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連恋輪廻応報草子  作者: あやぺん
応報ノ章
100/122

二十六

 帰宅して「誰もお迎えに来てくれないのですね」と言いながら居間に入ったら、ここに居るはずのない人物がいて驚愕。

 俺の幼馴染、アサヴ・トルディオがアリアの前に立ち、こちらへ顔を向けて、難しい表情を浮かべている。


「……アサヴさん。なぜここに」


「公演がひと段落したから、驚かせようと思って……」


 手紙には、そちらは大変そうなので帰宅するのを楽しみにしていると書いてあったのに!!!

 アサヴはバツの悪そうな顔をしている。


「ミズキ!」


 勢い良く立ち上がったアリアが俺に駆け寄ってきた。

 肩に手を置いて、


「私が誰か知っていたの⁈」と悲痛な声を出す。


「……アサヴさんが何か言ったのですね」


「会って早々に生きていたのかって言われたわよ!」


 アリアの非難の視線が辛くて自然と俯いてしまった。


「なんで、なんで教えてくれなかったのよ! 私がうんと不安だって知っているくせに!」


「歌姫アリアについて、君はもう少しだけ知っていますよね?」


「ええ。前にマリさんが教えてくれたわ。彼女は今年の一月に事故で亡くなったって」


「マリさん、アリアさんにどのような事故だったのか教えました?」


「いえ。アリアさんに頭痛があったので、ほとんど話していません」


 一緒にいた時の会話だな、別日にまたはないようだと小さく息を吐く。

 それで勇気を出して、拳を握りしめて、顔を上げてアリアを見据えた。


「歌姫アリアは飛行船の墜落事故で無くなりました。飛行船は空を飛ぶ船のことで、彼女は帰国する大勢の者達と亡くなったというのが世間の認識です」


「帰国する大勢の人と……」


「そう、君の家族のような者達が何人も亡くなりました……」


「……」


 この発言でアリアの記憶が蘇る様子はなさそう。

 新緑色の瞳がゆらゆら、ゆらゆら、戸惑いで揺れている。


「君の大事な人達はもう居ないと言いたくなかったのね……。私を傷つけないために」


「記憶がなくても、歌姫が奇跡の生還を果たしたとなれば大報道され、君は記憶が無いまま祀り上げられます。きっと、政治にも利用されるでしょう」


「……。祀り上げられる? 政治に? 私……どうなるの?」


「良い気配はしないので、ネビーさんとロイさんには相談してあります。それで君が思い出すまで何も教えないことにしました」


「……そう、なの……。もしかしてそれでここで一緒に暮らしてくれていたの? 何か思い出したらすぐに話が出来るように」


 この問いかけに俺は頷いた後に、小さく首を横に振った。


「懸念はどちらかというと自死の方……。殆ど何もかも失って、火災の煙で喉をやられたから、海へ身を投げたのかと……。喉は毒クラゲのせいかもしれないですけど……」


 君は……、そこで俺は言葉を切った。

 君は多分、海に身を投げたのではなく、海に墜落した。

 火の海の飛行船の中で死のうとしたらしい。

 俺としてはどちらにしても、アリアは死を覚悟し、死のうとしたのだから、どちらでも同じだ。

 どんな理由であれアリアは海で溺れ、宝物の声を失った。

 喪失したら生きていられないと言っていた声が無いのだ。

 言い淀み、迷い、結局伝えること。


「風邪で声が掠れた時に治らなかったら死のうと思った。この美声は自分の全て。そう、言ったことがあるから……」


 重たい沈黙が横たわり、しばらく誰も何も言わず、動かず。

 アサヴが立ち上がって、パァンッと大きく手を合わせて音を出した。


「良し、アリア。君はミズキ……にはそろそろ帰ってきて欲しいから、ウィオラさんの世話になれ。君の生活費は俺達が払う。その喉が治って、記憶も戻ったら名乗り出る。その時は輝き屋が後ろ盾だ」


「そう思ってとにかく喉を何人もの医者や薬師へ診せたけどこの通りあまり。この喉で記憶を取り戻したら……私が君ならもう一度海へ飛び込みます」


 俺のこの発言でアサヴが青ざめたからか、またしても全員沈黙。

 アリアが震え声を出して、

「私……一人になりたい……」と居間から去った。


「こうなったら知っていることを話そうミズキ」


「ええ」


 アサヴと共に居間から出て、アリアの後は追わず、彼を連れて庭に出た。


「色々大変だから難しいですって言ったのに、なんでいきなり来たんですか!!!」


 こんなの八つ当たりだけど止められなくて、アサヴの胸ぐらを掴んでいた。


「うるせぇ!!! こんな大事な話、なんで俺にしなかった!!!」


「まだ役を引きずっているなら言葉遣いを直しなさい!!! なぜしなかったって、大事な話だからです!!!」


 手紙が万が一、上手く届かず、誰かに見られたら歌姫アリア生存話が世間に広がってしまう。

 あの声や、歌姫アリアが飛行船に乗っただろう時間に海で見つけたみたいな話で誤魔化してきた。

 皆騙されて、役所関係はネビーがアリアと歌姫アリアが繋がらないような絶妙な書類を作って彼女を隠した。

 そういう事を話して、アリアを見た瞬間に何も考えずに「生きていたのか」みたいな発言をしたなら、知恵なし、大馬鹿野郎ですという暴言が口から飛び出す。


「……それはそうですけど……。驚いてつい……」


「アサヴさんは昔から思慮が浅いですからね!」


 久しぶりの親友との再会だから、喧嘩をしたい訳ではないのに、これから協力してもらいたいのに、苛々が止まらない。


「ごめん……なさい……」


 素直謝られたら、こちらも謝れるので、こちらこそすみませんと謝罪。

 

「……なぁ、ミズキ。アリアは全然覚えていないんですか?」


「……幼少時のことはそこそこ覚えているみたいです。記憶は介護師見習いのところで終わり。(フラァ)国の文字も書けません」


「……そうですか」


 現在、(ドゥ)国は煌国第三属国となり、自治権も軍事権も有していない、いわゆる隷属状態。

 隷属国の民が煌国領土に足を踏み入れることは禁止されている。

 その(ドゥ)人が王都内に居るだなんて知られたら、逮捕され、下手したら斬首である。

 教えたのにアリアはピンとこないようで、たまに口にしてしまう。

 教養や知識不足の平家に囲まれて暮らしているし、口にした相手がお世話になっているレオ家やルーベル家の血縁者くらいなので問題になっていないだけだが、そんなのたまたま運が良かっただけだ。


「しかしアサヴさんは違います。なんで彼女に聞いたなんて言うんですか。(ドゥ)国人だなんてそんなはずはない、居るはずがない、記憶がねじくれているのだろうと言わないといけない場面ですよ」


「……本当に浅はかですみません」


「君は反省していて下さい。まず、俺がアリアと話してきますから」


「なんでですか?」


「先程いた同居人、シンさんやマリさんに余計なことを言うかもしれないからです」


「ちょっと肌寒いからせめて君の部屋とか……」


「ああ、そういう意味のなんでなら、きちんと部屋に案内します。そう言えば、付き人はどちらにいるんですか?」


「とっくに成人だから一人旅をしてみたくて、置き手紙を残して来ました」


「——っ!!!」


 いつも勝ち気なアサヴが、怯えたような顔の前に両手を合わせたので、叱責言葉が喉につかえた。

 遅い反抗期ですか、という文句を言いながら部屋へ案内して、中に押し込み、正座して反省していなさいと命じて障子を閉める。

 そうしてから、廊下で悩み、部屋に戻って、アサヴに着替えますと告げて、女装をやめた。


「アリアはその姿に馴染みが無いのに……ああ、衝撃療法ですか。女性だと思っていたら男性。二回目だから何か思い出すかもしれませんね」


「なんかもう、下街に憧れるお坊ちゃん風の言葉遣いに慣れていたから、言葉遣いに気をつけなくて良いですよ」


「なんですか、気をつけたのに」


「八つ当たりしてすみませんって意味です」


「しかしまぁ、荒んだ顔がうんとマシになったな。それは嬉しいし、友人が生きていたんだ。記憶がなくたってきっと、あの喋り方だからアリアはアリアさ」


「ええ。彼女は相変わらず生意気でうるさい、我儘(わがまま)お姫様ですよ」


 良かった良かったというアサヴに笑顔を返しながら、心の中で俺だって素直に喜びたいのにと毒づく。

 アサヴみたいな楽観的な思考持ちなら良かったのに。

 しかし、反対に俺は思慮深いということでもあるし、アサヴは発見されたばかりの頃のアリアの酷い顔色、表情を知らない。


 女性物の着物や飾りを全てとっぱらい、夜を迎える時刻なので浴衣を選択。

 髪も解いて、雑に一本結びにして、部屋を出て、深呼吸を繰り返しながらアリアの部屋へ。

 声を掛けても返事をしないので勝手に入室。

 アリアは部屋の隅で小さくなってめそめそ泣いていた。


「嘘つきミズキ、出て行って。黙っていたことが優しさなのは分かるけど……今は一人にして」


 この姿に何か反応するかと期待したけど、前と同じく特に何もなさそう。

 記憶を取り戻さずに平穏に生きて欲しいという気持ちと、俺が絶対にこの世に繋ぎ止めるから、どうか全部思い出して欲しいという気持ちが、今日も今日とて二律背反だ。


「頭痛はしますか?」


「大丈夫だから出て行って」


「顔色が悪いです。まず、隠していたことは謝ります」


「怒ったけど、私のためでしょうから謝らなくて良いわ。むしろ謝らないで」


「音楽に振れていれば自然と思い出すこともあるかと考えていましたが、このような事だと心身に負担が強いと予想していて、その通りで……。すみません。危機管理不足でした」


「だから謝らないで。……ねぇ、ミズキ。私はなぜ飛行船とかいうものに乗っていなかったの? どうしてそこの海で溺れていたの? 死のうとしたの? ねぇ、ミズキ。私の夫か恋人は死んじゃったの⁈」


 レオ家に来た頃のように、悪夢を見た結果、記憶想起しそうになり、それに対する拒否反応で熱が出たように、今も体に不調があるかもしれないと、片膝をついてしゃがんで確認しようとした俺に対して、アリアはすがりついてきた。


「私、忘れていても分かるのよ。あの人が居ない世界では生きられない! 歌姫だったとしてもどうせ私は歌とか音楽に思い入れは無いわよ! だって今、この声でも別に平気だし、歌いたい衝動もないもの!!!」


 でもあの人が居ないと無理だと、アリアは嗚咽を漏らして泣き続けた。

 だから誰だ、そのあの人って。アリアに夫はいないし、俺が知る限り恋人は俺だけ。

 もしも俺なら——……。

 それは無い。記憶が失われても同じ性格のアリアが俺にそういう感情を向けないからそれは無い。

 アリアはいつも俺に無反応過ぎる。


「……歌いたい衝動もないって、何を言っているんですか。気がつけば歌っているでしょう」


 抱きしめたい衝動に駆られたけど、手を伸ばしたら触らないで! と強い拒否。


「思い出したら私が死ぬかもしれないって、そんなのこういうことでしょう! ユミトさんとレイさんは私のことは助けられたけど、あの人は無理だった! もう……居ないんでしょう……」


 涙と悲痛でぐしゃぐしゃの顔で叫んだアリアが立ち上がりそうなので、思わず腕を掴んでいた。


「離して!!!」


「今から海を探したって、半年以上前の冬の海に居たかもしれない人を見つけることなんて出来ません!!!」


「その言い方なら私が発見された時に彼の姿や死体はなかったのね。居なくても、それでも探すのよ!!!」


 季節は巡り、秋を迎えているので、そんな海に入れば体温を奪われるし、泳げないアリアは波に飲まれるに決まっている。


「拾われた命を無駄にするなって言っているんです!!!」


「仲間が大勢死んで、あの人もいないのよ!!!」


「死にかけたレイさんに謝りなさい!!!」


「死のうなんて考えてないわよ!!! 探しに行くの!!! 見つけてくれないって悩んでいたけど、きっと私みたいに記憶が無いのよ!!!」


 優しい言葉をかけたいのになんでこんな怒鳴り合いに。

 

「君から聞いて、代わりに探しているけど異国人男性は見つかっていません」


「……探してくれていたの」


「ええ……」


 今のアリアの夢に出てくるのは異国人男性なのか……と項垂れる。

 アリア、君は飛行船から一人、空へ投げ出されたらしいとは言えず。

 あの飛行船に乗っていた誰かなら、とっくに焼死している。

 ライトによれば、アリアはあの性格だから老若男女問わず距離が近く、誰が密かに恋人でもおかしくないし、逆に誰とも何もの可能性も。

 ただ、この国での最後の夜、慰労会で初恋の君のことをもう良いのと吹っ切れた表情だったそうだ。


「……ねぇ、ミズキ。ミズキはなんで私に良くしてくれるの? さっきのアサヴさんが、一ヶ月一緒に過ごしたって。アサヴさんって、ミズキが良く話している幼馴染よね? 私達も一ヶ月、友人だったの?」


「君と俺にも交流がありました」


 アサヴさんよりも余程という言葉は飲み込む。

 他の事はアリアの記憶を刺激して、彼女に頭痛や吐き気を与えるというのに、記憶を揺さぶるのに、いつもいつも俺にだけ無反応。

 君の中で俺はそんなにもちっぽけな存在だったんですか! と叫び出したくなる。

 初恋の君らしいし、実際に会話して一回は惚れたんだから、もう一回こちらを見てくれ。

 そうならないということは、憧れの人にがっかりしたのだろう。

 だからアリアは最後に俺に会えなくても出国を選んだ。

 そういう、自己卑下や彼女にとって酷い考えしか出てこない。


「……ねぇ、ミズキ。たった一ヶ月の付き合いで、こんなに色々してくれるもの?」


「人として当たり前のことをしていただけです。俺は師匠……神職の弟分です。慈善事業は仕事です」


「……そう」


 死のうとしないし、あの人を探しにも行かないから、出て行って、頭が痛くてならないからと部屋から追い出された。

 男女の力の差があれば抵抗は可能だけど素直に従う。

 閉じられた障子の前に正座して両手をついた。


「……アリア。頭が痛いのは思い出したくない悲惨な記憶のせいです。琴か三味線を持っくるので……」


 瞬間、障子が開いて激怒顔のアリアが俺を見下ろした。


「もう、うんざりよ! あなたの慈善事業は過剰なの! 助けてくれた人達の為に死なないから、私に関わらないで!」


 ピシャリと閉じられた障子をしばし眺めて、告げられた意味を考察し、余計なお世話、お世話し過ぎでうんざりされたと理解した。

 とぼとぼ部屋に戻り、ぼそぼそアサヴに話し、気がついたら「なんでですか……」と泣いていた。


 俺はただ、どんな形であれ生きてくれていたアリアが幸せになってくれればそれで良いのに。

 失われた記憶が何になる。悪夢となって彼女を傷つけ続けるあの事故を思い出す必要は無いはずだ。

 現に、事実を突きつけられてもアリアの記憶は蘇らない。

 

「……あー、ミズキ。中々帰ってこないと思っていたけど、アリアを見つけて、守って……惚れたのか」


「誰があんな好みの正反対女性に惚れるか。あんな……」


「はいはい、素直になりなさい。君は昔から天邪鬼なところが玉に(きず)です。それにしても、あの人ねぇ。劇団関係者に居たか?」


「存じ上げません」


「次々、熱愛報道をされていた女性だからなぁ。何も無い俺ともあったくらいで、あんな風に誰とも距離が近いから誤報も混じっていたとして。うーん、居たか? 分かりません」


 仲裁するからここで大人しくしていなさいと言われて、アサヴを見送り、こんな感情でも素晴らしい演奏が出来るのが一流だと、琴の前に座り、演奏をしてみたけど酷い音。


『うん。少しその気になりました』


 俺のバカ。


『私はこの国の柱の一つになります』


 伯爵と結ばれる創作話ではなくて、原作、現実の伯爵と別れて政略結婚という終わりを、わざわざ一回だけの特別公演にして、俺との別れにした理由……。

 俺のバカ。

 あの時に気がつけ。

 三ヶ月女性だからみたいな嫌味を言った俺に何も返事をしなかったのはあれがアリアの区切りだったから。

 あの後、一度会いに行った時に態度が変わらなかったと感じたけど、多分、もう見限られていたのだろう。

 信じられない、この人は約束を破る、自分にそんなに気は無いと……。

 長年の初恋の君に対する幻想を、俺は次々と破壊したに違いない。


『魔法でてんしが幸せになってすごかったわ!』


 俺はあの時、あの女の子、多分アリアと握手しなかった時と変わらない。

 自己保身の大馬鹿野郎……。

 俺はいつも、大切なことに気がつくのが遅い。

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