氷姫と太陽
とある日、雪が深深と降り、暴風が純白の雪を舞い踊らせていた夜のこと。
少女は両親のいいつけを守らず、雪遊びをしようと外へ出た妹を連れ戻すために、末っ子の世話で忙しい親に声を掛けないで玄関から外へ。
すると、そこには全身が白磁のような世にも美しい無表情な女が妹を片腕で抱えていた。
少女はこう告げた。
「ありがとうございます。妹を雪から助けてくれて」
すると女は少女の妹を雪の上に放り投げ、少女に手を伸ばしてあっという間に両腕で抱きしめた。
そうして、女は消えた。
この日から少女の髪や瞳は炭色から白銀に変化し、その顔から豊かな表情が失われた—— ......。
古典戯曲または古典「氷姫と太陽」より
☆
オケアヌス神社に暮らし始めた謎の美女ナナミは、神職の仕事を手伝い、神社を清掃し、保護所で幼児の遊び相手になり、病院で慰問演奏をするので、その美貌と憂いを帯びた儚げな表情から瞬く間に存在を知られた。
そこに彼女には海の大福神様からの貢物があるという話もくっついたので更に。
変な体質でなんか崇められ始めたので、それに乗っかると良さそう。
ナナミはそういう計算で新しい生活を送っている。 ただ「新しい豊漁姫様ですよね」みたいに異性が話しかけて、ご利益だなんだと触れようとするからその度に腹を立てている。
先輩達のように振る舞うことはとてもしたくないと、育ての姉アサヒの機嫌が悪い時を真似するように。
八才以上の男女と女性以外には、人助けだろうが直接触らないと決意。
そういう訳で——......。
今日も今日とて参拝道を箒で掃いていたナナミは、少し年上に見える青年が「あの」と話しかけ てきたので数歩退がった。
「忙しいので道や参拝作法でしたら他の者に聞いて下さい」
「いえ、あの。その、そたなに用事があります」
そなたと使用する者は珍しいとナナミはチラッと青年の姿を確認。
そこらを歩く平家よりは身分の高そうな庶民という様子。
ただ、かなり整った容姿で髪も肌もつやつやしているので衣服から受けた印象よりも地位が高いかもしれないと考察し、興味が無いので彼に背を向けた。
「あの、新しい豊漁姫候補とはそなたのことですよね? 類稀な美貌を有していると耳にしました」
嫌いな人種、臭い人間でないけど鬱陶しいので、ナナミは彼を無視して社へ向かって歩 き出した。
「あの! 怪しい者ではありません」
「怪しくなくても、そちらが用事があろうとも、私は忙しいので相手をしたくないのです。そんな察しの悪い、自分本位な人間と会話など、私の人生の時間の無駄です」
デレデレ鼻の下を伸ばして、じろじろ眺めて気持ち悪いとまでは言わず。
ナナミは早歩きになったが、青年は尚も追いかけてきて、彼女の前に立ちはだかった。
「それなら私が代わりに掃除をします。そうしたら時間が出来ますよね?」
ナナミは無表情の無言で箒を彼に差し出した。
「お任せ下さい」
箒の受け渡しに乗じて手を触れようとしていると察したナナミは、箒を青年の横へ軽く投げた。
「それなりの身分のようなのにまず文ではなく、不埒なことにこの神聖な体に触れようとするとは愚か者。天罰を避けたければ参拝道を綺麗になさい」
ムカつく、ふんっと鼻を鳴らすとナナミは再び歩き出した。
『我はよく分からんが発情期の匂いがするらしい』
ナナミに話しかけた異生物アトラのこの発言に、彼女は心の中で「あの人から? 気持ち悪ー い」と返答。
『セルペンスが護衛しようか? って』
セルペンスとは何かと問いかけたらセルペンスはセルペンスという回答。
護衛とは何をしてくれて、そのお礼はどうするものなのか問うと、発情期に噛み付く、お礼は歌と音が楽しいやつと告げられた。
「ナナミさん!」
この声はと彼女は胸を弾ませて振り返り、予想通りジオ・ルーベルだったので満面の笑顔を浮かべて小さく手を振った。
『また発情期らしい。気持ち悪い? 噛む?』
(ジオさんも発情期の匂いがするの? 私に?)
『うん。嫌がってなさそうだから噛まない』
(そうよ、彼は噛まないで。彼だけは私に何をしても良いのよ。だから絶対に噛んではいけないとセルペンス? という者に伝えて。アトラもジオさんを噛んじゃダメ)
『ジオサン? あれは人間だぞ? ジオサンなんて生物は聞いたことがない。新種か? あっ、親も噛むなって。はーい』
アトラの声は聞こえるのに、一緒にいる時にたまに会話している親の声は不明なのよねと、ナナミは世界って不思議と今日も今日とて心の中で首を傾げた。
異生物の蜘蛛アトラとすっかり友達のようになり、お喋りしている自分が何より不思議。
「ちょっと待った君! 君はあの麗しの豊漁姫の何なんだ!」
歩いていたら突然青年に迫られたジオは驚き、固まり、どちら様ですか? なんでしょうか? と当たり前の質問をした。
「その、おほん。なんだ。私は中央の真ん中あたりから参った。あまりひけらかしたくはないが ......」
「ナナミさん、また不審男性のようですね。行きましょう。たまたま自分が来たのでもう安心してくだ さい。叔父上に警備強化を頼まねば」
「ジオさんは心強いけど別に平気です。護衛や見張りなんて息苦しいから要らないって言ったのは私です」
「何かあってからでは遅いんですよ」
「平気です。何かある前に相手に不幸があるんですもの。先輩達と同じで」
この変な人に何かあったら可哀想だから早く行きましょうとナナミはジオの袖を少し掴んで歩き出した。
「......中央の真ん中とは皇居也! 私は皇帝陛下の正妃の六男ショウキであるぞ! 新たな麗しの豊漁姫に用があって参った、待たれよ」
瞬間、真面目で素直なジオはひれ伏そうとしたけれど、ナナミが先にこう告げた。
「付き人もいない、知らせもしないで現れる皇族がいるものですか。詐欺師め。突き出してくれる!」
きゃああああああ! 変質者です! というナナミの叫びで様子見していた神社の警護兵官が駆けつけて、私は皇子である! という青年を取り押さえた。
そこへ青年二人が現れて、うちのがすみませんと一言。
「ショウキ様。見苦しいですぞ。女人を上手く口説けず、振られ、皇族と名乗っても信じて もらえず。物事には順序があるのに無視するからです」
「そうです。一言、参拝に参りますと連絡を入れれば良いものをあのように」
「そもそもです。息抜き観光は三日だと申していたのにもう七日ですぞ」
「ショウキ様はなんか急に頭が悪くなったよな」
「そうだな。恋は熱病というから頭がイカれたんだろう。聡明だったのにおいたわしや」
本当にすみませんがこれでも皇子なのでと彼らの身分証明書を提示されて、ナナミ以外は即座 に頭を下げた。
「ナナミさん、学校や職場で学んだ通りなので本物です」
ジオはそうナナミに声を掛けたが、彼女は蔑みの目でショウキ皇子を見据えているだけ。
「......なんて麗しい。ようやく私を見つめてくれた......」
ショウキ皇子の目付け監視役の二人は、どう見ても睨まれているのにこの人は......と呆れ顔を浮かべた。
浮いた話が何もなく、仕事以外は絵を描くことに夢中なので男色家かもしれないという皇子に、 女性に欲情したり恋をする能力があったことは朗報だが、この状態は困ったもの。
「......あなたがアサヒ姉さんに私を売れと言った......あのショウキ......」
ナナミは昨日受け取ったアサヒからの手紙の内容を思い出してわなわな震えた。
「おお、私のことを聞いてくれ......」
ナナミの凍てつくような視線にショウキはようやく気がついて、口を開いたまま停止。
「政府は私に謝罪をしないというのに、美女だから売れとは傲慢、強欲にも程がある! 任官などせぬと返事をしたのにこのように!!!」
面倒くさそうな皇子なので激怒した振りをしようと考えたナナミは渾身の演技で怒鳴った。
そこに、彼女が意図せぬことが起こった。
なんか父が発情期にかなり怒っているから、あの発情期を刺しておこうとアトラがふっと毒針を放ったからだ。
瞬間、鋭い痛みがショウキ皇子の左目に走り、彼は両手で目を押さえて絶叫。
『我も護衛出来るって教わった。出来た』
これは自分のせいだと理解したナナミは慌てて逃亡。
医者を呼んできますという口実を理由に走り出して、アトラに怒ったふりだったから、あれはやり過ぎだと抗議。
『父は激怒してた』
(していないわ)
ここへナナミの先輩ウィオラが駆けつけて、ナナミを追いかけてきた甥ジオに何があったと説明を求め、彼に医者を呼ぶように指示。
それでウィオラは、
「んもう、皆さんは過保護ですからわずかな怒りでも大事になると教えたのにこのように。 上手く対応しておきますから、次から気をつけなさい」
「すみません......」
「まぁ、それでも彼らを縛ることは誰にも出来ませんので、沢山話して価値観をすり合わせなさい」
自分は最初、中々会話が出来なかったし、当時は良く似た先輩も居なかったからあれこれ苦労した。
ナナミは違うがこういうことは結局、経験と慣れだとウィオラはナナミに微笑みかけて彼女の背中をそっと撫でた。
それから同じ生物に好まれたならもっと手助け出来るのにすみませんと謝罪。
「大丈夫、大丈夫です。ここは聖域であなたは神職候補ですから魔女や死神みたいな評価はつきません」
「本当はかなり怒ったのかもしれません。わぁってイライラが押し寄せてきてつい暴言を」
「副神様達の気持ちも心の中にあるからそういうこともあります。かなり怒ったのはあなたというよりもアトラさんでしょう」
これは参拝道で起こったことなので、この件を目撃した区民は幾人もいて、新しい豊漁姫の美貌は皇居にも伝わっていて、わざわざ皇子が求婚してくる程だという新しい噂が出来た。
皇居で文官の一人として生活している、特に区民に噂されるような目立つ人物ではなかったショウキは、この件で金貨で俺達から豊漁姫を奪おうとした皇族の風上にもおけない奴みたいな悪人扱い。
龍神王様の加護があるはずの皇族がその龍神王様に天罰を下されたから、悪人どころか大悪党かもしれないとまで。
そういう訳でショウキ皇子は父親に呼び出されて、何をしている......と怒られた。
そこへ、運の悪いことに彼の叔父の一人、猛虎将軍ドルガがイライラしながら登場。
ドルガは兄と甥が何やら話していたということに気がつかず、兄上! と叫んだ。
「......おお、ドルガ。珍しいな。このように短期間で帰国するとは」
「息子の恩人達への恩賞がどうなったか確認しに参りました」
「その様子だと、滞っていたのか?」
「いえ、全く」
「それならその怒りはどうした」
「兄上はもうご報告を受けて動いておりますか? 龍神王様の教えに逆らい、未来の宝を産む女児を色欲満たしに使う大馬鹿者達がいるせいで、龍神王乙女が失われるところだったと!」
なんの話か分からない皇帝陛下はドルガの話に耳を傾けた。
なんでも、ドルガの妃と歓談したドルガの甥の妃の一人がこんな話をしたという。
かつてお世話をしたことがある妹分の可愛い妹分が実は誘拐児だったと。
それなりの家の娘を拐って遊楼に売って育てるなんて真似は店もグルでないと無理。
監査があるので店と人身売買者だけでも無理な話。 いつの世の殿方も欲望が尽きなくて被害者になる女児は可哀想なことだ。
数才とはいえそれなりの家で淑女になるべく育てられた少女の価値観は当然花街の価値観には馴染まない。
その子は色春売りをするくらいなら死ぬと足抜けしてしまったという。
誘拐児ではと気がついた時には足抜け後で後の祭り。
今頃、捕まって死罪だろう。
会ったことはなくても、妹分の妹分は姉妹同然なので悲しくて悲しくて、とても夫の相手なんて無理。
しかし、単なる閨妃である自分には何も力がないのでどうしようもない。
その話を聞いた、その場にいた女官吏は多分その娘は地区兵官に保護されたと口にした。
庶民の友人がそんな話を手紙に書いていて、足抜けした時にはもう身請けされた後だから彼女に罪はなく、新しい生活を始めたと。
彼女は初めて訪れた海で大副神様に好かれたようで、空から海産物が降ってきたので、オケアヌス大神宮で暮らしているそうだ。
「......」
ドルガからこの話を聞いた皇帝陛下は白目を剥きそうになった。
その娘は息子が怒らせた神職候補のことだろう。
なにせ息子が語った彼女が、遊楼で育って身請けされてオケアヌス大神宮で住んでいる、任官辞令がまだの「新しい豊漁姫」だから。
誘拐児、しかも花街へ売られた娘だったとは......と皇帝陛下はこめかみを揉んだ。
そりゃあ、この内容だとドルガは怒る。
それだけではない。 ドルガが口にしたアイナ妃とは息子が溺愛している唯一の正妃でその出自は南一区花街のあの菊屋。
引退しても相手をしてくれる菊屋の元吹雪太夫が教えてくれそうなのに、教えてくれず、吹雪と親しいアイナ妃が「とても夫の相手なんて無理」に「閨妃」と口にしたということは、それをドルガ の関係者に語ったということは、私は怒ったから夫を暴れさせますという意味である。
優秀だから色々任せている息子が、妻とヤレないからやる気が出ないと言い出すことは明らか。 なにせ、前例がある。
前回もアイナが怒ったのは花街関係の事だった。
そして、龍神王経典が価値観で正義のドルガが怒っているのも明らか。
この間の「アルガ兄上侮辱事件」とは雲泥の差だがそこそこの剣幕だ。
誰だ、こんな重要案件を自分に報告しなかったのは! そう、皇帝陛下は遠い目をした。
「兄上! 心労が溜まっておいでなのですね。神罰が始まる前に対処せねばとこのように。乗り掛かった船と申します。このドルガにお任せ下さい」
やめろ、そんな事をするともっと大変なことになる。
「......ショウキ。罪には罰だ。お前が傷つけようとした豊漁姫を取り巻く問題を調べて解決せよ。大問題を上に報告しなかった者が誰なのかも含めてしかと調査せよ!」
「はい、かしこまりました、父上。しかし傷つけようとなんてしていません。愛でようとしたのです」
「黙れ。一方的な情愛は攻撃であるぞ。女と遊ばず、学んでいないからそうなる」
「兄上、ショウキは龍神王乙女に何かしたんですか?」
ドルガがいるのにしまったと思ったが、もう遅いので皇帝陛下はなにがあったか語った。
皇帝陛下の予想に反してドルガは大笑いして、龍神王様に応援されない恋に縁は無い、その龍神王乙女よりも加護が小さいのは精進不足、父を見習えとショウキ皇子の背中をバシバシ叩いた。
「彼女の望みはどうやら組織犯罪の捜査であるから父上の言う通り解決しろ」
「その通りである。見事に解決した暁には豊漁姫を......」
与えると言いかけて、向こうは嫌がっているからそれをするとアイナ妃やら元吹雪太夫が怒り ......と瞬時に計算した皇帝陛下はこう続けた。
「口説く権利を与える。但し、本人に拒否されたら潔く引け。良いか。地方であろうと神職は皇族と 同等の存在であることをゆめゆめ忘れるな」
正直、皇帝陛下も忘れていたがドルガが少し前に龍神王様の教えは——と語ったので思い出し た。
わりと加護がある皇族を守護したり、恋の後押しをするのではなく、目に異変が飽きて失明寸前とは背筋が冷える。
地方神職ではおさまらない器だったとしたら、それこそ大事だ。
「オケアヌス大神宮か。アルガ兄上と共に用事があるので......」
ここにそのアルガがやってきて、皇帝陛下やドルガにアリアが生きていたと告げた。
それでドルガの感心はアリアに逸れて、この件は一先ずショウキ皇子に託された。
しかし、皇帝陛下の推測よりもアイナ妃は激怒していた。
自分のような生まれが不遇な女性が一発逆転出来る唯一の場所花街に異物を入り込ませて、 血筋で自分達庶民を蹴落とす者達は全ての遊女、元遊女の敵。
どうせあまり綺麗ではない女児は裏取引きしているだろうから女の敵でもある。
そういう訳で、彼女はお尻に潰している夫を泣き真似やら仮病も使って操作してショウキ皇子に乗っけて、大捜査や大監査になるように仕向け、それは皇帝陛下の勅命として全役所へ通達された。
☆★
何も知らないナナミは、皇子とは驚いたけど次から次へと求愛者が現れてウザいので、早くジオを落とすとメラメラ燃えているが彼の反応は悪い。
少し前に、先に婚約者になるかと父にお見合い話を進めて欲しいと頼んだのにそれも立ち消え。
頑張っているのになんで......と泣き出して、メソメソ泣いて、彼女を慰めようとしたアトラが世にも美しい銀糸を部屋中に張り巡らし、それを神社勤務の者に発見された。
先輩達にこういうことが続くと、地方神職任官ではなくなると言われたナナミは、それからとにかく自分が過小評価されるように励み出した。
一方、新しい豊漁姫が次々と男性を袖振りしていく噂や、実際にそれを目撃した小説家は、新しい作品を思いついた。
他の小説が落ち着いたら書こう、他の見本も増やして練りに練ってと、まずは題名と軽い設定だけ。




