稀代ノ小説家5
この世には不思議なことが沢山あるようだ。
☆★
ドルガ様とアルガ様が現れて、私達を夫婦にしてくれたその日の夜のこと。
何度もシンの背中をつついたけど反応は無くて、そのうちすーすーと寝息が聞こえてきたので諦めた。
新婚初夜は一生に一度しかないのにと憤りつつ、原因は自分が照れて逃げたからなので諦め。
照れて逃げた結果、シンはさっさと寝てしまった。
そもそも予定外にもう夫婦なのも理由だけど。
せめてこちらを向いて欲しいと考えていたら、ガラゴロゴロン、ガラゴロゴロンという鈍い玄関の呼び鐘が鳴り響いた。
無視してもあまりにも続くので、うるさい! こんなにぐっすり寝ているシンが起きてしまう! と体を起こした。それでもシンは寝ている。
二十二時を告げる刻告げの鐘が鳴った後という、こんな深夜に誰だろう。
我が家を約束なしで訪れるのは、今日来たような衝撃的な人物達以外では七地蔵竹林長屋の住人かテオくらい。
あと、息子のところへ一時帰宅したアザミくらい。
知り合いなら安心だし、玄関扉には小窓がついていて扉を開かなくても相手が分かる。
なので私は玄関へ向かった。
杖を使って廊下を歩く間も玄関の鐘は鳴り響き、その錆びついた鐘の音は昼間でもビクッとするのに夜だと更に嫌な響き。
玄関まで到着すると鐘の音は止み、鍵が掛かっているのに扉が勝手に開いた。
強風が吹きつけて目を閉じて、少しずつ開くと、暗闇の中に浮かぶ人らしき輪郭とバサバサと布が翻る音。
「予言しよう」
聴いたことのない男性の声に私は悲鳴を上げた。
夜中に知らない男性が勝手に扉を開いたなんて押し入り強盗の可能性大。
しかし左足に突然痛みが走って声を失い、よろめき、腰が抜けてその場に座り込んだ。
予言って何?
「この土地屋敷はいずれ社社になる」
コツ、コツ、と下駄ではない謎の足跡が近寄ってくるのに、体が震えて動けない。
「怯えるでない人の子よ」
気がついたら私は押し入り強盗の男性に組み敷かれて口を手で覆われていた。
闇夜に光る彼岸花のような瞳に見据えられて驚愕する。
一番驚いたのは彼の背後左右に緑目の大きな蛇らしき影があって、こちらを向いていること。
「新郎に伝えろ。この地には定期的に古物書が降る」
怖いけど怖くない不思議な感覚がする。
「それをこの世に蘇らせて、人々に読ませ、心に刻むのがお前の役目で、役目を果たさねば宝を失うと。お休み、罪と愛の混ざりし新婦……」
瞬間、何かに首と肩を噛まれて、全身が炎に包まれたように熱く、痛くなり叫んだが、それはつもりだったようで喉から声は出ず。
まるで足を切断された時のように全身に痛みと熱感が襲撃してきたので意識が遠のく。
暗闇に引き込まれながら、私は二度目の死を覚悟した。
ハッと目を覚ますとシンの隣にいて、彼に抱きしめられていたので全て夢だったと安堵。
しかし、首も肩も熱くて痛いので手で触れたらブヨブヨしていた。
他に悪いところは無いけれど、夢が夢では無かった気がして飛び起きて、部屋の灯りに覆いをしていなかったのに覆いがされているとか、部屋の襖や障子が全て開かれていることと、紅葉の葉っぱが散乱していることにも気がついた。
そこに紙も混じっていたので思わず拾う。
【牙には牙。罪は贖え。好奇心旺盛な友の子を助けてくれた礼は返す。この世は因縁因果。真の見返りは命に還る。その血を我等は忘れない】
同じ紙が数枚、そこにはドルガ皇子とアルガ皇子が「皇族の家紋印だ」と教えてくれたものが押印されている。
しかし、彼ら二人の共有印とは紋様が微妙に異なる。
ふと見たら、部屋の隅からムカデもどきが消えている。
昨夜、お風呂に入っていたら落ちてきて、見たことのない昆虫で気持ちが悪いけど大人しいし、緑色の血が出ていて可哀想だったので手当てして部屋の隅に寝かせていたのに。
元気になって家に帰ったのかと、空になっている手拭い製の簡易布団に手を合わせる。
シンがあの生き物に掛けた手拭いも失くなっていた。
変な夢は夢ではないようで、告げられた意味を理解出来ないけど、あのムカデもどきは元気になり帰れたとは良かった。
シンはうなされているのにそれから三日も目覚めなくて、医者には「原因不明」と匙を投げられた。
熱はなく、異常な発汗もなく、単にうなされていて起きないのだ。
私の肩と首には釘を打たれたような跡が二箇所ずつあり、蚊に刺された跡をもっと酷くしたように腫れているのだが、発見して一刻以降は痛くなくてこれも謎だと医者も薬師も頭を悩ませた。
三日が経過すると私の首と肩の怪我は嘘のように綺麗さっぱり消えてしまい、シンは目を覚まして、何かに取り憑かれたように「忘れないうちに書かなくては……」と部屋にこもって執筆開始。
私は迷って、三日前の初夜にあったことを彼に話し、部屋にあった紅葉と紙を見せた。
「なんでそれを早く言わないんだ。大丈夫なのか? 他に何か変わったことは?」
「怪我は消えてしまいました」
「狐につままれたのか? ここまで来ると狐というより狐に化けた副神だな。古物書が降るか……。降ったら考えよう」
「シンさんはどのような夢を見たのですか? 読みたいです」
「君が買った人魚姫のような話だ。漁師に恋をした海蛇の姫が陸に上がる」
ミズキやアサヴに頼まれて書いた舞台脚本よりも、もっと良い気がする内容だから、小説として書き上げた後に舞台脚本も作る。
色々な夢を見たから、書きたいことが山程だとシンは笑った。
「君が奇跡のように助かったから、俺は今後書く小説はそういう前向きなものにしたい。この世は理不尽で残酷で醜い。しかし、確かに光はある。明けない夜は無いし、影は光で出来る」
「ギイチさんとして書いていたような本は書かないということですか?」
「ああ。目的が憂さ晴らしで金になるからだったから。でも、君を観察して調教して記録するのは楽しそうだ。お嬢様の閨本があるのにお坊ちゃんの閨本は無い。乙女の夢とやらと現実が乖離していては可哀想だ」
「ち、ちょ! そ、そのような言い方はやめて下さい!」
「アリアが手紙で、輝き屋で長くお世話になりそうだから新婚旅行へどうぞと書いてあった。初夜はその時にする。じっくり遊んでやる」
「……なぜ、なぜ出会った時のような意地悪顔で、そのような事を言うのですか!」
君の反応が愉快だからとシンが楽しそうに笑ったけど、笑顔は嬉しいけど不服。でも私も笑う。
彼が幸せそうな目をして笑ってくれると私も幸せ。
打算で始まった私達の関係が終わりを迎えて、本当の意味で交流が始まったと実感。
私達は予定外のことにもう夫婦だけど、ここから恋人として積み上げて新婚旅行の日に名実共に夫婦になろうと笑い合った。
☆★
この数日後、空から本当に古文書が降ってきた。
しかし、その古い本の文字は異国の文字で読めない。
シンは本当に降ってきたので深く考える、副神と言いたくなるような話なので、神職に相談するべきかもしれないと告げた。
「神社に行っていきなり相談は良くなさそうだから、こういう場合は農林水省経由か? マリ、どう思う?」
「ユリアさんに相談しましょう。叔母様へのご相談は農林水省経緯ですか? どう申請したら良いですか? と」
テオが遊びに来たので手紙を託したら、翌日にはユリアの叔母、オケアヌス神社の奉巫女ウィオラの代理だという美女が来訪。
凛としていて色っぽい彼女の名前はナナミ・カライトで、大まかな相談内容を聞くついでに、働くかもしれないお屋敷の見学にきたと告げた。
「こちらが身分証明書と証拠のウィオラさんからの手紙です」
ナナミが提示してくれた身分証明書は特殊で、ナナミ・カライトという名前に、身元保証人農林水省南地区本庁、身元引受人ジオ・ルーベルと記載してある。
ルーベルってユリアと同じ苗字。
ユリアにはジオという従兄弟がいるけどまさかそのジオ・ルーベル?
その彼が身元引受人ってどういうことだろうか。
家柄番号がないのに苗字があるし、このような身分証明書を見たことがない。
差し出されたウィオラからの手紙には、オケアヌス神社の印が押してあり、宛名は私達夫婦の名前だ。
「……噂の双子姫、新しい豊漁姫様ですか?」
シンのその質問に驚いてしまった。
「ええ、その一人です。正式な任官は年明けです」
何の話? とシンに耳打ちしたら、私が療養している間にこの街で有名になった女性という返事。
「こちらを拝見させていただきます」
「どうぞ」
シンはウィオラからの手紙を読み、私にも読ましてくれた。
彼女は色々多忙なので神職に相談の内容によっては他の神職に任せたいこと、その中でも今一番手が空いているナナミはどうかと考えたことが綴ってある。
「君にこのような話しをして良いのか分かりませんが、神職のどなたかに尋ねて欲しいことがあります」
「なんでしょうか」
シンは私に起こった不思議な出来事と、本当に古文書が降ってきたことを語った。
「私には分かりかねませんので、その古文書とやらを持ち帰り、先輩方に意見を求めてもよろしいでしょうか」
「むしろお願いしたいです」
「蛇に化ける副神様は時に人の病を血から抜き取ってくれます。もしかしたら、マリさんを噛んだのは蛇の副神様で灰疹病をしかと治してくれたのかもしれません」
「あー、そういうことですか。あんなに痛かったのに、腫れた後は痛くないし、すぐに治ったので変だと思いました」
ここへ夜勤明けのテオが訪ねてきた。
最初、彼を家に招いたシンはお客様が来ているので自分の部屋で待っていてもらおうとしたけど、お客が誰かというテオの質問に答えたら知り合いということで居間へ。
その時は何も知らなかった私は、テオが「ナナミさん」と気さくに話しかけたのでビックリ。
シンが二人は知り合いらしいと教えてくれて驚きは消失。
「こんにちはテオさん」
「ナナミさんは何をしているんだ?」
「ウィオラさんのお遣いと、ついでにそのうち一緒に働くマリさんに挨拶です。正式なご挨拶は今度だけど」
私はこの美しいナナミと一緒に働くの? と彼女を改めて観察。
美人には何人も会ったことがあるけど、彼女はその中でも特に美しく、アリアのように眺め続けたくなる不思議な感じがある。
「ああ、そうか。ここがオケアヌス神社附属の寺子屋になってマリさんが先生の一人になるから、同じく先生になるナナミさんは同僚だ」
「よろしくお願いします」
これまで微笑だったナナミがにこやかに笑ったので、ぎゅーっと胸が苦しくなるくらい感激。
今の笑顔はそれだけ破壊力が凄かった。
シンも見惚れてしまうのではと確認したら、特にそういう様子は無し。
「なんだマリ」
「シンさんの鼻の下が伸びていると思ったらそうではなかったので嬉しゅうございます」
「鼻の下? ああ、そちらのナナミさんが美人だからか。綺麗過ぎて怖い」
「そこは妻だけなのでと申して下さい」
「あのなぁ、人がいる前でそんな惚気を言うと思うか?」
「人が居なくても惚気てくれません」
テオとナナミに笑われて二人きりじゃなかったと慌てる。
「ねぇ、ねぇ。あなたがあの街で噂の剣術小町の作者さんなんでしょう? 続きはないんですか? マリさんに挨拶とあったけど、それも聞きたくて来たんです」
「ナナミさん、あれを読んだの?」
「ええ。アズサさんが借りて、私も借りました」
そのアズサは誰。
それで「街で噂の剣術小町」って何。
「シンさん、街で噂の剣術小町という作品を書いたのですか?」
「テオに頼まれてユリアさんを下地にして書いたんだが、話していなかったか?」
「聞いていないです」
「ユリアは忘れっぽいから忘れたか、照れて教えなかったんだな」
「ユリアさんやご家族の許可が出たから、編集と改訂してもっと長くした物を売り出す予定だ」
「へぇ、それは俺も知らなかった。せつ……なんたらの君へにユリアの本。シンって働き者だな。マリさんの為に稼ぐって言うていたけどさ、同時執筆って大変そう」
「アリアさんが売ってくれっていうから奇跡ノ歌姫という本も売る。自伝にすると自分に意地悪をした人間を批難みたいになるから、俺の創作話で良いってさ」
「奇跡ノ歌姫? どんな話なんだ?」
「孤児から歌姫になって死にかけたけど生きていたって話。俺が手に入れられた歌姫アリアの情報を使った創作恋愛だ」
「すげぇな、それも書いていたのか」
「そりゃあ小説家で書くのが仕事だからな」
ナナミが同人誌状態のあの「街で噂の剣術小町」でとても面白くて感動的だったから、販売されたら全部買うので、その時は記名をして欲しいとシンに頼んだら、シンは妻の同僚には買わせない、贈ると宣言。
「うわあ、ありがとうございます」
「神職候補って凄く興味があるんですけど、それって聞いても平気な事ですか?」
「あちこちで噂になっているので構いません。オケアヌス神社の保護所で数日間お世話になるはずが一杯で、住み込み仕事が決まる数日間だけ特別に社で寝泊まりすることになったんですけど……」
そうしたら部屋前に海産物や山の幸が現れたり、歩いていたら空から魚や貝が降ってきた。
歴代のオケアヌス神社の奉巫女はそうやって見つかってきたので、同じだ、ついに新しい豊漁姫が見つかったと騒がれて神職候補に。
なのでナナミはまだオケアヌス神社暮らしだそうだ。
「事実は小説より奇なりですね」
「歌姫みたいに私のことも小説にして良いですよ。あと神社に蔵書が沢山あるんですけど、堅苦しかったり、古い言葉で読みにくいものも多いから、現代語訳や改編して欲しいです」
小説家なら題材はいくらでも欲しいはず。
降ってきた古文書をこの世に蘇らせて、人々に読ませ、心に刻むのが役目という神託があってそれに従うのなら、神社の蔵書もそうすると更に良いことがありそう。
ナナミのその提案と彼女が神職達に報告したことで、一週間後に農林水省からこういうお達しが来た。
不漁大罪人として海の大副神様への謝罪を兼ねて貴重な蔵書を読み、自らの信仰心を養い、またその内容を己と似たような者達の心にも響くようにし、神々の事を広く普及させるように。
こうしてシンは彼曰くネタの宝の山、オケアヌス神社の蔵書庫への出入りや蔵書を借りられるという権利を手に入れた。
小説家シンイチは自分と妻のことを少し使った作品「雪萼霜葩の君となら」と歌姫アリア公認の「奇跡ノ歌姫」の二作同時販売で表文学の舞台に初登場。
歌姫アリアと歌姫エリカの生存という大事件と共に報道されて、その新聞記事に発売情報が載り、おまけに初作品なのにいきなり印刷本。
シンが世に出した二作品は、特に奇跡ノ歌姫は、その内容や表現、心理描写が秀逸だと大評判になりとんでもなく売れた。
シン・アルガは一躍時の人。
異例の売り出し方をされたシンイチという小説家はどこの誰なのかという大噂に。
これまでの裏文学との落差が激し過ぎる、せっかくの表作品が内容ではないことで貶されてしまうと、出版社はシンのことを長年囲って育ててきた青年とだけ解答。
シンの人嫌いは直りきっていないし、ギイチと知られたら売上が落ちて私や出版社に必要なお金が稼げない。
そういう理由なのに、闘病中なのでと数多の取材を断り、書くのが楽しいと、普通の人よりも引きこもり続けている。
私の為に稼ぐ、長年お世話になってきた出版社の為に稼ぐというシンは、そそくさと次の作品、街で噂の剣術小町という続きものも出版。
それとほぼ同時に龍神王様や副神様信仰を下地にした短編集や長編も発表。
その間に、ミズキとアサヴに何度も何度も改訂をさせられた舞台脚本も完成。
それはテオが俺ら火消しが主役の作品もそのうちと言ったから作られたもので、二人の火消しがあの憧れの温泉郷エドゥアールへ行く珍道中という喜劇。
さて、今日はその「火消道中奇譚」の初公演日。
主役の二人の火消しは輝き屋の看板役者アサヴと、これまで女性役しかしてこなかった看板女形のミズキ。
あのミズキが男役だと早くも話題沸騰らしい。
約一年、義足で歩く練習を積み重ねて遠路はるばる東地区まで新婚旅行に来て、こうして夫の作った脚本の舞台を家族や友人達と共に観られるなんて感激。
喜劇だけど私はきっと泣くだろう。
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約千年後——……。
【シン・アルガ】
ベルセルグ皇国の前身の一つ、煌国王都にて活躍した作家、舞台脚本家。
代表作はいくつかあるが最も有名かつ人気なのは「氷姫と太陽」だ。
古語と龍神王神話を巧みに織り交ぜた氷の世界のお姫様の恋物語。
ベルセルグ皇国において、教養古典として当然のように学ぶ作品の一つである。




