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サンタナシティの貿易船

 大会優勝の清々しさも一変、指名手配されてしまったアリアテたち。窮地に陥った彼らを救うのは……

 街全体に広がっていた武芸大会の熱は過ぎ去り、つい昨日のことを、人々は何年も前の思い出話のように語る。興奮が静まり、いつもの賑わいを取り戻した港で、アリアテたちはじっと身を潜めていた。

 エルウィンは握っている手配書をもう一度眺める。


 ――指名手配。褐色の肌に黒髪、赤い目の少女。

 ヴィヴィオルフェンの水魔道師、エルウィン・ダフォーラ。


「……カレンはともかくとしテ、この分では、ロードやメリウェザーの素性が暴かれるのも時間の問題でショウ」

 問題は、指名手配に至った経緯と理由が判らないことだった。アリアテの手配書は名無しのまま、ラグナレクの騒動を引き起こした「ムジナ」とは別人のものとして出回っている。

「褐色の肌と赤い目……メリウェザーは、私みたいな赤い目のヒト族を見たことがなかった。カレンはこの目で私をゲイル族だと判断したわけだし……やっぱり目立つかな」

「希少ですが、世界中で赤い目の少女があなた一人というわけでもないでショウ。可能な限り水魔道でフォローしますヨ」

 ――だが、どうやらメンテス・ガヴォにはエルウィンの変装魔法が通用しないらしい。ガヴォにだけ見抜けるのか、水魔道への対策が存在するのか……

 険しい顔をつきあわせていると、潜んでいる倉庫の扉を叩く者があった。メリウェザーが声を低くして「海」と問う。

「雫」

 答えて、扉からロードがすべりこむ。

「ラグナレクのムジナの件は保留扱いってとこだな、街中がこの無名の手配書で上書きされている」

「これで、同行する私たちもお尋ね者ってわけね」

 メリウェザーは肯定の笑みをアリアテに向けた。

「こんなおかしな世の中だもの、どんな理不尽なことが起きたって不思議じゃないわ。考えなきゃいけないのは、どうやって、海の雫が指す湖の向こうへ渡るかということ」

「手配されている以上、船に乗るには全員を変装させるしかないが……」

「ちゃちな変装では見破られマス。かといって、私の力量では、全員を完璧に変装させることは難しいデス」

 ふう、とロードが思案のため息をついたとき、カレンが耳をぴんと張った。

「誰か来る」

 その人物は倉庫の前で足を止め、軽やかに扉をノックした。

「お困りでしょう。こんにちは、いつかの道化ですが」

 ひどくしわがれた声だった。

「ここでひと稼ぎしに参りましたが、私ども、実は密航のお手伝いも生業でして……ひとつご相談させて頂けますなら、演技が終わったあと、中に入れてくださいな」

 道化は、誰が、どのような理由でこの場に隠れているのかをすべて知っているような口ぶりだった。不審がって誰も返事をしなかったが、武芸大会で耳に馴染んだ音楽が鳴り始め、音に気配に人だかりができていくのがわかった。

「これでは逃げられないな」

 カレンが諦めたようにこぼすと、ロードが揶揄した。

「逃がさない魂胆だろうぜ」

 外は拍手喝采の大騒ぎになった。そうかと思えば水を打ったように静まりかえり、船乗りたちの声が遠くに聞こえた。

 遠慮がちに再び、扉が叩かれる。

「私の演奏者は見張りに残しておきます。丸腰の道化ですよ」

「丸腰ったって、あんた、相当の手練れじゃねえか」

「やれやれ、それでも、私一人とあなた方とで、どちらに分があると思いなさる? ……拉致の、あかん」

 しわがれた声が不機嫌な調子をはらむ。

「だめです、師匠!」

 慌てた若者の声と、空を切る何かの音。空砲のような音が弾けて、扉がゆっくりとロードに倒れかかってきた。

「なにっ」

 慌てて扉を支えたロードは、扉ごと道化に踏みつけられた。

「ひとが親切にしてやろうと言うのだから、素直に受けんか! 無礼者!」

 道化は道化の姿をしながら、厳しい口調で一喝し、当然のように蹴倒した扉の上へ座った。ロードがもがくと足を振り下ろし、倉庫の地面に深々と突き刺して固定してしまった。

「あの、どうして私たちを助けてくださるんです?」

 おずおずとメリウェザーが尋ねると、道化は扉の下のロードを小突いた。

「ナドトゥラの話を共有しておらんな? 用心深いのは良いことだが……」

 ナドトゥラの名前にメリウェザーとアリアテが反応する。ロードは扉の下でもがき、何とか喋った。

「船に乗ったらその時に、と思ってたんだ……あんた、もしかして」

一角獣(ラ・パーン)と名乗れば通りが良いだろう」

 道化は不機嫌な様子で立ち上がり、ロードを解放した。

「貿易船の出港は第三港から十時五分、それまで三十分ある。十五分でかいつまんで話せ、あとの十五分で変装して船に乗りこむ」

 手近な樽に腰かけ、道化はロードを急かした。

「兄さん、どういうこと? あの夜ナドトゥラと何かあったの」

「……実は、以前から灰の団のことで相談していたんだ。ナドトゥラの正体は……シオ様だ」

「えっ」

 メリウェザーは口に手を当てた。何か言おうとしたのを飲みこんで、ロードに続きを促す。

「俺たちを気にかけてくれていたんだよ。それで、灰の団の動勢を報告して、討ち入り前には助力を頼んでいた。もちろん、襲撃を成功させるためじゃなく、穏便に断念させるために……その計画が、アリアテが来たことで狂った」

「私が?」

 アリアテが問うと、ロードは頷いた。

「シオ様は、アリアテを皮切りに、俺たちが政府と――メンテス・ガヴォと戦うことになるだろうと言った。今の政府のなかでもガヴォに与していない役人たちの組織、【一角獣(ラ・パーン)】の存在を教えられたのはその時だ。何かあった時には、一角獣(ラ・パーン)を頼れってな」

「今こそがその有事というわけだ。ガヴォはお前たちを泳がせたままにはしない、一斉指名手配されているぞ」

 道化が差し出した数枚の羊皮紙は、ロードとメリウェザーのフリント兄弟、カレンの手配書だった。

「やだ、父さんに迷惑がかかるかしら」

「シオ様はいずれこうなることも考慮していた。何か、まだ俺も聞かされていないことが関係してるんだろうが……宿のことは心配ない、ラグナレクはイドラとローケンが守ってくれる」

「それなら、とにかく先を急ごう。早く決着をつけないと」

 勢い込んだアリアテに、道化が衣装を手渡した。

「話が済んだなら、全員それに着替え、我々に続くように。サルベジアまでは渡してやる。それ以上は、お前たちの手で進んでいけ」

 破壊した入り口に向かいながら、道化は思い出したように振り向いた。

「私はフレ=デリク。頼りになる道化師だ」

 アリアテとロードは珍妙な衣装に着替え、メリウェザーとカレンは男装し、エルウィンは女装して倉庫を出た。慣れないドレスを引きずるエルウィンを、フレ=デリクが呼び止める。

「お前、外見――髪や肌の色を変える力があるだろう」

「ですガ、これだけの人数になると力量不足でしテ」

「目の色だけなら、全員に魔法をかけることはできるか」

「それくらいでしタラ」

 衣装にはほこりが鬱陶しくまとわりついているが、それを払う余裕すらない。一行は緊張した面持ちで貿易船乗り場に向かった。

「道化一座、フレ=デリク一家です」

 フレ=デリクの弟子、アコーディオン奏者が先頭に立ち、あっさりと人数分の乗船券を購入した。

「サルベジアに巡業かい。戻ってきたらまた、港でも演ってくれよ」

「ええ、ぜひまた」

 使い回しの衣装さえ着ていれば、人がいくら入れ替わろうと、旅芸人一座は疑われない。フレ=デリクの、密航もまた生業だというのは事実だろう。

 堂々とした道化の後について桟橋を渡り、アリアテたちは巨大な貿易船に乗りこんだ。船の中でも、旅芸人一座は奇っ怪な服装を怪しまれない。さっさと船室にこもると、アリアテとロードだけは衣装を脱ぐ許可を得た。

「これ、熱い! ホコリっぽい!」

「何か、くせえ……」

「船室を出る時はこの二人のどちらかが、水魔道で姿を変えて行動しろ。私は隣の船室にいる」

 言い置いて、フレ=デリクは出て行った。ベッドは雑魚寝だが、五人が一堂に会してもそこまで狭い船室ではない。窓からの眺めも良かった。

「船って、波で揺られる独特の感じがあるわね」

「船室のほうが、甲板よりも揺れは少ないらしいデスヨ」

 ひまわり笑顔組はのほほんと構えているが、カレンは所在なさそうに歩き回っている。獣の本性が、陸地のない場所を心許なく思わせるのだろうか。

 そのうち、アリアテまでもがそわそわと歩き出した。

「何か食べる物を探してくるよ」

「船内でも金は要るんじゃないか。幸い余裕はある、乗船券の代金も後で返そうぜ。ただ、あんまり派手な買い物は目立っていけねえ」

「うん、気をつけるよ」

 変装を施され、食糧調達に行ったアリアテは、飲み物と料理が満載のワゴンをおして帰ってきた。

「お前なあ、言ったそばから」

「フレ=デリク一家だって名乗ったら、向こうが勝手に……」

 アリアテは後ろ頭を掻き、よく冷えた飲み物のボトルをそれぞれに手渡した。

「隣にも分けてやるか?」

「今は留守だよ。展望室で、さっそく芸を披露していたから」

 豪華な食事のなかには、乗船客がおごってくれたものもあるらしい。

「これからは気をつけないといけないのよ。素性の知れない人からものをもらって、毒でも入ってたら大変だわ」

「ある程度の毒でしたら私でもわかりマス。このお料理は大丈夫ですヨ」

 エルウィンは水魔道で料理や飲み物を調べ、カレンはしきりににおいを嗅いだ。

「手配されるっていうことは、手配した側の政府以外にも気をつけなきゃいけないってことなの。賞金稼ぎや暗殺者、それに、私たちを部下に欲しいと言ってくる地下組織とか。可能性は無限大よ? 聞いてる?」

 アリアテは骨付き肉を頬張りながら頷いた。

「私たちは、ガヴォの勢力が知られたくない情報を嗅ぎまわっているんですからね。いい? いつ、どんな強敵に襲われてもおかしくないのよ」

 頷きながら次の料理に手をのばすアリアテに、メリウェザーは額をおさえてため息をついた。だが、その口許は綻んでいる。

 大量の食事が五人の――ほとんどアリアテの――胃袋に消えた時、部屋の扉を叩く者があった。

「少しまずいことになった」

 若い男の飄々とした声。フレ=デリクの弟子の声だった。

「観客が、一座の他の者にも芸を披露させろと言っている。誰か一人でいい、来てくれないか」

「それなら俺が行く。この中じゃ、一番特技に特徴がないはずだ。言うと悲しくなるけどよ」

 名乗り出たロードに、エルウィンが水のコートをかけた。黒髪黒目になっただけで、全くの別人に見えた。

 人垣の中心に招かれたロードは、開栓前の酒瓶を並べ、低く腰を落とした。

(真空刃!)

 口のなかで唱え、手刀から三日月のような気の刃を飛ばす。風が空を切る音がして、常人には見えない白い刃が瓶の首を次々に落としていった。

 おおー、と感心する声があがる。展望室に集まった乗船客はさまざまで、共通点は、ほとんどがリメンタドルム帰りの観光客だということだけだ。貴族、商人、特徴のある民族衣装を着た町民など様子はばらばら、言葉の細かなイントネーションや訛りも違う。

 ロードは開けた酒瓶のひとつを譲られ、グラスとともに船室に持ち帰った。

「少しは場が治まったらしいぜ。それと、妙なヤツを見かけた」

 ロードの演技中、展望室の出入り口に立っている男がいた。目は合わなかったが、明らかにロードを監視している風だった。

「風防つきの帽子で髪の色やら顔やらは隠れていたが、色の白いヤツだった。立ち居振る舞いからして恐らく、軍役の経験がある」

 敵か味方か、または全くの無関係なのかはわからない。

「俺も、ガイほどじゃねえが、多少は気で相手のことがわかる……だが、妙なくらい特徴のねえヤツだった」

「ガイって呼ばないで。そうね、それってつまり、諜報員向きってことかしら」

 嫌な空気が流れた。だが、すでに尾けられていたとしても不思議ではない。

「私たちを監視している……それもきっと、サンタナシティ以前から」

 アリアテは腕を組み、眉をひそめた。

「ガヴォの手先か? でも、メリウェザーと図書館に行った時や、宿では何も感じなかった。私たちが十年前の内乱のことや、砂漠化の謎を追っていることは、知られていないんじゃないかな」

「いや、追跡のプロなら、ターゲットがその場を離れた後でも痕跡を見つけ出して、たとえばどんな本を探していたかも判っちまうらしいぜ」

 しん、と一旦会話が打ち切られたあと、エルウィンが口を開いた。

「我々の手配書が発行されたのは大会の直後デス。あの場で、ガヴォにとって都合のよくない何かが……」

「やっぱり、私にかけてもらった魔法が見抜かれたのが……」

 アリアテがつぶやくと、他の全員がじっとその顔を見つめた。

「水魔道が見抜かれたって?」

「あれ、言わなかったっけ……手合わせした時、ガヴォの目に映りこんだ私は、褐色の肌と赤い目をしていたんだ」

「どういうこと、聞いてないわよ」

 静かなざわめきのなか、エルウィンの顔色が変わった。

「まずいですネ。対抗魔法か魔法解除か、方法までは判りませんが……こうなると、ガヴォの配下も含めて変装は通用しないと思ったほうが良さそうデス」

「まあ、コソコソすんのは性に合わねえんだけどよ」

 ロードはあいまいな笑みを浮かべて、よし、と手を打った。

「こうなりゃ常に最悪の想定で動く! ガヴォ勢力にとって疫や砂漠化、海の消失、あと何だ、十年前の内乱と……首を突っこんでくる俺たちが目障りなわけだ。そこには、あいつらにとって不都合な事実がある。アリアテの持ってる妙な石――クオーレのことも把握していて、あえて海を探させるために海の(ウバス・オ・ラル)が手に渡るように仕組んだ。どうだ!」

「海の精霊は自ら姿を消した、と語られている。その理由がガヴォから逃れるため……という考え方も決して不自然じゃないわ。海の消失はガヴォの計画と、砂漠化は海の消失と、疫は砂漠化と繋がっていると仮定することもできる」

「しかし、権力と武力と魔力はすべて別物デス。一介の人間が、海の精霊を脅かすことなど……ましてや、その力を利用することなど可能でしょうカ?」

 カタリ、と磨き上げられた弓が床に置かれた。カレンは視線を床に落としたまま言う。

「そのカラクリの秘密が、我々の追っている様々な謎の答えと繋がっている」

 再び、長い沈黙がおりる。

(カラクリの一端を、ゲイル族である私が担っている……? ガヴォには、ゲイル族の力も必要なのか。それとも、この魔剣が)

 すべての逡巡と混線を打ち破り、船体が大きく揺れた。慌ててそばにあったものを掴む。エルウィンとカレンは備えつけのベッドにすがり、アリアテは微動だにしないフリント兄弟に支えられて揺れをしのいだ。

「何だ?」

 誰からともなくあがった声に応えて、船上からけたたましい半鐘の音が響く。

 船室を飛び出したアリアテを、慌ててロードが追う。エルウィンの放った数滴の雫が二人に追いつき、髪や目の色を変えた。甲板に出ると、十一時の方向に水柱が見えた。

「セイリュウだ!」

 誰かが叫ぶ。次いで、船員が甲板におしかける人々を船内に戻しにかかった。

「旋回する、甲板は危険だ! 戻って!」

「何かに掴まれ!」

 しかし、船はそのまま航路を直進していく。舳先は荒波に上下するだけで、左右のどちらにも傾かない。

「どうした、このままじゃ右舷に」

 再び高波が船を襲う。貿易船の巨体は模型のように頼りなく、ゆらゆらと大きく傾いだ。甲高い悲鳴があがる。

「落ちつけ、船室に戻るんだ!」

「おい、何してる」

 船員のひとりがアリアテたちを振り返った。アリアテはすでに抜刀し、ロードは気功術の構えをとる。

「お前は止めてもきかねえってのは解ってるつもりだ。けどよ、水の中の相手にどうやって斬りこむ?」

「気功は届かないのか」

「遠いうえに的がでかい。たいしたダメージにはならねえ」

 その間にも、船と魔物の距離は縮まっていく。

「青竜はレピオレン湖に巣食う魔物で、大小の船を襲ってヒト族や獣族を食う……だが、サンタナミルフ号の航路に出るとはな」

 貿易船サンタナミルフ号の航路は、レピオレン湖最大の珊瑚礁帯の上にとられている。湖や海の魔物は珊瑚を嫌う性質があり、自らすすんで近づいたりはしないものだ。

「どこの(たれ)その指矩(さしがね)か、野暮の里俗(りぞく)は一昨日おいで」

 しわがれた歌声とともに、情熱的なアコーディオンの演奏が始まる。

「お前たちは、操舵室で拘束されている船長の救助に向かえ」

 追い払うように手の甲を振って、フレ=デリクは展望室の張りだした屋根から跳んだ。体をひねり、欄干に着地したかと思うと、救助用の丸太を縛っているロープを切る。湖面を漂う丸太の上を跳んで、道化は道化らしからぬ動きで青竜の巨体に迫った。

 サンタナミルフ号の全長にせまる青竜の頭まで、フレ=デリクは暴れる竜の体を蹴ってのぼっていく。頭上からさらに高く跳んで、空中で錐もみのように回転し、鋭利な竜巻となった爪先で竜の眉間を穿った。

 どう、と倒れる青竜の起こした波より早く、フレ=デリクは後ろ向きに船へ飛んできた。甲板が迫ると、くるりと回転して着地する。道化の衣装の腰からのびた細いワイヤーは、弟子のアコーディオンに繋がっていた。

「まだ居たのか。早く行け」

 なかば追い払われるようにして、アリアテとロードは目を点にしたまま船内に引き返した。操舵室では、その分厚い扉を船員が代わるがわる叩いていた。

「鍵穴が潰されて開かないんだ。中には船長が」

 弱り果てた船員と交代し、ロードは気功術でノブごと鍵を壊した。突入すると、そこには縛られ、気絶した船長がいた。船長はすぐさま船員に救助され、ロードとアリアテが操舵室を調べたが、犯人の姿はなかった。

「これも追っ手の仕業、かな」

「そう思っておいたほうがいい」

 アリアテとロードは腕組みして客室に戻り、ことの顛末を仲間たちに話した。メリウェザーは、青竜の襲撃が仕向けられたものだとは考えにくい、と言う。

「『竜は天災。何者にも御すことあたわず』と言うでしょう。誰かの意図によって操るなんてこと不可能よ」

「竜はいろいろと規格外だからな、珊瑚礁も意に介さず、たまたま航路に現れただけかも知れない。船長を拘束して、船の針路を亜竜の出現ポイントに誘導した、竜以外の敵がいることは確かだけどな」

 アリアテは胸元のクオーレを軽くおさえた。

「クオーレや海の雫の魔力が竜を呼び寄せている、その可能性もあるかも知れないって、クオーレが言ってる」

 太古より竜は不可侵の存在。未知数の驚異についてあれこれ推測するアリアテたちの輪に、確信をもってエルウィンが加わった。

「ロードの言うように、ある程度は仕組める罠デス。亜竜の性質を利用すればできないことはナイ。どのような環境に潜み、どのような獲物を襲うか――かつて軍事利用を目論み植えつけた命令が、今もなお、亜竜の本能に遺っているのデス」

「軍事利用? 竜を? 命令を植えつけるって、そんなことできんのか」

 ロードはあぐらを崩して身を乗り出した。

「……亜竜は、かつて国軍が兵器として開発した人造生物なのデス」

 メリウェザーは呼吸が浅くなるほど驚き、つぶやいた。

「懲役の時に都市伝説として聞いたわ。まさか、本当に……」

「もっとも、軍事的実験はすべて失敗に終わり、生じたのはいずれも竜として不完全な個体。単純な行動をくり返すだけの生物なのデス」

 亜竜の存在すら知らなかったアリアテは、興味深くエルウィンを促した。

「エル、亜竜についてもっと教えてくれ」

「あまり気味の良い話ではないデスが……」


 ――竜の中でも比較的穏和な亜種の卵をさらい、魔法や呪術でがんじがらめにして孵した雛が亜竜実験の始まりデシタ。雛は不安定で、複雑なものや後付けの命令は通らず、意思の疎通もできナイ。失敗作(なりそこない)と呼ばれマシタ。呪詛のような実験を幾度くり返しても、それ以上の成果は望めず……

 雛が成熟すると、実用試験が行われマシタ。小国の小競り合いに投じた際は、あたりを焼きつくし瘴気を撒き散らし、数年は雑草も生えなかったと聞きマス。

 亜竜は、「兵器として組み込まれた命令」という本能にのみ従う。狩りをし、営巣し、繁殖するが、彼らの生存本能は「所定の場所で殺戮をくり返す」ためだけに発揮されるのデス。


 ロードは聞きながら宙に何ごとか書き、首を傾げた。

「たとえば青竜の場合『湖に潜んで船舶を襲う』って命令を書き込まれてるわけか……しかし、亜竜が軍の産物だとはな……一般人が知ればひっくり返るぜ」

「私たちは、亜竜を天災だと――無差別に村や町を襲っていると信じていた。根本には人間の命令があるだなんて、こんなに皮肉な話はないわ」

 そして思い至ったメリウェザーは、驚愕の眼差しでエルウィンを見た。

「セヴォーの悲劇」

 十年前の王弟家謀反の折、サルベジア大陸のセヴォーという町を襲った亜竜の群れもまた、何者かがその性質を利用して引き寄せたものだとすれば。

「シーナを女王に据えて利用するためにガヴォが仕組んだか、シーナが女王となるため自ら企てガヴォに協力させたか……国軍が、ついに亜竜を操作する方法を編み出したって線もあるだろう。可能性を考えると末恐ろしいな」

 メリウェザーは、ロードと同じ夕陽色の目を(かげ)らせた。

「亜竜の起源は、少なくとも普通の国民は知らないわ。国軍はあえて公表していない。機密事項なのね。エル、どうしてあなたは知っていたの」

 エルウィンは眉間にしわを寄せ、うつむいた。

「すみまセン、今はまだ……」

「ああ、いいの。ごめんなさい、変なことを聞いてしまったわ」

 メリウェザーの複雑な笑みがエルウィンの胸を抉った。

「セヴォーの件は、私的な陰謀によるものか、国軍による実験の続きだったのかは、計りかねマス。が、後者だとすれば、亜竜の群れが次に襲ったのはラティオセルム大陸だったかも知れない……」

「野生化してるが、今でも政府の監視下にはおかれてるんだな。ますます、国軍が亜竜に指図する方法を見つけた可能性が高い」

「そうね……亜竜を謀に利用するなんて、機密を知る者でなければきっと思いつかないわ。青竜の襲撃はガヴォの手の内と考えるのが妥当だわ」

 ずしりと重い空気のなか、アリアテは揺るぎない双眸を赤く燃やした。

「フレ=デリクは青竜を倒した。ヒトでも竜に勝つことはできる。簡単なことじゃないけれど、私たちは抗える」

 エルウィンは顔を上げ、丸窓の向こうに揺れる湖面を眺めた。

「これから向かうサルベジアは亜竜の巣窟。亜竜じたいも脅威ですが、ヒトの力で竜を退ける国軍の一部隊【竜伐隊】もまた、我々の脅威となるかも知れマセン……彼らは、亜竜に対抗するためだけに結成された。皮肉な話ですネ」

 カレンが弓を手入れする衣ずれと、船体のわずかな軋りが混じりあう。弦の張りを確かめながら、カレンが言った。

「命令だけを本能と、生きるべき意味として与えられた存在。ヒトも亜竜も悲しい生き物だ」

 亜竜が度々、群れなして人里を襲撃するのは、抗えない本能ゆえか、それとも復讐のためか。



………………………………………………………………。

「亜竜とはいえ、あれはほとんど魚ですよ。ええ、フレ=デリクが。ですから、ご心配なさるようなことは……」

 影に生きて十年、すっかり色の抜けた肌を隠すようにして、男は帽子の風防を口許にあてた。縫いつけた呪符を通して、心配性の主をなだめる。

 少しして、男は埃をかぶっている無線を手に取った。呪符を貼りつけ、対の呪符を持つもう一人の主に繋ぐ。

「青竜は撃退されました」

『アマルドへの入国を促せ。子細はクスハの指示を仰げ』

 男は了解して通話をきり、何食わぬ顔で客室通路を歩く。船員として潜伏している軍人、クスハとすれ違いざまに指示書を受け取った。

 ――船乗りになりすまし、アマルド寄港を待て。手筈通り黒猫をうまく逃がせ。

 指示書にはクスハの陽動作戦と、主の計画が記されていた。

(胸の悪くなるような筋書きだ)

 男は首を振り、デッキブラシとバケツを持って甲板に上がった。指示書はバケツの中で海水と混ざり合い、跡形も無く溶けていった。

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