アマルドの盗賊
忍び寄る影は、アリアテたちの手から「海の雫」を奪い去る。海への手がかりを取り戻すべく、アリアテたちはアマルドに上陸する……
さわさわと優しい音がする。甲板が小雨に濡れ、しかし南の空に白々と月が照る夜、サンタナミルフ号はアマルド島国に寄港した。中継地アマルド港に碇をおろした貿易船は、交易のほか、物資の補給や設備の点検、乗客の息抜きのために数日停泊するのが常だった。
青竜の襲撃、船長の監禁。不測の事態で進路が逸れ、サンタナミルフ号は定刻を大幅に過ぎて港に入った。静かな雨の夜、ほとんどの乗客は夢の中だ。
無人の甲板に影が落ち、月光と雨の織り成す波紋を遮った。影は輝く金の目で辺りを見回し、船室へ下る階段にすべりこむ。船室を巡って宝飾品を漁った後、影は主目的の部屋へもぐりこんだ。
全員が眠っていることを確かめて、影は気配を断った。注意深く足を進め、部屋の中ほどで眠る男の首に手をのばした。きらり、と月光を受けて反射する青い宝石を取り上げ、爪で紐を切って、素早く懐にしまう。
「海の雫!」
寝静まっていた部屋にクオーレの切羽詰まった声が響く。影は目にもとまらぬ早さで部屋を出た。甲板へ走り、ひらりと欄干を飛び越すと、音もなく港の石畳に着地した。一気に倉庫の屋根へ跳躍して、闇の中に消える。
影の逃走を見届けたクスハは、隣の協力者に嫌味な笑みを向けた。
「うまくいったな。報告はお前からするといい、セリ。日の目を見ない諜報員だ、ガヴォ様にお褒めいただくくらいの褒美は得るべきだろう」
――いくら武功を立てたところで、諜報員ふぜいが軍人である俺と並ぶ日はこないのだからな。
クスハは他の多くの軍人と同じように、セリを政府の犬として下に見ていた。一種の軍の「風紀」だ。セリはむしろ、彼らの横柄な態度を御しやすいと考えていた。
(雌伏していれば、従順であれば、驚くほど彼らの目は私に向かなくなる)
セリは黙って敬礼し、メンテス・ガヴォに報告をあげた。
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深夜、雨が上がった甲板から、人目をさけて一羽の飛燕が放たれた。飛燕はサンタナシティの港へ降り、石畳を滑るように飛んだ。一軒の宿に着くと、レフトバードの休む厩を越えて、二階角部屋の窓を静かに叩いた。
男が静かに窓を開けてやると、机に拡げた羊皮紙――止まり木に飛燕がとまった。
「目を離しても大丈夫、と言った矢先に」
ため息をつき、男は別の羊皮紙にメッセージをしたためた。
『このところスタンドプレーが目立つのは苛立ちか、我々を重要視していないだけか。または、目を付けられている。私はさすがに悪目立ちし過ぎた。
アマルドで一騒動あるようだ。これを鎮めたら、私はしばらく身を隠そう』
男は同志に飛燕を送り、宿を経つ準備を始めた。
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翌朝、サンタナミルフ号の船員たちが船室を訪れ、説明と被害状況の改めが行われた。狙われたのは宝石や一部の保存食などで、貨幣は手をつけられていなかった。
「貨幣の換金には、いずれの国でも身分証明などの手続きが必要ですが、宝石は需要と供給の一致さえあれば簡単に売買できるので、狙われやすいのです」
色白の船乗りは丁寧に説明した。
「目下、アマルドの刑吏が犯罪者を捜索中です。盗難にあった宝石につきましては、こちらに詳しく特徴をお願いします」
盗難品のリストを船長に提出すると、セリはクスハとともに旅人の装束に着替え、乗客に混じってアマルド港に降りた。
昨晩は妙な夜だった、と、アリアテたちの船室を訪ねたフレ=デリクは言った。
「賊は気配を断つ達人であり、かつ、殺気の一切を持たない者だろう。だが……全く気づくことなく眠っていたとは。いささか自信を失ったよ」
「何か、術にでもかけられたって感じだな」
ロードも同じく違和感を口にした。
「基本的に、眠る時には俺は気功術の結界、エルは水魔道の結界を交代でかけてたんだ。昨日は俺の番だった。結界に触れたはずだが、全く気づけなかった」
「私も、クオーレが大声で何度も呼んだらしいのに、わからなかった」
「能力であるとすれば、これほど恐ろしい力はありませんネ。寝首を掻かれなかっただけ救われマシタ」
エルウィンは自分の首を擦った。
男装したメリウェザーと、フードを被ったカレンが朝食を運んできた。
「アマルドの刑吏と、サルベジアの軍兵も捜査にあたってるみたい。とりあえず腹ごしらえしましょう?」
ベーコンが乗った硬いパンをかじりながら、アリアテは当然のように、自分たちも海の雫を探すためアマルドに立ち寄ろうと提案した。だが、フレ=デリクは首を横に振った。
「この国に入ることは推奨しない。どういう意味かは、今は知らなくていい」
「でも、海の雫は大切な手がかりだ」
「犯人の特徴もわからないまま、闇雲に一国の中を探し回るつもりか? こういうことは役人に任せておけばいい」
フレ=デリクは弟子を連れ、隣室に戻っていった。
ところが昼過ぎ、フレ=デリクは「アマルドに入国しろ」と言ってきた。たまらずロードが口を開く。
「あれだけ反対しておいて、どういう風の吹き回しだ?」
「急くな小童」
「こわっぱ……」
フレ=デリクは不機嫌に足を組み、周囲に人影がないか確かめた。閉ざした扉の向こうには弟子を置き、仮面の道化は声をひそめた。
「一角獣から飛燕がきた。終点のサルベジア大陸フィールト港で、ゲイル族の特徴を持つ女子供が片っ端から捕らえられているようだ。当然、魔法解除などの変装対策もこうじられている。このままサルベジアに渡るのは自殺行為だ」
ため息をつき、フレ=デリクは続けた。
「お前たちはアマルドから別の方法でサルベジアに渡す。遠回りになるが、まだ政府の――ガヴォらの目が届いていない辺境だ」
アリアテたちは港に降りると、枯れ葉色のローブを買うようアドバイスされた。
「アマルドでも平均的な色の布だ。『外』の衣服は、ここでは目立ちすぎる。それから銀狼族」
フレ=デリクは弟子に命じ、カレンの獣族としての身体的特徴が外からわからないよう、念入りに装具で隠させた。
「この国では、獣は獣だ。素性が知れれば面倒なことになる、ヒト族だと偽ることを忘れるなよ……では、準備が整い次第迎えに行こう。あまり奥地まで冒険しないでくれ、探すのが骨だ」
アリアテたちはフレ=デリクたちと別れ、旅人や商人に混じってアマルドの関所に入った。身分証のかわりに、窓口でサンタナミルフ号の乗船切符を示すと、いくつかの注意点が書かれたパンフレットを渡された。
続いて、必要なだけの貨幣をアマルドの貨幣と交換する。アマルドで流通しているイェンは、ラティオセルムやサルベジアのイシュと同価値だった。
「金銭感覚が似てるのはいいな、ぼったくられる可能性が減るぜ」
「それでは、ごゆっくりおくつろぎください」
関所を出ると、外は広い街道の一本道。両脇にはところ狭しと宿や土産物屋が並ぶ。竹材の壁がぐるりと宿場町を囲み、先の景色は見えなかった。
すれ違うのは外の国から訪れた客ばかり、宿や土産物屋の客引きはおとなしく、にこやかに佇んでいる。
「坊ちゃん、アマルド名物の田楽はいかが」
アリアテは屋台の女将に呼び止められ、石の上に乗った鍋のなかを覗きこんだ。馴染みのない野菜類が、ことことと薄いスープのなかで煮込まれている。
「美味しそう」
「おい、昼飯食ったばっかりだろ」
呆れながらも、ロードは人数分の田楽を注文した。一行は店先の丸太椅子に座り、通りを眺めながらスープをすすった。
「美味しいね、これ」
「魚と海藻でダシをとっているからね、野菜のうま味も出て、栄養満点だよ」
女将はにこにこしながら、鍋の中を掻き回す。気の良い女将が他の客と話しはじめると、ロードは頬杖をついた。
「しかし、何の手がかりもないな……フレ=デリクの言うことを聞いておとなしくしてるか、ムジナ」
「私は海の雫を探したい。クオーレもそれを望んでいるし、あの宝石は危険でもある、って」
エルウィンが同意した。
「身につけている間、とても強い魔力を感じマシタ。力自体に害はありマセンが、悪用すればとてつもない凶器になりマス」
「見る人が見れば、普通の宝石ではないことは解るでしょうね。回収を急がないと、どこまで流れてしまうかわからないわ」
話し合うアリアテたちの横で、カレンは田楽と格闘していた。ヒトはさておき、これは獣の舌には熱すぎる。思わず牙を剥いたところを通りすがりの少女に見られた。旅人を物珍しそうに見ていた少女は、一瞬見えたカレンの牙におののき、母親の足にすがりついた。
「どうしたの。歩きづらいわ」
母親は娘の頭を撫で、そのまま通り過ぎていった。
カレンは口許を抑えた。
(獣は獣、か)
田楽を平らげると、カレンは首に巻いた布を顔まで引き上げた。
一行は適当な宿をとり、部屋でくつろぎながら、関所で配られたパンフレットを拡げた。
「何だか……かなり閉鎖的ね」
要約すれば、観光客には「宿場町を出ないこと」、「店舗の従業員や役人以外の、一般国民には声をかけない。極力関わらないこと」などが求められていた。いずれも犯罪に巻きこまれないためにと理由づけているが、宿場町の面積は一国のいかほどだろうか。
「関所はありマシタが、これではほとんど港から出ていないようなものですネ。さて、当然、盗人は宿場町に留まってはいないデショウが?」
「追うしかない。危険かも知れないけど、じっとしていても始まらない」
力むアリアテの頭を、ロードはぐしゃぐしゃに撫でた。
「どう転んだって危険な旅には変わりねえからな。虎穴に入ってみるか」
カレンは、田楽屋で見かけた親子のことを思い返していた。
「町中に、港と宿場町の外を行き来しているアマルドの民がいた。彼らの使う道を探れば早いだろう」
「さすがカレン。もう町のことを観察してたんだ」
干したイカの足をかじるアリアテに、クオーレがひそかに苦笑する。メリウェザーはひまわりのような笑みを浮かべ、立ち上がった。
「そうと決まればさっそく行きましょう。フレ=デリクたちと行き違いにならないうちに、ね」
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メンテス・ガヴォはサルベジアに渡り、政府の執務室でゆったりと椅子にかけていた。その前には、清々しい顔の騎士が立っている。
「ギュスタフ、ディエロの様子は?」
「鍛錬を始めていますよ。中身はやや幼くとも、たいした気概のある戦士です」
「少しは年相応の落ちつきを持つといいが……それで、お前の調子は?」
ギュスタフは彫りの深い顔にさらに深々としわを刻み、誇らしく笑った。
「快調です。いつでも出られますぞ」
メンテスは組んだ手のなかで含みのある笑みを浮かべた。
「そうか。では、二日後にアマルドに向かおう」
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アリアテたちはアマルドの装束を揃え、宿で着替えて出発した。エルウィンの魔法で黒髪黒目に変装し、人混みにまぎれて外壁に近づいた。竹を組んだ高い壁にはひとつだけ出入り口があり、門番らしき男が立っていて、興味本位で近づいた旅人などは突き返されていた。
アリアテたちはそれぞればらけ、アマルドの民にくっついて仲間のふりをしたり、荷馬車の横を平然と歩いたりしてやり過ごした。
「けっこう手ぬるいのね……」
竹の壁をくぐった向こうは一面の森で、アマルドの民らは森の中の道を進んでいく。最初の岐路で、アリアテたちは商人風の男のあとに続いた。一般の国民よりは商売に携わる者のほうが、盗まれた宝石の行方に心当たりがあるかも知れない。しばらく道行きを共にすると、商人は森の中でロバを休めた。アリアテたちは怪しまれないように商人を追い抜き、一本道を進んだ。
道の先で木々がわかれ、森が終わる。かやぶき屋根と板壁の小さな家が並ぶ、湖のほとりの集落だった。アリアテは思わず足をとめ、集落を見渡す。
「どうしたの?」
「うん……似てる、私の故郷と」
あの小さな漁村は、今も砂漠化の脅威にさらされている。身寄りのないアリアテとその姉オルガを育ててくれた、あの優しい皆は無事でいるだろうか。
「とりあえず話を聞こう」
「おお、あんたら。道を間違えたんじゃないかい」
後ろから商人が追いついてきた。
「見ない顔だしな、気になって追ってきちまった。わかりにくいが、森の途中に道があっただろう。アガリバシへ行くにはそこを通らねえと……」
男によると、アガリバシはアマルドでも大きな街らしい。
「あんたら、アガリバシから港へ行ったクチじゃねえのかい?」
ややいぶかしむ男に、ロードが慌てて肯定した。
「ああ、実はこちらの坊ちゃんは名家の方でな……俺たちはその侍従だ。普段から俺たちは港に出入りしてるから、道はわかってる。ただ、坊ちゃんがどうしてもこの湖が気になるらしくて……」
「へえ、やっぱり都でも噂になってるかい。悪いことは言わねえ、あんまり首を突っこみなさんなよ。それじゃ、道中気をつけてな」
「ああ、心配してもらって悪かったな、あんたも気をつけて」
何とか人の好い男をやり過ごして、アリアテたちは集落に入った。商人の言った噂という言葉が気にかかり、湖に近づく。湖面に波ひとつ立たない湖のほとりには、白い装束をまとった少女がたたずみ、腰まで水に浸かっていた。
木々の間にはうっすらと霧がかかり、湖に近づくほど肌寒い。
思わず少女に声をかけようとしたアリアテを、エルウィンが制した。
「神事かも知れマセン。この湖……何か居マス」
「何か、って」
「もし、何をしていなさいます」
アリアテたちは集落の大人たちに取り囲まれていた。
「もし、何をしていなさいます」
全員が女性で、咎めながらもアリアテたちを手招きする。招かれるままひとつの家に入ると、年長者の老婆が険しい表情で言った。
「立派なお佩きもの、都の方でしょうか。知らぬことかと思いますが、大切な祀りごとを妨げてはなりません。主様は騒ぎを嫌います」
老婆は深々と平伏し、白髪が床に流れた。メリウェザーは身を乗り出し、頭を上げてくれるように頼んだ。
「お邪魔してしまって済みません。恥を重ねるようですが、私たちに祀りごとについて教えていただけないでしょうか」
「お教えするようなことはありません。我々はその年の柱となる巫女様のお世話をして、来る今日、湖の主様にお供えするだけにございます」
老婆はもう一度頭を下げ、床に額をつけて懇願した。
「どうぞ、今の間にお引き取りください。都の方々にお見せするようなものでは……」
その時、集落を大きな震動が襲った。
「きゃあっ」
「これ、騒ぐでない」
地震を恐れて叫ぶ女たちをなだめ、叱り、老婆は湖に向かって祈り始めた。
「畏み、畏み……どうぞ柱をお娶りくだされ」
外を気にするアリアテに、カレンが鼻をひくつかせて言った。
「魔物だ」
「あの子は生け贄か!?」
アリアテは迷わず飛び出し、それをロードたちが慌てて追った。
「お前らしい。いいぜ、祟りだ何だ言われようが、元凶をぶっ飛ばしちまえば万事解決」
しかし、傍を走るメリウェザーは険しい顔をしていた。その理由をカレンが明かす。
「いや……この魔物、我々だけでは厳しいかも知れない」
獣族の直感は当たる。ロードは足をゆるめ、顔を引きつらせた。呼び止めようとしたが、アリアテの勢いは止まらない。湖には波が立ち、少女は頼りない桟橋にすがって、溺れかけていた。
「掴まれ!」
「あなたは」
驚く少女の腕をつかみ、アリアテは無理にも引き上げた。
「お、おやめください。水神さまがお怒りになります」
「ヒトを食うなら神じゃない、魔物だ」
言い切って、アリアテは少女をメリウェザーに托した。
「アリ……ムジナ、聞いて。相手が悪いわ。集落の人たちを連れて、ここは一旦退きましょう」
「全員で逃げれば、その先々の民を巻きこむ。メリウェザーには誘導を頼みたい、皆を逃がしてくれ」
「あなたを置いていけない」
「何ぐずぐずやってるんだ、お前も来るんだよ!」
駆けつけたロードが問答無用でアリアテを抱き上げた。
「来るぞ!」
カレンが怒鳴る。湖が生き物のようにうねり、水が引いて、中央の深みから水の山が現れた。膨らみ続ける山の頂が弾け、巨大な水柱が立つ。空に舞った水が雨となって降り注ぎ、アリアテたちを濡らした。