前編
見なくても全く影響はありませんが、「気付いたら異世界の娼館に売られていたけど、なんだかんだ美男子に救われる話。」と同じ世界観のお話です。
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その日、ミーナは鮮烈な一目惚れを経験した。
赤茶のツンツンとした髪、ぱっちり二重に縁取られた意思の強そうな金色の丸い瞳、快活な表情、鍛え上げられた逞しい身体。ワイルド系イケメンのその男は、少なくともミーナがこれまで見た男の中でダントツに好みド真ん中で、一目見た瞬間からミーナはその男のものになりたくて仕方がなくなってしまった。あの男に見つめられ、あわよくばその隆々とした腕に抱いてもらえたなら。ぶるりと身体を震わせたミーナは、すぐさまその男が出てきた店――娼館へと、駆け込んだのだった。
「……悪いが、もう一回言ってもらえるかい」
走り込むなり自分の願望をそのまま口にしたミーナに、受付の女は怪訝そうな表情を浮かべた。あまりに急ぎすぎて早口で捲し立ててしまったから言葉が聞き取れなかったか、と反省したミーナは、今度は努めてゆっくりと言葉を口にする。
「この娼館って、特定の人だけに身体を売ることはできますか?」
「…それは、ウチで働きたいってことかい?」
今度こそ正しく伝わって、ミーナはにかっと笑みを浮かべながら頷いた。はあ、と溜め息を吐いた女に「そういうことなので、店主さんに会わせてください!」と言えば、その女が「アタシだよ」と言葉を返す。どうやら、ミーナは運良く(かどうかは初めて来たので分からないが)店主の女を引き当てたらしい。
「娼婦が増えるのは別に構わないし働きたいってんなら歓迎したいとこだけどねえ。その、特定の人ってのはどいつだい?アンタも可愛い顔をしてるし問題ないだろうけど、気に入りの娼婦がいる客もいるし、買うかどうかは分からないよ」
「あの、さっきここを出てった人です!名前は知らないですけど赤茶の髪の、」
逞しくてかっこいい人、という言葉を口に出しかけて、ミーナは口を噤んだ。女は不思議そうな表情を浮かべた後、「もしかして、この男かい」と一枚の紙を差し出す。その紙に描かれていたのは、まさにミーナが一目惚れした男であった。
ミーナはその紙を受け取り、満面の笑みを浮かべる。ああ、かっこいい。やっぱりこの娼館に出入りしている客なのだと分かって、あの男との接点が作れそうなことに心が浮かれた。本来ならば男を見かけたときにその男の方へ駆け寄るべきだったのだろうが、あまりにも理想通りの男の存在に、自ら話しかけるという選択肢すらその瞬間は思い浮かばなかったのだ。ミーナは大変前向きで行動力のある少女だったが、大概が別方向に走ってしまうタイプであった。
「まあこの男の相手をしてくれるんならありがたい話だけどねえ…、次この男が来る予定にしている日はちょいと特殊なんだよ」
「特殊?」
「仮面デーっていってね、客も娼婦も揃って仮面をして顔を隠すんだよ。まああの顔で平民だからねえ、普通には客がつかないからってんで、次は仮面デーの日においで頂く予定なのさ」
「顔を……」
女の説明にがっかりとした気持ちを抱えつつ、それでも次に来る予定の日が分かるなら手っ取り早いと前向きに思考を切り替えたミーナは、「じゃあ、その日だけ働きたいんですけど!」と女に押し迫った。引き気味に口端を上げた女は、諦めたような安心したような表情で頷く。肯定の意をもらい、ミーナは更に浮かれた。
――あの人に、抱いてもらえる。
顔を見れないというのはミーナにとって非常に残念なことであったが、ミーナ自身も自分の顔をあまり良いとは考えていないので、相手が落胆したような表情を浮かべでもしたらと思えばいっそラッキーだと思えた。ミーナはそれ程裕福な家庭では育っていないし、それ故に身体の肉付きはそれ程良くないが、拒否される体形でもない。どちらかと言えばほっそりとしていて受け入れられやすい身体であると言える。ミーナとしてはもう少し(胸とかお尻とかに)肉がついても良いと思っているのだけれども、客観的にそうではない方が良いことも分かっていた。
「仮面デーは、男も娼婦も顔を暴かないのがルールだよ。まあ、呼ぶのに不便だし名前くらいは言い合うことが多いから、調べりゃ分かるだろうしあんまり意味もないルールだけどねえ。それ以外は、普段の娼館と変わんないよ」
「じゃあ、最後までしても良いってことですよね!」
明け透けなミーナの言葉に、娼館の店主である筈の女は顔を顰めた。ミーナよりも余程そういった話には慣れているだろうに、何故そんな顔をされるのだろうかとミーナが不思議に思っていると、そんな思いが顔に出たのか女は大きく溜め息を吐き。「アンタ、可愛い顔してんのに慎ましさってもんがないのが玉に瑕だねえ」と女に言われ、あはは、とミーナは八重歯を覗かせて笑うしかなかった。
◇
ミーナは、人里離れた森の中の小屋で生まれた。娯楽も人との交流もない場所だったが、愛情を持って接してくれる父と母がいたので特に寂しいと思うことはなく、すくすくと育った。父はふわふわと柔らかい薄茶色の髪で、瞳は一重ながらに丸くて大きく、眉や身体つきはほっそりとした綺麗な男だ。母も少しだけくせっ毛の細くて薄桃色の髪をしていたし、瞳は二重でパッチリで、鼻筋がまっすぐに通った美しい女だった。
そんな二人の間に生まれたミーナは、どちらにも似ない深緑の濃い髪色で、髪質もまっすぐだった。ミーナのような濃い色の女の髪は多少高く売れるので、伸ばした途端に切っていたから、基本的には短い髪型でいることが多い。今は大体肩くらいだ。目は細く一重で、辛うじて睫毛は父と母に似て少し長い。色は髪と同じ深緑。肌は白く、どれだけ外に出ても父や母と違って焼けて黒くなったりしない。ただ赤くなって、皮が剥けて、元に戻る。鼻も控えめで小さく、唇もふにふにと柔らかくはあるが母のように妖艶な感じではない。全体的にどう見ても両親共に似ていなかったが、父方の親族に似たような外見の人はいたようだから、そういった血が強く受け継がれたのではないかと言われている。父母は自分達に似ていないにも関わらず、ミーナがそういった容貌に生まれたことを大層喜んでいた。
両親二人だけとの関わりの中で成長していったミーナだが、そんなミーナのためにと両親は色々と(恐らく中古の)勉強道具を用意してくれたし、街に出たときに必要な最低限の知識は教え込んでくれた。その中で、美醜観だけは、ミーナが教わることはなかった。
それは両親の「ミーナに醜いと思われたくない」という気持ちだったからなのかもしれないし、そうではなかったかもしれないけれど、とにかく美醜観以外のものを正しく教わったミーナは、ある日自身の姿を鏡で見て両親を振り返り、残念そうな表情を浮かべた。どうしたの、と母に問われ、ミーナは答える。
「私も、お父さんとお母さんみたいに綺麗な顔だったら良かったのに」
これを聞いて、父と母は真っ青な顔を浮かべた。
自分たちの所為で、可愛く純粋な娘に「自分は綺麗じゃない」と思い込ませてしまった――今ミーナが思い返せば両親はそう罪悪感に苛まれたのだろうと理解できるが、そもそも美醜観を教わる前からミーナは自分の顔が綺麗でも可愛くもないことを知っていた。そして、父と母が綺麗なことも。
ミーナには不思議な記憶があった。それは昔の記憶というには不自然で、ミーナが生きている世界よりも随分と様々なものが発達した未知の世界の記憶だった。そこには、馬車のような移動手段はない。車という誰が動かしているかもわからないものが主流となっていて、箱の中で小さな人間が動いたり話したりしているし、変な四角いもの――携帯と呼ばれるものを持った人たちが歩きながらそれを覗き込んだり、耳に当てながら何事かを呟いたりしている。記憶の中では、ミーナも他の人と同じように生活をしていた。
原理などはさっぱりわからないが、便利なものに囲まれたその世界は、ミーナの知る世界と何もかもが違った。人の形は一緒だったけれど、すらっとしていて細身だったり、マッチョ(細マッチョという分類もあった)と言われる筋肉がついている男の方が好まれやすかった。瞳は二重でぱっちりしていて、鼻筋の通った彫りの深い男も大変好まれていた(ただし、塩顔と呼ばれる薄めの顔立ちの男も好まれていたのでこの辺は人によって好みが分かれるのだと思う)。女は敢えてそういう風貌にするために化粧をする程で、女によっては化粧前と化粧後では別人のように見えることだってあった。けれど、脂肪で膨れたパンパンの身体をした男が好きという女は極端に少なかった。
女にしても、胸は谷間が出来る程大きい方が性的対象になりやすかったし、目だって丸くて大きくて睫毛もばさばさで、はっきりした顔立ちの方が好まれやすく「可愛い」と称されやすかった(これも可愛いとは別の「美人系」と呼ばれる女もいて、好みで分かれるようである)。
男も女も共通して黒髪が多く、時折違う色をした人もいたが、それは敢えて色を変えているのであって本来持っている色とはまた別の髪色であった。
ミーナの美醜観は、その不思議な世界の記憶に基づいて構築された。敢えて教えてこられなかったから、すんなりと定着してしまったのかもしれない。だからと言って、それは父母の所為ではないとミーナは思っていた。両親に辛そうな顔で自分達は醜いのだと言われるのはミーナも辛かったし、ミーナはミーナの独自の概念の元、父と母は美人であると理解していたから。
けれども、その不思議な記憶のことを微塵も知らない父と母はそうは思わなかった。自分たちが教えなかった所為で、娘の美醜観が狂ってしまったのだと考えた。他者と会わない生活の所為で、醜い自分たちしか見なかったからであると。そのために、本来の美醜観を改めてミーナに伝えたのだが、結局その美醜観はミーナには身につかなかった。他の勉強はすんなりと入ったのに、美醜観だけは、両親の教えとは異なるものとなってしまったのだった。
ミーナは不思議な記憶を誰にも伝えたことはない。子供ながらに、それは可笑しなことだとなんとなく分かっていた。ミーナの中の妄想なのかもしれないし、本当にあった世界の記憶なのかもしれないけれど、特に困ったこともなかったから、そうっとしておくことにした。この世界の一般的な常識はある程度両親が教えてくれたし、美醜観にしたって、ミーナにはどうしても両親を醜いとは思えなかった。思いたくもなかったから、父母は心配したがミーナにとっては好都合だった。ただ、自分の顔があまり可愛いと思えなかったくらいで。
とにもかくにも、ミーナはそういった理由で異質な美醜観を持っていた。最初の内は自責の念から何度も(この世界の)正しい美醜観について教えさせようとした両親も、「私はお父さんとお母さんが綺麗で嬉しいのに、それじゃあ駄目なの?」と純粋な瞳で問い掛けるミーナを見て説得を諦めたようだった。元々両親は醜いと蔑んでくる人達の視線に耐えかねて人里離れた家に住んでいた(これはミーナが成人してから聞いた話である)らしいので、娘にまでそんな目で見られるのは耐えられなかったのだろう。
18歳で成人したミーナは、漸く街に行くことを許された。最初はフードを被った父または母と、次第に一人での外出も出来るようになっていった。両親も、娘のミーナまで人里離れた家で一生を過ごさせる気はなかったようで、人並みに孫の顔が見たいという気持ちもあったようだ。
そうして街で物(髪や家で育てた野菜など)を売ったり、たまには散策したりと過ごしている中で、ミーナは運命的な出会いを果たしたのであった。