リメンタドルムの最終決戦
翌日、弓技試合のため、カレンは少し早めにリメンタドルムへ向かった。衣服で獣族の特徴を隠し、他の選手に混じって、大会用に貸し出される弓矢で的を狙う。武器には、使う者のくせが出る。大会のために新調された弓を馴らすため、選手たちは何度も的を射たり、構えを調整したりした。
その中で、矢を一本も射らずにいたのは、カレンともう一人の出場者だけだった。
「獣族だな」
他の選手が控えのベンチに戻っていったあと、その女選手はカレンを呼び止めた。
「だからどうしよう、ということはない。ただ、気配で、そうではないかと思っただけだ」
女はその後の会話を望まず、言うだけ言って、さっさと控えのベンチに向かった。
弓技試合は静かに始まった。昨日の障害物試合から円形舞台は取り払われており、選手たちは囲いの中で的を狙った。
「舞台上で的を狙ったら危ないもんね」
「まあ、それで的を外すような腕じゃ、ここには出場できないだろうけどな」
ロードとアリアテは、ドロドロした緑色の飲み物をすすりながら見物していた。初めは顔をしかめていたメリウェザーたちも、倣って緑色の液体をすする。
「意外と美味しい」
「野菜を煮つぶして冷やしたものだ、お肌にもいいんじゃねえか」
のんびりした彼らは、カレンの勝利を疑っていなかった。
「おい、あの女すげえぞ」
そのどよめきが広がってくるまでは。
数人ずつ出ては的を射る、その難易度は甲・乙・丙・丁と上がっていき、やがて、戦場の敵兵のごとく動く的が現れた。その人型の的の中心を、女選手の速弓が次々に射貫いていく。
「名前は」
アリアテは手書きの一覧表を確認した。トーナメント形式ではないため、選手の名前は箇条書きされており、どれがあの女選手の名なのかはわからない。
女選手は独特の構えをとっていた。短弓を横に寝かせ、弦を手の甲の側に出し、腕から中指までの直線上に矢を滑らせる。一度に放つ矢は一本ずつだが、あまりの早撃ちに、三本の矢を同時に放ったように見えた。
「ありゃ、狩人じゃねえか?」
近くの特別観覧席から、そう驚嘆する声があがった。
「間違いねえ、あの構え、機械弓の構えにそっくりだ!」
「狩人だって? 本当か。内乱で死んだんじゃなかったのか?」
そのざわめきは渦のように大きくなっていく。
「狩人って?」
アリアテが振り仰ぐと、ロードは空の容器を潰しそうなほど握りしめていた。
「かつての精兵連の一人、機械弓の狩人だ! 女だったのか……」
その目は、少年のようにきらきらした憧憬を浮かべていた。
「一矢必中、たった一本の矢で敵を絶命させる、凄腕の弓師だぜ」
「落ちついて、そうと決まったわけじゃないでしょ」
なだめるメリウェザーの声も届かないほど、ロードは熱狂していた。狩人は救国の英雄にその名を連ねてはいないが、精兵連として立てた武功は数知れない。その名を聞くだけで、敵兵や野盗は震え上がったという。
調子よく、小気味よく、女の矢は的を射貫く。騎馬を模した素早い的にも、迷い無く中心に一矢を突き立てた。女は歓声をうるさそうにして控えに下がっていった。
その後、カレンも健闘したが、動く的にはわずかに中心に及ばず、女選手に優勝をゆずった。
「すまない、彼女には敵わなかった」
清々しく笑うカレンに、アリアテたちもまた笑顔を向けた。
「すごい試合だったよ。頑張ってくれてありがとう、お疲れさま」
女選手は誰とも一言も交わさず、特別観覧席に戻った。その先で、「クーン!」という歓喜の声が上がった気がした。
弓技のあと、昼食を挟んで午後からは、小休止のパフォーマンスが行われた。器楽演奏、歌に踊りに、ちょっとした一発芸。大道芸人もジャグリングやパントマイムなどを披露して、演目は観客を飽きさせないテンポで進んでいった。
「おい、観客や選手からも参加者を募集してるって話だぜ」
「そんなことで目立ってどうするんデス。いくつも優勝を勝ち取っている時点で、同時にリスクも上がっているんですヨ?」
エルウィンが尤もな反論をしたのは、ロードが水魔道で何か披露してこい、と暗に言っているのが判ったからだろう。
ちぇ、と地面を蹴って、ロードは落っこちそうなほど身を乗り出しているアリアテの腰帯を掴まえた。
「お前も、もう少し落ちつきを持てよ」
「あの道化師、昨日メリウェザーと見たんだ!」
舞台には昨日の道化師がいた。ひとしきり、仔犬に追いかけられて逃げ回る滑稽なマイムを披露してから、足を高く上げ、わくわくする調子の軽快なダンスをした。おどけて、観客に手拍子をせがむ。観客が乗ってくると、ダンスは激しさを増し、飛んだり跳ねたり派手な動きで喝采をさらった。
道化が拍手に応えるように宙返りした、その時、カランと乾いた音がして、舞台に仮面が転がった。音楽が止む。失敗か、と観客が舞台を覗きこむと、道化はぱっと顔を上げた。あからさまな「困った顔」が描かれた仮面をして、落としてしまったほうの仮面を手振りも大げさに探している。あはは、と方々から笑いが起こった。
道化は仮面を見つけると大喜びして、胸に抱いて頬をすり寄せ、気がついたように深々と一礼した。拍手のなか、なかなか帰ろうとしない道化を、アコーディオン奏者が引っぱっていく。舞台の裏手からリメンタドルムの外へと帰って行くまで、彼らは観客をくすりと笑わせ続けていた。
「あいつ」
ロードは感心したように顎をさすって、オレンジの道化たちが去ったほうを眺めた。
「どうかした?」
「いや、相当な鍛錬を積んでると思うぜ、あれは。あれだけの技術を人を笑わせることだけに使うなんて、もったいないというか」
「きっと真剣なんだ、誰かを笑顔にするってことに」
昨日、あの道化と目が合った時のことを思って、アリアテはしばらく彼らの去ったほうを見つめていた。
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帰り道、アコーディオン奏者は道化の急襲を受けていた。
「痛えっ」
「テンポがズレたぞ、大舞台で緊張したか。未熟者めが!」
「あんたが、急に拍を速めるからだろ!」
「観客の拍手の調子に合わせるのだ、そのくらいできんか!」
「痛え! ちょっとは加減しろ、この、鬼!」
言い合いながら、二人は宿へと、長い影を引きずって去って行く。その途中で、道化はふとリメンタドルムの高い壁を振り返った。自然と、手が胸へと添えられる。
足を止めた師を振り返った弟子もまた、倣って手を胸に添えた。彼にとっては見知らぬ人物だが、師にとっては非常にたいせつな人らしい。
「行くぞ、お前を鍛え直してやらんとな」
しわがれた声がさらりと言って、師は弟子をおいて歩き出す。
「勘弁してくれよ、三日寝ずに馬車を飛ばして間に合わせたんだぜ……」
弟子は泣き言を言いながら、アコーディオンの大きなケースを抱え、師の後を追う。追いつくと、影を踏んだな、と理不尽な横蹴りを食らった。
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五日目の午前中は棒術、午後は舞脚の試合が行われる。午前中は情報収集に費やしたが、午後の舞脚試合は、ロードの希望で観覧することになった。
「悪いな、付き合わせて」
ロードに気功を教えてくれたラフト族の師が、どうやら舞脚の使い手だったらしい。
「それで、懐かしくてな……まああのオバハンは出ないんだけどよ」
トーナメント表には、ロードの師の名前はない。
いざ始まってみると、第一試合一回戦から会場は荒れた。というのも、出場者が精兵連の青年だったからだ。
バルコニーを確認すると、アイーシャの姿はない。
「代わりに連れてきた護衛か……とことん、自分の部下を目立たせるのが好きみたいだ」
「まあ、それで観客は沸くんだから、サービスってとこだろう」
一回戦は圧倒的な力の差を見せつけ、精兵連が余裕の勝利を収めた。青年は自分の腹部に刻まれた大きな刀傷を撫で、対戦者に言い放った。
「クカカカ、このディエロと脚を交えたこと、光栄に思うがいい」
嫌味な物言いだが、対戦者が納得するだけの実力差がある。さすがは精兵と名乗るだけはあった。
二回戦は、試合前、一方の参加者が簡単な舞踊を披露した。
「踊ってる……ってことは、あいつ、獣族だ」
完全にヒト族と同じ姿をしているが、その独特な戦闘前の踊りは、彼がラ・カラ族である証だとロードは言った。
「ラ・カラ族は本来、ギドロイの辺境にいる部族だ。偶然かも知れねえが、元精兵連にもラ・カラ族の戦士がいたって話だぜ。狩人と同じく、内乱で姿を消している」
その話を聞いているうちに決着はついていた。大きく弧を描いてしなる脚に文字通り一蹴され、対戦相手は舞台の下に消えた。
「へへっ」
ラ・カラ族とおぼしき男は、まるでウォーミングアップにもならなかった、というように不適な笑みを浮かべた。
第二試合、第三試合と進むと、多くの観客の予想どおり、精兵連ディエロとラ・カラ族らしき男が残った。
決勝戦で、ディエロは相手を名指しして挑発した。
「人間の真似事はやめろ、ザハカ。あんたの本気を見せてもらおうじゃないか」
ディエロは足首に巻いていた筒状の布を外した。布は、どすりと重低音をたてて舞台に落ちる。
対するザハカは、背をかがめ、獣の本性を露わにしてニタリと笑った。
「こんなところで再会するなんて感激だぜ、ディエロ! 残念ながら、大会じゃ殺しは御法度なのよ……だから手加減してやらあ」
挑発に挑発を返し、激情したのはディエロのほうだった。
「相変わらずの、減らず口がっ!」
大きく跳躍し、ディエロは三歩、強く地面を蹴って回転する。
「円舞脚!」
ヒン、と空気の鳴く音が会場に響く。ディエロの回転する脚がかすめた舞台は削れ、スジがついた。
「おいおい、灰鋼ライム石だぞ?」
ロードは引きつった笑みを浮かべる。
その脚をふらりとかわし、ザハカは正確にディエロの軸足を狙った。引っかけられ、体勢を崩しながら、ディエロは二の脚を振り下ろす。それを蹴って退け、さらに続く脚の連撃をくぐってかわし、ザハカはディエロの剥き出しの腹に蹴りを食らわせた。
「くっ」
宙返りして体勢を立て直したディエロに、ザハカは余裕の笑みを返す。
「ヒゲを狙ってきやがったな。わかってるじゃねえか」
ザハカの頬には一筋の赤が走り、右側のヒゲが短く切れていた。
「これでやっと五分に近づいたな、ディエロ」
さらに挑発して、ザハカは自分の長い尾をとり、くるくると回した。なめられて頭に血が上ったディエロは、体を低くして次の技を仕掛ける。
「夜、奏、脚!」
ディエロの姿が消えた。観客にはそう見えたが、かろうじて、アリアテは眼で追うことができた。そしてザハカはしっかりと捉えている。
姿を消すほどの速度は攻撃の重みに変換される。五拍子の複雑なリズムを刻み、ディエロは不規則な角度からザハカを蹴り上げる。三発は入ったようだが、ザハカは動じず、不意に姿を消した。
「今度は、ザハカ選手が消えたっ! どこに行ったのか!」
審判が叫ぶと、ディエロは足を止めて上空を睨んだ。リメンタドルムも飛び越せようかという高所に、体を丸めたザハカが回転している。
「おお、あんなに高く!」
驚愕する人々の声は、相対する二人には遠く、丸きり外のことだ。
そのまま落下してくるザハカの軌道から外れようと、ディエロは舞台を蹴った。しかし、ザハカは巧みに空中で重心を動かし、ディエロを追跡して、強烈なかかと落としを食らわせる。
「ずあっ!」
ディエロはとっさに脚を振り上げてこれを受けたが、耐えきれなかった。嫌な音がして、ディエロの脚は不可思議な方向に折れ曲がる。
「ぐああああっ」
堪らず声を上げ、もんどりうつディエロから、ザハカは距離をとった。負傷して決着はついた、そう誰もが思う状態からも、ディエロは鋭い脚の一撃を繰り出した。だが、すでに離れてしまったザハカには届かない。
「諦めな。お前は強いが、俺とは、くぐってきた死線ってヤツの数が違う」
ディエロは悔しさに歯がみし、舞台を叩いた。
「おっと、手を使うのは反則だぜ~」
ザハカはしゃあしゃあと言って舞台を下りる。ディエロは、介抱しようとする審判の手を振り払い、迎えに来ていた兵士の肩を借りて退場していった。
「俺だって、時代が違えば……」
ディエロが兵士になったのは十三年前、わずか十二の時。それまでは道場で修行に励む僧兵の身だった。この頃には、ラティオセルムとサルベジアは完全にひとつの国に統合され、他国との小競り合いも落ちついていた。ちょうど、戦争らしき戦争がすべて終結した時代だった。
だから、再び乱世が訪れ、「経験」の積める時代がくれば……とディエロは望んでいる。純粋に、曲がった方法で強さを思い求めている。
(そうしなければ、俺は頭打ちだ……俺には足りない、あいつの言ったように、死線をくぐる経験が足りない!)
「くそォっ!」
悔しがるディエロは、従事する白魔導師に治療を受けた。多少の麻酔効果はあるが、骨が再生する壮絶な痛みと痒みは、屈強な戦士でも気を失うほどだ。それを耐えて、何事もなかったかのような顔をして、バルコニーの観覧席に戻った。
ヴェイサレドが労おうと口を開いたが、それより早く、ディエロの仕える主が言った。
「健闘したな」
ディエロは堪らなく恥ずかしくなって顔を背けたが、メンテスは上機嫌だった。
「元精兵連が二人、これは偶然ではなかろう」
「姿を消した時期も同じですので、或いは、競合して出奔したものと思われます」
「だろうな。だが叛意はない、そうでなければ国が主催する大会に顔を出しはしない……放っておけ」
ヴェイサレドは一礼し、ディエロに椅子を勧めたが、彼はもう平気だと脚を叩いてみせた。
「いずれ、俺はヤツより強い戦士に勝ってみせます」
悔しさのにじむ拳を気がかりそうに見つめて、ヴェイサレドは円形舞台に視線を戻した。ちょうど向かいに見える特別観覧席を注視すれば、筋骨隆々の男と、金髪の少年の姿が見える。
六日目は、乗馬技術を競うための障害物コースが築かれ、大がかりな試合となる。そのために前日の夕刻から作業が始まり、午前いっぱいまでかかった。
午後になって、アリアテたちがリメンタドルムを訪れると、すっかり馬場のような様相になっていた。
生け垣やハードルに加え、泳がねば渡れない深い池、丘のような起伏、ぬかるみなどが配置され、ベンチには揃いの装束の白魔導師たちが控えていた。
リメンタドルムの裏口と会場を繋ぐ通路には急ごしらえのゲートが作られ、出走馬が順に会場に入り、全六名の乗騎がそろった。乗馬、とは銘打ってあるが、第一出走ではカンガルーやロバ、レフトバードも出場していた。
「はじめっ!」
審判の旗が振られると、六名は一斉にスタートした。生け垣を越え、ぬかるみを抜け、丘の起伏を越えて池を目前にする。カンガルーは陸地の生き物だが、騎手を沈ませずに、器用に水を蹴って渡っていった。その太い尾を追うようにして、二頭の馬が続く。レフトバードはかなり水を嫌がっていたが、騎手がなだめすかすとようやく池を渡りはじめた。
ロバは騎手に綱をひかれて従順に池を渡っていたが、馬がたてる波に呑まれ、騎手が溺れた。白魔導師の一人が障害物を避けつつ、騎手を救出に向かう。
その先の連続ハードルでカンガルーが騎手を振り落とした。後続の馬に蹴り飛ばされた騎手を、別の白魔導師が救助に向かう。
「何だか、他のどの競技よりケガ人が多いね」
アリアテは別の意味でもレースから目が離せなくなっていた。完走したのはレフトバードと馬二頭で、無人のカンガルーがちょこんとその列に並んでいる。
第二出走では、誰の目にも鮮やかな白馬に跨がるアイーシャの姿があった。途端に、会場がわっと沸き返る。
アリアテからアカイモ揚げをもらいながら、ロードは苦笑した。
「おいおい、元騎馬近衛兵団の団長さまだろ。勝負になるかよ」
ロードが言った通り、アイーシャとその馬の実力は群を抜いていた。障害物は最低限の動作で越え、ぬかるみを平地のごとく走り抜け、丘をギャロップする姿は絵画のように見事だった。そのままの勢いで優雅に池を泳ぎ、濡れた脚でも揺らがずにハードルを飛び越す。アイーシャは重心を移し、馬脚を整え、馬が最もやりやすい状態でハードルに向かわせる。
「さすが、戦女神さま! 華麗なる人馬一体をご覧ください!」
彼女と白馬がゴールした時、他の馬は池を泳いでいた。
颯爽と鞍を下り、アイーシャは愛馬を労いながら退場していく。彼女のたたき出したレコードは参考までに発表され、優勝したのは、次点の騎馬だった。
「試合に華を添える役割か。実力者をまるで道化みたいに使いやがって」
ロードは後ろ頭を掻き、アリアテからアカイモ揚げを取ろうとして手の甲をつねられた。
「痛てっ なにすんだよ」
「私のアカイモ!」
アリアテはいつの間にか激減しているアカイモ揚げの袋を抱え、恨めしそうにロードを睨んだ。
「わかったわかった、悪かった。帰りに買ってやるよ」
アリアテをなだめすかして、ロードは小さな肩をぽんと叩いた。
「ただし、明日は大事な剣技試合だからな、食べ過ぎて腹壊すなよ」
アイーシャは内乱当時、狭い城下町を騎馬で駆け抜け、分家の差し向けた凶悪な囚人たちから民を守ったのだという。
「当時は、囚人は城の地下牢に収監されていた。それを分家が混乱を狙って解き放ったらしい。事実、騎馬近衛兵団は本来の職務をとかれ、城下町の守備に回ったからな……そうして混乱を起こし、戦力を削いで、分家は本家を討った」
「分家の当主は、名前も知られていないんだね」
宿屋に戻り、借りてきた本を開きながらアリアテは呟いた。シーナの即位までの話に、内乱について触れた項目がわずかにあった。
「忌名だ。それまでも、分家とはいえ王族を名指しするわけにはいかなかったからな。近親者や臣下くらいしか、本名は知らない」
「私たちはただ、王弟陛下、とお呼びしていた。具体的に何をなさっていたのかもよくわかっていないわ。それで、あって無いような扱いをされたのが許せず反乱を起こしたのだ、と考える人もいる。本当のところはわからない」
「王弟陛下には家族もいらしたとか……ただ、その家族にしても忌名ですから、あって無いような扱いというのは的を射ているかもしれマセン」
「尊ぶふりをして、存在しないように扱っていた、ということか」
カレンは弓を削りながら呟いた。
「最初に剣を振り上げたのはどちらだと思う?」
その言葉に、全員の視線がそろそろとカレンに向けられる。
「私には、ヒトの世のことはわからない。だからこそ疑問に思うが、どちらが先に剣を振ったのか。あって無いような存在だからこそ、押しつけられたことも多いのではないか」
それは、獣族における人間との合いの子――カレンのような存在にも当てはまることだった。
「それじゃ、分家と本家との間に何かの取引があって……」
言葉に詰まったメリウェザーの続きを、ロードが継ぐ。
「分家は口封じのために逆賊に仕立て上げられた。しかし抵抗が激しく、仕掛けた本家のほうが滅ぼされた」
「事態の収拾のために、【救国の英雄】たち……つまり、本家方の家臣たちが決着をつけタ。と、いうことでしょうカ」
でも、とアリアテが異を唱える。
「皆の話を聞くかぎり、分家に、国家である本家に対抗できるだけの力なんてあったんだろうか?」
「勢力が寝返れば可能よ」
メリウェザーはぎゅっと拳を握った。
「もし、【救国の英雄】たちが当初は分家についていたとしたら。そして、弱小勢力のほうを勝たせた後、罪を着せて……み、皆殺しに」
かた、とその細いようで屈強な体が震える。
「想像でしかねえが、辻褄はあう。すべてはメンテス・ガヴォの書いた、国を乗っ取るためのシナリオだった可能性だ」
「ただ、分家の人々がどのような人物であったか、当時の国王がどのような人物であったか、我々は知りマセン。それは【救国の英雄】に対しても同じコト。焦って結論を出すのは危険でショウ」
しん、と水を打ったように静まりかえった室内に、ぐぎゅう、という腹の虫の不平が響く。
口を開けたまま真っ赤になっていくアリアテに、メリウェザーとエルウィンがひまわりのような笑顔を向けた。
「そうね、お腹すいちゃったわね」
「空腹でものを考えるのは良くないデス。ちゃんと脳に栄養を与えたほうが、いい話し合いができるでショウ」
夕食をとりに宿を出る時、アリアテの懐でクオーレが快活に笑った。
「君は、場を和ませるのがうまいなあ」
「放っておいてくれ……最近、あまり喋らないね」
思い出したように見つめるクオーレは、オレンジに濃紺をさした階調を映す。
「その必要がないからさ。いいことだよ」
――君に、頼れる仲間たちができて良かった。
心から安堵しながら、クオーレはアリアテを急かした。
「ほら、置いていかれるぞ」
翌朝はあいにくの天気で、リメンタドルムの天井には魔法の障壁が張られていた。時折、空の端に稲妻が走る。
「さあ、第七十五回、リメンタドルム武芸大会もいよいよ最終日となりました! 参加者たちの熱い戦いに敬意を表し、締めくくりとなる剣技試合の開催に際しまして、皆さま、盛大な拍手を!」
司会の口上とともに、会場を揺らすような大喝采が起こる。それが静まってから、いよいよ剣技第一試合の一回戦が始まった。
剣と一口にいっても大剣、小刀、双刀、円刀など、参加者の得物は様々。その戦いの型も様々で、まさに見た目では予想の付かない戦闘がくり広げられる。
それぞれの持つ剣は、得物を忠実に再現した木剣であり、重篤なケガを負わせることはない。よって、相手にどれだけ木剣が当たったかで技術点が入る。得物を手から落とすことができれば一本となり、決め手が三本で勝利となる。
一回戦、大剣の男は円刀使いを相手に奮闘した。たびたび、大剣の刀身を足場代わりにされたが、持ち前の力と手首の振りで、器用に振り払う。円刀使いが着地を誤ったところへ一撃をたたき込み、一本は取られたが、三本を先取した。
続く二回戦は荒れた。
「警告! 両者さがって!」
小刀使いと双刀使いの戦いだったが、小刀が相手に深手を負わせたのだ。不利を感じた小刀使いが、こっそりと木刀の刃を研いでいたのが原因だった。
「違反を認め、この試合を双刀のレタの勝利とします!」
審判が下されると、小刀使いは兵士に連行されていった。しかし、双刀使いのレタのほうも試合が続けられる状態ではなく、治療のために棄権した。
三回戦、アリアテは同じ長剣使いと相まみえる。
(死の砂漠、疫、重税、圧政、獣族をけしかけるような法律)
両者の打ち合いは互角。アリアテは正面から相手の剣を受けとめながら思案する。
(共倒れになった王族の本家、分家。いま女王として君臨しているシーナ)
様々な思考を打ち破るように、やっ、と打ち込んだ一撃で相手の剣を弾き飛ばした。
「一本!」
相手の目に映っている自分は、金髪碧眼の色白な少年だ。だが、本当のアリアテの肌は浅黒く、髪は黒々として、眼は赤い。
(ゲイル族)
全く似ていなかった姉。自分は何者なのだろうか。
思い悩みながら、アリアテは再び相手の剣を打ち、地面に叩きつけた。真剣ならば切っ先が折れたはずだ。
「一本!」
あとのない相手と向き合い、アリアテは頭を振る。
(今は、試合に集中するんだ)
き、と相手を見据え、打ってくる太刀筋に合わせて刀身をいなし、くるりとすくい取るようにして手から弾く。カラン、と乾いた音をたて、相手の木剣はアリアテの後方で転がっていた。
「一本! 勝者、ソード!」
ムジナ、という名も知られている可能性がある。メリウェザーは剣技にちなみ、そのままの偽名でアリアテを登録した。
アリアテは一礼して控えにさがる。
「次は、第二試合二回戦の出場となります」
頷いて、係員の差し出す水をとり、頭から被る。何も考えずにそうしてしまったが、幸い、エルウィンの魔法はいっさい揺らがなかった。
剣技は参加者が多く、第一試合は四回戦まで行われた。
女性剣士どうしの白熱した戦いは、互いに惜しいところまで相手を追い詰めては逆転され、紙一重の差で一方が勝利した。
第二試合一回戦は、補欠だった選手が数あわせのために出場したが、あえなく大剣のサビとなった。続いて、二回戦でアリアテと女剣士が対峙する。
「あなた、やるわね」
女剣士はアリアテの実力を認めたうえで、真正面から向かってきた。それをアリアテも真正面で受ける。力の押し合いでは拮抗している両者だったが、組み合いからの抜け方に関しては、アリアテの方が上手だった。
(相手の力を利用する……そして、いなす)
顔も知らない兵士が教えてくれた、そして、イオスに眠る誰かが教えてくれた剣技をなぞる。
(今は誰かの太刀筋でも、いつかは私の太刀筋に)
その願いをこめて、女剣士の剣を弾き飛ばした。
アリアテは、見た目にはあっさりと、当人同士の認識では僅差で女剣士に勝利を収めた。
「いいぞ、勝ち進んでる」
拳を振るロードから少し距離をとって、メリウェザーもガッツポーズをとった。
決勝で大剣使いと対峙したアリアテは、その俊敏さに面食らった。男はアリアテ目がけて走り込み、あっという間に間合いに入られた。アリアテは地面を蹴り、ふわりと男の頭上を越えてやり過ごす。着地した瞬間、大剣が喉元にぴたりと寄せられていた。
「一本!」
普通の剣ならここから逆転も望めるが、真剣の大剣相手なら間違いなく首が飛んでいた。アリアテは情けなさに首を振り、もう一度男と対面する。
(だめだ。飛んだり跳ねたりするのは、私の剣には合わない……私の、知っている剣には)
今は技術が足りないから、教えられた剣技を正確になぞらなければ勝てない。アリアテは気持ちを落ちつけ、再び突進してくる男を見据えた。
(相手の大きさや勢いは関係ない。することは同じだ。合わせて、いなす)
ぐ、と力が入る肩を揺すってやわらげ、アリアテはカチリと切っ先を大剣に合わせた。そのまま相手の太刀筋をなぞるように受け流し、いなす。
意外そうな顔をした男と目が合った。瞬間、アリアテは屈みこみ、立ち上がる勢いで男の大剣を弾き飛ばした。
「おおっ」
会場から驚嘆の声があがる。
「大剣を真っ向から迎え撃つとは無謀、と思ったが……よく慣れているな」
男は感心して大剣を拾い上げ、アリアテと向き合った。
「次は、そちらから打ってこい!」
アリアテは着実に地面を踏み、速歩の速度で男に打ちかかる。下に寝かせた剣を振りあげるように刀身をぶつけると、男の手は震えた。
(小僧だが、重い剣だ)
男は負けじと押し合うのだが、アリアテにとっては力が入れやすく、男にとっては何ともやりにくい角度ができあがっている。やがて、男は力でおし負け、剣を落とされてしまった。
次は男が打ち込み、アリアテは一本を取られたが、剣を手放すことはなかった。
そして互いにあとのない勝負、両者は舞台の中央で切り結び、全身全霊をかけて打ち合った。
「うおお!」
男が振りかぶった大剣の刀身に剣を合わせ、アリアテは男の懐にすべりこみ、顎の下に切っ先をあてた。
「そこまで、一本!」
大剣の大ぶりな刀身では、ここまで懐に入られては応戦できない。男は潔く負けを認め、アリアテの肩を叩いた。
「負けた俺が言うのもなんだが、見込みがある! 精進されよ」
アリアテは頷き、男のあとに続いて舞台を下りようとした。
「ああ、ソード君。ちょっとお待ちを」
それを審判に呼び止められる。ふと見回せば、会場はそわそわと落ちつきなく、人々はざわめき、観覧席のロードたちが何か言おうとしているのが見えた。
「手合わせ願おう」
それは、いつかどこかで聞いた声だった。
アリアテは獣のような反射で振り向き、身を低くして剣を構えた。
「で、ではソード君。こちらに」
最初の立ち位置、舞台の中央に促され、相対する。メンテス・ガヴォは、木の刀身に綿を巻きつけた不格好な木剣を手に、余裕の笑みを浮かべていた。
「開始!」
その声とともにメンテスは深々と一礼する。極位極官の国家大臣が、何の位も持たない一般市民に向けて行う所作ではなかった。会場の声に後押しされる形で動揺したアリアテは、メンテスがゆっくりと振った剣に慌てて返す。
「緊張するな、せっかくの時間を楽しもう」
メンテスは笑って、アリアテの切っ先を導くように剣を振るう。自然と、剣に振られて足が動く。ぎこちない動きが、型にはまったようにくり返された。
二人の試合を見ていたメリウェザーは、困惑に満ちた表情で言った。
「何だか、戦っている感じとも、鍛錬をしている感じとも違う」
当のアリアテは、目の前にしたメンテス・ガヴォという男の異様さと圧力に屈しかけていた。気味が悪い、と思うと同時に、なぜか、心が許せるような気がしていた。
(だめだ、騙されるな)
何とか踏みとどまって、メンテスの型を抜け、師をなぞった剣を振るう。しかしそれは、ことごとくメンテスには当たらない。
「ジーンの剣に振り回されているうちは、私には勝てない」
メンテスはごく楽しそうに笑んで、アリアテの視界から消えた。背後の気配に気づき、振り返るが、そこにもメンテスの姿はない。
嫌な汗が伝う。
とん、と柔らかな感触がアリアテの肩を叩いた。恐るおそる振り返ると、一瞬で剣を弾き飛ばされた。
「一本!」
審判が思い出したように叫ぶ。アリアテの手から弾かれた剣は宙を舞い、メンテスの空いた手におさまった。
「待ってくれ、ジーンって誰だ」
敬語を使うことも忘れて問うアリアテの頭に、大きな手が置かれる。
「楽しかったよ……もっと別の形で約束を果たせれば良かったが」
鴇羽色の目が細められる。その目に映っているアリアテは、褐色の肌に黒髪の、目が赤い少女だった。
あっけにとられるアリアテを置いて、メンテスは木剣を審判に托し、さっさとバルコニーに戻っていった。
――約束。
頭が割れそうに混乱している。アリアテはふらつく足で舞台を下り、刺繍を待つ間、その場にうずくまっていた。
「そうショックを受けるなよ、坊主。お前さんはかなりやったぜ? それにほら、優勝したじゃねえか!」
刺繍の職人に励まされたが、アリアテは上の空だった。落ちこんでいるのではない。戸惑っているのだ。
(メンテス・ガヴォは私たちの敵になり得る可能性が高い。それなのに……嫌な感じが、しなかった)
最初、バルコニーに立っていたメンテス・ガヴォを見た時は、言い知れない恐怖と嫌悪感がわきあがった。だが、いま向き合っていたメンテスにはそれが感じられなかった。
(約束。約束って何だ?)
頭を抱えるアリアテは、迎えにきたロードに抱えられて観覧席に戻った。
その後、アリアテの意識は途絶えている。目が覚めた時は、宿のベッドに寝かされていた。メリウェザーの心配そうな顔が覗きこんでいる。
「気分はどう?」
「……夢を見ていた、と思う。大会は?」
「俺たち、チーム宿屋の総合優勝さ。賞金たんまり、優勝記念にでっかい宝石までプレゼントされて、閉会セレモニーのあいだじゅう舞台に立ちっぱなしだ。もちろん、俺はお前を背負ったまま」
そう、と瞬きして、アリアテは輝いているクオーレを手に取った。
「……ねえ、そのでっかい宝石って」
「これデス」
その宝石はエルウィンの首にさがっていた。深い青を映した、クオーレの対の存在。
「それ! 何だっけ」
アリアテは飛び起き、クオーレを見つめた。
「そう、ウバス! 【海の雫】!」
全員が、ぎょっとしてエルウィンのさげた宝石を見た。
「これが?」
メリウェザーは恐るおそる、エルウィンから宝石を受け取って、アリアテに見せる。
「これがあると、海の精霊の居場所がわかるらしい」
言って、アリアテが手にとると、海の雫は澄んだ光を放った。青い光が収束して、一点を示す。
「俺たちが触っても何も起きなかったぜ」
「おそらく、そのクオーレという石と関係があるのだろう」
カレンの一言に納得して、一行は光の示す方向を見る。今は宿の壁の一点を示しているが、外に出れば、より先を示してくれるだろう。
「私が持ってるとずっと反応して光るみたいだから、普段はエルが預かってくれないか?」
「畏れおおいですが、承りマス」
エルウィンは恭しく海の雫を受け取り、首からさげ、懐にしまった。
その夜、アリアテは再びあの夢を見た。
「ねえ、たかいたかーいして!」
アリアテは、誰かにそれをねだっている。せいいっぱいのばした小さな手を、その誰かはすくい上げて、アリアテを頭上に掲げた。
「わあ、たかーい!」
きゃあきゃあとはしゃぐアリアテを胸までおろし、彼はアリアテのふくふくした頬をくすぐりながら言った。
「素敵なレディになったら、私と踊ってくださいますか?」
アリアテはうん、と答えた。男は約束ですよ、と念をおすように言う。
「はあっ」
男が誰だったかを思い出しかけたとき、アリアテは目を覚ました。窓の外はいまだ黒々とした雷雨、男の顔は思い出せない。