11 旅の終わり
致命的に足りていないだけで、悪人ではないメンバー。
◇
ティアナがゆっくりと意識を取り戻したのは、男たちがその場を離れ、かなりの時間が経ってからだった。
呆然と打ちひしがれていた彼女は、自身に起こった悲劇を、どこか夢の出来事のように捉えていたが、やがて現実感を取り戻し、ポロポロと涙を流す。
埃と体液にまみれ、きれいなローブもボロボロになり、男たちの手形や陵辱の跡を身体に残したまま――それでもなんとか、彼女は立ち上がった。
そうしておぼつかない足取りで、鈍痛を抱えたまま宿へ戻る。
さすがに手はだしてこないが、明らかに乱暴された直後にしか見えないボロボロの彼女は、帰り道でも好奇の視線に晒され、恥辱を煽られ続けた。
世を恨むほどのダメージを負った彼女は、もはや限界だった。
泣き崩れたいという欲求を、ボロ布のように苛まれた矜持でなんとかこらえ、宿のドアをくぐり――。
「おかえりなさい、ティ――ティアナ!?」
「その格好は……なにがあったんだ、ティアナ!」
驚いた顔のミラとアシュラムに出迎えられたところで、それは決壊する。
「ぅ――あっ、あああぁぁぁ……ああぁぁぁぁっっっ……」
ガクリと膝をつき、床に突っ伏すように崩れ落ちた彼女は、そのまま声が枯れるほどに泣きわめくほかなかった。
「どうして、こんなっ……あぐっ、うぅぅっっ……いやぁぁぁぁっ……」
支えようとするアシュラム、なにがあったかを察して世話しようとするミラをはねのけるように暴れ、床を叩き、打ちひしがれるティアナ。
ほんの数時間前、見下すような感情を抱いてしまった彼女からのやさしさが、いまは逆に、心を苛むほどに痛く突き刺さる。
(これは、罰だというのっ……ミラを、あんな風に思ってしまった……浅ましさに対する、罰だとっ……ふっ、ぐぅっ……うっあぁぁぁっ……)
それよりも、さらに以前の――大事な人を裏切ってしまった罰、なのだろうか。
泣き、叫び、震えるたびに嘔吐き、胃液が込み上げる。
「んぶっっ……げほっっ、ごほぉっっ……おっ、ぶっ……ぅげぇぇ……」
罪悪感と恐怖、怒りと悲しみ、ショックと絶望――。
それらの重みに耐えかね、再び意識を失ってしまうまでの間、ティアナの嘔吐と嗚咽が途絶えることはなかった。
…
胃液にまみれ、そのまま気を失ったティアナの身体を拭き、清めてくれたのはミラだった。
それに感謝を告げる余裕もなく、ティアナは部屋にこもり、塞ぎ込んでしまう。
皮肉にもそれは、ようやく父親の件から立ち直り、部屋から出られるようになったリネアと、入れ替わるような形だった。
ミラから事情を聞いたリネアは、今度こそおしまいなのではないかというほどのショックを受ける。
自分のせいで足止めをくらった結果、こんなことになってしまったのだ――と。
けれどリネアは、そこで再び塞ぎ込むようなことはしなかった。
本当にショックを受け、傷ついているのが誰なのか。
それに気づかないほど、機微に疎い女ではない。
リネアは以前にも増して活動的になり、慣れない仕事にもティアナの介護にも、貧しい生活にも不平をもらすことなく、パーティのために献身を尽くす。
だが――身も心も、尊厳までも傷つけられたティアナは、なかば精神を病んだような状態で、ベッドから起き上がることさえも難しかった。
部屋のドアが開くだけで怯え、アシュラムの姿にさえ恐怖し、夜中に悪夢を見て、悲鳴とともに目覚めることも一度や二度ではない。
誰も口にはださないが、すでに全員の頭に予感はあった。
この旅はもう、終わりを迎えるのだろう――と。
…
そんな、希望の見いだせない陰鬱とした日々は、意外な形で終わりを告げる。
「これは――」
「どうされたのですか、アシュラム様?」
ギルドから届けられたのは、王都からの手紙だった。
宿で開封したそれに目を通し、アシュラムは瞠目する。
「アシュラム様? いったい――」
「……帰還命令、だそうだ。読んでごらん……リネアも」
その言葉に驚きながらも内容を確認し、二人はしばし、呆然としていた。
「和平だなんて――こんな話、いつの間に……」
綴られていた内容は、魔王国と和平を結ぶにいたったこと。
それにともなう魔王討伐の中止と、帰還命令。
ご丁寧に、帰還用の馬車チケットまでが添えられている。
これ以降の援助は行わないという文言からして、帰りの交通費は、最後の恩情ということだろうか。
「そんな……わたくしたちの旅は、いったいなんだったといいますのっ!」
「……気持ちはわかる。だけど僕らは、成し遂げられなかったんだ」
現在の、ここ数ヶ月の状況を思えば、とても文句を言える立場ではない。
この辺境の町で長らく足止めをくらい、追加の費用まで請求しておいて、これ以上の旅の進行は見込めなかったのだから。
王国としても、和平を選ぶしか道はなかったのだ。
「どうされますか、アシュラム様」
ミラの目にあるのは、勇者の心に添うという意思のみ。
アシュラムがこのまま続けるといえば、その旅に従うのだろう。
だがそれは、これまで以上に過酷な道のりになることは否めない。
「……帰ろう。僕らの旅は、ここまでだね」
そんな旅にミラや仲間を付き合わせることはもちろん、王宮からの命令に背くつもりもなかった。
アシュラムの言葉にミラはうなずき、リネアは不承不承ながら納得しつつも、心配そうに宿の一室を見やる。
「ですが、すぐに帰還というのは……まだ、ティアナが――」
「……迷惑かもしれないが、僕が残るよ。二人は先に戻って、陛下にこちらのことを伝えてくれればいいさ」
「っ……それでしたら、わたくしが残りますわ!」
身の回りの世話を男にされることは、いまのティアナにとっては苦痛でしかないだろう。
それを気遣ってのリネアの言葉だが、アシュラムはアシュラムで、ティアナを襲った悲劇は自分の責任だという思いがあった。
「リネアだって、これから大変じゃないか。いまは自分のことを考えるべきだよ」
「それは……だからといって、ティアナをこのままにはしておけませんわ」
アシュラムだけでなく、リネアもまた、自分のせいだという後悔がある。
譲れない二人の意見は平行線をたどるかに思われたが、そんな空気を裂くように、懸案事項だった一室のドアが開かれた。
「ティアナ! だめです、無理しないでくださいっ……」
まっさきに気づいたのは、言い争いに参加していないミラだった。
慌てて彼女に駆け寄り、支えようとするが、ティアナはそれを制する。
「平気よ……ごめんなさい、部屋の中で聞こえていたわ。王都に帰るのよね」
か細い彼女の声になんと答えるべきか、アシュラムはわずかに逡巡した。
「あ、ああ……だけど無理はしなくていい。僕かリネアが残るつもりだ」
「そうですわ! ですから、万全でないなら、まだ休んでいてくださいまし」
病んだ心のせいか、体力が落ち込んだせいか、彼女の顔はまだ青白い。
そんな状態では、いくら馬車といえど、王都までの旅は厳しいはずだ。
しかし、二人の気遣う声に対しても、ティアナはゆっくりとかぶりを振る。
「いいの……お願い、私も連れて帰って。ここに残っているほうが、いやな気持ちを引きずってしまうわ、だから……」
確かに、この町で起こった悲劇である以上、滞在中はそのいやなイメージが頭から離れないだろう。
すでに実行者たちが拉致され、殺されていることも知らない彼女にとっては、いつまた襲われるかもしれないという恐怖にもつながる。
そんなティアナの思いを汲み、三人はうなずいた。
「わかった――一緒に帰ろう、ティアナ」
「アシュラム様、余剰の資金とチケットで、馬車をチャーターしましょう」
「そうですわね。乗合ですと、よその男が近づいてしまいますもの」
三人の気遣いにティアナは涙ぐみ、言葉もなく頭を下げる。
それは感謝と、お詫びだ。自分の気持ちを、半分だけ誤魔化したお詫び。
(ごめんなさい……私は、本当に身勝手だわ……)
この町に残りたくない、それは間違いなく事実である。
けれど、それとは別にもうひとつ、ティアナには王都に戻りたい理由があった。
(……ヒドゥンに、会いたい……きっと、王都にいるわよね……)
彼につけた使い魔は、すぐさま消えてしまったため、所在は把握できていない。
ただ、ヒドゥンの性格からして、冒険者としての基盤があった王都に戻っている可能性は高かった。
そこにいなければ、ティアナは故郷に帰る予定でいる。
(もしかしたらヒドゥンも、そうしているかもしれないものね……)
もし彼と故郷で再会できたなら、どれほど幸せだろうか。
生まれ育った村でヒドゥンとやり直し、落ち着いた平穏な暮らしを取り戻す――それだけが、いまのティアナに残された希望だった。




