親愛なるネイバーフッドへ。花束を。
「君は私の事好きかな?私は君の事好きだよ。」
彼女は放課後の教室、2人きりの世界でそう声をかけてきた。
なぜ二人きりで教室に残ってたのか、それは分からない。外の土砂降りの雨のせいか、ほかの要因かなんて。
世間一般で言うと彼女の言葉は告白なんだろう。これが今日じゃなければ。
どうやら彼女は明日から転校するらしい。
なぁ、今日が最後なんだろ?あんまりどころかほぼ全く話したことの無い俺なんかと喋ってていいのか?
「ほぼ全くなんて寂しいこと言うなぁ、何回かはあるだろう。」
確かに1年の最初の頃、廊下で困ってる彼女を見つけて何度か手伝ったことがあった。
もう今は3年、クラスが同じになってから思い出したような記憶をまさか覚えてるなんて。
「あ、その顔。まさか覚えてるなんて、って思っただろう?」
半笑いで彼女は内心を当ててくる。
エスパーかよ、そうだよ。まさか覚えてるなんて思いもしなかった。
「ほら、よく言うだろ?した方は忘れててもされた方は覚えてるってさ。クラスが一緒になった時には、そりゃ内心喜んでたんだよ。」
少し照れながら彼女は言う。
いつの間にか止んだ雨。
夕焼けの日差しと彼女の美貌が重なって、まるで映画のワンシーンを切り抜いてきたようで、意識が持っていかれる。
「…?どうしたの?そんなに固まった様子で。」
いや、された方は覚えてるっていじめの話じゃないのか?
なんで呆気に取られたのか追求されるのが恥ずかしくて話題をそらす。
「いじめも助けることも心には残るのさ、消えないものとしてね。」
そんなもんか、ところで、本当にこんな所にいていいのか?雨はやんだぞ。
「そんなもんかって…まったく。
こんな所にいていいのかって?いいに決まってるだろう?私が好きな人と会える機会がこれっきりなんだ。」
クールな顔立ちの彼女がストレートにそんなことを言うとまるで物語の王子のような雰囲気を醸し出す。
「君こそ私の質問に答えてくれよ。これで最後なんだよ?」
梅雨の蒸し暑さでゆだった脳にはなかなか衝撃の強い言葉が聞こえる。
いや、まさか君が俺の事を好きだったなんて思いもよらなかった。
確かに君は可愛いし見た目で言うと好きだ。
だけど君自身のことを俺はまだ分からない。だから軽率に好きだ、なんて返せない。
君の言葉が本心だと伝わるから。
「随分と生真面目なんだね、そういうところが好きになったんだけどさ。」
脳みそが回らずにうっかり俺の本心を伝えると彼女は照れ臭そうにそう返す。
「あー、こんなことならさっさと伝えておけば良かった。そうしたらこんなモヤモヤや胸を締め付けるような思いとは別れられたのかなぁ。」
彼女は目尻に少し涙をうかべそう呟く。
なぁ今日で転校するんだろ?
「あぁ、明日からはかなり離れた土地に行くんだ。海外よりはマシかな。」
少し自嘲気味な口調で伝えてくる。
ならさ、今日帰るまでお互いのことを話し合おう。いや、明日からもだ、手紙や電話。なんでもいい。知り合うんだ。1から。
「…。君ってホント凄いよね。」
今日呆気に取られてばかりだった俺からの唯一の反撃と言ってもいいだろう。
しかし顔がいいってのは本当にずるい、泣いても笑っても照れても驚いても綺麗なんだから。
いつの間にか夕焼けは沈んで月の光が目立ち出す。星が瞬く。
「ねぇ、帰ろっか。同じ道。」
彼女の言葉がやけに耳に残る。
帰り道の話は尽きなかった。やれあの曲が好きだ、あのテレビが面白いだ、この授業の先生が嫌いだとか。
漫画やアニメ、映画で見るような素敵な話じゃないのかもしれない。
だけど、だからこそ、これでいいんだ。そんな素敵な花のような恋じゃなくていい。アスファルトの脇に生えている名もしれない花のような恋でいい。それが彼女と俺との『唯一』だから。
それからは彼女を家に届けて住所と電話番号を聞いた。
それからは何度も話したし何度も喧嘩したし何度も笑うような話を何日も続けた。
梅雨が終わり、網戸の外からは蝉たちの協奏曲が聞こえ始める。温度計は32度を指す。
首元を引っ張り、蒸した空気を入れ替える。
柄にもなく高校の頃の話を思い返した。彼女は今何をしているんだろう。
玄関のポストになにか投函された音が響く。
立ち上がり取り出しに向かうと、差出人は彼女だった。
「あちぃな…。」
夏が始まる。梅雨が終わる。