弐
公演は、アリアの歌声以外は、まるでおままごとだ。
煌びやかな衣装、美しい若い女性たちの踊り、平均的な能力、珍しい意匠の小道具。退屈はしないが、感動もしない。
「華国一でこれか。若い女ばかり揃えているってことは、売っているのか?」
幕間の時、アサヴがふぁぁと大きな欠伸をしながら告げた。
「悪辣な推測はおやめなさい。周りの反応はそうでもないですよ。特に女性達」
「女も美しい女が好きだからなぁ。古典劇ばかりだと流行りを作れるのは難しいからこの劇を盗むか。会議でもそういう話があったし。こんなぬるい公演なら超えるのは簡単だ」
後半が開始すると、アサヴはうとうとし始めた。俺もわりと流し見である。
歌劇だとどうしても歌を上手く歌うことに意識が向いて、演技がおざなりになる。特に体や表情、声の抑揚などが疎かになりがち。
本物ならば、そうはならない。
歌姫アリアは美声で、歌はとても上手いものの、そこから伝わってくる感情がほとんどない。
どうにも歌姫アリアが役名「シャーロット」だと感じられない。
ただ、華やかで煌びやかな舞台で、そこに美声の歌なので、何度かは観たくなる。
しかし、「伯爵」と「青薔薇の冠姫」の物語の印象は残らないだろう。
きっと大衆は「歌姫アリアの歌は素晴らしかった」「あの曲が良かった」「あの衣装が愛くるしかった」「あの踊りが印象的だった」などと評価するだろう。
それが歌劇というものであると認識しているので、そういう意味でこの舞台は大成功だ。
最後の場面は大団円で、仲を引き裂かれそうだった伯爵とお姫様が抱きしめ合って終わる。
歓声と拍手を聴きながら、俺とアサヴがあの二人の役をすれば、歓声と拍手ではなくてすすり泣きと笑顔を作れるのにとぼんやり。
「俺と君ならすすり泣きと笑顔だな」
アサヴも拍手をしていない。
「ええ」
「歌姫さえ俺の心を震わせられないなら、俺を唯一狂わせる毒華はどこにいるんだか」
「明後日は歌姫エリカが主役ですよ」
「ふん。どうせ肩透かしさ」
アサヴが明日の公演に備えて帰る、というので一緒に劇場を出て少し飲みに行き、彼は自宅へ帰り、俺はムーシクス総本家へ。
俺は基本的にアサヴの家に住み込みしているけど、今夜はウィオラがいるので彼女と話をしたい。
帰宅すると、ウィオラは本家敷地内の舞台で総当主と共に稽古をしていた。二人は俺の来訪に気が付き、稽古をやめた。
異国の歌劇団はどうだったと質問されたので、歌姫の歌声以外に気持ちが揺さぶられるものはなかったと伝えた。
珍しさと話題性でしばらく最も人気だろうけど、歴史に刻まれることはないだろう。
「手厳しいな、ミズキ。君もまだまだなのに、目が肥えているからとそのように」
総当主は俺の師匠でもあるので、多分すんなり寝れないだろうなと考えてここに来たのだが、やはり指示されて、俺も含めて稽古の仕上げと言うので、素直に参加。
倍の人生を生きた時に、俺はこのウィオラの芸に勝るとも劣らない芸を身に付けられているだろうか。
そのような不安は総当主に見抜かれ、久々にけちょんけちょんに叱られた。
★
翌日、火曜の夜は輝き屋の公演日。
華国の交易団体の者の中で、観劇希望者が舞台鑑賞をする日。
その中には百花繚乱の関係者も含まれるが、客が誰であろうと構わないし、俺は今日、役者として舞台に立たないから更に気にしない。
俺の席は昨夜と同じく特等席。
今夜の舞台は客に秘密の特別公演で、人気がうなぎのぼり中のアサヴが主役で、その相手役は幻の芸妓遊霞。
娘への稽古で魂を熱くしたのか、久々に激鬼になった総当主と二人きりの稽古が長くて開演に間に合わないと慌てていたが、なんとか間に合った。
すみませんと声を掛けて列の中央席まで移動しようとしたら、落ち葉色の髪をふんわりと三つ編みにして、横流しにしている若い女性と目が合った。
他の若い女性達と同じように、青薔薇の冠姫風の変面をつけている。
俺の隣は今夜、遊霞ことウィオラの夫だったはず。いるはずの彼女の三人の息子も見当たらない。
「こんばんは。ねぇ、あなた。この列に席があるってことは、この一座の役者さんでしょう? この冊子の文字は読めないから読んでちょうだい」
着席前に無造作に差し出された冊子は着席に邪魔。
彼女は体の線が良く分かるワンピースという異国服姿で、裾から太腿にかかえて切れ込みがあるのに、足を組んでいるからかなり素肌が丸見え。
「華国の方ですか?」
「アリアよ。光栄に思いなさい」
美術家が造ったような美麗な顔の異国人でアリアで、この特等席列にいるってことは、多分彼女は華国の歌姫アリア。
「でくの棒みたいなふしだらな足が邪魔ですので、お行儀良く揃えて私を通して下さいませ。偽物歌姫さん」
「なっ!! でくがなんだか分からないけれど、侮辱されたのは分かったわ! 私は偽物じゃないわよ!」
「本物の歌姫がこのように横柄だったり、はしたないはずがありません」
本物の歌姫だからといって、彼女にごますりしなくても俺の人生に損はない。我が家も同じく。業務提携先、俺の勤務先の輝き屋も同じく。
容姿と美声でチヤホヤされた結果、鼻の高い高飛車傲慢人間に成長とは、花柳界ではよくある話。
陳腐な芝居しか出来ないくせに、いきなり他人に文字を読めとか、光栄に思えなんて、実に生意気。
「ミズキ、なぜ喧嘩を売っているんだ。すみません、アリアさん」
前列にいる父に声を掛けられた。
「お父様、なぜ隣にこの無礼な女性が?」
「やめなさいと言っているだろう。息子さん達が熱を出してネビーさんが来られなくなった。良席を空席にするのはもったいないので、ご隠居が良席を望んだアリアさんへ贈った」
「そうでございますか」
アリアに「偽物だと言ったあなたこそ無礼者よ。謝罪して」と言われて、とにかく腹が立った。
この世には、なんとなくいけ好かない者が存在する。
そもそも俺は生意気で礼儀知らずで恥じらいのない人間が嫌い。女性だと特に。
「すみません、アリアさん。ミズキ、謝りなさい」
「いけ好かないので嫌でございます」
「なっ!! さっきから何なのよ!」
「無礼には無礼を返す。それだけでございます」
開幕の鐘の音が響き渡ったので、扇子で彼女の足を「どけ」というように誘導して着席。
隣席のアリアに睨まれ続けたけど無視。
こうして、輝き屋の公演、古典「万年桜」の上演が始まった。