壱
大陸中央、煌国。
演者の表情も見られて、舞台をよく眺められる中央かつ前列席に座っている。
俺の隣席にいる幼馴染のアサヴは欠伸混じりだ。
本日から我が輝き屋の演場で行われる公演は、属国華国の交易団体の一つ、歌劇団百花繚乱による「伯爵と青薔薇の冠姫」という演目。
歌劇団百花繚乱は女性、それも独身女性のみの劇団で、歌と踊りが中心だ。
皇居でお披露目後に北地区、北東農村区で公演を行い、今日から東地区で約一ヶ月間公演を行う。
旅行客を見込んで、我ら輝き屋の公演も同時進行で続く。
輝き屋の収入が減る分、百花繚乱の公演日の空き時間に舞台装置を変えない短い宣伝が出来て、演場使用料も払ってもらえる。
輝き屋は演者がほぼ男性だけの陽舞妓公演を中心に、演奏会や演舞会を行なっているので、百花繚乱とは毛色がかなり異なる一座。
女性だけの歌劇団百花繚乱と比較されて、客足が遠のく可能性は非常に低い。
「なぁ、ミズキ。百花繚乱の感想が書いてある新聞記事は読んでいるよな?」
「ええ、もちろんです」
「歌姫アリアと歌姫エリカの圧倒的な美声に、華やかな踊り。男役の評価はどこへ行った。伯爵と伯爵と青薔薇の冠姫って題名なら、伯爵が主役だと思わないか? この冊子によれば違うようだけど」
百花繚乱から輝き屋へ納品された冊子を差し出された。
「私も持っていて、懐に入っていますよ」と俺は微笑みながら答えた。
「要らねぇから捨ててくれってことだ」
「かしこまりました」
「男女が中心の舞台なら奪うぞ」
「ええ」
きゃあ、と黄色い声がしたので顔をそちらへ向けたら、若い女性二人——多分——と親らしき男女が立ち止まってこちらを眺めてヒソヒソしていた。
若い女性は格式のある華族令嬢のようで、顔の半分だけを覆う仮面である半面をつけている。
その半面は、この公演で売られている百花繚乱の小物。
西の方の国で使われる半面は、煌国では見かけなかったような意匠である。
目や眉の形、瞳の大きさやまつ毛の長さ、それに鼻も良く分かる目の周りだけが装飾される半面なので、これでは若い高貴な女性の素顔を隠して男性達から容姿を隠すという意味が無い。
「君たちは俺の贔屓かい?」
アサヴのこの一言で、若い女性二人は抱き合うようにして再び黄色い声を出した。
輝き屋の看板役者、七代目当主候補のアサヴは美男子かつそれなりに有名人。
切れ長気味だが大きな目に、高めの形の良い鼻、そしてどこか色気のある唇。
現在の公演のために短くしている蝋色の細くてさらさらとした髪が揺れると、お嬢様達の目がうっとりしたように変化。
「そ、そうですし、皆さん自体が贔屓です」
愛くるしいお嬢様達に係員が声を掛けて、その場から離れさせた。その時に「また後で」とアサヴが爽やかな笑顔で手を振る。
去り際、二人が「隣の方は婚約者かしら」と言うのが聞こえた。
俺、ミズキは今日も今日とて、完璧に女装出来ているようだ。
「いやぁ、可愛いなぁ。早く女を抱いたり愛でたい。女って愛くるしいにも程がある」
圧倒的美男子アサヴの生まれは少々複雑。
彼の父親は容姿に恵まれただけではなく、役者の副神に愛されているような名役者であったが、とにかく性格と女癖が悪かった。
祖父や義父である叔父から父親の話を聞いたアサヴは、とにかく父親とは真逆の性格を目指している。
婚約者がいるのに次々と女性に手を出したり、自らの美貌を利用して花街で色春売りをしてコネや権力に金を手に入れていた父親とは真逆でありたいということで、アサヴは女性関係にかなり気を付けている。
俺は物心ついた時からそのアサヴと多くの時間を過ごしていて、その価値観を伝えられ続けているから、若干渋々真似をしている。
「それならそろそろお見合いをしますか?」
アサヴが俺離れ、女性避けはもう要らないと言わない限り、俺に縁談時間は生まれない。
「何度も言っているだろう。俺はウィオラさんみたいな鬼才を嫁に迎えたい。最低でも君以上の才能がないと嫌だ」
「お気持ちは分かりますし、まだ若いから良いですが、いつまでも女性避けに使われるのはちょっと」
役者ミズキは女形であるので、常日頃から女装して女性よりも女性らしくなれるように修行中。
しかし、ほぼ四六時中女装である理由の半分くらいは、アサヴが「女が群がって来るのは面倒」と言うからである。
どこからどう見ても女性の俺を常に近くに配置して、周囲の者達に俺を恋人だと誤解させている。
舞台化粧と日常の化粧が異なるので、同じミズキという名前なのに、役者ミズキと同一人物だと見抜かれない。
陽舞妓には数多の名女形がいて、女役者は稀なのに、役者ミズキが男性なのもバレない。
「ウィオラさんは何で娘を産まなかった」
ウィオラ・ムーシクスは俺の親戚。ムーシクス本家現当主の次女で、俺達の倍くらいの年齢。
輝き屋幻の芸妓「遊霞」は神出鬼没で、年に数回しか公演に出演しない、素顔不明の謎芸妓ということになっている。
彼女はアサヴと同じく煌国一を目指せる、数々の才能を有しながら、花柳界の大輪として咲き誇ることよりも恋を選んでしまった。
家と家の為にアサヴの父親と婚約させられ、ほぼ何もしていないのに彼を愛憎に狂わせ、破滅させたある意味悪女。
音楽や芸の副神に愛されているようだから、国に神職になるように命じられ、その仕事をしながら家守りや子育てをしている。
「今ところムーシクスの血族に、アサヴさんのお眼鏡にかなう芸妓はいませんからねぇ」
「居るけどミズキ、君だ。君が女性に生まれてくれていたらなぁ」
「見捨てられないように精進致します」
「今夜、運命の女と会えると良いのに。期待で眠れなかったから眠い。ふわぁ……」
仮眠すると目を閉じたアサヴの隣で、渡された冊子を斜め読み。
この冊子は先週届いて、大体頭にいれたし、似ているのか似ていないのか分からない演者達の絵も結構覚えている。
時間が過ぎて、開幕の鐘が鳴り始め、音楽が流れてくると俺の期待は少々萎んだ。
煌国は大陸中央部一の勢いの強国で、ここはその王都。軍事関係の拠点は旧都なので、文化や平和の栄華を極めているのはこの王都である。
その王都の花柳界で中間くらいの地位を有する輝き屋の音楽を担当する家は三家あり、その輝き屋音家の演奏と今の演奏を比較すると実に退屈、平凡である。
しかし、そこに響いた第一声に俺は背筋を伸ばした。
アサヴも肘掛けに肘を置いて頬杖をしていたのを止めて前のめり気味になり、集中態勢に変化。
本日の公演の主役は歌姫アリア。
幕が上がり、暗めで光苔の灯りが星のように輝く空間で、強い光を放つランプの光を浴びる、煌国では舞台くらいでしか観ないドレスという民族衣装を纏った女性が発した歌声が脳天を貫く。
天色のドレス姿のアリアは非常に美しい女性だった。
しかし、それさえ霞む美声を有している。これはあまりにも素晴らしい歌声だ。
滅多に起こらないのに、高揚で鳥肌が立った。
全身のうぶ毛が逆立ち、体が小刻みに震えて、初舞台の大感激と大興奮が蘇る。
舞台という魔物に飲み込まれたあの日と同じ感覚に陥るとは初めてだ——……。