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散歩というのは、変に中毒の気のあることのように思う。かくいう私はここのところ日を連続して散歩に出かけており、たった今もその連続のためにスニーカーを履いたところである。しかもこれが貴重な休日のお昼を使ってのことであるから、やはり散歩には時間的な毒性があるように思えてしまう。とは言うものの、散歩にかかる時間なんていうのは長くても一時間が限界で、たいてい私は三十分も歩けば満足して帰ってしまうのだから、結局は散歩の中毒なんて話も、暇人がゆえの時間の可愛がりに過ぎないのだろう。どうせ家に籠っていようが外に繰り出していようが、何もしていないのには変わりがないのだから、せめて外の空気を吸っている方が健康的な気分を味わえるというものだ。
ちょうど五日前、私はここに越してきたばかりで、散歩がしたがりなのはそういう理由もあるのかもしれない。特に街での交流があるわけではないが、早くこの街に馴染みたいと、私の中の社会人が騒ぐのだろう。しかし社会人とは無関係に、この街の早く慣れておきたいものがあるにはあった。それは街のにおいである。特にひどいのは駅前の通りで、私はここに来るまえ田んぼも珍しくない田舎に住んでいたせいもあってか、五日前に駅を出てきたときからこの街のにおいが気になって仕方がないのだ。もうひとつ挙げると、街の熱にも慣れないといけない。こちらも以前に居たのが寒冷な地方だったせいか、街特有の、ビルと人に囲まれた熱が私にはなんとも厳しいものだった。
そういった、あるかもないかも分からない理由を考えながら、私は駅前を歩いていた。考えていても理由などわからなかったが、散歩しかすることがないというのは実にハッキリとした事実であった。私は常日頃、何もしたくないと思いながら、暇をしないために何かをし続けている人間だ。きっとこの散歩も、暇から逃れるための手段であり、時間の可愛がりはメンドクサガリヤの性分がみせた最後の抵抗だったのだと、今更になって気づいた。この時点で散歩問題には片が付き、空いてしまった頭の暇をつぶすため、私は新たな問題を求め周囲を物色する。こういうときに散歩は良くて、家の中にあるものはすでに考え飽きてしまっていた。
そういえばこの街には一人、有名なパパ活女子がいるらしい。現役JKを自称し、高校の制服を着て、甘ったるい媚び声で話しかけてくるのだそうだが、そのノリといい、その顔の隠しきれないしわといい、どこを取ってもキツく、噂によればもう三十は過ぎているのだそうだ。その女の実年齢は本人のみぞ知るが、絶対に女子高生ではないことがバレている彼女が、JKを自称してパパ活をやっていけているのは、買い手の趣味、つまり男の趣味の問題で、おばさんがJKブラウンドに必死にしがみ付いているそのキツさがむしろ刺さってしまうという男が、どうやらこの街には多いらしい。実際にそういったレビューは溢れている。これは私が地元のパパ活事情に詳しいのではなく、住んでいれば嫌でも入ってきてしまう情報であるため、そういった点からも三十路JKの凄まじさがうかがえる。だが私も決して興味がないわけではなく、実際に一目会ってみたい気もするが、面白半分でこういうのに手を出すのはよそう。きっと三十路JKも買い手の男も楽しくて仕方がないのだろうし邪魔はできない。
あそこの、駅の柱にもたれかかっている制服の女は、まさか噂の三十路JKではなかろうか。……いや違うか、何人かの友達と待ち合わせをしていたようで、今みんなが合流を果たしていた。
駅前にある広場まで来ていた。普段ここにいるのは誰かとの待ち合わせをする人くらいなものだというのに、今日はなぜか、何かを囲うような人だかりが出来ていて、みんながみんな、その中心にある何かに夢中になっていた。そしてこれは不思議なことなのだが、さっきまで耳に入るものといえば街の喧騒くらいなものだったが、急に音楽が、人だかりが視界に入ってから明瞭に聞こえだしたのだ。つまりこの人だかりは、その中心で行われている路上ライブによるもので、そのライブをやっているのは男四人組のバンドだった。プログレロックのような変拍子をつかって、また歌い方や歌詞はヒップホップっぽさも感じられるノリだった。
そう おれはとっくに幽霊 死せずともすでに幽霊
赤色のソファベッドの真ん中の埋もれ返る恨めしや風景
そう おれはとっくに幽霊 死せずともすでに幽霊
イヤホンジャック その穴ん中暮らす鉛色 曇りのち雨
そう スコッチがうめぇ きょうはスコッチがとにかくうめぇ
関東平野をゆるがす芋ほり連中 てがける芋焼酎
これも捨てがてぇ やっぱ芋焼酎がのみてぇ
FOO!!FOO!!FOO!!
「……どうも、おばけ芋という曲でした……。」ボーカルはボソッと紹介を入れた。
FOO!!FOO!!FOO!!
まったく大盛り上がりで、いつの間にか私も一緒になって声を出していた。この四人バンドの演奏はしばらく続いた。結局私は最後の最後まで、バンドの演奏に聴き入ってしまっていた。