八
私が読んだことのある恋の物語は、実に波瀾万丈なのだが、現実の恋は異なるようだ。
テオと楽しいお出掛けを三回して、両家が集まって宴会をして結納をして、何の問題も障壁もなく文通継続中。
料理は相変わらず下手だけど、見た目が良くないとか、ゆっくり一品しか作れないだけで、不味いものにはならないので、このまま励みたい。
新年からしばらくは忙しいので、と保留にされていた女性兵官見習いの話がついに進み、来週、父と叔父と共にお世話になる花屯所に挨拶へ行くと決定。
そんな梅の花が咲き始めて気温が上がってきた頃の登校中に、料理会でどんどん親しくなっているマリ・フユツキが震える声を出した。
「ユ、ユリアさん。ユリアさん。緊張で頭がおかしくなりそうです」
「緊張? 緊張とはどうしたのですか?」
「ぶ、ぶん、文通お申し込みします」
「まぁ、どなたにですか?」
「……あっ。あの、あの灰桜色の着物の方です! あちらの方です! い、行ってしまいます」
「あの方ですか」
マリが揃えた手で示したのは、役人の制服姿の若い男性。
友人の恋路は応援するものなので、彼に駆け寄って話しかけて、マリを手招きしたら、彼女は照れ顔を扇子で隠しながら近寄ってきた。
役人さんの顔がかなり前向きに見えたし、マリ達の集団の付き添い人もこちらへ来たので、私の役目はこれで終わりだと遠ざかる。
去り際、
「頑張ってください」とマリに耳打ち。
結果は残念だったようで、翌日マリは私に「家か私かは分かりませんが、気に入って下さらないようです」と悲しそうに笑った。
美人で優しい女の子なのに、役人なら国立女学生と文通くらいしてみそうなのになぜ。
同じ男性の兄にこの疑問をぶつけてみたら、金貸しの娘はあまりって親に言われたんじゃないか? という回答。
「悪徳や高利貸しではなく、どちらかというと質屋のお家ですよ」
「もう恋仲ならともかく、これから交流なら父上だって断らせるさ。試してやるよ」
兄と共に父の書斎へ行き、兄が「遠くから眺めていただけで挨拶しかしたことのない、ユリアの学友と文通したいと考えています」と父に話しかけた。
「へぇ、そうなんですか。ユリアの学友なら何も問題ありませんので、常識的に文通お申し込みして下さい」
「お家が金貸しや質屋ですがよろしいですか?」
「それが分かっていて、許されると考えてこのように来たのなら、評判の悪い家ではないのでしょう。構いません」
兄と共に父の部屋から撤収。
「許されたではありませんか」
「……今のは自分が信用されているという意味です」
「少し調べればフユツキ家に問題がないことは明白です」
「それなら不細工なんだろう。ユリアはどんな女性もかわゆいって言うから」
「マリさんはとりわけ美人です!」
兄に信用ならないと一蹴されてしまった。
会わせて本当だと教えたいけど、マリは最近休みがちで、趣味会なんてずっと休んでいる。
なんでも、家業の手伝いと姉の病気で忙しいらしい。
なので兄にマリを見せるのは難しそう。家が大変なら何か手伝いたいのだが、我が家はフユツキ家と全く縁がない。
趣味会で親しくなっただけの私は、彼女の家がどこにあるかも知らず。
今年の春は少し早く、桜の花びらがひらひら舞い落ちる季節が到来して、マリが久しぶりに趣味会に顔を出した。
しかし、それは吉報ではなかったので、とても切なくなった。
「お恥ずかしい事に姉が借金をこさえてしまいました。けれども、ありがたいことに無利子で貸して下さる家が見つかりました」
マリは曇っている笑顔で、趣味会で親しくしている同級生に向かって小さな声を出した。
教室の端で内緒話だけど、他の人達も気になって集まっているので小声なのだろう。
「無利子なんてそのような都合の良い話は危ないと思います」
「危なくはありません。四男さんと私が縁結びして、家族になりますので大丈夫です」
それってつまり、借金返済を手伝う代わりに、息子にマリという娘を寄越せという意味。
「マリさん。もしやお姉さんの借金はその家関係ですか?」
「まさか。そのような罠にかけられてはいません。向こうの家と姉は全く関係ありません」
「そうですか」
「お家の為に政略結婚を選びました。不安もありますが、優しそうな方なので励みます」
先日、両家顔合わせをして実際に会話して安心したので、これからきっとお慕い出来る。
婚約者の家に頼まれて早く事業を手伝う場合に限り、これまでの学校成績が良好な最終学年の女学生は、特別に単位を与えられて卒業式まで休学出来る。
マリはそれに該当するので、国立女学校中退ではなくて国立女学校卒業者になれる。
自分はとても果報者ですと、マリは寂しそうに笑った。
こうして、マリ・フユツキは卒業日まで休学することに。
借金の肩代わりに婚姻なんて怪しい臭いがするので、祖父と父に調べて欲しいと依頼。
祖父も父も立派な役人で、あちこちにツテコネがあるのできっと何か分かる。
結果、調べてくれたのは祖父と父に頼まれたジオで、フユツキ家の借金は本当で、マリが嫁ぐのはどこかの豪家の病気療養している四男だそうだ。
釣り合いの取れる家から病人介護嫁をもらうことは至難だが、借金の肩代わりを理由にすれば簡単。
「親が自分の嫁をお金で買った訳だけど、本人としては闘病中の自分なんかに嫁いでくれるって考えるんじゃないですかね。優しそうって言われたんですよね?」
「はい。でも心配です」
「もう少し調べてみます。これでも忙しいから、すぐには無理ですが」
「いえ、ありがとうございます。お願いします」
翌日、さっそくマリに手紙を書いて、他の子達と共にフユツキ家に行って、家にいた彼女の姉に手紙を渡したけど、断られてしまった。
「妹が新しい生活に慣れて、手紙を読んでも恋しくならない頃にまたお願いします」
ジオによれば借金を作った姉は家出したらしいので、この姉は悪くない人だけど、こんな風に妹の友人を追い払おうとしないで欲しい。
食い下がったけど、親や妹からのいいつけですので、で終わり。仕方がないから帰ることにした。
私はルーベル副隊長の姪で卿家の娘。
教えてもらえなくても、隠されても、調査する手段はある。
顔を合わせてすぐ婚約、同居だなんて絶対におかしい。
☆
偶然にも、お世話になっているユミトがマリと出会い、彼女がどこに嫁ぐのか判明。
叔母レイとユミトが暮らす北部海辺街にある長屋のすぐ近くにあるお屋敷だそうだ。
そこで暮らしているのは青年一人。少し前までは住み込み奉公人のような中年男性もいたけど、彼は追い出されて、ユミトとレイが暮らす長屋へ引っ越してきたという。
「……つまり、結婚もしていない年頃の男女が一つ屋根の下なんですか?」
ここは我が家の居間で、この話を聞いているのは私と母と祖母。
学校から帰ってきたらユミトがいて、私に話があるということで待っていた。
私の問いかけにユミトは、
「そうみたいなんです。何がどうなっているんだか。ユリアさんの御学友だという情報は入手出来たので、こうして相談に来ました」
と、苦笑い。
マリが婚約したシンという青年は、広さはあるけど手入れは行き届いていない、地元では「幽霊屋敷」と呼ばれる家に住んでいて、ユミトは前から彼を気にかけているそうだ。
「引きこもり息子に良いお嬢さんを、という親心は理解出来るけど、使用人もつけず、まだ婚姻前なのに同居なんて、そんなことありますか?」
ユミトはそう母と祖母に質問。二人は首を横は振り、祖母が「非常識な縁談みたいですね」とため息。
「次女さんが借金をして家出したそうです。婚約者さんのお父上がその借金代を無利子で貸す代わりに、マリさんをお嫁さんに欲しいと」
「マリさん本人からもそう聞きました。シンさんに契約書を見せてもらったんですが、確かに破格の結納金で驚きましたよ」
母が「旦那様に本物の契約書があるのか調べてもらいます」といいながら紙に書き付け。
「ありがとうございます。そういうことを頼みにきました。心配なことに、フユツキ家側からの訴えで離縁禁止。暴力、暴言、その他どんな扱いも許すなんて内容だったんです」
「……」
つまり、マリは殴られたりするのだろうかと身震い。優しそうな方と言ったのに!
「俺は信用されていないんで、ユリアさん、ご家族の誰かと一緒に友人に会いに来たみたいにシンさんの家へ行けませんか? 協力して欲しいです」
「もちろんです! マリさんが心配だったので、むしろ情報をありがとうございます」
私が来訪しても問題ないか様子見するというので、新たな知らせが来るまで待つことに。
その週末、私はついに兵官見習いに。父と叔父と共に挨拶をして、担当してくれるミナミから軽い説明をされ、現在少々多忙なのであまり構えないと告げられた。
「案件を二つ引き受けていただけるそうで、とても助かります」
「ええ、姪の友人関係なので、自分と知人兵官で担当します」
何の話? と心の中で首を傾げていたら、父と叔父に相談へ連れて行かれた。
まず、父がこう告げた。大変心配でならないけど、家族親戚ほぼ全員が言うように、私は一般的な成人男性よりも余程安心安全。なので、この話を許すことにした。
この話とは、私が二つの相談事を引き受けること。それに関しては叔父が番隊副隊長として説明するそうだ。
叔父は私に二つの資料を提示。
一つは母の実家で保護している、謎の異国人アリアについてのもの。
書類には保護に至った経緯、現在の状況が記されている。
「彼女は少しずつ家の外へ出て、平家としての生活を学び中。彼女が独り立ち出来るように援助して下さい」
一応、対外的には地区兵官の福祉班と担当女性兵官がついているけど、世話焼き家族が引き受けて、担当者はほとんど何もしていないそうだ。
「つまり、俺が引き受けて家族に丸投げしているってことだ。家族親戚と一緒に支援は、初めの一歩に丁度良いだろう」
時間がわりとあり、体も動き、知識も経験も豊富な祖父を頼るように指示された。
もう一つの書類は、マリ・フユツキについてのもの。
「彼女の縁談に違法性はまるでないので、本来は支援対象外。でもユリアは友人が心配だろう?」
「うんと心配です」
「女性兵官さん達の業務を少し引き受ける代わりに、支援対象にしてもらった」
マリは支援対象外だけど、主に自分と家族が引き受けるのでと、女性兵官を一人担当につけてもらったそうだ。
「こっちもレイが関与していて、わりと余裕のある女性兵官さんが担当だから、練習として丁度良い」
私は街中で犯罪者の逮捕に何度も協力しているけど、女性兵官の仕事は捕物ではなく、生活で困っている女性や子供の支援など。
なので、まずこの二件に関与して、本当に女性兵官になりたいのか考えなさいと告げられた。
一応今日から見習いだけど、実態は見習いの見習い。
テオと祝言予定が出来て花嫁修行もあるので、ということで。
「まだ成人ではありませんが、門限を二十一時にして一人で歩き回る許可を出します。日が暮れてからは、なるべく一人で行動しないように」
「ユリア。家族を悲しませないようにしながら励みなさい。心配症のロイさんやリルが許可した理由を良く考えるように」
大きく頷いて、元気良く返事をすると、父も叔父も優しく微笑んでくれた。




