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ヴィヴィオルフェンの水魔道師

 メリウェザーは怪我の手当を受け、アリアテとともにエルウィンの経営する宿「涼水亭」に止まった。

「閑かでいいところ。でも何だか、ヒトの気配がないような……」

「確かに、エルウィンの他には誰も見かけなかったな」

 一風呂もらってから食堂に行くと、野菜の水煮や魚の水煮、水炊きした穀物などがテーブルに並んでいた。

「ここの飲み水は美味しいよね、だから湧き水を使った料理が多いのかな」

「いえいえ、私のレパートリーの問題ですヨ」

 エルウィンはにこにこしながら相席につき、にこにこしながら窓の外を眺めた。夕闇のなか、蛍が舞い飛んでいるが、家々の明かりは消えたままだ。

「ここは水以外に取り柄がないですからネ。土が砂漠になっては作物も育たナイ。皆、しばらく前にロワンジェルスやサンタナシティに引っ越しマシタ」

「じゃあ、今はエルウィンしかいないのか」

「そうデス」

 ずっと微笑んでいるように見えるエルウィンの表情に、アリアテは違和感を覚え始めた。彼は意図的に目を細めているように見えた。

 その時、門の近くでドン! という大きな音がして、宿まで地響きが伝わってきた。次いでバシャバシャと水が落ちる音。窓から身を乗り出すと、太い水の柱が噴きあがっていた。

「間欠泉デス。この辺りは温泉も出ますが……いかんせん、人の往来も絶えてしまって。私も宿をたたもうか悩んでいるところデス」

「もったいないわ、いい宿なのに」

 前庭には湧き水を利用した立派な噴水があり、水を撫でた風が宿に吹き込むと涼しくて心地よい。建物もよく掃除してあって、清潔感があった。

「私の代で潰すには惜しいですが、客商売ですからネ。こればかりは」

 エルウィンは苦笑して、これからアリアテたちがどこに行こうとしているのか尋ねた。

「実は、いなくなってしまった兄を探しているの」

「そうデスか、でもこの町では見かけませんデシタ。もっと大きなロワンジェルスか、サンタナシティあたりまで行ったのかも知れマセン」

「そうね……でも遠いわ、ラバも怪我をさせてしまったし」

「でしたら、鳥をお貸ししまショウ」

 エルウィンはあっさりと提案した。

「三羽しかいませんが、砂漠にはうってつけの生き物ですヨ」

 翌朝には、足の折れたラバは幌のない荷馬車に乗せられ、レフトバード二羽にひかれてラグナレクへと出発した。

「いいデスか、食べちゃだめですヨ。食べたらわかりますからネ、めっですヨ」

 エルウィンはレフトバードたちに物騒な注意をくり返していた。

 それからわずか二時間後、レフトバードたちは荷馬車に手紙と食糧、水を積んで戻ってきた。

「父さんだわ。ちゃんとバルドルを受け取ったって」

 メリウェザーは手紙を抱きしめた。彼女の傷がある程度癒えてから、水や食糧を大型の荷馬車に積み込み、荷台に乗りこんで、一行はヴィヴィオルフェンを出た。

 レフトバードが三羽がかりで牽く荷馬車は、馬やカンガルーが牽く車よりもずっと速く、ずっと揺れも少なく、半日ほどでロワンジェルスに到着した。

「これだけ速ければ、町から町まで野営を挟まずに移動できるわ。すごいのね」

「ケェケェ」

 メリウェザーに撫でられ、鳥たちは嬉しそうな声を出した。

 ロワンジェルスはラグナレクよりも高い石壁に囲まれ、さながら城砦のようにやぐらも取りつけられていた。サンタナ地方において、最も盗賊団の襲撃を受けやすい僻地にあるためだ。

 大きな荷馬車は目立つため、エルウィンは行商に来たと門兵に伝えた。幌の中を改めた役人は、次にアリアテの帯剣について尋ねた。ちょっとした作業に使う短剣だ、と言うと、鞘の短さを見て、役人は納得した。

「北の像には近寄らないように」

 最後に変わった注意を受けて、一行はロワンジェルスに入った。

 大通りはレンガ敷きで整備され、しっかりした建物がずらりと並んでいる。エルウィンは顔見知りの宿を訪ね、一行は食糧の一部と引き換えに、格安の値段で部屋をとった。

 室内は広く、ベッドが四つと暖炉があった。それぞれのベッドの脇に荷物を置くと、メリウェザーはさっそく情報収集に出かけた。

「じゃあ、僕も町を見てくる」

「お気をつけて」

 エルウィンを荷物番として残し、アリアテは人の多い通りに出た。ヒト族も獣族も隔てなく往来し、活気に溢れているが、どこか上品な雰囲気があった。誰もがラグナレクよりも凝った衣服を着ていて、時々、アリアテをもの珍しそうな目で見た。

「大きな町だね」

「でも、歩いて端から端まで行けるから、そこまでじゃないってエルウィンが言ってたよ」

 雑踏のなかでは、クオーレと会話しても不自然に思われなかった。人波を掻き分けてあちこち動き回るうち、アリアテは巨大な白い像の前に出た。慈愛に満ちた笑みを浮かべ、女性らしい丸みを持った体が美しい曲線を描く像は、神の使いクルタナの姿を模している――そう、案内板に書かれていた。

「ムジナ、ここは近寄ってはいけない所だったね」

「でも、誰も避けたりしていないみたいだけど」

 近寄るなと言われた北の像がある広場では、子どもたちが遊びまわり、おかみさんが洗濯物を干し、男たちが休憩していた。

 そのうち、一人の子どもが像の入り口から中へ入っていった。

「入るところがある。中になにかあるのかな」

「ムジナ、でもここは近寄らないようにと」

「じゃあ、覗くだけ」

 アリアテが像に近寄っても、特に周りの人々は制止しない。四角く切り抜かれた入り口の向こうはなだらかな螺旋階段になっており、アリアテはためらいなくのぼっていった。

「誰か来た。知らないにおいだ」

 ほどなくして、静かな声が響いてきた。深く心に染みる不思議な声だ。アリアテが足を止めると、元気の良い声が壁に跳ね返りながら聞こえてきた。

「待ってて、見てくる!」

 小さな足音が階段を駆け下りてきて、アリアテを見つけた。

「あっ 誰だこいつ」

 少年は怒った顔をして、アリアテを像から追い出そうとした。その背後に、身を隠している何者かの影がのびていた。

「ごめん、入っちゃいけなかったんだね」

「そうだぞ、知らない人はカレンがびっくりするからな!」

 なるほど、臆病者(カレン)か。この像にはカレンと呼ばれる何者かが住みついていて、それを脅かさないように、よそ者は近寄ってはいけないと忠告されるのだ。

 アリアテは広場に戻り、入り口で仁王立ちしている少年と話した。

「僕はムジナ、ここからずっと遠い海のほうから来た」

「俺はシャンティ。カレンは俺の友だちだから、いじめたらゆるさないからな」

 シャンティはアリアテの腰の剣を指さした。

「いじめないよ。これは父さんの形見なんだ。だから、いつも持ち歩いてる」

「かたみ? 俺のも、かたみだ。母さんの」

 シャンティは服の下から木製の首飾りを引っぱりだし、アリアテによく見せて、また大事そうにしまった。

「お前は、父さんがしんじゃったんだな。カレンにはどっちもいないんだ。だから俺たちが友だちになって、家族になってやるんだ」

 ひとりぼっちの何かを大事に匿って守っている像と、ロワンジェルスの人々が、アリアテはとても好きになった。

「そうか。じゃあ、カレンも喜んでるだろう。僕は宿に帰るよ」

「おう、また来てもいいいぞ! 俺といっしょだったら、カレンに会わせてやる」

 シャンティと約束して、アリアテは広場を出た。

 ロワンジェルスは文明の進んだ清潔な町だが、ここにも疫は魔手をのばしつつあった。人々の噂話によれば、すでに疫に罹ったものが数名出ているらしい。ラグナレクと違って町の外に放り出すようなことはしていないが、ひとつの家にベッドを並べ、隔離されているらしかった。

「移る、移らないはともかくとして、あの姿を見ているだけでもつらいからな」

 見放しはしないが、直視はしたくない。そんな本音が人々の口から漏れた。

 代わりに、砂漠化に関する話はほとんど出なかった。もはや、植物をも殺す死の砂漠は、覆りようのない現実だと諦めているのだろうか。

「調べごとがしたいなら、図書館があるよ」

 骨董市の老人に教えられ、アリアテは市庁舎ほどもある図書館を訪れた。司書に尋ねてみたが、砂漠化に関する資料はほとんどないということだった。

「専門家でもわからないことが多いですから。ただ、現地でどんなことが起きたか見聞きしている、語り部の歌をまとめた冊子ならありますよ」

 アリアテはその冊子といくつかの資料を借りて、宿に持ち帰った。

「読書ですか、関心デス」

 ベッドに本を広げ、アリアテは気まずそうな顔でエルウィンを見つめた。

「実は、あんまり難しい字は読めないんだ」

「いいですヨ、お手伝いしましょう。ああ、砂漠化についてですカ……あの砂は普通じゃナイ。ギドロイのような砂漠では、水が染みこまずに鉄砲水が出ることがよくあるんですが、この辺の砂漠は水を飲みこみ、蒸発させ、完全に枯らしてしまう……普通の砂じゃナイですよ、まるで呪いのようデス」

「呪い」

「まあでも、二大大陸全土を砂漠にしてしまうような呪い、ヒトや獣にできる所業じゃありませんけどネ。呪術師一族が束になっても無理デス」

 呪術師、と口にした一瞬だけ、エルウィンの細めていた目が開いた。その双眸は血のように赤々として、アリアテの目とも違った毒々しさがあった。


 あっという間に日は落ちて、アリアテとエルウィンは照明の下、まだ本とにらみ合っていた。

「ただいま。あら、読書?」

 メリウェザーは花のにおいを振りまいた。

「いいにおい」

「ここの特産だから、バラ園を見てきたの。人もたくさん集まるし……お陰で、青いマントと筋骨隆々の二人組を見たっていう人が見つかったわ」

「すごい! それで、ロードはどこに?」

「食糧や水を買っていたっていうから、きっともうここにはいないわ」

 メリウェザーは苦笑し、買い集めた薬草をベッドに置いた。

「でも、きっと追いつくのは難しいことじゃないよ。これは何?」

「痛み止めよ……ああ、違うの。傷じゃなくって、筋肉痛。急に運動したから」

 ひまわりのような笑顔に、アリアテは気持ちが落ちついた。

「私はエルウィンに手伝ってもらって、砂漠化について調べていたんだ」

 アリアテは大きくのびをした。

 各地の語り部の歌った内容を見通してわかったことは、やはり、海の消失と深い関わりがあること。砂漠化は呪いのような、超自然的なものであること。

「でもそれ以上は、たとえば海が……海の精霊がなぜ消えてしまったのかまではわからない」

「海守りの地セルシスデオのできごとを語った歌には、海の精霊は何かから逃れるために、また守るために、生き物たちを連れて姿を消したとあるのデスが……まあ断片的な情報がせいぜいですネ」

「じゃあ要は、どこかに身を隠している海の精霊を助け出さなきゃ、すべては元通りにならないってことね」

「海の精霊を脅かしている【何か】も退治しないといけませんネ」

 道は遠い。頭を使ってお腹が空いたとアリアテが訴えると、メリウェザーとエルウィンは顔を見合わせ、ひまわりのような笑顔が並んだ。


 食堂におりると、片隅からレシオンの音色が聞こえてきた。

「消えないで

 私を孤独から救ってくれた 最初の手のひら

 消えないで 願う言葉の儚さに

 砂漠の薔薇は答えない」

 いつかの詩人の歌声がした。

「ムジナ、彼はどこにいる」

 突然、懐のクオーレが輝きだし、宝石の光は服をとおして外まで漏れた。アリアテは身をかがめて宝石をおさえ、声を低くした。

「どうしたんだ」

「この歌を歌っている、彼はどこに」

 アリアテは食堂の人垣の中に目を凝らしたが、すでに吟遊詩人は席を片付け、裏口から出て行くところだった。

「待って」

 追いかけようとしたが、身動きがとれない。クオーレは輝きを失い、静かに夜の空模様をうつしていた。

「あまりにも気配が薄い。だが、彼は海の精霊に関わりがあるはずだ」

「青緑の帽子にマント、特徴は覚えたと思う。すぐに追ったほうがいい?」

「いいや、ムジナ。たくさん食べて、しっかり体を休めてくれ。君の旅はいずれ必ず海へと繋がる……」

 クオーレの声は、どこか頼りなく響いた。

 食堂に集った面々は、共通の話題で盛り上がっていた。

「近々、サンタナシティで例の大会が執り行われるそうだ」

「ラティオセルムの一大イベントね。サルベジアからもたくさんの観光客が来るんでしょう、楽しみだわ」

「一般市民はチケットがないと観戦できない。売り切れないうちに手に入れないと」

 あちらのテーブルでも、こちらのテーブルでも、サンタナシティで行われる大会について話こんでいる。アリアテのテーブルでは、エルウィンとメリウェザーが口を真一文字にして、変わった笑顔を浮かべていた。

「あれ、どうしたんだ? 二人は食べないのか?」

「いいの、気にしないで」

「あしが早そうな食糧を片付けないといけませんカラ」

 アリアテは麦料理に大盛りの肉料理、付け合わせの野菜もしっかり平らげ、満足そうに腹をさすりながら部屋に戻った。

 エルウィンとメリウェザーが荷馬車に向かい、クオーレとふたりきりになると、懐の宝石がうかがうように話し始めた。

「ムジナ……言いにくいんだが、君のお腹に収まる量がね? おそらく、エルウィンたちは財布の相談をしていると思うんだ」

「しまった」

 つい、ラグナレクでおごってもらった食事のくせがついていた。考えなしに胃袋を満たしている自分がとても恥ずかしくなった。

「どうしよう、私もどうにかして稼がないと」

「だが、町ごとに長居はできない。そういえば、さっき食堂で聞いた話……」

 クオーレが言いさしたところで、二人が戻ってきた。彼らは暗い顔ひとつせず、相変わらずにこにこしている。

「あの、メリウェザー、エルウィン。さっき食堂で聞いた大会の話なんだけど」

「毎年サンタナシティで行われる武芸大会ですネ」

「リメンタドルムっていう、とても大きな建物で開催するのよ。世界各国から腕自慢が集まって、武芸ごとに競うの」

「それって、賞金は出る?」

 アリアテが申し訳なさそうに尋ねると、メリウェザーとエルウィンは顔を見合わせた。

「やだ、どうして? 路銀はまだ余裕があるわよ」

「それとも何か買いたい物があるとカ?」

 三人が三人とも気を遣いあっているので、アリアテは妙な笑顔を作った。

「ご褒美があるような腕試しの大会なら、出てみたいと思って。情報収集にも良いと思うんだ、サルベジアからもたくさん人が来るんだろう?」

「そういうことなら、エントリーはまだ枠がありそうデス。ここからサンタナシティまではそう遠くありませんし、三日以内に出発すれば充分間に合いマス」

 しかしメリウェザーは険しい顔をしていた。アリアテは慌てて付け足した。

「あの、ロードを探すのがもちろん先で」

「確か団体戦なのよ。別の競技に出場する者どうしで五人くらいのチームを作って、総合点で優勝チームを決めるの。とりあえず私とエルウィンを頭数に入れても、あと二人足りないわね……あら、ごめんなさい。何か言った?」

「ううん、何も」


 翌朝、アリアテは巨大生パスタ大食いチャレンジという企画に参加して、見事に優勝し、三人分の食費を浮かせる武功をあげた。ご褒美にロワンジェルス名物の「干しみそせんべい」を一袋もらって、アリアテはさらに上機嫌だった。

 うきうきした気分のまま、図書館に本を返しにいった帰り道。突然半鐘が鳴り響き、あちこちにさがる鳥かごに入った呪符の鳥たちが、一斉に警告のけたたましい鳴声をあげた。

「全市民に告ぐ。家に入り、戸口を固めなさい。全市民に告ぐ……」

 次いで、呪符の鳥たちは女性の声でくり返した。

 人の波が乱れ、怒濤となってアリアテを翻弄する。彼らは家に駆け戻り、頑丈な鉄の扉で窓も出入り口も覆ってしまった。

「おい坊主、宿が閉まっちまう前に帰れ! 入れなくなるぞ」

 後ろからアリアテを追い抜いていった男が忠告した。アリアテはすぐに走り出したが、宿の扉はすでに固く閉ざされていた。

「ああ、いたいた」

 後ろから優しい声がした。

「メリウェザー、どうして外に」

「警鐘が聞こえたから。ムジナがまだ外に居るんだもの」

 厩舎からはエルウィンがのんびりと歩いてきた。

「鳥を飛ばしてみまシタ。赤地に黒いオアシスの旗印、ローデアル盗賊団のいずれかの分隊でしょうネ。このところ日照り続きで、彼らも相当気が立っていると見えマス」

 アリアテは聞き覚えがなかったが、ローデアル盗賊団といえば、二大大陸でその名を轟かせる大盗賊団らしい。編成は特殊で、各部隊ごとに特色がある。いまロワンジェルスに迫っているのは第六分隊、魔物が多く配備された隊だ。

 アリアテは、じっとしてはいられないと、物見まで走り出した。

「金目のもの、食い物は全部頂くぜえ!!」

「女もだ! 女、子どもの肉はうめえんだ!」

 人語を操る魔物の群れが、壁のすぐ外で恐ろしい雄叫びをあげていた。

「ざっと二十はいるでしょうカ」

「下に行ったら孤立しちゃうわね、どうやって戦う?」

 エルウィンとメリウェザーも追いついて、吠えている魔物やヒトの混在した盗賊団を見下ろす。

「ざっと流しちゃいましょうカ?」

 エルウィンはアリアテに向かってひらひらと手を振った。

「流す、って、そんなことできるのか?」

「町の水源を使っちゃいマスけどネ、私、今は半分以下の力しか出せないのデ……」

 エルウィンは水平に手をかざし、詠唱に入った。細めていたまぶたを開き、白目まで赤々と不気味な双眸をあらわにする。

「恵みを齎したまえ、慈悲を以て清めたまえ。湧きたてよ、流れ出でよ、母なる海へと注ぎたまえ。罪担う者の涙となりて、罰与う者の涙となりて」

 感じたのはわずかな地響きだった。それが次第に大きくなり、町を囲む塀の上まで揺れ出す。下の砂地からは大小の水柱が立ち、噴きあがった水が集結して、生き物のように盗賊団に襲いかかった。

 水の塊は何もかもを抱き込み、内部の激しい奔流で抵抗を許さない。すべてが溺れ、息が潰えるまで時間はかからなかった。水はそのまま流れだし、盗賊たちを砂漠の向こうへ押し流していった。

「水魔道師! 世界三大魔道の……そうだったの? エルウィン!」

 色めき立ったメリウェザーの前で、エルウィンはふらりと傾いた。メリウェザーが受けとめ、アリアテに手伝われながら背負って、物見やぐらを下りた。

「気絶してるわ……魔法って精神力をたくさん使うから、強力なほど反動も大きいって聞くけれど」

「そうなんだ……実は私も、この剣を持つようになって食欲が増したんだけど、関係あるかな」

「まだあなたに馴染んでいないのかも知れないわ。あなたのエネルギーをどれくらい借りてもいいのか、測っているところなのかしら……その剣を手に入れたのは最近になって?」

 大小の影を連れて、二人は宿への帰路につく。呪符の鳥は静かになり、隣の通りを、兵士たちが物見やぐらに走って行った。

「……父の形見なんだ。村の簡単な仕事を手伝える年になった頃、お城の兵士が正装して届けてくれた。お父上の御佩刀(みはかせ)です、ずっとあなたの元に行きたがっていました……そう言われた時は、意味もわからなかったけど、とても不思議な心地がした」

「お父さん……そうだったのね」

「兵士だったんだろうけど、顔も名前も覚えていないんだ。物心ついたとき、血の繋がった家族は姉だけだった。でも村のみんなは私たち姉妹を本当の子どもみたいに愛してくれたよ。淋しいと思うことは一度もなかった」

 宿に着く頃には、家々の扉や窓を塞いでいた鉄板は外され、無事を祝う声があちこちで聞こえた。

 アリアテたちがエルウィンを背負って戻ってくると、店主は仰天したが、詮索はしなかった。階段を上がって見慣れた角部屋に入り、メリウェザーは注意深くエルウィンをベッドにおろした。

「お茶をもらってくるわ。すこし診ててくれる?」

「うん。ありがとう」

 エルウィンは当分起きそうにない。

「クオーレ、エルウィンは大丈夫かな」

「強い呪いをかけられているが、命に別状はない。少しの魔法を使うにも、ムジナの十倍くらい消費が激しいんだろうね」

 うなされているエルウィンを時々つつきながら待っていると、落ちつく香りのするポットとカップを持って、メリウェザーが帰ってきた。その姿は給仕する宿屋の看板娘そのものに見えた。

「おいで、ムジナ」

 アリアテはメリウェザーと並んでソファに座り、温かいお茶をすすった。

「メリウェザーは、姉さんに感じが似てる」

 いたわるような笑顔を向けて、メリウェザーは黙ってアリアテの話を聞いた。

「十年前の内乱で、都に住んでいた貴族のほとんどは殺されてしまった。兵隊もたくさん死んだ。私の父はおそらく、魔剣使いでもあったから、身分ある兵士だったと思う。姉さんは戦火のなかを幼い私を連れて逃げて……もともと体が丈夫じゃなかったんだ。私が知っている姉さんは、ほとんど寝たきりだった」

 思い出す、夕日色の髪が青ざめた肌に映える様を。細い指先には、慣れない仕事でついた痛々しい痣が目立った。

「何にも囚われず、自由に、思うように生きろと。誇りを忘れるなと。最期にそう言った」

 アリアテが飲みかけのカップをテーブルに置くと、メリウェザーは思いきりアリアテを抱きしめた。

「ちょっとのあいだ、こうしていてもいい?」

「うん」

「きっと素晴らしいことがあるわ、あなたの道をいつも光が照らしますように」

 姉の体つきとはまるで違う、触れていると、鍛え上げられた筋肉と太い骨の存在がはっきりとわかった。けれど、温もりはそっくりだった。

「あの、メリウェザー、もういいかな わあっ」

 腕から抜けだそうとすると強く締めあげられ、頭をぐしゃぐしゃに撫でまわされた。

「この、このっ」

「やめろ! やめて! きゃはは、やめてー」

 アリアテは初めて、少女らしい顔をして笑った。メリウェザーはひまわりのような笑顔でそれを受けとめる。

「笑わせてあげる。これからも、たくさん笑うのよ」

「……うん」


 交代で夕食をとったあと、アリアテは風呂を使うようにうながされ、個別に使える狭い露天に入った。

(いみな)って知ってる? 内乱で王族が滅亡して、それまで禁じられていた、彼らの名前をどんなものに名付けても良くなったんだ」

「へえ、ヒトは変わった習慣があるんだね」

「だからあちこちに、元王族の名前の土地や、武器や、料理がある。でも禁じられた忌名というのもあって、ある名前は口にするだけでも罪なんだ……おそらく、その人物が内乱の首謀者だから」

 アリアテは洗い場に出てお湯をかぶり、タオルで髪を結い上げた。

「早く戻ろう。メリウェザーも露天風呂を楽しみにしてたからね」

「ムジナ、服を着てから首にさげてくれればいいから! 大丈夫、見てはいない。見てはいないが、ちょっと無防備すぎるぞ」

「女か」

「そう、女の子だから、もう少し恥じらいを……」

 その場が静まりかえり、かこん、という鹿威しの音が大きく響いた。湯気の向こうに誰かが立っている。

「黒髪、褐色の肌、赤い目……」

 すらりとした長身の、頭の先には尖った三角の耳。涼しげな双眸がじっとアリアテを観察していた。

「私は、いずれ(おと)なうお前を待っていたのかも知れない」

 声の主は姿を現さないまま、影のように去っていった。だが姿を見なくても、アリアテにはその声に覚えがあった。

「北の像に居た男だ」

 静かで、聞く者を深い水底にいるような心地にする声だ。

 アリアテは肌着まで着ると、残りの服は脇に抱えて、部屋に駆け戻った。

「やだ、途中で誰にも会わなかったでしょうね!」

 驚くメリウェザーに詰め寄る。

「私を見てどう思う? この外見、何か特徴があるのかな」

「ヒト族はおおまかに四つの種族の子孫と言われていマス」

 介抱されていたエルウィンが、ゆっくりと体を起こした。

「メリウェザーのように、体躯ががっしりとして背が高いのはストラ族系。私は肌の色が白く、作りが細いヨツハ族系」

「もう起き上がって大丈夫なのか?」

「ええ。だからちゃんと服を着なサイ、レディがはしたナイ」

 アリアテがもぞもぞと急いで上着をかぶると、エルウィンは続けた。

「黒髪は二つの種族の特徴デス。小柄でオークルの肌をしたアジャ族系と、もうひとつ。黒髪に褐色の肌をして、赤い目をしたゲイル族デス」

「その、ゲイル族っていうのはどのくらい居るんだ?」

「元々は砂漠の国ギドロイに多い種族よ。サルベジアには移民が多いから、きっとある程度は居ると思うけれど……ラティオセルムではほとんど見かけないわ。赤い目をしたヒトを見たのは、ムジナが初めてよ」

「そうなのか」

 アリアテは裸足でペタペタと歩き回り、やがて自分のベッドに座りこんだ。

「ゲイル族の特徴を持つ者を、北の像に住む男は待っていた……どんな理由があるんだろう」

「待ってムジナ、北の像って? 門のところで、近寄らないようにと注意されたところじゃなくて?」

「それが、散歩するうちに偶然……待ってくれ。エルウィン、さっき僕に何て言った?」

 はたと気づき、アリアテは怪訝な顔つきでエルウィンを見た。

「レディがはしたナイですヨ、と言いマシタ」

 確かに、肌着姿で現れれば体型は一目瞭然だ。アリアテは今ごろになって恥じ入り、毛布をかぶって丸くなった。

「三者三様わけ有りですカラ、仲良くやっていきまショウ」



………………………………………………………………。

 サルベジアの首都、ゲッテルメーデルに鎮座する【白き司】は、数日後に迫る武芸大会の準備におわれていた。

 世界各国から腕自慢が集結し、名のある魔道師や武人が多く参加する国家の一大イベントは、兼ねてより王の名を冠する名誉ある大会であった。現在は、女王シーナが主催者となる。

「印はもらえたか」

「命からがら」

 しかし女王シーナは政に関心がなく、この頃はさらに、大嫌いな大臣メンテス・ガヴォが側を離れないために機嫌がすこぶる悪かった。くしゃみひとつで斬首を申しつけられた官吏もいる――その場は凍りついたが、大臣の「お戯れを」の一言で収拾がついた――。

「もちろん列席はなさらないだろう」

「未だに反対勢力も多いからな、こればかりは……だが、大臣閣下は観覧されるそうだぞ」

「元お付きの【精兵連】も、大会の引き立て役として参加するらしいからな。大臣閣下は国民が好きでいらっしゃるから」

 文官たちは苦笑しながら、方々で必要な許可をとり、白き司の隅々まで走り回った。

 その様を見下ろしながら、メンテスは足下に侍るドーイに命じた。

「さがれ、お前に用はない。残党狩りに勤しめ風使い」

「ですが、私にも何か……アイーシャばかりを贔屓なさらず、徹頭徹尾忠臣である私にも、大臣閣下のお手伝いを」

「要らん」

 メンテスは鼻で笑って、一瞬静かになり、今度は悪戯っぽく笑んだ。

「おとなしくしていろ、忠犬(ド=イナ)らしく」

「……はっ」

 ドーイは深々と頭をたれ、足早にその場を去った。充分に離れてから、壁にもたれ、胸をおさえた。

(おいたわしい、メンテス様。私をド=イナと呼ぶのは貴方だけだ)

 リメンタドルムの武芸大会にドーイは介入できない。となれば、後のことはアイーシャの双肩にかけるしかなかった。



………………………………………………………………。

 翌朝、アリアテたちは荷馬車ごと、町役場に招待された。入り口に横付けすると、裏手から大勢の人夫がやってきて、次々に荷台へ食糧や反物などを積み込んでいく。一行があっけにとられていると、役場の大理石のロビーを突っ切り、麦穂色の髪をした女性が駆け寄ってきた。

「町長のロザリーです。昨日は、我が町をお助けいただき、感謝の言葉もございません。これはほんの気持ちです、我々の町を代表して私から、どうぞお納めください!」

「そんな、一度盗賊団を退けただけで」

 メリウェザーが首を振ると、ロザリーはより強く首を振った。

「いいえ。あのローデアルの魔物たちを倒したんです。しばらくは、いかなる無法者(ヴィ=ロウ)もこの町を襲おうとはしないでしょう。あなた方は我々に、夢にまで見た平穏をくださったのです」

 ロザリーは小さな手でぎゅっとアリアテの手を掴んだ。伝わってくる細かな震えが、彼女の葛藤と、解放された喜びを語っていた。

(ヴィ=ロウ。そういえば、私は無法者だったな)

 いずれ、ラグナレクから送られた人相書きが【白き司】に渡り、国じゅうにアリアテの手配書が出回るだろう。似顔絵が似ていないことを願うばかりだ。



 町長や町の人々に見送られ、アリアテたちは気恥ずかしく、また誇らしい気持ちでロワンジェルスを後にした。すると、人垣から少年が抜けだして、荷馬車の後を追ってきた。

 レフトバードの足を止めてもらい、アリアテはシャンティに駆け寄った。

「ムジナ、カレンがいなくなっちゃったんだ!」

 シャンティの手には、美しい石英鉱の弓が握られていた。

「カレンのだいじな弓なんだ。おいていくことなんかなかったのに」

 アリアテは一瞬だけ眉間にしわを寄せたが、すぐ笑顔を浮かべた。

「しかたないな、旅のついでに探してやるよ。だからシャンティ、そのだいじな弓をちゃんと守っててやってくれ」

「ありがとうムジナ。ぜったい、カレンをつれて帰って」

「約束する」

 アリアテが荷台に戻ると、レフトバードは加速して、あっという間にシャンティの姿は見えなくなった。遠ざかるロワンジェルスの高い壁を眺めているアリアテに、メリウェザーが果物を切り分けて差し出した。

「でもムジナ、そのカレンはどんな人なのか知ってるの?」

「実は姿を見たことはないんだ。でも、声でわかる」

「声?」

 メリウェザーが首を傾げると、まさにカレンの声が答えた。

「まるでセッタ族のように耳が良いな」

 深い水底に沈んでいるような、心地良い静かな声だった。ところが、カレンが気配をあらわにした瞬間、レフトバードが暴走した。

「ウォッケケケ! ウォッケケケ!」

「ケケケケケケ!」「ギーッ! ギィーッ!」

 荷馬車が大きく左右に揺られ、メリウェザーは悲鳴をあげて、持っていたナイフをとっさに樽に刺した。

「エルウィン、どうした!」

「わかりマセン!」

 短い返事だけして、エルウィンは手綱と格闘していた。メリウェザーはアリアテを抱き寄せ、幌の真上をにらんだ。

「とても大きな気配がする。上に何かいるわ、カレン? あなたがそうなの?」

 いつもの柔らかい調子ではなく、詰問するような鋭い口調でメリウェザーが問う。すると、声は静かに言った。

「止まれ」

 レフトバードの大騒ぎはぴたりと止み、荷馬車は静かに停まった。

 幌が弾んで、何かが軽やかに砂地に降り立つ。それは足音も静かにレフトバードに近づき、一羽ずつ、長い飾り毛の生えた頭を撫でた。

 アリアテとメリウェザーは這うように荷台から下りて、ようやくカレンと対面した。ヒトに近しい容姿を持った獣族で、珍しい翡翠色の毛並みを持っていた。さらりとした長髪の上に出ている三角形の耳や、豊かな尾、大きな獣の足などは、狼の特徴に似ていた。

「私は銀狼族のカレン。長くあの町に世話になっていたが、そろそろ次の場所に出向く時期だ。我らが英雄たちと同道させてはもらえないだろうか」

 不思議なほど、カレンの言葉はすんなり心に入りこんでくる。「少し待って、考えさせてほしい」というセリフを思いつく前に、アリアテたちは頷いていた。

 カレンには敵意はまったく感じられず、当たり前のように荷台に乗りこんできても、誰も嫌悪感は抱かなかった。

「少ししたら手綱を変わろう。あなたも休んだほうがいい」

「ありがとうございマス。カレンは変わった獣族ですネ、ヒトに対してこんなにも友好的で……」

 エルウィンが言うには、多くの獣族はヒト族よりも長い歴史を持ちながら、ヒト族の台頭によって貶められ、差別を受け続けてきたのだという。

「ラティオセルムでは古来より、ヒトと獣が共存していマスが、サルベジアでは特に差別化がはかられてきマシタ。獣はヒトに劣るもの、とネ。それが一転、シーナ女王の代からは、獣族がヒト族より優位であるという【法律】が制定されタ。どんな混乱が国じゅうで起きているか、言うまでもありまセン」

「わざと、ヒトと獣をぶつけて、争いを産もうとしているのよ。ラグナレクも元々はヒトと獣が等しく暮らす町だった。でも今は……すべてが変わりつつあるわ」

 カレンは静かに話を聞いていたが、感情の揺れを顔に出さず、言った。

「私は長く群れから離れ、己れからも離れていた。ヒトでも獣でもない、カレンという存在となって、世間を傍で見ていた。だから私には何のしがらみも、怒りも、悲しみもない。ただ目の前に在る者たちと、ここに在るだけだ」

 アリアテは後ろ頭を掻きながら、メリウェザーが切り分けた果物をカレンに手渡した。

「カレンはカレンか。私も私だ。一緒に行こう」

「ああ」

 カレンは手をのばして果物を受け取り、穏やかに微笑んだ。


 荷馬車に揺られ、アリアテは夜半に目を覚ました。メリウェザーとエルウィンは眠っており、手綱はカレンが握っていた。

「カレン、眠くない?」

「時々眠っている。彼らは優秀だ、きちんと道を進んでいるから、私がすることはほとんどない」

 ケェ、とレフトバードが返事をした。

「彼らの言葉がわかるのか?」

「ある程度は」

「すごいな。私も話してみたい」

 アリアテがカレンの隣に座ると、レフトバードの一羽が振り返って「コココッ」と喉を鳴らした。

「お前が好きだと言っている」

「そうか! 私も君たちが好きだよ」

 褒めたとたん、レフトバードは急加速して、荷馬車が大きく揺れた。カレンは冷静に手綱をとり、鳥たちを落ちつかせた。

「ごめん。私の言葉が解るんだな……」

「解っている。ただの獣も、魔物も、精霊たちも」

 すう、と夜風がアリアテの頬を撫でた。あの岩陰にも動物が住んでいて、草の間には精霊たちがいる。夜気のなか、そうした小さなものの声が聞こえてくるような気がした。

「カレン、なぜゲイル族系の人間を待っていたのか、聞いてもいいか」

 カレンは少し、思案するように黙っていたが、やがて口を開いた。

「わからない。だが、お前を見た瞬間にそう思った。お前とともに行くべきだと……獣の勘、とでも思ってくれればいい」

「そうか。何だか、村を出てから不思議な縁が続くなあ」

 それとも、村を出る以前から。

 アリアテは星明かりの下、地平線までのびる砂の道の先を見つめた。

脱いだら筋骨隆々の乙女、怪しげな水魔道師に加え、世間離れした獣族。

愉快な仲間たちとともに、旅は続くよどこまでも……

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