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18/22

18 ルナの激情

これが書きたかった。


     ◇


「ティアナは……王都に残るなら、冒険者を続けるのか?」

「そのことなんだけど……私は、村に帰ろうかと思ってるわ」

 その言葉は、ヒドゥンにとっては予想外だった。


「アシュラムは、それでいいのか?」

「……彼女にも事情があってね。僕には止められないさ」

 それは、アシュラムとの関係が終わったということだろうか。

 早い破局だとは思うが、よくよく考えればあれだけの事件のあとだ。

 男の近くにいたくないと思うのは、当然だろう。

 故郷に戻るというのも、そうした背景があってのことか。


(男にはわからないつらさもあるだろう……立ち直れるといいが)

 アシュラムが止めないなら、自分が口だすことでもない。

 ヒドゥンは帰郷の無事を祈り、グラスを掲げる。

「寂しくなるな……おじさんたちにも、よろしく伝えておいてくれ」

「あの……それで、なんだけど――」

 なにやら逡巡していた様子だが、やがてティアナは、決意を秘めた目でヒドゥンを見つめた。

「もしよかったら……ヒドゥンも、一緒に帰らない?」


「――あぁ?」


 地の底よりも深くから響くような声に、ヒドゥンは思わず戦慄する。

 その声の主、隣のルナを見やると、その表情は完全に凍りついていた。

「てめぇ、この期におよんでなにぬかしてやがるっ……」

「あ、あなたには関係――」


「オレの婚約者だって言ってんだろうがっっ!」


 大勢の喧噪の中で目立つことはなかったが、少なくともこのテーブルにおいては、鋭く、大きく響く叫びだった。


「レイプされて勇者に振られて、仕方ないから元カレとヨリ戻そうってか? どんだけ尻軽ビッチなんだ、てめーはよぉ……恥を知りやがれ、なぁ?」

「おい、ルナ――」

 ルナの怒りはわかる――だが、当人にとっては大きな傷だ。

 案の定、ティアナは顔を蒼白にし、全身を小さく震わせている。

「ヒ……ヒドゥンも、知っていたの……?」

「……彼女のもとには、あらゆる情報が集まるからな」

 言外に肯定すると、彼女は小さく、そう――とつぶやいた。

 そんなティアナを庇うように、横からアシュラムが口を挟む。


「以前も言ったけど、それは誤解だ。今回の件も、彼女が自分を見つめ直すために、帰りたいと言ったわけで……振った振られた以前に、そんな関係じゃない」

 その言葉に、少し意気を取り戻したティアナも追従する。

「そ、そうよ……ヒドゥンがパーティから離れて、そのことで支えてもらいはしたけど……彼とは、なにもなかったわ……なにも……」


 なにも――というのは、肉体関係のことだけなのか。

 喉まで出かかった言葉をヒドゥンは呑み込むが、ルナは容赦がない。


「ハッ、面の皮の厚さだけはさすがだぜ。オレのとこには、あらゆる情報が集まってんだって、言わなかったか?」

 言いながら彼女は自らの口元を指し、唇を歪める。

 アシュラムとの口づけを揶揄する仕草に、ティアナはサッと頬を赤くし、ルナを睨みつけた。

「それはっ……そっちこそ! こんな短期間で、婚約までしているなんてっ……もっと前から、そういう関係だったんじゃ――きゃっ!?」

 羞恥と怒りに我を忘れ、思わず語気を荒らげた彼女のローブに、真っ赤なアルコールの染みが広がる。


「てめぇ――てめぇみてーなクソビッチに、オレのなにがわかるっっ!」


 とっさにヒドゥンが止めていなければ、間違いなくグラス自体がぶつけられていただろう。

 テーブルを越えて飛びかかろうとするルナを懸命に押さえつけるが、いまの彼女は、こらえきれない激情に支配されていた。


「てめーさえいなきゃ、とっくにオレのものだったんだっっ! どんだけ口説いても、誘っても、迫ってもっ……てめーがっ……ティアナがいるからって、オレが何回断られたと思うっっ! その気持ちが、てめーにわかんのかよっっ!」


「ルナッ……」

 さすがに周囲のテーブルには騒ぎが伝わっているようだが、ヒドゥンにもルナにも、それをどうにかする余裕はなかった。

 もちろんティアナも、初めて受ける同性からの激しい憤怒、嫉妬を前に、呆然とした様子で震えている。


「二度とふざけたことぬかすんじゃねぇっ! てめーがそうやって、オレのヒドゥンを軽んじるたびにっ……勢い余って、殺したくなるっっ……」


 慟哭するような叫びを終え、荒い息を吐く彼女を、ヒドゥンはただひたすら、優しく抱きしめるしかなかった。

「ルナ、すまない……すまなかった……」

「っ……なんでっ……ヒドゥンが、謝んだよぉっ……こんな、クソ女のためにっ……」

「違う――俺はルナが大事なだけだ、ティアナは関係ない」


 いまさらながらにヒドゥンは、自分の愚かさに気づいていた。

 あれだけルナを愛おしく思いながら、なぜ彼女の不安に気づけなかったのか。

 なぜ自分は、なにも伝えてやれなかったのか――。

(馬鹿だ、俺は……お前がいないと、生きていけないくらいなのに……)

 すがりつき、むせび泣く彼女を懸命になだめながら、視線だけを四人に向ける。

「……席をはずしてもらえるか。いまは、ルナのことだけ考えたい」

 その瞬間、わずかにルナの身体から力が抜けた、そんな気がした。


 いたたまれなさもあったのだろうが、四人は黙って立ち上がり、テーブルを離れようとする――が。

「もし――」

 ティアナがすがるような目で、かすれた声を震わせる。

「もし……私が、あんな目に遭ってなかったら……私と――」

「それはない」

 彼女の言いたいことを察し、先んじて返す。

「お前に見放されたとき、俺の心はそこから消えた。その時点でとっくに、お前とは終わっていた……なにがあろうとなかろうと、関係なくな」

 言いながらルナを抱きしめ、頭をかき抱く。


「残ったものはすべて、ルナに捧げた。なにもなくなり、ボロボロになり、それでも虚勢だけで戻ってきた俺を、救ってくれた――ルナは、俺のすべてだ」

「っ……ぅっ……あぁっ、うぅぅっ……ヒドゥンッ……」

 ルナが自分の名前を呼んでくれる、それだけで胸が熱くなった。

「ルナ……本当にすまなかった。言いたいことは、山ほどあるんだ……ゆっくりでいいから、聞いてほしい」

「んぅっ、ぐっ、うぅぅ……う、んっ……うぅっ……」

 まずは泣きやんでもらおうと、震える身体を抱きしめ、何度も頭を撫で、彼女の嗚咽を胸で受け止める。

 見えない位置では、仲間たちの気配がゆっくりと遠のいていった。


 その去り際――最後のひとりが、震える声で言い残す。

「……お幸せに」

 それは――本来ならば得られたはずの、失われた幸せの大きさに気づいた女に残された、最後の矜持だったのかもしれない。


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― 新着の感想 ―
[一言] 『軽んじる』この悲劇の根っこそのものでしょうね ティアナがヒドゥンを言葉を選ばずに言えば都合のいい男として軽んじていたように、ヒドゥンもティアナを過保護という意味で軽んじていた 現在のルナと…
[良い点] スラム育ちの美少女がレイプされずに生きてこられたはずもなかろうに フラれた理由をそこに求めようとしたティアナには 最後までルナのお前がヒドゥンを軽んじるたびに殺したくなると言う言葉が刺さっ…
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