
「言われてみれば、ほととぎすも鳴いていますね」
昨夜、二人は散策したようだ。
私達の赤鹿乗り体験は、シンのお屋敷から七地蔵竹林長屋方面へ向かっているので、長屋で叔母レイ達と食事をした後の帰り道のことかもしれない。
長屋に到着したけど誰も居ないようなので帰宅。
シンのお屋敷に到着すると、玄関で母親と叔母ウィオラがお帰りなさいと出迎えてくれた。
「ウィオラさん。あやめが咲いていました。どうぞ」
叔父が赤鹿の鞍からあやめを外した時点でこうなる気はしていた。
「まぁ、ありがとうございます」
叔母はとても嬉しそう。
テオが「しまった。俺もすれば良かったというか、先に思いつけば良かった」と嬉しい発言をしてくれた。
「ほととぎすが鳴いていて、五月だなぁと思っていたらさらにあやめ。何度五月が来ても道は見つかりません。見つける気がないんでしょう」
叔父がよく分からない事を言ったけど、叔母は頬を染めて嬉しそうだし、母は「またか」みたいな呆れ顔なので、今のは多分口説きだろう。
「春に桜乱舞を願っていますもの。皆さん、居間へどうぞ。お夕食はもうすぐです」
春の桜乱舞といえば、桜の花びらが乱れ舞って、あの人の歩く道を見えなくしてみたいな龍歌のもじり。
叔父が口説いて、叔母が惚気みたいに返事をするのは昔から。
昔はポカンとしていたけど、多少勉強しているので分かる時もあり、父と母が甘い感じな時と同じく痒くなる。
テオが話しかけてきたので、次はいつ赤鹿に乗れるでしょうねと返答。
「シンさん、どうしました?」というマリの声がしたので足を止めて振り返る。
「別に」と、シンは複雑そうな表情を浮かべていた。
「桜乱舞とは何かご存知ですか?」
「キョトンとした顔をしていたが、それも知らないとは。君はお嬢様風の下街お嬢さんだな」
シンが返事をせずに呆れ顔だからか、マリは発言主に質問。その間に、シンはスタスタ去っていった。
「先程の会話を解説することになるので恥ずかしいです。そうですね。私達夫婦の会話は話題に出さずに、ロイさんに尋ねてみて下さい」
そうしたらマリは父のところへ一目散。
テオがもうシンと将棋をしている。あれは本将棋ではなくて回し将棋だろう。
マリが決意みなぎる、という様子で読書中の父に話しかけた。
「あの、少々教えていただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「ええ、もちろんです」
「街中を歩いていたら、ご夫婦がこのような会話をしておりました」
マリはそう嘘をついてから、叔父の発言をそのまま父に伝えた。
「奥様らしき女性が照れていたのですが、照れるような内容なのでしょうか」
「マリさんはあまり龍歌に興味が無いですか?」
「百取りはなんとか覚えていますが、そのくらいです」
「それは娘と同じですね」
父は懐から矢立と短冊を出してサラサラと文字を綴った。
【ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな】
ああ、言われたらそれかと納得。
「こちらは短歌では無かったのですか……」
「上の句はご存知でした?」
「あの、はい。ほととぎすが鳴く五月にはあやめが咲く、というような短歌だと思っていました」
「旦那さんはこの龍歌を妻へ贈ったということです。あやめは花のあやめに文目を掛けています」
ほととぎすが鳴く五月に咲くあやめ草の名のように、文目を見失って、無我夢中になってしまうような恋をしています。
「つまり、何度五月がきても貴女に夢中でお慕いしています。この恋の道から抜け出す気持ちが無い。この先も夫婦でいましょう、みたいなことを伝えたということです」
つまり、叔父と叔母は昼間から、堂々と、言葉でイチャイチャしたということ。
物語の中の場面ならうっとりだけど、叔父叔母だと痒い、痒い、痒いなので、解説されたくなかった。
叔父は妻を口説きたいので格好つけになり、その格好つけは大体父から学んだらしい。
文学や龍歌好きの父は知識豊かなので、お嬢様受け抜群のものを作れるから、あちこちから頼られている。
「教養が無いと分かりませんね……」
「ほととぎすは別名妹背鳥なので、おしどり夫婦の暗喩としても使われます」
「おうらんぶはなんでしょうか」
「桜の乱舞で道が見えなくなってしまえば、あなたはどこへも行かないのにというような龍歌があります」
「あっ。龍歌には龍歌を返すものです」
「そうですね。なので単に桜の乱舞のことではないと、サラッと古典龍歌をもじれる相手は察します。よそ見や別れを望んでいないということは、私も貴方をお慕いしていますと答えたということです」
「教養が無い相手には伝わりませんし、もし理解出来ても……このような会話は良いです」
素敵は素敵だけど、叔父と叔母だからちょっと嫌というか、人前ではあの痒い感じを隠して欲しい。
マリは父にお礼を告げて、しばらくシンを眺めて、それから私の名前を呼んで、手招きして、廊下へ連れ出した。
「ユ、ユ、ユ、ユ、ユリアしゃ、さん。た、た、た、た、大変です」
「どうしました?」
「シンさんったら、昨夜こう申されたのです。ほととぎす鳴くや五月のあやめ草。帰り道にあったなぁ、と」
「……えっ?」
つまり、マリさん、自分は君をお慕いしていますという意味。
「上の句だけだけど、ユリアさんのお父上や副隊長さんの様子だと有名龍歌のもじりなので、下の句は言わずもがなで……でも、言わなかったり、後から文で追加していないから、気持ちは小さいですよ……的な……」
マリは、シンさんがまさかと驚いたような顔をして、両手で頬を押さえて廊下をうろうろして、まさか、まさか、まさかと連呼。
彼女はそれから庭に出て、白兎を抱っこして、背中を撫でながら「まさか、まさか、まさか……」と言い続けて、私の言葉には殆ど返事無し。
この後もわりとそんな感じで、叔母レイが来て、私の母と共に四人で夕食を作ったけど、マリは上の空。
シンがレイとテオにくっついて、料理が美味しいとか、火消しの歴史を聞いて、お茶をどうぞと近寄ったマリに対して、見てわかるように飲み物はあるので話の邪魔をするなと怒った。
その後のしょぼくれマリはなんだか切なくて、これだとやはりマリがシンを気にかけているみたいだ。




