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連恋輪廻応報草子  作者: あやぺん
人魚姫ノ章
13/122

 朦朧(もうろう)とした意識の中、彼女は愛しい人の名前を呼んだが、その声は空虚な寒さに消えてしまった。

 目の色が違う気がすると、意識を暗い暗い底へと沈める。


「……いじょうぶ……? 大丈夫ですか? もう大丈夫ですよ!」


 心が受け入れたくない現実から逃避しようとして記憶が破裂した瞬間、感情が混線して、彼女の恋はすり替わった。


「ゲホッ! ゲホゲホッ!」


 海水を吐いた瞬間、歌姫は喉に灼熱感を感じて喉を掻きむしった。

 しかし、彼女が痛みを感じているところは喉の表面ではなくて内側。

 咳き込み続けていると、彼女の口から小さな毒クラゲが飛び出した。

 大切な恋を失った彼女は、そのままこれまでの彼女ですらなくなってしまった——……。


 ★


 人魚姫アリアはレイとユミトの仕事の都合上、朝早めに来るそうなので、親戚の家へ引っ越す為にまとめた荷物を玄関に置いて居間で待っている。

 

 我が家の朝は、通学前の子供達を見送るまではわりと戦争だけど、今日は祖母が「新しいお姉さんが来るから早くしなさい!」と急かしたから、既に朝食も出掛ける支度も済んでいる。

 人魚姫はどんな人? 魚になれる? と興味深々のシイナとカナンとララは祖父レオにまとわりついていて、オルガだけがすやすや寝ている赤ん坊のチカで遊び中。


 カラコロカラ、カラコロカラと呼び鐘が鳴り、しばらくして「レイだから入りますー!」という声がすると、子供達が一斉に居間を飛び出した。


「オルガ! そんなに興味ないって言ったのにずるいです!」

「ずるくないです! 俺が一番だ!」


 このぐらいなら叱らない祖父母が子供達の後ろへついていったけど、他の者は動かず。

 どうせこの居間集合だから、と考えたのは俺だけではないってこと。


 しばらくして皆が戻ってきたけど、子供達の顔色は曇っている。

 その理由は、レイとユミトの後から居間へ入室してきた女性を見て察した。


 どう見ても異国人という容姿でとても美しいという情報は得ていたけど、溺死寸前だったところを助けて入院させたという話も聞いていたのに、俺は「人魚姫」という単語で、元気な明るい女性が登場すると思い込んでいた。


 しかし、実際の彼女は生気のない瞳をした、非常に痩せこけた、骨に皮がくっついているだけで肉のないような女性だった。

 落ち葉色の髪はくすんでいて、巻き髪をなんとかまとめたからか、ボサボサ髪のように見えてしまう。

 美しくも不気味。

 それが率直な第一印象である。


 レイが主導して、我が家の新しい住人アリアを皆に紹介。

 紹介と言っても説明はとても簡単で、


「海で拾った記憶がほとんどない女の子。仕事が忙しいので、お世話を助けてください。よろしくお願いします」


 そのくらい。


 そのお世話になる張本人のアリアは、横坐りでぼんやりして、レイが頭を下げた時に軽く会釈と、なぜか手を合わせて指を下に向けた。


「アリアよ。よろしく……」


 まるで春イボ蛙みたいなしわがれ声は掠れていて、とても気の毒になったけど、よろしくって軽っ。

 俺の隣にいる弟カナンが、俺の袖を軽く引っ張って、不安そうな眼差しで「本当に人魚姫?」と小さな声を出す。


「彼女は困っていて、レイ叔母上が助けたいと望んでいるんですから、仲良くするんですよ」


 人魚なんて存在する訳がなく、彼女はおそらく不法入国不法滞在者。

 美人の異国人、それもかつて煌国を裏切った国の人間が、王都にいて海で自殺しようとしたなんて、多分違法遊楼の違法遊女。

 俺の独自調べによれば、最近、北部海辺街で違法遊楼(ゆうろう)に殴り込み捜査が入ったので、彼女はどさくさで逃げたのでは? と考察している。


 逮捕したら無理矢理働かされていた者まで死罪確定なので、情のある兵官が見逃した可能性がある。

 異国から奴隷のように連れてこられて、春売りさせられていたとは可哀想の極みなので、俺なら見過ごすだろう。


 異国人の王都内春売りは禁止されているし、そもそも異国人を王都内で奴隷扱いすることも禁止されている。

 我ら煌国人は大陸を統べる龍神王様の加護を受ける高潔な人間であり、理不尽な暴虐を繰り返す異国人とは異なるという建前のために。

 諸外国から非難される材料は減らしておくものだから。


 叔父から、アリアは(フラァ)国人とすることになり、レイの奉公人の身分証明書を発行したと聞いた時に、俺はその理由をこう推理。

 それから、昨年ずっと(フラァ)国人が大規模交易にきていたから、(フラァ)国人ならとても現実的という話も付け加えたので花丸満点評価。

 そうして叔父は、どのようにして手配をするかと俺を試し……あれは面倒くさかった。

 叔父はすーぐ色々覚えさせようとする。


 ララが「人魚姫さん。ご飯は食べていますか?」と優しい声かけをして近寄ると、アリアは怯え顔になり、震え声で「嫌っ!」と叫んで立ち上がった。


「……めて。来ないで!」


 祖母が突き飛ばされたララを慌てて支えた。

 親切にしようとしたのに、こんな目に遭ったララはびっくりして泣き出してしまった。アリアが居間を飛び出す。


「あらあら、助けられたばかりの捨て猫みたいな方ですね。新人さんにこの家の案内をしてきます。カナヲさん、マリサさん。参りましょう」


 凛と背中を伸ばして、すすすっと立ち上がったミズキが、カナヲとマリサを連れて退室。

 彼女達は同年代女性——一人は男だけど——なのでよろしく、と新入り同居人アリアのことを頼まれている。


「せっかく嫌なことを忘れたのに、本能が覚えているのか急に理由もなく怖くなったり悲しくなったりするみたい。お母さん、よろしく」


「まーた、難しい子を拾ったのねぇ。ほらほら、ララ。人魚姫って聞いていたんだから分かるでしょう。人魚の肉は不老不死って言うじゃない? 食べようとする人に襲われてて、人が怖いのかもよ?」


 俺の祖母はララの母親。

 彼女は娘を抱きしめて、親切にして偉かったわねとララの頭を優しく撫でた。


 自己紹介をするどころではなかったけど、一応アリアとの挨拶会が終わったので、荷物を持ってこっそり家を出た。

 こっそりじゃないと従兄弟達が騒ぐので。


 ルーベル家に泊まることはよくあることなので、一人で向かう。

 慣れた門をくぐって、家と同じ音を出す玄関の呼び鐘を鳴らして声を掛けると、従兄弟のレイスと従姉妹のユリアが出迎えてくれた。


「おはようジオ。今日からよろしく」


 ユリアは一つ違いの従姉妹で、恋愛とかよく分からない俺は、多分周りに固められて彼女と結婚するのだろうと思っている。

(色っぽくて上品な偽お嬢様ミズキに惚けたことは闇に葬ったので、俺はまだ初恋もまだ!)


 なにせ俺は戸籍上はこのルーベル家の養子で、後継の予備としてうんと支援されたし、教育されてきたから。

 しかし、ユリアはもともと妹みたいな存在だし、にょきにょき背が伸びたのもあり、全然色気とか感じない。

 困ってしまうので、家族親戚が俺達をくっつけませんように。


「こちらこそ、よろしくお願いします」

「例の女の子はどんなだった?」

「少々感じの悪い美人でした。あとぼんやりです。感じの悪さはともかく、大人しそうなのでユリアと気が合う気がします」


 こう言っておけば、見た目は冷たそうでも、中身は親切で温かい心を持つユリアがアリアの世話をしてくれるだろう。

 今朝、傷つけられてしまったララのことも気にかけてくれるに違いない。


「ジオさん。やっぱり人魚姫でした?」


「さぁ。まだ挨拶しかしてないから知りません。自分で聞いてみると良いですよ」


「明日、会いに行く予定ですのでそうします」


「ユリア、ジオも付き添い人にしたらどうだ? 変な男が減る。たけのこの君に男はつかないけど、周りのかわゆい学友達に虫が群がる。ジオ、彼女達を是非守ってくれ」


 ユリアの双子の兄レイスは相変わらず心配症というか、妹離れ出来ていない。


「付き添い人って、自分は今年から社会人で、もう学生ではありません。自分が行く方向はユリアさんとは違いますよ」

「……そうだった」


 玄関にユリアとレイスの両親も集合。

 挨拶をして、玄関に荷物を置いて「帰宅後に部屋に運びますのでこのままで。仕事に行ってまいります」と伝えて、学校へ行くレイスと歩き出した。

 三日前に会った時はようやく髪が伸びてふさふさだったのに、じゃがいもみたいな丸坊主になっている。


「レイス、君はなぜまた丸坊主なんですか」

「また剃り込みを入れたらすぐにバレて、叔父上に刈られた」

「懲りませんね」


 役人の手本かつ監査役を担う卿家(きょうか)の跡取り息子レイスは、その重圧が嫌で反抗期中。

 俺みたいに、受け入れつつ諦めて、もっとのらくらしていたら良いのに。


 俺の予想通り、ルーベル家での生活はわりとすぐに終了。

 ただ、その理由が「ジオをハ組に返せ」でも、「ジオ兄上が居なくて寂しいと従兄弟達が騒いだ」でもなかったのは、あまりにも意外だった。

 ルーベル家での生活はすぐに終了し、予想外の理由で帰ることになった。

 従兄弟のオルガがルーベル家まで来て、こう告げたのだ。


「ミズキが失恋で寂しくて死にそうだからジオ兄上、帰ってきて下さい。ジオ兄上が居なくなってからってことはそうだから、禁断の男と男です!」


 自分のことでは泣かないオルガが、メソメソ泣いて俺にしがみついてこんなことを言ったので途方に暮れる。

 こんなの、帰らない訳にはいかないけど俺は男に惚れる性癖は無い——……。

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