十
テオは母の実家でしれっと夕食を摂り、ここから出勤するので、なんとも自由。
火消しが働けないと困るから沢山食べなさいと、祖母は夜食のおにぎりまで用意した。言ってくれれば私も手伝ったのに。
出勤する彼を玄関でお見送り。
「行ってらっしゃいませ」
「くぅぅ。ユリアに行ってらっしゃいませって見送られるなんて新婚みたいだ」
「……恥ずかしいのでおやめ下さい」
「その照れ照れ照れ屋なのにすまし顔がかわええ」
じゃあ、とテオは出勤。彼はこんな感じで真っ直ぐ気持ちを伝えてくれるし褒めてくれるので、顔から火が出そう。
居間へ戻ろうとしたら、サッと隠れた人間がいることに気がついたので、素早く確認。
「ララさん。覗き見ははしたないですよ。アリアさんも」
「えへへ、つい」
「ララちゃんが見ようって言うからつい」
書類にアリアはララとかなり親しいと書いてあったけどその通りみたい。二人で覗き見だなんて。
「ねぇねぇ。聞いたんだけど、二人って結婚するんでしょう?」
「……はい」
「良いなぁ。私ね、結婚って聞いて、少し思い出したことがあるの」
廊下を歩きながらアリアは話し続けた。
いつのどこだかは思い出せないけど、姉みたいに慕っていた女性が、大好きな人と結婚することになり、おめでとうとお祝いの歌を贈ったという。
「幸せを願って歌って欲しいって頼まれたの。この声の前は普通の声だったんでしょうね。まっ、痛みがひいて助かったわ」
「大好きな彼なの」と秘密話のように小声で打ち明けてくれた女性の、あの幸せそうな声を思い出せて、胸が温かくなったので、最近結婚とか夫婦って良いなぁと感じるらしい。
「この家の夫婦もみんな幸せそうっていうか仲良しよね」
「褒めのようで嬉しいです。ありがとうございます」
「褒めとは違うけど、褒めでもあるか。幸福そうな夫婦だから子供達も親切で私も幸せなんだもの」
三人でお風呂に入ろうと誘われて、嫌ではないのでそうして、そのまま一緒に寝ることに。
こういう時に備えてこの家にも学校の制服を置いてあるのでしっかり準備。家からよりも遠いから、明日は早起きせねば。
なのに、アリアとララと盛り上がってしまった。
真夜中、すすり泣きがして目が覚めて、誰かと思ったら隣で眠るアリアだった。
「……嫌よ……。私だけなんて……」
小さな、とても小さな悲痛な声とすすり泣きに頭を殴られたような感覚がした。
彼女がたまに夜眠れないみたいな話は聞いていたけど、あまり気にしていなかった。
親戚がついていて、彼女と会うたびに、とても明るくて元気だから。
私だけとはなんだろう。寝言を聞いていたら、彼女の過去が何か分かるだろうか。
そのくらいのことは、誰かが思いついて祖母か叔母の誰かがしているかも。
それではこれまでとは変わらないので私こそが彼女を支援するという気持ちを持たねば。
しかし、アリアはこの後は特に何も口にせず、にうなされ続けた。
アリアがパチっと目を覚まして体を起こしたので、慌てて何か慰めの言葉と思ったけど、彼女は私に気がつかずに部屋の外へ出て行った。
厠だろうけど心配なのでそうっとついていく。
とても寒い夜なのに、アリアは中庭に出て、隅でしゃがみ、めそめそ泣き出した。
「……んなのよあの夢は。私は誰で、あそこはどこ……」
うええええええんと子供みたいに泣き続けるアリアにどう声をかけて良いのか分からない。
彼女は元気そうで親戚がついているから大丈夫とは、なんて浅はかだったのだろう。
父の恥じなさいという言葉が蘇り、胸が苦しくなる。
戸惑いながら彼女に近寄り、言葉が見つからないので無言で彼女の背中を撫でた。
辛い時、悲しい時、苦しい時に、家族や親戚がこうしてくれると、私はとても安心するから。
「ありがとうユリア。起こしてごめんなさい……。ちょっと悪夢を見たけど、ほらっ。私はこの通り元気だから大丈夫!」
風邪を引くから寝ましょうと手を引かれて寝室へ戻ったけど、ちっとも眠れず。
翌朝、アリアは昨夜泣いたなんて嘘のように明るく元気で戸惑った。
大丈夫なのかと問いかけても大丈夫という返事。学校でもグルグル悩んで、帰宅してから母にこういう時はどうしたものかと質問。
剣術と同じで、未熟者は先輩から学ぶしかない。
年が近いから、親しくなったらきっと頼られるので、心配なら沢山会いに行ってあげなさいと背中を撫でられたので小さく頷く。
それでさっそくアリアに会いに行こうとしたら、夜勤明けのテオが現れて、一緒に行くというので二人で散策みたいになった。
次の土曜に家族とテオと共にマリに会いに行くことになったので、その打ち合わせをしていく。
「ふぁあ眠い。昨日は眠れない夜勤で朝から寝ててさっき起きた。一日一回ユリアだから、今夜の出勤時間まで寝続けなくて良かった」
「そのようにありがとうございます」
「そのように? そのようにって何?」
「……会いに来てくださり、嬉しいです……」
羞恥で声がどんどん小さくなっていく。
ちょっとだけ二人で話があると言われて、着いていったら近くの小神社。
これはまさか……と照れて、恥ずかしさでドキドキしていたら、ふとこの間祖母に教わった成人の営み関係が脳裏をよぎり、余計に緊張が増してしまった。
「あのさ、ユリア」
「……」
軽いキスすらまだ心の準備が出来ていない。それを口にしたら、優しいテオなら気遣ってくれるので大丈夫。
「今後は手を繋ぎたいから、許してくれるならまず握手し……」
「い、いやあああああ!」
このままではテオが蜂に刺されて死ぬ!
なぜこの季節に蜂が飛んでいるの⁈
「えっ?」
蜂に二回刺されると死ぬらしい。昔、テオは私を庇って蜂に刺されたことがある。
なのにそのテオの頭に大きめの蜂が鎮座しているので、あまりにも危ない!
木刀を抜いて蜂を突き、安心したのも束の間、勢い余ってテオの背後の木の枝も突いていて、そのせいで木がメキメキ折れて倒れた。
なかなか太い枝なのに、こんなに簡単に折れるもの?
テオがユリア、危ないと気を遣ってくれたけど、倒木が灯籠を倒してそれがテオに直撃。
「ちょっ、さすがに重い。無理……」
両手で石製の灯籠を支えたテオがゆらりと揺れて、倒れて下敷きに。
「テオさん!」
「いってえええええええ!!!」
逃げようとしたテオは全身下敷きにはならなかったけど、左腕の上に灯籠。
こんなの絶対に折れていると慌てて人を呼びに行ったら、叫び声で駆けつけてくれた火消しがいたので一緒にテオを救助。
応急処置をしてもらい、近くの病院へ行った結果、骨折と宣告された。
「いやぁ。火消しなのに鈍臭いから骨折なんてしてしまって恥ずかしいです」
テオは対応してくれた火消しや主治医にそう話したけど、病院を出た時に私に「ごめん」と謝罪。
「握手も早いとは思わなくて。本当にごめん。でもさすがに握手も嫌って、あんなに叫ぶくらい嫌なのはちょっと凹む……。これだけ明るいからユリア一人でも安全だな。ごめん、帰る!」
待って、と言おうとしたのに声が出なくて、伸ばした手は宙を空振り。
私は足が速いので追いつけると思って駆け出したが……。
「ちょっと待て君! 待ちなさい!」
「嫌ぁああああああ! 付きまといです! 助けて下さい!」
女性の悲鳴がしたかは助けなければ。テオを追うのをやめて周囲を確認。
私の方へ向かって、汚れた着物姿の若い女性がよたよたと走ってくる。
「誰が付きまといですか!」
女性を追いかけているのが従兄弟のジオだったので思考停止。
「誰か助けて下さい!」
「そこのお前! 昼間から何をしている!」
兵官二名がジオに向かっていったので思わず間に入ろうとしたけど、ジオが追っている女性が何者なのか気になったので、まずはそちらへ移動。
彼女の進行を妨げるような位置に立つ。
「……あの。なんでしょうか……。あっ、助けてくれ……」
女性は急に目の前に現れた私に戸惑い、腰に下げてある木刀に気がつき、声を小さくして後退り。
「女性兵官見習いです。お話をうかがいま……あっ! ジオ!」
外ではジオさんだった! と反省しつつ、もう口にしたから仕方がないと更に続ける。
「その方はルーベル副隊長の弟です! おやめください!」
この叫びは兵官二人に捕まえられて地面に押し付けられそうだったジオの擁護。
戸籍上は弟だけど、血の繋がりとしては甥。今の状況だと「副隊長の弟」の方が分かりやすい。
「副隊長の弟⁈ あー! 剣術小町さん! 先輩! あれは副隊長の娘さんですよ! 前に彼女の大捕物を見たことがあります!」
「あれはやめなさい。品がない。それにユリアさんは娘さんじゃなくて姪っ子さんだ」
よく見たら兵官二名のうち、年配者の方は知人というか顔見知りだ。
「ユリア! その子を捕まえて下さい! 多分飢えのせいだから示談にするけどスリです!」
そうなの? と首を傾げつつ、違いますと叫んだ女性をとりあえず確保。
見知らぬ他人よりも、生まれた時から一緒に育ったジオを信用する。
自分達と「兄」と解決するのでと、ジオは兵官二名をやんわり追い払い、レオ家よりもルーベル家が近いということでそちらへ。
ジオは玄関を無視して、庭へまわり、離れ蔵の裏へ私達を連れて行った。
若い女性はずっと無言でメソメソ泣いている。
「泣き真似はやめて下さい。涙が出ていませんよ。この演技下手さん」
ジオが女性にこんな強い言葉を使うなんて珍しい。
「そんな……」
「君、朝露花魁の遊楽女さんですよね? 自分はそこそこ記憶力が良いし、君みたいな美人は特に忘れません」
朝露花魁といえば、人気陽舞妓一座が客演に呼ぶ程の歌と舞の名手。
お洒落な髪型や髪飾りを次々と考案するお洒落発信者。
遊楽女とは、稼いでいる遊女が受け持ち育てる女の子達のこと。
「……こんな人の居ないところに連れてきて、私をどうするつもり?」
キッと睨まれたジオは両手で頭を抱えてぐしゃぐしゃにして、空を見上げた。
「どうするって、何をしているんですか! 借金登録者が花街奉公から逃げたら死罪ですよ死罪!」
「色ボケクソ男達にヤられ続ける人生なら、死んだ方がマシよ。どうせ死ぬなら奇跡を信じて逃亡」
「ああっ! もうっ! どうするんだよこれ!」
二人は知り合いみたい。どうやらジオは花街に通っていたようだ。
あれ程お金で人を買うなと言われて育ったのに最低。
「頭が悪いらしい女好きの火消しならたぶらかせると思ったのに、私には全然知り合いがいないのに、なんであなたがいるのよ!!!」
「なんでって職場だからです!」
「返事をしないし、見逃さないで追いかけてくるし、ムカつく男ね! 死ぬ前にヤりたいならヤれば? 自分の女の前でしたいって随分な好き者ね!!!」
可愛らしいお顔なのに鬼みたいな怒り顔。怖い。
「彼女は従姉妹で妹みたいなものです! 女性がそんなはしたない言葉を使わないで下さい! うわぁ……突き出したら死罪だから人殺しみたいなものです……。隠蔽してバレたら一蓮托生で死罪……。あっ、ユリアも巻き込んだあああああ!!!」
空を見上げるのをやめたジオは頭を抱えたままへなへなと座り込んだ。
「人殺しー! 家族親戚末代まで祟るぞー!」
しゃがんだ女性がジオの横に腰を下ろして、けらけら笑いながら彼の耳に息をふぅっと吹きかけた。
「うっ、うわぁああああ!」
「あら。耳まで真っ赤。黙っててくれるなら、たまには相手をしてあげるわよ。む、りょ、う、で」
「嫌です。絶対に触らないで下さい!!」
頼りになる叔父を頼るべきだけど、足抜け死罪人を保護したら死罪なので、秘密を共有した者はもれなく巻き添えになる。
ジオはこの秘密は二人だけのものにすると宣言。
私は何も知らなかった。どんなことがあっても絶対にそうしろと告げたジオは、家族親戚の誰も巻き添えに出来ないから自分がどうにかすると彼女、ヒナにレイスの服を着せて、顔を隠すように工夫して去った。
この日の夜、テオの父親イオが息子が悪いことをしたと土下座しにきて、父と大喧嘩。
イオは息子のテオから「ユリアの心の準備が出来ていないのに……失敗した……」としか聞いていなかったようで、私に事情を尋ねたから、きちんと回答したのに、父は「嫁入り前の娘に手を出さないで下さい!」と怒りまくり。
喧嘩は過去のほじくり返しになり、単に友人同士の喧嘩みたいになり、私は母が誘拐婚だと知った。結納一週間で嫁入りって何。
テオの怪我で彼の仕事の調整が変化したし、会いに行っても「まだ立ち直れてない」と避けられてしまうし、父がぷんすか怒っていて、母とも何か喧嘩したようなのでマリに会いに行くのは延期。
心配ではあるけど、叔母レイやユミトによればマリは元気で、むしろこんな状態で来ないようにと指示されたので。
順風満帆な日々から少しずつズレている気がする。




