灯火の地の賢者
灯火の地に立ち寄ったアリアテたちは、五賢者のひとりカストロが、精兵連によって連行される現場を目撃する。
エルウィンは深い水の中を漂っていた。浮き上がる力と沈みこむ力が拮抗した狭間で、停滞し続ける。
遥か向こうに光が揺れている。青く澄んだ、海の雫の放つ光に似ていた。
「お前の力は、やがてお前自身を滅ぼしてしまう……」
懐かしい声がした。彼の母親は命と引き換えに、エルウィンの魔力を封印した。ヒトの身にはあり余る力から子共を守るためだった。
エルウィンは目を開けた。見慣れない天井、隣には黒猫の少女が眠っている。体を起こすと、向かいにはメリウェザーが、その隣にはロード、カレンと続いてよく眠っていた。
窓からは朝陽が差し、黒猫の少女の向こうからアリアテが起き上がった。
「エル、おはよう」
無邪気な笑みを向けられ、エルウィンはひまわりのような笑みを返した。
「はい、おはようございマス」
宿を出ると、イーザが迎えに来ていた。
「よう。よく眠れたか?」
「よくここがわかったね」
共に市場の屋台で朝食をとり、一行は門から出て町の北側に向かった。そこでは、フェルゼンが三羽のレフトバードを率いて待っていた。エルウィンは目をしばたかせ、鳥たちに近寄る。
「お前たち?」
「ウケケケッ」
レフトバードは三羽三様の飾り毛を震わせ、懐っこくエルウィンにすり寄った。
「エルのレフトバードだ。何でここに」
「サンタナシティに置いてきたはずデスが……」
イーザはレフトバードたちに牽引綱をつけ、荷馬車に繋ぎながら答えた。
「俺も詳しい経緯は知らないが、フレ=デリクの手引きで送られてきた。サルベジアの広さを砂場程度に考えないほうがいいぜ」
「そう言われてみれば、こちらに渡ってからのこと、よく考えていなかったわ」
「考えさせてくれる暇も与えねえ、敵が優秀ってことだな」
ロードは苦笑して、食糧と防寒着を荷馬車に積みこんだ。
アリアテたちはフードのついた厚い外套をはおり、次々と荷馬車に乗りこんだ。シェラは御者席の隣に飛び乗り、イーザに訪ねた。
「ここからゲッテルメーデルまで、どのくらいあるの?」
「さあな。順調にいって数ヶ月。まあ、半年はかからないだろう」
「そんなに遠いのか?」
幌から顔を出したアリアテに、イーザは首を振った。
「いくつかの町を経由して行くんだ。じっくり時間をかけてな……俺たちには準備が必要だし、町に紛れるのが一番見つかりづらいからだ。
ここから灯火の地、クラヴィエ、ゴドバルガ、キセ……多くの町を辿るが、時には野営も必要だろう」
動き出した荷馬車のなかで、フェルゼンが大きな荷物を指した。
「それは俺たちからの餞別な」
丸まったマットレスのようなそれは、多人数用の大きなテント、ラージと呼ばれる長旅の必需品だった。
「軍部の備品から一角獣が都合した。一級品だ、長く使えるぜ」
ラージの背負い方を確認しながら、ロードはため息をついた。
「いくらシオ様が『こちらで工面する』と言ってくれたとはいえ、本当に何の準備もできてねえよな」
「そうね……資金も、大会の賞金だって無限にあるわけじゃないし」
聞いていたイーザは、カラカラと笑った。
「お前らは身ひとつでも、ちゃんとサルベジアに渡れた。上々だ。金のほうは、ここでの稼ぎ方ってもんを追々教えてやるよ」
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「彼らは何者かの手引きにより、アマルドの東漁港からサルベジアに渡りました。ドーイ・イヴェロイの行方は知れません」
セリはサンタナミルフ号の終着点、フィールト港から報告を入れた。風防に仕込んだ呪符の向こうから、ガヴォの冷めた声がする。
「お前は引き続き奴らを監視しろ」
セリは了解して通信を切る。次いで、反対側の風防を引き寄せた。
「遅くなって申し訳ありません」
「無事か。お前も、あの方も」
「ええ……アマルドの様子は見ていませんが、オルフェスからは万事順調であると」
「リキータがゲッテルメーデルを発った。いずれ、オルフェスの手の者と合流するだろう。そちらの進捗はどうだ」
「……ガヴォ大臣は、私に引き続き監視を命じました」
「監視。それだけか」
「はい。どうにも胸騒ぎがします。急ぎ、私も灯火の地の方面へ向かいます」
「頼んだ」
通信の向こうの声は疲れた様子だった。セリは帽子を目深に被り、馬の胴に合図して駆け出した。
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政府『白き司』の執務室で、メンテス・ガヴォは招集した精兵連の面々に告げた。
「標的が近づいている。錬成術の実験は順調だが、今少し準備が必要だ……アバデを除く五賢者どもを連れて来い。行け」
戦士ディエロ、怪物ヴィッソ、猛獣使いにしてラフト族の闘士アルメニア、騎士ギュスタフ、冷たき肌のメヴィー。そうそうたる面々が執務室を後にするなか、戦女神と呼ばれた槍の名手、騎馬近衛兵隊長アイーシャはその場に残った。
「お前は別動だ。奴らに加担する者を潰せ。ドーイ、政府内の不穏分子の首を持ってこい」
「……仰せのままに、ガヴォ様」
アイーシャは吐き捨てるように言って、足早に白き司を出た。白壁を力いっぱい殴りつけてから、厩に赴き、愛馬の鼻面を優しく撫でた。
「私の主は、あんな者に負けたりはしない」
祈りの声は震えていた。
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荷馬車を停め、イーザが誰かと話している。誰かが幌を開け、手前の袋の中身などを調べて、「良いぞ」と声をかけた。
再び荷馬車が揺れた。まばらな人々の声、足音、風車の音のなかをゆっくりと進み、荷馬車は暗がりに停まった。
イーザは慎重に幌を開け、荷馬車の床を叩いた。
「もういいぞ」
アリアテたちは空樽や麻袋のなかから這いだした。積み上げた食糧を脇に退かし、フードを目深に被って荷台を降りる。
一行の前にそびえていたのは、古い建築様式の神殿だった。
「灯火の地は巡礼地。今は砂漠化やら何やら不安要素が多い世の中で、信徒で宿はいっぱいだ。そこで商人や旅人は節約もかねて神殿で寝泊まりする。ここなら目立たないぜ」
低い階段を上った先、ほぼ吹きさらしの神殿の中には、めいめいの寝袋が敷かれ、旅人たちがくつろいでいた。神殿の両脇には壁に囲まれた中庭が広がり、どこからかレシオンのもの悲しい響きが漂ってきた。
「よう、ここ、いいかな」
「どうぞ」
イーザはアリアテたちの場所をとって、手早く寝袋を並べた。
「フェルゼンは荷物番に残していく。俺は三日ほどこの町を離れる。そのあいだ多少の観光はいいが、くれぐれも目立つなよ」
イーザが出かけてすぐ、アリアテたちは少女に声をかけられた。
「どうぞ、あなた方のために祈りましょう」
少女は小さな燭台を一台置き、祈りを捧げた。一礼して、また別の旅人の前で祈る。
「巫女さんかな?」
与えられた小さな燭台を眺めていると、外が騒がしくなってきた。美しくおおらかな鐘が鳴り、一様に白い装束の人々がぞろぞろと入ってくる。
「あれが信徒なんでしょうね」
続々とやって来るヒトや獣族の波。興味をひかれ、アリアテとメリウェザーは信徒のあとに続いた。
突き当たりの大扉をくぐると、この先にはまだ広い通路が続き、頑強そうな石造りの礼拝堂が広がっていた。適当な丸太のベンチにかけて待っていると、先ほどの少女と、数人の神官が現れた。壇はなく、彼らは通路に並び、信徒とともに最奥の壁にかけられた燭台に向かった。
「灯火の地の賢者、カストロ・デル・マーテル・エ・デルテ。荘厳たる佇まいでこの世を支え、生きとし生けるものらを守護し、地を支える両腕にて掲げられぬものはなし」
神官が唱えると、方々から祈りの声があがりはじめた。
「五賢者の信仰なのね」
「五賢者? 神話のなかに出てくる?」
首を傾げるアリアテに、メリウェザーは微笑んだ。
「後で教えてあげる。さあ、お祈りしましょう」
五賢者とは、神代より続く【管理者】の系譜。
「わかりやすく言うと、世の中の法を取り決め、守っている人たちよ」
「世の中の法。法律とは違うのか?」
「ヒトや獣族がそれぞれ持つルールとは違うものよ。この世界、カレスターテがどう在るべきか。そこに生きる種族がどう在るべきか。それを司る、目に見えない力があるの」
「神さま、みたいなもの?」
「平たく言えばそうかしら……五賢者は、その神さまを守り、支えている人たちということね」
なるほど、と頷いて、アリアテは小麦粉の玉を口に放り込んだ。
「あちっ あちっ はふ」
「あらあら、気をつけなくちゃ」
笑って水を差し出すメリウェザーの隣で、シェラは頬杖をついていた。
「世の中って広いなあ。あたしの知らないことばっかり」
「私も、お前と同じだ」
カレンは水を飲み、割った小麦玉が冷めるのを待った。焼いた小麦玉に様々な魚介を少量ずつ詰めた料理は、特製のソースをかけていただく。熱々の小麦玉の上で、魚の乾物を薄く削いだフレークが踊っていた。焼き目の香ばしいにおいと、魚介から染み出すうまみが食欲を刺激し、食べ始めると止まらない。
「どう、お腹ふくれた?」
アリアテはもぐもぐ口を動かしながら頷いた。シェラはようやく冷めてきた小麦玉を口に放る。
「アマルドは二毛作で小麦も作ってるし、湖の幸も美味しい。でも伝統的な料理しか作ろうとしないから、こういう面白いものは出てこないんだよね」
「シェラ、大変な目に遭ったってのに、故郷のこと考えてるよな」
ロードはシェラのコップに水をつぎ足しながら言った。シェラは照れくさそうに答える。
「まあ、つらかったよ。でもそういうもんだって思ってたし、仕方ないって諦めてた……あたしもあたし自身のことが嫌いだったし。あんまり恨みとか、妬みとか、そういうものは無い。けど、できれば変わって欲しいな、とは思う」
往来に座り込み、屋台で料理を食べている獣族を見ても、誰一人として非難するヒト族はいない。皆、それが当たり前だと教えられ、実際にヒト族と獣族が共存する景色を見て育ったからだ。
「ヒトと獣は同じじゃないから、区別はあるとしても、差別はないほうがいいよね。いつかアマルドにも新しい風が吹いたらいいな」
「健気だなあ。お前が回復術を使えるわけが解る気がする」
ロードは感心して、シェラの頭をめちゃくちゃに撫でた。シェラは他人に触れられることに慣れていなかったが、緊張はしていない。ロードはシェラの気の流れを読みながら、だいぶ打ち解けてきたことを実感し、破顔した。
アリアテはコップに浸かっている蛇に目線を合わせた。
「リオウは、水だけでいいのか?」
「火を通した物が食えるか!」
「彼には、後で食事をさせてきマス」
エルウィンは掲示板に貼り出されていた手配書の写しをひらひらと振った。
『人食い牛 ガウル討伐 賞金10万イシュ』
「普段群れることのない魔物デスが、対象は10頭の群れで行動している変異種だそうで……足りそうデスか?」
ひまわりのような笑顔を向けられ、リオウは不機嫌に水面を叩いた。
「まずまずだな」
「魔物退治が食事か……」
アリアテは小さなリオウを指先でつつく。悪態をついて抵抗するが、噛みつきはしない。エルウィンがそれを許可しないからだ。
「ぐぐ、いつか契約を終わらせて、貴様ら残らず頭から丸呑みにしてやる!」
賑やかなブランチを終えて神殿に戻ると、外にヒトの壁ができあがっていた。何事かと近づいてみれば、人々は不安そうなざわめきの渦を起こしていた。
「あっ 出てきよったで」
誰かが言うと、皆の首は一斉に神殿の門に向いた。式典用の前垂れを鎧につけた兵士が、規則正しい歩行で現れる。
「ムジナ、こっち。よく見えるよ」
シェラに誘われ、アリアテは人垣の隙間にすべりこんだ。
「慣れないなあ。ムジナって響き、あんまり可愛くないし……」
集団から離れた二人に、エルウィンが追いついた。
「……兵士の後ろは、身分ある騎士のようデス」
「ありゃ、【精兵連】のギュスタフ様じゃわい」
傍の老人が興奮したようすで言った。やじ馬たちもギュスタフの名を囁く。
「カストロ様!」
ざわめきが大きくなった。ギュスタフの後ろには、兵士に挟まれた大男の姿があった。粗末な麻のローブに普段着姿、顔つきは厳しく、いかめしいヒゲを生やした男は、黙って列に加わっている。
「カストロ様……どうして」
「何でも、政府で重大な取り決めがあるらしく、白き司に招集されるのだと」
「それで、精兵連が護衛についたのか」
人々は妙に納得して、カストロを呼び讃えながら見送った。
「祈りはきっと、どこへ参られても届きましょう。礼拝はこれまで通り執り行います。すべての希望を、灯火へ迎えましょう」
最後に神官が出てきて口上を述べると、人々は安心したように頷き、散りぢりに去っていった。
アリアテは首を傾げ、ロードたちの元に戻った。
「招集、と誰かが言っていたけど、騎士のほうは殺気立ってなかったか?」
「まるで連行、ね」
メリウェザーは頷き、ロードとアリアテの服を引っ張った。
「向こうで話しましょ」
フェルゼンの守る荷馬車に乗り込み、一行は声をひそめた。
「敵の動向はイマイチ掴めねえが、精兵連といや大臣お抱えの【救国の英雄】たちだ……敵の主力と、こんな所で出くわすとはな」
「以前も会っている」
意見したカレンに、ロードは「大会でだろ?」と返したが、カレンは首を振った。
「アマルドで」
「……いた? あんな男。金髪で、ゴツい顔の……エルが言うには、身分ある騎士でー……」
シェラが首を傾げる。彼女の言葉を繋いで、メリウェザーは青ざめた。
「敵の主力。まさか」
「……あの騎士が、金の亜竜、ということデショウか」
エルウィンの回答に、カレンは「そうだ」と短く結論づけた。
「ヒトを竜にする方法なんてあるのかしら」
「わからない。だが、可能性は未知数だ。脅威は数えておく必要がある」
「まあ、そうだよな……白き司の魔導師の中に、何かと何かをくっつけちまう奴や、他人の能力を受け継がせる奴なんかがいるかも知れん」
「でも、竜であれば、オルフェスたち竜伐隊が倒せる」
「え、あんなすごかったのを? アリアテ、無茶言うね……」
「そうでもありマセン。彼らは竜との戦いに特化した超人的ソルジャーですカラ、対人戦よりも対竜戦に持ちこんだほうが有利かもしれマセン、ネ」
アリアテは頷いた。
「竜であれば竜伐対に任せる。魔導師はエルウィンに任せる。対人戦や魔獣は私たち。傷は、シェラが癒してくれる」
「なるほど、役割分担ってことだな」
アリアテが出した手に、ロードが手を重ねた。メリウェザーとシェラがそれに続き、エルウィンに促されながらカレンも混ざる。
「ちょっと、私の分担が大きい気もしマスが」
苦笑いしながら、エルウィンは重ねた手を上からおした。アリアテは水の膜の下で赤い目を燃やす。
「敵は恐れない。この世界に海を取り戻そう」
ばっ 、と手のひらが宙に舞う。誓いはそれぞれの胸に刻まれた。
ところで、とアリアテはフェルゼンを振り返った。
「わからないんだが、どうして私たちはゲッテルメーデルに向かうんだ?」
「確かに……敵の本拠地よね?」
「いや、シオ様にも白き司を目指せと言われたような……?」
「ロードぉ、しっかりしてよお。あたし、入ったばっかりでよくわかってないんだから」
「サルベジアに渡ろうとしたのは、海の雫の光が示したから、デシタよネ」
「そうそう、海の雫の光が……」
思い出しながら、アリアテはあの時のように海の雫――エルウィンの胸に触れた。ローブの下から青い光が溢れ、閃光が荷馬車を貫いた。
「ちょっとアリアテ! これ目立つよ!」
慌てたシェラが荷馬車を飛び出す。
「んー、何か、神殿の中に続いてるけど……」
メリウェザーも荷馬車を降り、一行を促した。
「行ってみましょう」
光に導かれるまま、一行は神殿に入った。次の礼拝まで時間があるのか、昼食をとりに行っているのか、人影はまばらだった。居残っている旅人などが、優しくも強い輝きを放つエルウィンを畏怖の目で見つめた。
「中庭をさしているわ」
「さっき、騎士たちの前でエルに触らなくてよかったね」
シェラに苦笑を返し、アリアテはエルウィン――海の雫から手を離した。
中庭の噴水は控えめな水柱をあげ、白い器のふちには吟遊詩人が腰かけていた。彼は歌うでもなく、語るでもなく、ただレシオンをつま弾く。もの悲しい旋律は、震えながらアリアテたちの胸に届いた。
「あの、以前もどこかで」
話しかけたアリアテの胸で、クオーレが強く輝いた。
「少し話をさせてもらえませんか、彼と」
吟遊詩人は顔を上げて――……おそらく、微笑んだ。彼の顔は包帯で被われ、口や目がかろうじて覗いていた。よく見れば、手足や首にもくたびれた包帯が巻きつけられている。集まる視線に居心地悪そうにして、彼は傷んですすけた色の外套を体に巻きつけた。
不気味な風体とは裏腹に、彼がまとう雰囲気はとても和やかだ。
アリアテはおずおずとクオーレをたぐり、首からはずして吟遊詩人の前に掲げた。
「おい、そんな簡単に見せていいモンじゃ……」
驚くロードを制したアリアテもまた、驚いているようすだった。
「クオーレが、そうしてほしいと」
吟遊詩人は微笑み、レシオンを置いて膝をついた。晴々とした空を映すクオーレを仰ぎ、胸の前に手を組む。
「再び見えたことに感謝します。懐かしい……私の身勝手を赦してくれ……」
祈りを捧げる吟遊詩人に、クオーレは絶望めいた声をあげた。
「どうして、そんな姿に……」
「相談もなく巻きこんでしまって済まない……こうするしかなかった。もう少しだけ耐えてくれるかい」
吟遊詩人は淋しく笑い、アリアテに青い小瓶を差し出した。
「君の大切な家族を救う薬です。本来ならば、私がもっと供給できるはずだった……苦しい思いをさせて済まなかった、と伝えてください」
呆気にとられるアリアテに小瓶を握らせ、吟遊詩人は足音もなく中庭を過ぎ、そのまま壁の向こうへと消えていった。
小瓶を握って目を丸くしているアリアテを、シェラが遠慮がちにつついた。
「おーい、ムジナ? アリアテ? もしもし」
「今のが海の精霊だ」
口走ったアリアテ自身が信じられない、という顔をしている。
「リア・フォルデオ・レイフォン。幻海の精霊にして、カレスターテの海そのもの……そうクオーレが言ってる」
しばし固まってから、ロードが取り乱した。
「それ、砂漠化や海の生き物が消えたことの答えだろ! 追いかけるぞ、聞きたいことが山ほど……」
「落ちついて兄さん。五賢者が連れ出された目的も解らない今は、慎重に……」
人だかりに人は集まってくる。中庭で何かあったのかと、光るエルウィンを見た旅人たちが様子をうかがっていた。
「クオーレも、今は話せる状態じゃない、って……とにかく逃がさないと。何に追われているのかはわからないけど、私たちに接触してきたのはよほどのことがあったから」
アリアテは小瓶を見つめた。
「私の、家族……?」
血の繋がった姉はすでに死んだ。
(まだ、誰かが生きている……)
【第二章に続く】