奇跡ノ歌姫1
私は事故のこと、この国を訪れてからのことを思い出したが、幼少期から煌国こうこく来訪前後までの記憶はまだ喪失したまま。
間のこともところどころは覚えているし、逆に煌国に来てからのこともところどころ抜け落ちている。
今夜、ミズキは火消し達の役所の一つ、ハ組で行われる彼の送別会に参加する。
自室で帰宅を待っていて欲しいと言われたので、大緊張しながらミズキの部屋に居座り中。
明日には南地区を去るミズキの部屋はほどよく片付いている。
この家の者達に借りたものはそのままで、増やした物もお礼代わりに置いていくという。
実家になんでもあるので持ち帰るのは壊れた三味線だけ。
その壊れた琴には包帯が巻いてあり、おまけにそこに手紙が挟まっているので非常に気になる。
人の手紙を盗み見は良くないと自制して、ミズキはまだかなぁと机に突っ伏す。
夜に部屋で二人で話したいとはなんだろう。
眠ってしまい夢を見た。
私はセレヌ達に助けられた頃の幼い姿で、ぼやぼやする視界の向こうで、桃色の細かい雪のようなものが乱舞し、ミズキの音がする夢。
私が大好きな、この世で一番落ち着く魔法の音。
『……握手。してくれる? 星空がキラキラ光っているようなすてきな音でした。魔法みたい。あなたの手は魔法の音を作れるのね』
私は誰かに向かって手を出して握手を求めたけど、その手は握り返してもらえなかった。
とても悲しい——……。
「お姫様」
固いものでつんつんと頬をつつかれて目を覚ます。
暗闇の中で三つの光苔の灯りが光っているので、近くにいて顔を覗き込んでいるミズキが見えた。
「よだれを垂らして眠るお姫様なんて偽物ですね。まぁ、君はお姫様ではなく歌姫様か」
悪戯いたずらっぽく笑うミズキが歯を見せて笑う。
「なんなのよ、その嫌味は!」
恋人の前でよだれなんて恥ずかしいと拭こうとしたら、よだれなんてなくて、ミズキが「嘘ですよ」とクスクス笑った。
彼はとても上機嫌に見える。
「……送別会なのに、そんなに楽しかったの?」
出掛ける時はお坊ちゃん着物に羽織りだったのに、火消しが着ている浴衣姿になっている。
「ええ。火消し音頭を直伝してもらいました」
ミズキはふふふふーん、と鼻歌を始めて、踊りだして、本当に機嫌が良い。
いつもは上品なミズキが荒々しい踊りを愉快そうに舞うのでこちらも愉快。
一緒になって歌ってみたら、君にも教えるというので立ち上がり一緒に舞踊。
「恋人と踊るなら西風が良いのになんでこれ」
私は少し不満だけど、ミズキがあまりにも楽しそうなので、ごく自然にお腹を抱えて笑い出す。
それなりに笑えるようになっていたけど、こんなに笑うのはいつ以来だろう。
そうしたら、ふと、妹達のことが脳裏によぎり、悲しくなってしまった。
私が連れて来なければ、ミズキを信じて、きっと何かがあったと信じて会いに行けば、少なくとも彼女達だけは死なずに済んだ。
「っきゃ」
急に踊るのをやめたミズキに抱き寄せられて動揺。
「君は笑って良いし、幸せになって良いんですよ。アリア。君が愛おしんでいた者達は、君を呪ったり、恨んだりしません」
私は知らないが、私が連れてきた孤児院の妹達や年下同僚達としばらく交流していたミズキは、彼女達の私への思慕を沢山耳にしたという。
尋ねなくても向こうから勝手に語られるそれは、本心そのものだったと。
「……うん。ありがとう」
私から離れたミズキは、手を引いてゆっくりと腰を下ろした。
正座で凛と背を伸ばしたミズキの流れるような優雅さにしばし見惚れる。
私とは異なり、彼は良家でその家に相応しいようにと育てられた生粋のお坊ちゃんだ。
「……。ミズキ、お見合い話はどうするの?」
「お見合い話なんて知りません。親戚の妹達が勝手に噂をしているだけですよ」
「……私が歌姫アリアだって証明出来れば、お坊ちゃんのミズキとどうにかなれるもの?」
前は聞けなかったなと俯く。
私はこんなに好きだけど、ミズキはなぜか少しこっちを向いてくれただけ。
「君と恋人になったから修行には行かない」とか「君の側にいる」なんて言わないだろうと予想していて、その通りだった。
言えなくても言いたい言葉を全て特別公演を利用してミズキにぶつけて、行かないでと手を伸ばしてみたけど、三文役者だから彼の心には届かず。
だからその後、急に会いに来てくれた時は心臓が止まりそうな程に歓喜した。
けれどもやっぱりミズキは私から去り、約束した最終公演に現れず。
今はあの時よりも好かれている自信があり、なぜ帰国の見送りに来られなかったのかもう知っているので質問出来た。
「君が身元不明者のままでも別にです。自分は跡取りではありませんし、当主会議で演説して投票数を集めるくらいのことは出来ます」
「……そう、なんて演説するの?」
握られている手が熱い。このままずっと離さないで欲しい。
私達はようやく出会えたのだから。
ようやく——……。
「君が——……「ミズキはずっと辛かったわよね⁈ 謝っていなかったわ! 忘れたりして、心配をかけてごめんなさい!」
「その突然、人の話しを遮る悪癖は直して下さい。君の質問に答えようとしたのになんですか」
「あっ、ごめんなさい」
「もう答えません」
教えてミズキと何度かねだったけど無視された。
「もう寝ます。お休みなさい」
自分は二階で眠るのでここを自由に使うように告げると、ミズキは廊下へ続く障子に手を掛けた。
「えっ?」
酔っ払った状態で恋人と二人きりになりたかった理由はそういうことだと思ったのに、何もしないでお休みなさい⁈
「何か期待していたのですか?」
人を食ったような悪戯いたずら笑顔を浮かべて振り返ったミズキに少しときめいてしまった。
このふざけに負けてたまるかと、だったら何よと余裕のあるふりをしてみた。
「どうせ口先だけのお坊ちゃんには何も出来な……」
近寄ってきてしゃがんで迫られて慌てて後退り。
「出来ないと思っているのですか?」
多分、ミズキは何か出来る。照れが爆発したのでどんどん後ろに下がったけど、彼はジリジリ追いかけてきた。
とん、と壁に背中がぶつかる。
「まだ正式な仲ではないのに拐かさないで下さい。うっかり数回手を出したのは自分ですが非常識です」
「……正式な仲ではないって、そうなの?」
「華フラァ国ではどうか知りませんが、この国の大豪家の息子の正式なお相手は婚約者、そこからの妻のみです」
「まだってことは、そうなる予定?」
「君にその意志があれば」
ミズキはもう私に迫るのをやめて、正座して背筋をスッと伸ばした。
「その辺りのことを君と話し合っていなかったので、こうして時間を作っていただきました。去るフリをした時の君の寂しそうな顔は大変良かったです」
「……」
これが噂の恋は盲目というもので、してやったりみたいな表情が格好良く見えてしまう。
「つまり……ミズキは私と結婚したいってこと?」
「煌国人こうこくじんは異国人と婚姻したら平家落ちします」
そしてそれは何代も続くという。
この国は異国人が権力を有することを許さないからだそうだ。
異国からの移民も一定数以上不可能だし、その職業はかなり限られていて制約も多い。
平家になって家から戸籍が抜けても、輝き屋やムーシクス琴門に在籍することは可能だが、一定以上稼ぐと没収されるし、家の事業や政治的な場には決して参加出来ない。
ただ、友好国の公人同然である歌姫が伴侶の場合なら、その辺りの縛りが緩くなる可能性はありそう。
「しかし、君はドゥ国人です。そこが公になればおそらく夫婦揃って国外へ追放されるでしょう。君の立場で裏切り国の人間だから罰は多分ないので追放くらいで済むはずです」
「……ミズキに損ばかり起きそうってこと」
「君を失ったたあの時間は地獄のようでしたので、それに比べればなんでも天の原です」
「……つまり、やっぱり私に求婚するってこと?」
「そういう話しをしているのになぜ疑問系なのでしょうか」
「信じられなくて。ミズキの気持ちではなくて、この現実が」
「まぁ、自分も。煌国政府や華国政府が君をどう扱うか不明なので」
だから今すぐ衝動に任せて迫りたい気持ちはあるけど、大切なことなので大事にする。
ミズキはそう言って笑い、私から顔を背けた。
「多分、大丈夫よ。怖いし、話しが通じないことがあるけど、ドルガ様は義理人情に溢れたお人だから」
「ドルガ様? まさか猛虎将軍ドルガ様のことですか?」
「話した記憶は無いわ。私はドルガ様の下僕なのよ。彼の命令で慰問歌手になって、歌姫と呼ばれるようになってもそれはそのまま」
下僕と言っても煌国や華国の為になることをすれば褒美を与えてもらえるので、他の者達のように彼の参加で励んだ。
彼に理不尽な命令をされたことはないし、ドルガの家族にも気に入られていたのであれこれ守られてきた。
私は幼い頃に彼の下僕になり、今では忠犬と呼ばれているので、有名人になった自分に損害を与えるような人間はドルガ関係が法律などで排除してくれてきた。
「だから東地区へ行ったらまずドルガ様宛に生存報告をするつもり」
「自分は師匠と共に、まず総当主と両親に相談します」
死にかけて恋人を忘れてしまったのに再会して、またこうして恋人になれたのに私達はまだまだ手放しで喜べない。
自分ではそれに気がついていなかったので、こうしてミズキに説明されて、自分も考えて、切なくなってきた。
「アリア、婚約出来るまでにもう一回だけ。これから何があろうと、必ず君と添い遂げてみせます」
許されないなら自分は三味線、私はこの身一つで旅に出てどうにか暮らそうと耳打ちされてキスされた。
一回だけと言ったのに終わらない。
十回くらいされて羞恥心の限界がきてミズキの胸を押したら、ゆっくりと顔が離れてそっと抱きしめられた。
「……その、いつからそんなに? あの……。迎えに行くとは言ってくれたけど……。嘘というか……本気には聞こえなかった。今とは違って」
「ええ、あの時は気持ちが積もればと思っていました。でも離れて想像以上に惹かれていると気がついて……なのに高熱で最終公演に行けず……」
君は俺の中で一度死んだと震え声が耳元でした。
その絶望で音が壊れて演奏家としての自分も死亡。
私と再会したものの、他人になってしまったという事実で心は治らず、耐えられなくて暴れて宝物の三味線を破壊したことも。
「今ならきっとまた弾けます。アリア、だからどうか自分の隣で笑って下さい」
再び舞台に上がったら離れ難いかもしれないが、演劇も演奏も輝き屋でしか出来ないものではない。
前よりは未熟者でなくなったので、私と二人で生きて行く実力くらいはついたという自信がある。
ミズキはそう語りながら、私を抱きしめ続けた。
取り戻した音と修行の成果はせっかくなので舞台の上で披露したいから、向こうに着いたら。
その言葉を口にしたミズキの声はもう震えておらず、むしろ弾んでいた。
この幸福に溺れたくて目を閉じ、ミズキに体を預けて幸せを噛み締める。
「ねぇ、ミズキ。共演しようっていう約束は、歌と演奏でも良い?」
「もちろんです。君に名曲を沢山聴かせて、その中から気に入ったものにしましょう。逆でも良いですよ。指定されればその曲を練習します」
「……最初は鎮魂歌が良いわ。煌国伝統のものがあれば教えて」
「ドルガ閣下に頼んで可能なら、復帰公演は事故現場ということですね」
「ええ」
もう手は出さないけど、実家に帰ったらもう無理だし、離れたくないので一緒に寝ようと誘われた。
離れ難いのは私もなので同意して、布団を並べて横になり、どちらともなくお互いの方を向いた。
「ねぇ、ミズキ。あと一回だけ……」
「それは絶対に無理です。この状況でそれは無理」
寝るから寝なさいと言われて、お喋り禁止令が発動したけど、私は一晩中ドキドキして一睡も出来ず。
創作物からの知識だけど、こういう場面だと男性が眠れないはずなのに、ミズキは静かな寝息を立てて、たまにむにゃむにゃ言って、実に気持ち良さそうに眠っていた。
ああ、もう、いつからか分からないけど気がついたら好きで、ますます好きだとこっそり頬にキス。
自分からは頬にが限界。
どうかこの幸せが消えてしまいませんように。




