六
男と花街の蓮華茶屋へ行ってなにやらなんて無理! ということで、俺はミズキから逃げるつもり。
ビクビクしながら帰宅したら、出迎えてくれたのは年下叔母ララとアリアだった。
彼女の髪型は昨日とは異なり、横流しで全て三つ編み。美人はなんでも似合うは、初対面時に違うと知っている。今の髪型はとても良く似合っていて美人がさらに美人。
彼女を見た瞬間、心臓がバクバクし始めたので動揺。
「ジオお兄様、お帰りなさいませ。アリアさん、こうです」
「また正座。私、本当に正座って苦手」
スッと正座しようとしたアリアが、正座出来ずによろめいて俺に向かって倒れてきたので慌てて支える。
俺はまだ玄関土間に立っていて、彼女は取次にいたので上から降ってきたみたいな状況。
抱きかかえるようになり、頬と頬が擦れたのと、横流しの三つ編みで剥き出しの首筋が俺の首に触れたので、一気に全身から汗が吹き出した。
家族親戚でも女性がこんなに近くなるのは、半元服する前しかなかった。
「ごめんなさい。ありがとう」
俺の肩あたりを掴んで押して、ゆっくりと離れたアリアと目が合う。
吸い込まれそうな目とはこのことだ。瑞々しい新緑色の瞳はとても不思議な光を帯びている。
やはりまつ毛は長いし、昨日はそこまで観察していなかったけど、美しい二重まぶたに大きな目だ。
「……」
取次に立ったアリアは、俺の惚気なんてまるで察していないというようにララに話しかけて、正座をもっと簡単に出来ないかと問いかけている。
顔にどんどん熱が集まるのが自分でも分かるので、片手で顔を隠したくなるけど、そうしたらバレそうなので二人に背中を向けて、座って草履を脱ぐこにした。
「ジオお兄様、お疲れですか? 顔がお疲れです」
背後からひょこっとララが顔を出したら、アリアが「こうするのね」と反対側から俺の顔を覗き込んだ。
思わず、彼女からバッと顔を背ける。
「アリアさん、その。ララは身内で年下叔母上なのですが……アリアさんは他人で妙齢の女性ですから……常識として、あまり近寄らないでいただきたいです」
「みょおれい? ララちゃん。みょおれいって何かしら。ジオさん、私はとびきり美人だから話しかけただけで照れるのは分かるけど、同居人だから慣れて欲しいわ」
自分でとびきり美人って言うのかよ! と突っ込みたくなったけど、顔を見られない程の恥ずかしさに襲われている。
「妙齢。お年頃の女性です」
「お年頃? 口説いて落としたい年齢ねぇ。煌国ってやっぱり面白い言葉ばかりね」
お年頃を落とし頃って認識したようだ。
「あはは、アリアさん。お年頃のとしは年齢の年です」
「年齢のねんがなんでとしなのよ」
「文字で教えますね」
叔母ウィオラの弟子達がアリアの世話係ではなくて、ララが世話係なのだろうか。
実家に戻ってきてまだ全然状況を把握していないので、去ろうとした楽しそうな二人を追いかけるようについていき、ララとアリアの様子を観察。
そこに、向こう側から叔父とユミトが歩いてきた。
「ユミトさん。こんばんは。来ていたのね」
アリアの声色が少し高くなって弾み、さらに彼女は心底嬉しそうな表情でユミトに近寄って行った。
「アリアさん、帰る前に顔を見られて良かったです。来た時は一生懸命裁縫と格闘していたんで、邪魔出来ないなぁと」
「むしろ邪魔して欲しかったわ。だって見て、この指。ぜーんぜん向いてません」
彼女の顔ばかり見て気がついていなかったけど、アリアのほとんどの指には包帯が巻いてある。
「うわぁ。指に針をこんなに刺したんですか?」
「エルさんが子どもの頃のネビーさんみたいって大笑いです。家事はほぼ全滅。でも掃除は手際が良いのよ。家事はダメだけど掃除はしていたって、昔の私ってなんなのかしら」
「まだ何も思い出せませんか?」
「思い出そうとするとすっごく嫌な感じがするから思い出さなくていいかなって。きっとまるで良いことがなかったのよ。死のうとしていたくらいだし」
アリアは俺に見せた笑顔はまるで違う、淑やかめで可憐なはにかみ笑いをユミトに向けた。
これは多分あれだなと推測。命を助けてくれた、爽やか色男に甘酸っぱい気持ち。
幼い頃、叔父と婚約したばかりの叔母が良く見せていた目や笑みによく似ている。
会えただけで嬉しくて、話せたからなおそうで、幸せいっぱいという表情。
「ユミトさんに助けてもらった結果、百万倍幸せなんじゃないかしら。ありがとうございます」
「いえいえ。そう言ってもらえると助けた甲斐があります」
「レイさんにも伝えてくれる? まだ外には出られないから、申し訳ないけど会いに来てくれたら嬉しいって」
「レイさんは次の休みに来るそうです。そのうちスルッと外に出られますよ」
ララに外に出られないとは何かとコソッと尋ねたら、アリアは家の外に出ようとすると、吐き気や頭痛に襲われてしまうという。
初日にあんなに酷い顔をしていたアリアが笑っていることは喜ばしいはずなのに、笑い合う彼女とユミトを眺めていたら、何だか胸が締め付けられて息苦しくなってきた。
知らない感覚に戸惑ってならない。
「ユミトさん、もう帰るんですか? お夕食は?」
「ララちゃん、オルガ君達にも言ったけど赤鹿はまた今度。レイさん達が夕食を作って待っているから帰ります」
しゃがんでララと顔を合わせたユミトが柔らかく微笑む。ララは不機嫌そうに頬を膨らませた。
「また今度、また今度って、叔父上と同じでその今度はいつになるんですか?」
「おいララ。俺は叔父じゃなくて兄だからお兄様って呼んでくれ」
「年が離れ過ぎてて、全然お兄様って感覚がありませーん。あはは。天下の副隊長さんなのに面白い顔」
ララはいーっと歯を見せて悪戯っぽく笑うと、アリアの手を引いて去っていった。
「なんで六人も妹がいて、一人しか大人しくないんだ」
「あはは、ネビーさん。そんなに真剣に落ち込まなくても。ララちゃんにそんなにお兄様って呼ばれたいんですか?」
「呼ばれたいに決まっているだろう。お兄様って響きは良い。俺を叔父って呼んでも良いけど、ララがこのままガサツになりませんように」
帰宅するユミトを叔父と共に見送ると、少し話があると庭へ連れて行かれた。
寒いのになぜ家の中ではなくて外なのか。
「ジオ」
軽く腕を組んで背筋を伸ばしている叔父が、夜空を見上げて小さく息を吐いた。
吐息が白くなり、夜空へ霧散して天へ昇っていく。
「オルガが君に泣きついたんだってな。すまない」
「いえ、従兄弟に頼られて嬉しいです……」
嬉しかったけど困ってはいる。この様子だと、叔父は妻の弟子ミズキの恋心を理解しているのだろうか。
「オルガは勘は良いけど子供だから的外れ。確かにミズキは苦しんでいるけど、君のことではないから安心しなさい」
「……はい。そうなんですか。そうですか」
俺のことではないのが本当なら安堵である。
「ミズキを見張って、道を逸れそうなら教えてくれ。本物を知るために花街に行きますなんて、酔い潰れたいですって意味だろう」
「……ミズキは叔父上に花街へ行きますと言ったんですか?」
「君と行きたいから、俺とジンに許可を得に来た。街の見学と酒を飲むだけですので、大事な息子さんを連れ歩くのをお許し下さいって」
「そうですか」
「ウィオラさんがお酒に溺れるのも、潰れるのも全て経験って。他の弟子には甘いのに、ミズキは弟みたいな大事な親戚なのに容赦無い」
それ程、ミズキは期待されているのですか? と問いかけようとしてやめた。
それは、質問しなくても既に知っていることだから。
「あの、叔父上。ミズキは何を悩んでいるんですか? オルガが泣くくらいって、余程追い詰められた姿を見たってことですよね?」
「ジオ。周りを良く観察している君なら、この家にいれば何か気がつく。故郷から離れてここにいるミズキには今、甘えられる相手が少ない。君が何か気がついて、俺も話して良いと思ったら秘密の話をしよう」
信頼しているからな、と頭を撫でられて、子供扱いしないで欲しいとか、試すようなことをしないでもらいたいとか、話す気があるなら今言って下さいという言葉がぐるぐる頭の中を回ったけど、何も言えず。
去ろうとする叔父に、両親は何か知っていますか? と声を掛けると、短く「いや」という返事。
彼は振り返らず、軽く俺に手を振ってそのまま去った。




