五
眠れない夜を過ごして、朝食を迎え、アリアが視界に入ると動悸と手汗が酷くなり、ミズキの姿が目に入ると戸惑いに襲われる。
仕事に行く前、支度をしていたら、オルガが部屋に来て、不安そうな眼差しで俺を見据えた。
「ミズキはまだ辛そうです。喧嘩しました?」
「喧嘩? まさか。うぉほん。オルガ、恋で人が死ぬのは稀で、そもそもミズキはそれなのか分かりません。自分は何かで悩んでいるミズキに追い討ちをかけたりしませんので安心して下さい」
オルガはいつも元気いっぱいでわりと騒がしいのに、小さく頷いて静かに去っていった。
どうしたものか、と考えながら出勤したら、ハ組から火消しが何人か来て拉致のように六防からハ組へ。
火消しが本気で駄々をこねると面倒だからと、上官達に売られたようだ。
今日はガイが助けに来ないようなので、午前中いっぱいはほぼ火消しに捕まった。
俺を生贄にして先輩達が仕事を進めるの図。
俺は監察官候補なので、事務官を昼から飲酒や賭け事に誘うな! と遠回しに伝えたけど、熟年火消し達の耳をすり抜け。
そこへ、
「よぉ、ジオ。帰って……なんだジジイ達、こんなところで油を売って」
父や叔父の友人火消しが来て、事務所内の様子を見て、熟年火消し達に「俺らの仕事を増やすな!」と喝を入れてくれた。
「こいつらが働かないと、俺らが書類仕事をさせられるだろう! しかも事務所で酒を飲むな。監察官候補に飲ませようとするな! このジオの前にある盃はそうだろう!」
心の中で「イオさん万歳!」と両手を掲げる。
「おいこらイオ坊。俺らに意見しようなんざ、随分と偉くなったもんだなぁ」
「偉くなったぞ、偉くなった。俺はこの新年から小親父だぜ? ジジイ達、働け。事務官じゃなくて見習い達を鍛えろやー!!!」
おらおら、と熟年火消し達が事務所から追い出されて、助かった! と思ったのも束の間、イオが「火消しあしらいを覚えろ」とお説教を開始。
「って訳で、俺もお前を鍛えることにする。もう聞いているよな? テオがお宅のユリアちゃん激推しだったって。氷河の君は、てっきり病院介護師さんだと思っていたのに」
お説教の次は、ユリアの父親と俺達の叔父が怖いから助けてくれという話。
これじゃあ、さっきまでとほとんど変わらない!
火消しあしらいと言われたので、一生懸命考えて、たまにイオを追い出せそうな台詞を口にしてみたけど不発。
すると、
「お仕事中失礼致します。こんにちは。皆さん、お疲れ様です」
後ろに数人、若い火消しを引き連れたミズキ登場。
今日も今日とて、地味顔なのに可愛らしい化粧と髪型で可愛くて、着物はそこらの街娘ではないと分かる品で、非常に上品に着こなして、会釈も笑顔も可憐なお嬢様風。
「あらっ、なぜ扉がないのでしょう?」
小首を傾げるというちょっとした仕草も可憐って恐ろしい男だ。
後ろにいる取り巻き達——ミズキを見かけてくっついてきたと予想——が、くぅっ、可愛いみたいに言っている。
「おおー、ミズキちゃん、どうしたんだ?」
イオが俺よりも早く声をかけた。
「ジオさんがお弁当を忘れたのでおつかいです」
「ジオ〜、愛妻弁当だってよ」
「あ、愛くるしいお弁当だなんて、お上手ですね」
照れ照れ真っ赤になったミズキが扇子を出して顔を半分隠した。
あれも演技なので、やはりミズキは恐ろしい男というか役者だ。彼なら顔色だって変幻自在。
彼が教えた相手以外には、全然男性だって見抜かれていない。
「ミズキちゃん、愛妻は愛する妻って意味ですよ」
「……妻なんて、妻なんてジオさんに怒られてしまいます。それに私には本家推薦の許嫁候補がおりますし……」
政略結婚なんて嫌、みたいな悲しげな表情と少し涙目になったミズキに、この場にいる俺以外の者が同情したような雰囲気になる。
政略結婚反対、とミズキの取り巻きの一人が声を出すと、他の者達もそうだそうだ! と開始。
この茶番劇は、これぞどこでも始まるミズキ劇場である。
「皆さん、そのようにありがとうございます。アサヴさんはとてもお優しい尊敬出来る役者さんですよ」
ミズキのありがとう光線の破壊力は凄まじくて、彼の後方二人から「俺の嫁になってくれ」という台詞が飛び出した。
「お前にお嬢様は無理だ」
「お前にだって無理だろう」
「そうだそうだお前なんて論外だ」
ミズキの後ろに三人いるなぁと思っていたのに、声の数だと九人いそう。
三人で一つの班なので、三班集まっているということだ。
さすが女を口説くのは仕事のうちみたいな火消し達。
「貧乏平家のネビーが大出世してミズキちゃんの親戚の元お嬢様嫁を手に入れたんだから励めばあるぞ。お前ら、中官試験を突破してみろ」
イオが腰に手を当てて仁王立ちになり、カラッと笑ってこう告げた。
「はぁああああ? イオさん、何を言うているんですか。あの天下の成り上がりネビーさんは中官試験突破どころじゃないですよ!」
「そうだそうだ! あんな稀な人を使って俺らのケツを蹴るな!」
「ケツって言うな! お嬢様の耳が腐る! っていうかお前ら、サボってないで働け! 女を口説きたいなら仕事で成果を出せ!!!」
やべっ、小親父イオの雷だーっとミズキの取り巻き達が逃亡。
ミズキはそれを驚き顔で眺めている。
「すみません、ミズキちゃん。来るたびにしょうもない組で」
「……いえ、勉強になります。私もいつか、火消しの奥様役をするかもしれませんもの。ちょっと、あんたー! お酒や賭けなんておやめなさい! どうですか?」
そこそこ棒読みの、全く火消しの嫁に見えないミズキの演技に事務所内の雰囲気がますます丸くなる。
「あはは、あのウィオラさんの弟子なのに大根役者。頑張れ、頑張れ」
「日々励んでおります」
膨れっ面で俺に風呂敷包みを品良く押し付けたミズキはそのまま帰宅。
「拗ねた。謝罪ついでに、ミズキちゃんに群がるバカを働かせてくるか。じゃあな、ジオ。今日はミズキちゃんに救われたな」
ようやく仕事を邪魔する人間が居なくなったので今のうちに仕事!
食事なんて後だ後と仕事を進めて、また邪魔者が来た頃に「集中し過ぎて今からお昼なので」と告げて、なんとか追い払い。
お弁当包みを開いて箱の蓋を開けたら、いつもの素晴らしいお弁当ではなくて、中々悲惨な感じになっていた。
卵焼きはあちこち焦げていて形が変だし、おにぎりは三角ではなくて変な形で、たくあんはボロボロめ。ほうれん草の胡麻和えはわりとまとも。
ミズキからの手紙が添えてあり、これは新人アリアが料理に挑戦した結果なので、彼女は少なくとも料理人ではなさそうと書いてあった。
「ぶほっ! ゲホゲホッ! ゲホゲホゲホッ!」
俺は続きの文字を目にして吹き出して咳き込んだ。
どうしました? と上司に心配されたので首を横に振って、変なところに入っただけですと伝える。
【今夜、花街へ行きましょう。あなただけのミズキより】
花街。
そこはお金と欲望にまみれた世界。
売春が許される唯一の地域で、夫婦や恋人が休憩したり色関係を購入出来るところでもある。
花街以外でそれら色関係の商売をすることは重罪で、基本的に「死罪」だ。
しかしながら、花街内だとかなりのことが合法。
バレたら世間体が悪いけど、俺がふらっと行って、一日登録をして、お姉さん俺を買いませんか? と小金を稼いでも許される。
その花街へ男と男で行こうだと、女性を買いに行こうぜになる。
しかし「あなただけのミズキ」だと、私と花街の茶屋へ行って、淫らなことをしましょうである。
——……っ!!!
俺のそういう対象は女性って言ったのに!!!




